22話「揺れる心」


 俺たちが住むこの街の駅前には、大きいとは言えないがそれなりに栄えている商店街がある。

 その駅前広場には、中々に立派な噴水が作られており、よく待ち合わせの際の目印として使われていた。

 そして夕陽を受けて茜色に染まる噴水の前で、俺はぼーっと空を眺めている。

 夕飯時が近いからだろうか、子連れの主婦や遊びに来た制服姿の若者などが多く通り過ぎて行く。

 そんな中、この噴水の前で立つ俺は、側から見れば誰かと待ち合わせをしているように見えるのだろう。

 当然、その推測は間違ってはいない。

 ただ、誰かと待ち合わせをしている時に、こんな憂鬱な気持ちになるものだろうか。


「はぁ……」

 

 今日何度目か、もう数えるのもやめた溜息が漏れる。

 改札口から人がまばらに出てくる中に、俺はようやく待ち人の姿を発見する。

 向こうも俺の姿に気が付いたようで、少し申し訳なさそうな表情で駆け寄って来た。


「ごめんごめん!ちょっと電車が遅れてて!待った?」

 

 手を合わせながら謝ってくる彼女は、身内びいきを除いてもかなりの美人だった。

 二つ結びした栗色の髪の毛に大きな目。

 整った顔立ちにスラッとした体型。

 デニムのジャケットに合わせた、膝下までの桜色のスカートが、彼女の魅力をより引き立てている。

 普通に周りから見たら不釣り合いすぎるカップル…いや、カップルにさえ見てくれないくらい、俺と彼女、真夏川青子には差があった。

 現に、何人かの男たちはチラチラと通り過ぎざまに青ねえを見ている。

 その後に俺を見て、ある者は嫉妬の表情を、ある者は驚愕した表情を浮かべたりする。

 まあ、そりゃあ俺だって逆の立場だったら羨ましいと思うわけだが。

 それはなんの事情も知らない‘外側の世界’での話であって。

 こんな完璧な彼女を目の前にしても、俺の心は全く踊ることはなかった。


「…まあ、30分くらいしか待ってないけど」

「…そういうときは、嘘でも‘待ってないよ’っていうものだよ?」

「嘘はよくないからな」

「……ふふっ」

「…なんかおかしい?」

「ううん、本当に薫は面白いなって」

 

 眩しいほどの笑顔で俺の嫌味すら流す青ねえ。

 こんな明るい彼女を見ていると、あの時の彼女は実は俺の勘違いだったんじゃないかと思えてくる。

 目の前で笑う幼馴染は、俺が昔から知っているその人そのものだ。

 彼女にあんな裏があるなんて、未だに信じられない自分がいる。


「じゃ、じゃあ行こうか」

「大きい映画館は隣町にしかないから、電車で行かない?」

「別に隣町で待ち合わせでも良かったのに」

「…少しでも、薫と一緒にいたいから」

「えっ」

「ふふっ、顔赤くして可愛い」

 

 そうやってギュッと手を握ってくる青ねえ。

 幼馴染が醸し出す妖艶さに、俺はそのまま騙されてしまいそうになる。


「…早く、行こう」

「うん!」

 

 でも騙されてはいけない。

 俺とこの人の間には何もない。

 小さい頃に約束した思い出も、ずっと好きだったとかいう片思いも。

 あるのは‘恐怖’と‘契約’だけ。

 目の前の彼女にとって俺は恋人なんかじゃない。

 自分を満足させるためのただのオモチャなのだ。

 壊れたら捨てるだけ。そう、あの土下座した時のように。

 今は耐えるしかない。

 青ねえが俺に飽きて、春菜にも危害を加えなくなるまで、耐えるだけだ。






















「あー、面白かったね!でも続きも気になるなぁ」

「そうだな…」

 

