2章「薫と青子」
19話「はじまり」
気が付けばすでに辺りは真っ暗で、俺たちだけが街灯に照らし出されている。
遠くからはテーマパークで流れる音楽が微かに聞こえて来た。
それ以外は全く聞こえない静寂に包まれている。
この場所には俺たち二人きりしかいない。思わずそう錯覚してしまいそうだった。
目の前の‘彼女’はゆっくりとこちらを振り向き笑みを浮かべている。
そして静かに俺を見据えた後、確かにこう言った。
「――ねえ、付き合おうか、私たち」
「…………え」
彼女が言ったことが理解できず、俺はただ立ち尽くすしかない。
そんな俺を見て、彼女はまたゆっくりと微笑むのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
遠足当日の朝。
集合場所は各自で決め、テーマパーク入り口で各班点呼を取ることになっていた。
しかし集合場所は決まっているものの、それよりも早く来れば、点呼を済ませて早めに入園出来る。
そんな裏ルールから、俺たちが入り口に着いた時には、すでに結構な数の学生が園内に向かっているようだった。
「はーい、4組はここで点呼よー。えーっと、倉田に佐藤、四宮に桃園ね。はい、オッケー!じゃあ楽しんで来てねー!」
「行ってきまーす」
点呼を終え、園内に入るためのチケットを買う。
大人になってからは勿論、子供のときだって数えるくらいしか行ったことはない、この超有名テーマパーク。
入園料ってこんなに高かったんだなと、今更ながらしみじみと感じる。
元を取る、と言う概念はないのだろうが精一杯楽しまないと損な気がした。
「このゲートを潜れば……夢の国だぁ!!」
「ちょっと海斗、そんなにはしゃがないの!」
「流石に佐藤は冷静だなーー」
「あ!キャラクターいるんじゃない、あそこ!!」
「……おいおい」
どうやら魔法の国と言われるだけの非日常性がここにはあるようだ。
海斗と佐藤は一目散に着ぐるみもとい、この園内の主人公的キャラの元へ向かって行った。
俺には別にわざわざ並んでまで撮りたい写真もないので遠慮しておく。
そして横にいる妹は妹で、感動に目をキラキラとさせているようだった。
「わぁ……!生きててよかったぁ……」
「それは大袈裟だろ」
「だ、だってここに来るの、大きくなってからは初めてなんだもん…」
「初めてって……あ、そうか」
「うん、今までは声のせいで来る勇気もなかったから。でも、今は違う」
「春菜…」
「お兄ちゃんがいてくれるから、大丈夫。……でしょ?」
信頼の眼差しで俺を見つめる春菜。
彼女の体質は、何故か知らないが俺の側にいることで著しく緩和されるようだ。
それがこの一ヶ月近くの学生生活で分かったこと。
俺は、救えなかった妹に今、確かに信頼されている。
「……ああ、そうだな」
それが嬉しくて、そして期待に応えたいと強く思う。
俺のことを‘お兄ちゃん’と最近呼んでくれるようになった妹。
こんな俺でも誰かの役に立つことが出来るんだ。
「ね、ねぇ…」
「ん?どうした?」
「わたしたちも、あれ、撮らない?」
少し恥ずがしがりながらも指差す先には先程のキャラ待ちの列。
今急いで行けばギリギリ間に合うくらいの人数だ。
「あー、今海斗たち行ったから急げばーー」
「ふ、二人で……撮りたいんだけど」
そう言う春菜はより顔を真っ赤にしながらも、はっきりと言った。
最初はあんなにおどおどしていた彼女も今はここまで自分の意見を言えるようになっている。
春菜は確実に良い方へと変わっているようだった。
それならば俺も兄として、更なる後押しをしてあげないとならないな。
「……だ、駄目かな」
「よしっ、二人で行くか。親父たちへの良い土産にもなるしな!」
「う、うんっ!」
春菜を連れて列へと急ぐ。
30間際のおじさんでも、案外青春を満喫出来るもんだな。
妹に捧げる青春も悪くない。そんな気がした。
「あー!薫くん発見!」
「か、会長!?なんでこんなとこにいるんですか!?」
「ふふーん、それはね……とりあえず座らない?」
「そ、そうですね。俺たち向こうに席取ってあるんで、会長も良かったらどうぞ」
「え、良いの!?流石生徒会!仕事が早いー!」
「いや、生徒会は関係ないですけどね」
時刻はお昼過ぎ。
園内の人数も増え続けて、今くらいがピークを迎えているようだった。
そして何故か3年生であるはずの秋空会長と、ばったりとレストランで遭遇した。
しかしこの人も滅茶苦茶目立っているよな。
その日本人離れした外見にウチの制服は反則に近い。
現に何人かはこちらを振り返ったり、会長を凝視している。
うん、その気持ちは分かる。
「あ、薫おかえり…って秋空先輩!?」
「あら!ハローみんな!あー、春菜ちゃんも発見!」
「あ、秋空会長!?お兄ちゃん、どういうこと!?」
「俺も訳がわからん。とりあえず座って話を聞こう。どうぞ、会長」
「ありがとー!実はねーー」
会長の話はなんとも突拍子も無いものだったが、天心爛漫な彼女ならやりかねない事でもあった。
それでも普段は先生たちと見回りをしなければならないらしく、お昼休憩だけが唯一の自由行動らしい。
