23話「決意」
6月も中旬に差し掛かる今日この頃。
我らが陵南高校では遠足の余韻もとうに消え、今週末に行われる体育祭へと皆の気持ちはシフトしていた。
体育祭といっても目新しいものは何もなく、ウチの高校も例に倣って4色に分かれての点数争いと応援団によるダンス披露。
どこにでもあるコテコテのイベントではあるが、結局それが一番盛り上がったりするものだ。
そんなわけでウチのクラスも応援団に入る奴は、昼休みも返上してダンスの練習をしたりしている。
そして目の前にいる女子2人も、それに漏れずアレコレ振り付けの確認をしていた。
「――そうそう、ここで一拍置くのがポイントなのよ」
「えっと…あー、ここか。苦手なんだよね、この動き…」
その2人の内の1人。
クラスのまとめ役でもある佐藤はもう大体の振り付けは覚えているようで、細かいところを詰めれば完成のようだった。
それよりも俺が気になるのは隣で顔を歪ませながら必死に佐藤の教えを飲み込もうとしている、妹の方だ。
少なくとも俺の見立てでは、春菜はこういう応援団みたいな目立つ役回りはしないと思っていた。
それがどうだ。
自分から佐藤と共に立候補するという活発ぶり。
自分を変えようとする一環なのかもしれないが、それでも多少無理をしているように感じられるのは、気のせいなのだろうか。
「どうした、薫。そんな熱い視線で義妹を見て……ま、まさか!」
「違うっつーの!…そんなんじゃ、ねえよ」
「まあ心配しなくても、悠花が付いてるから大丈夫だろ?」
「そうなんだけどな…」
目の前の妹の変化は今に始まったことじゃない。
俺が青ねえと‘契約’を交わしたあの日、別々に帰った俺を家で問い詰めてから、春菜の様子はおかしくなった気がする。
何かを疑っているような、勘付いているような、なんとも言えない感じ。
まあ、それもそのはずで俺は青ねえと付き合っていることを、誰にも言っていない。
勿論、翌日勝手に帰ったことを激怒していた佐藤含め、この3人にも謝り倒しはしたが、理由については適当に誤魔化した。
そのことに、少なくとも春菜が納得していないことは知っている。
だからこそ、最近俺たちは必要最低限の会話を交わすのみになっていた。
「……そんなに気になるならさ、ちゃんと本当のこと教えてあげたらいいんじゃね?」
「…別に、何も隠してない」
「まあいいけどさぁ…。手遅れになる前に早くした方が俺はいいと思うけどね」
「…そうだな」
目の前の一生懸命にダンスを覚えようとする妹に、俺は不義理を働いている。
その事実がどうしようもなく歯痒いが、仕方がないことでもある。
春菜を守るための選択。
だから多少の犠牲は仕方がない。
そう言い聞かせる事しか、今の俺には出来ない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
放課後。
体育祭を今週末に控えているということもあり、今日も生徒会の方は欠席させてもらった。
兄はいつも通り生徒会室に向かったようだが、わたしにとっては好都合だ。
今の兄と顔を合わせるのは、正直気まずい。
なぜそうなってしまったのか。
原因が分からないわけではないのだが、詳しいことを兄が話してくれない以上、わたしにはどうすることも出来ない。
「1、2、3、4!はい、ここで回ってー!」
「はぁはぁ…!」
各クラスの有志が集まる応援団。
参加するのは当然、ダンスに自信がある人やこういうイベントに積極的な人、運動が得意な人など、どれもわたしからかけ離れているタイプばかりだ。
わたし自身、向いてないことなんて言われなくても分かってる。
《春菜!ちょっと遅れてる!》
「あっ…!」
隣で踊る佐藤さんの声が聞こえてくる。
頭では分かっていても身体が付いてこない。
これがずっと逃げ続けて、引きこもっていた自分の実力。
それでもわたしはやらないと、やり切らないとならない。
これ以上、あの人に背負わせるわけにはいかない。
――あの遠足の夜。
わたしは先に帰ってしまった兄を、部屋で問い詰めた。
いや、正確には問い詰めるつもりだった。
『ちょっと!心配したんだけど!』
