21話「契約」


 真っ暗な闇の中、俺たちだけが街灯に照らされていた。

 そして青ねえは恍惚とした表情で、茫然とする俺を見つめている。

 彼女の言ったことが理解出来ず、脳内で反芻するが結果は変わらない。


 ――付き合う?俺と、青ねえが?

 ――大好き?俺のことが?


 ぐるぐると彼女の台詞だけが頭の中を回っていた。


「……ねえ、返事、聞かせてくれない?」

「…へ、返事?」

「もう、嫌だなぁ。もう一度言わせるの?薫って意外と意地悪だね」

 

 頬を赤らめて恥ずかしそうにする青ねえ。

 この人は一体何を言っているんだ。

 俺は悪い夢でも見ているのだろうか。

 拒絶したはずの人間が、好意を伝えてくるなんて、予想もしていなかった。

 青ねえの、この人の底が、見えない。


「…俺ははっきり言ったはずだよな、青ねえ。もう関わらないでくれって」

「そうだね。さっき聞いたよ?」

「だったら分かるだろ!?」

「えっと……何が?」

「だからっ……!」

 

 普通に会話しているはずなのに、会話が出来ない。

 正確には、自分の意思が伝わらないと言うべきか。

 目の前の幼馴染のことを、昔から俺は知っているはずなのに。

 それなのに、彼女の考えていることが全く分からない。

 それが、無性に怖かった。


「……薫は勘違いしてるみたいだから、言ってあげるね」

「か、勘違い?」

「貴方の言っていることは、良く分かったよ。要するに私のことが大嫌い。憎んでるってことでしょ?大丈夫、言いたいことはちゃぁんと、伝わってるよ」

 

 憎んでいる、というのは言い過ぎなのかもしれない。

 でも先程の俺の台詞からそう捉えられても仕方はないと思う。


「だ、だったらーー」

「だから、私は貴方のことが大好きになったの。私をここまで拒絶してくれる男性に、ドキッとしちゃったの…」

「な、なにを……」

 

 反論しかけて、俺は思い出す。

 この前、青ねえが俺の部屋で言っていたことを。


『――今もそう。必死に私に抵抗して、震えながら睨み付ける男の人なんて、初めて、なの…』

 

 そう。青ねえは、目の前の幼馴染は普通じゃない。

 今までの人生で肯定しかされなかった彼女は、異常なまでに自己を否定してほしいこと。

 それを、俺がやってしまったということなのだろうか。


「ふふふ、気がついた?」

「……あり得ない」

「さっきの貴方の台詞はね、私にとっては愛の告白と同じなの。だから言ったでしょ、‘勘違い’してるって」

「…勘違い?」

「そう。薫は急に私が告白したと思ったのかもしれない。でも、私にとっては貴方が告白してくれたから、それに応えただけなんだよ、分かる?貴方から、始めたんだよ」

「ち、違う!俺はーー」

「違わないよ。何も、違わない。嬉しかったよ、薫。貴方の真っすぐな気持ち、伝わって来た。ねえ、今もすごくドキドキしてるの…」

 

 青ねえは目を潤ませてギュっと自分自身を抱きしめる。

 どうやら震えているようで、それを必死に抑えているようだ。

 何故震えているのか、それを考えてしまったらもう後には戻れない気がする。

 俺は、どこかで間違ってしまったのか。

 俺と春菜のため、取った選択がこんな結果を生み出すなんて、考えもしなかった。


「……お、おかしい」

「……何が?」

「おかしいよ、青ねえ。なんで、そんな風に思えるんだ。狂ってる……」

「……そうなのかな」

「そうだろ!」

「何も、おかしくなんかないよ、薫」

「っ……」

 

 そう言いながらゆっくりと近づいて来る青ねえ。

 もう狂気を一切隠すことなく、壊れた笑みを浮かべている。

 怖い。でも、動けない。


「好きって感情は人それぞれでしょ。私はね、もう何も感じないの。他人の‘好意’をなんとも思えないの。でもそれって、私のせいなのかな。私だって、我慢してたんだよ。おかしいのは自分だって、そう思って我慢してたんだよ…?」

「じゃあ、なんで…」

「――貴方のせいだよ、薫」

 

 目の前の彼女ははっきりと俺を見て、言い放った。

 ――俺のせい。俺が、悪い?


「俺の……?」

「そうだよ。だって貴方は違った。あの夏の日に、私を否定してくれた。それでね、気が付いたの。狂ってたのは私じゃなくて、周りの方だったんだって。私はね、一人じゃなかったんだって…」

 

 そうなのか。

 俺があの日に、青ねえを否定したから彼女は変わってしまったのか。

 いつから青ねえが変わってしまったのか。

 そんな昔のこと、もう俺には思い出せない。

 だけど、言われてみればそうなのかもしれない。

 少なくとも、俺が彼女の異変に気が付いたのは確かにあの夏の日なのだ。


「それなのに少しテストしただけで、あんな風に壊れちゃったんだもん。本当に、悪い人だよね、薫は。散々期待させておいて…。でも、許してあげる。もう、大丈夫だもんね」

「あ、青ねえ…」

「…青子」

「えっ」

「青子って、呼んで?もう、私たち、そういう関係なんだから、薫」

「な、何言ってんだよ!?俺はーー」

「拒否なんか、出来ないよ?」

 

 有無を言わさない迫力の前に、思わず口を閉じる。

 きつく抱きしめられたその身体からは、この前と同じ、甘ったるい匂いがした。


「もし、貴方が断るなら、私はまた独りになっちゃうね。そうしたら、私は探すよ?次に私自身を‘理解’してくれる人を」

「り、かい…」

 

 その言葉を聞いて、俺が思い浮かべたのはたった一人だけだった。

 そしてそんな俺を見て、青ねえは満足そうに微笑む。

 そうだ、青ねえは知ってしまっているんだ。

 もう一人、彼女を理解してくれる可能性がある人間を。

 本能で、その可能性を察しているんだ。


「薫はさ、妹想いの素敵なお兄ちゃん……なんでしょ?」

「っ…」

「大丈夫。これは‘契約’だから。私と薫だけの、秘密の契約」

「けい、やく…」

 

 俺は決めたはずだ。

 死に戻りした時に、春菜のために青春を捧げると、そう誓ったはずだ。

 俺が今、春菜のために出来ること。

 青春を‘捧げる’ということ。


「……ねえ、聞かせて。貴方の口から…私に、囁いて」

「………………俺はーー」

 

 闇の中、照らし出された二人の距離は、限りなくゼロに近付いていく。

 痛いほどの静寂の中で、ただ二人だけがこの世界に存在しているようだった。
























「どう、春菜?薫に連絡取れたー?」

「ううん、全然……」

「おーい!今薫からメール来たぞ!」

「え、本当海斗!?で、なんて!?」

「あー、なんか急に用事が出来たらしいから、今日はもう帰るって…」

「はぁ!?もう何なのよ、薫のやつ!!」

 

 電話にも出なかった兄が、何故が倉田くんにメールで連絡して来た。

 急いで掛け直してみるが、それでもやはり電話は繋がらない。

 何故だろう。

 わたしの心はいつになくざわついていた。

 何か、取り返しのつかない、恐ろしい事態が起きているようで、不安で胸が苦しくなる。


「……どこにいるの、お兄ちゃん」

 

 わたしの呟きは真っ黒な夜空へと消えていくのだった。


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