 隣町には普段あまり行くことはないため、この大きな映画館にも久しぶりに来た。

 町自体にはこの前図書館目当で春菜と来たが、駅の反対側にあるこの辺には来なかった。

 ちょうど他の映画も終わったタイミングだったのか、通路には人がごった返していた。


「続き物って私は全部終わってから観る派なんだよね」

「続きが気になるからな」

「それもあるんだけどーー」

「あー!真夏川さん!?」

「えっ」

「やっぱり真夏川さんだぁ!皆、こっちこっち!」

 

 すれ違った女性の一言で、俺たちはあっという間に囲まれてしまった。

 話を聞くとどうやら青ねえの大学の人たちのようで、皆が青ねえと話したがっている。

 昔から見慣れた光景。

 一番近くにいた俺にとって、青ねえはいつも人気者でどこか遠い存在だった。


「…うん、じゃあちょっとだけなら」

「決まりー!じゃあカフェ行こう!!あ、‘弟くん’も一緒に行こう?」

 

 ハキハキと喋る男性は俺を見てそう言った。

 まあ周りから見たらそう見えて当然なわけで、俺もそのまま着いて行こうとしたがーー


「彼氏なの」

「…へっ」

「ごめんね、香川くん。彼、私の彼氏なの」

 

 青ねえははっきりとそう言った。






















「――それでこの前の講義で大石がさー」

「あー、あれねー!私も笑ったわー!」

 

 もう暗くなった夜のカフェテラス。

 そこで談笑する大学生の中に一人だけいる俺は中々に場違いだった。

 それに一人だけ制服なわけで周りから浮くのは当然と言えば当然だ。

 青ねえは周りに合わせるように笑顔で振る舞い話を聞いている。

 ‘いつもの’笑顔。

 俺といる時以外、彼女はこんな風に張り付いた笑みを常に浮かべているのだろうか。

 そう思うと、ほんの少しだけ青ねえが、寂しそうに見えた。


「…私、ちょっとトイレ行くね」

「あー、じゃあ私もー!」

 

 青ねえの一言で、周りの数人も一緒に席を立つ。

 何回見ても慣れない光景。

 彼女のやることなすこと、全て着いて行く者たち。

 ただのカリスマ性では収まらない、説明がつかない青ねえの魅力。

 底が見えない得体の知れない何か。

 ぞろぞろとトイレに行く彼女らは、やはり異様だった。


「……でさ、四宮くんだっけ?」

「あ、はい…」

「君って真夏川さんの、彼氏なんだよね?」

「いやー、最初聞いたときはビビったわー!っていうか真夏川さん彼氏いたんだ!めっちゃショックだわー」

 

 青ねえが居なくなった途端、俺は質問攻めにされる。

 まあ高校生が彼氏だなんて言われたら、色々質問したくなるのも無理はないわけだが。


「しかも幼馴染なんでしょ!?」

「そう、ですね」

「いやぁ!憧れるわそういう関係!俺も真夏川さんと幼馴染だったらなぁ!」

「いやいや、あんたじゃ仮に幼馴染だったとしても可能性ゼロだから!」

「でも真夏川さんって優しいし、押しに弱そうだからさー」

「ああ、それはあるー!四宮くんも押しに押した感じ?」

「俺は、別にそんなことしてないですけど…」

「えー!じゃあ、真夏川さんのどこが好きなの!?」

「おお、いい質問!」

「す、好き…?」

 

 興味本位で聞いてくる青ねえの取り巻きたち。

 でも無視できない質問だった。

 青ねえの好きな部分。そんなもの、あるはずもない。

 俺ははっきりと彼女を否定した。

 それはつまり、青ねえのことが嫌いということなのだろうか。

 今日のキラキラしている彼女を見ていると、自分の考えがブレてくる。

 真夏川青子の二面性が、俺を翻弄する。


「そうそう!あるでしょ、付き合ってるわけだし!」

「いや、俺は青ねえ…真夏川さんのことは…」

「えー!まさか遊び!?」

「い、いやそういうわけじゃ…」

「っていうか、高校生だからしょうがないとは思うけど、ちゃんと真夏川さんのこと、考えてあげないと駄目じゃないの?」

「それは…」

「いやいや、恥ずかしがってるだけでしょ!」

「でもーー」

 