『……悪い』
でもそこでわたしが見たのは、生気を失った兄の顔だった。
まるで何かに取り憑かれたような、どうしようも無いような、見たこともない表情。
思わず掛ける言葉が見つけられないわたしに、兄は確かに言った。
『…大丈夫。お前は、お前だけは俺が守る。何に替えても、絶対に』
『お、お兄ちゃん…?』
その時、はっきりと分かった。
兄はわたしのために犠牲になろうとしている。
何が、どうなっているのかは全く分からない。
別れた後何があったのかも知ることは出来ない。
今まで恨んでしかいなかった自分の‘体質’を初めて使いたいと思った。
でも何故か兄の声だけは聞こえない。
それでも分かる。わたしのせいなのだ。
おそらくわたしが原因で兄は今、苦しめられている。
全てはわたしが弱いから。情けないからだ。
今思えばそうだった。
転校してきて、出会ってから今まで、わたしは全て兄に頼ってきた。
自己紹介の時も、図書館の時も、カラオケの時も、いつだって側には兄がいてくれたのだ。
そしてそのせいで今、兄は苦しめられている。
「はい、ここでターン!」
「はぁはぁ…!」
《春菜良いよ!あと少し!》
だから決めた。
わたしは一人でも大丈夫なんだってところを、兄に見せなければならない。
だって家族は支え合うものだから。
困った時は助け合う。それがわたし達兄妹の絆になる。
いつまでも頼ってばかりではいられない。
今度はわたしの番。これはその第一歩。
見ていてお兄ちゃん。わたしは――
「そこでストップ!!オッケー!皆揃ってる!!」
「はぁはぁはぁ…」
「…春菜!出来たじゃん!やったね!」
「う、うん…はぁはぁ…」
ひとまずの成功に喜ぶメンバー達は皆軽く汗をかいている程度だった。
それに比べてわたしは呼吸は酷く乱れ、思わずその場にしゃがみ込んでしまう。
これが今の私の実力。自分でも分かっている。
こんなこと、ただの自己満足に過ぎないってことくらい。
この応援団に参加したからと言って、根本的な解決になんてならない。
それでも、今はわたしに出来る精一杯をするしかないのだ。
「君、大丈夫?頑張ってたね!」
《これくらいでバテるようじゃ、本番大丈夫か、この子?》
「…だ、大丈夫、です!」
強がって、それでも悔しくて立ち上がる。
これはわたしの戦いなんだ。自己満足で構わない。
これでほんの少しでも兄がわたしを認めてくれたら、何かが変わる気がする。
「よし、5分後にもう一度通してみようかー!」
「「はい!」」
一歩ずづ、今度は自分の足で前へ踏み出す。
あの人にも笑っていてほしいから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あー、でも何にもないよ、ウチの体育祭」
「それでも行きたいの!ちょうど大学も休みだし、それに…」
「それに?」
「彼氏の良いとこ、見たいからね」
「なっ!?」
「うふふ、冗談だよ。焦っちゃって、可愛いなぁ」
「あのなぁ…」
「とにかく!見に行くからね、今週末!お弁当、用意して行くから楽しみにしてて!それじゃあ!」
「あ、ちょっと!?…ったく」
一方的に切れた携帯を睨み付けるが、意味は無い。
青ねえに体育祭の話なんかするんじゃなかった。
高校にまで来られて、余計なことを言われたらたまったもんじゃ無い。
もし春菜や海斗たちに俺と青ねえの関係がバレでもしたらーー
「不味い、よな…」
じゃあバレなければ良いのか、と湧いた疑問にはそっと蓋をする。
最近青ねえと一緒にいるせいなのか、線引きが曖昧になっている気がする。
あれから相変わらず青ねえは、本当に楽しそうに俺と、俺なんかと会ってくれている。
そんな青ねえを見ていると、あの狂気は嘘だったんじゃないかと思えてくる。
「わけ、わかんねえよ…」
携帯を放り投げて、ベッドに寝転がる。
とにかく今は春菜の安全が第一だ。
春菜と青ねえを会わせないようにすれば問題無いはず。
それでもずっと何かを間違えている気がして、俺の心は騒ついたままだった。
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