 俺が青ねえに、ちゃんと向き合ってない。

 自分でも薄々気が付いていたことだが、改めて言われるとやはり少し心苦しくなる。

 確かに、この関係は契約なのかもしれない。

 でも、青ねえは本気で楽しんでいるわけで。

 皆の前で見せる笑顔と、俺だけに見せてくれる笑顔。

 あの狂気さえなければ、俺たちはもっと上手くやれるのではないだろうか。


「おまたせ。薫、大丈夫?」

「あー、俺もトイレ行ってくる」

「そう…」

 

 思わずその場を離れた俺は、何故か青ねえに対する後ろめたさを拭えないでいた。






















「今日はありがとね。途中で大学の友達巻き込んじゃって、ゴメンね」

「いや、気にしないでいいよ」

「そう。それなら良いんだけど」

 

 しばらくしてから解散した俺たちは、そのまま電車で集合場所の噴水まで戻って来た。

 青ねえの住まいはもっと先なのだが、わざわざここまで来てくれたのだ。

 あれからずっと考えているが、答えは出てこない。

 俺は彼女に真摯に向き合って良いんだろうか。


「…薫、今日は楽しかった?」

「…ああ、楽しかったよ」

「……それなら、良かった。私はね、すごく楽しかったよ」

 

 ――なあ、どうしてそんな寂しそうな顔をするんだよ、青ねえ。

 俺は彼女を憎んている。

 これはあくまで春菜、妹を守るための‘契約’のはずなのに、俺は少しずつ心を動かされている。

 そしてその事実を、俺は受け止めきれずにいる。

 彼女のことは好きじゃない。

 でも、幼馴染として、仲良くする分には良いんじゃないか。

 そんな考えが頭を過ぎる。


「あ、青ねえ、俺……」

「また今度ね、薫」

「あ……」

 

 ‘青ねえ’と言った俺を悲しそうに見つめた後、彼女は走り去って行った。

 どうすればいいのか、俺には分からない。

 あの遠足の日から、1週間ほどが経っていた。

 あの日、俺たちは確かに‘契約’と交わした。

 そして今日のように放課後には会って、一緒の時間を過ごしている。

 でも、あれから一度も青ねえは狂気の片鱗すら、見せて来ない。

 あれさえなければ、俺たちは‘恋人’なのだ。

 一緒にいて、楽しいと感じてしまう。

 そして今日、彼女の取り巻きを見て、彼女の‘笑顔’を見て、自覚してしまった。

 もしかしたら青ねえは、本当に自分の素顔を誰にも見せられず、生きてきたのかもしれない、と。

 果たして俺は彼女の想いを受け入れても良いのだろうか。

 確かに俺は妹のために生きると誓った。

 それでも、こんな俺が救える人が他にもいるのなら、もう少し手を差し伸べても良いんじゃないだろうか。

 そんな考えは、傲慢なのだろうか。


「……どうすれば良いんだよ」

 

 俺の疑問は夜空へと消えて行く。

 答えは、自分自身で決めるしかないのだ。
























「ふふ…」

 

 電車から眺める夜空を、彼も今見ているのだろうか。

 あの苦悶している姿も、本当に堪らなかった。

 すぐになびく彼らとは違う、特別な存在。

 だからこそ、堕としがいがある。

 今日大学の友人に会ったことで、また彼の心は動かされている。

 何を言われたのかまでは分からないが、大体想像は出来る。

 どうやら偶然を装って会わせた甲斐は、あったようだった。


「楽しみだなぁ…」

 ――ねえ、薫。今、苦しんでるんだよね。

 良いんだよ、それで。もっと苦しんで。

 もっと私のことだけを考えて。私で頭を一杯にして。

 そうやって悩む貴方を見るのが、私の一番の悦びなんだから。


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