「だから、今の時間で薫くんと春菜ちゃんに会えないかなーって思ってたんだけど…」
「会えましたね」
「うん!神様に感謝だね!」
ギュッと俺の手を握ってくる会長に罪は全く無いのだが、自然なボディタッチはやめてほしいものだ。
彼女にその気が無くても勘違いしてしまう男子なんて、数え切れないほど居るのだからな。
「あ、はい……ってえ!?」
瞬間、逆サイドから強烈な痛み。
振り返れば春菜がジト目でこっちを睨みつけている。
加減無しで俺のももをつねりながら、だ。
「は、春菜!?」
「うん?どうしたのかな、変態お兄ちゃん」
「なんでそうなる!?」
「秋空先輩に手握られてニヤニヤしてた」
「し、してねえよ!」
「いや、してたな薫。俺も見たぞ?」
「か、海斗お前なぁ…」
「あらら、なんか誤解させちゃったのかな?ごめんね?」
「い、いや会長が悪い訳じゃーーっていだぁ!?は、春菜ぁ!」
またも強烈なももの痛み。身体に電流走る。
一体何を怒ってるんだよ、この妹は。
「また、ニヤニヤしてた」
「もー、春菜も素直じゃないなぁ。お兄ちゃん愛、だね」
「あ、あ、愛なんかじゃないから!や、やめてよね、佐藤さん!」
そして即座に顔を真っ赤にする春菜。
あれか、園内に入ってテンションが上がっているんだなコイツは。
似合わず、舞い上がってるというやつだ。
「ふふふ、皆面白いねー。やっぱり薫くんに会って正解!さ、ご飯食べましょ?ここは私が奢ってあげる!」
「え、マジすか!あざっす!」
「ちょ、ちょっと海斗!あんた断りなさいよ!」
「良いの良いの!元々会えたらそうするつもりだったし」
「でも会長――」
「たまには先輩っぽいことさせて?ね!春菜ちゃんも、それで許してくれるかな?」
「わ、わたしは別に怒ってないですけど…」
「うん!じゃあ決まりね!皆、行きましょう!」
会長の強引な引っ張りにより、結局俺たちはお昼をご馳走になってしまった。
こういう強引なところが何とも会長らしい。
まだ出会ってから大した時間は経っていないが、どこでも自分のスタンスを決して変えない会長に、どこか安心感を覚えるのだった。
「……あ」
「ん?……ま、真白台?」
夕焼けに染まる園内で、俺は意外な人物に再会した。
真っ赤な夕陽に染まる銀髪が印象的な彼女は、以前会った時とは違い学生服を着ている。
これでも幼い容姿から、ギリギリ中学生にしか見えないのが不思議だ。
れっきとした高校1年生なんだけとな、この子は。
「……お久しぶりです、四宮‘センパイ’」
「久しぶりだな、真白台。こんなところで何してんだ」
園内の端っこに設置されたベンチに一人きりで座っていた彼女が何だか気になり、つい聞いてしまう。
余計なこと聞いたかな、と思ったら案の定、真白台は不満そうな表情で俺を睨みつけた。
「……別に、なにも」
「そ、そうか。ウチの学校、今日遠足なんだけど、そっちもそうなのか?」
「……そうですけど」
「…あー、誰か待ってる、とか?」
「待ってないですけど、なんですか」
うん。これ以上会話を続けるのは困難だ。
余計なことを言う前に、ここから退散しよう。
「…じゃあ俺はこれでーー」
「こんなところで何してるんですか、センパイ」
「へ?」
「だから、何してるのかって聞いてるんですけど。一人でこんなとこ来て」
「…ちょっと探し物をな」
「…一緒に探してあげましょうか」
「いや、別に良いよ…っておい!」
俺の言葉を無視して真白台はベンチ周辺を探し始める。
「で、何落としたんですか」
「…携帯、だけど」
どうやら俺の言うことを聞く気はないようだった。
春菜たちに断って探しに来た手前、何の関係のない彼女を巻き込むのはどうかと思ったが、本人が聞かないのなら仕方がない。
折角だし、手伝ってもらうとしよう。
「――あ、そうだ。こないだ番号交換したよな!真白台の携帯で掛けてくれよ」
「……まだ登録してません」
「ええっ…」
「そんな暇じゃないんで。センパイ、今番号教えてください。掛けますから」
「あー、番号、な…」
「…なんですか?」
歯切れの悪い俺を不審そうに見る真白台。
俺だって覚えてるなら教えたいさ。
でも高校時代に使っていた番号は、とっくに変えていて今、要するに死に戻り直前の番号とは違う。
当然、10年も前の番号なんて覚えてるはずもなかった。
「…すまん、覚えてない」
「…はぁ。まあ覚えてるから良いですけど」
「すまん…は?」
「今掛けるから、探してください」
「さっき登録してないってーー」
「登録はしてないです。でも覚えてるから問題ないんですよ。一応聞いただけなんで」
さも当然のように言ってボタンを押す真白台。
そうなのか。当然なのか。
いや、どう考えても当然じゃないだろう。
でも目の前の少女は当たり前のように電話を掛け始めた。
やはり頭の良い奴は、作りから違うものなのだろうか。
そして耳を澄ましていると、覚えのある着信音が近くの草むらから鳴り始めた。
「あ、あった…」
「これで、いいですか?」
「…助かった。本当にありがとう」
「…別に良いから、さっさと戻ったらどうですか」
俺の礼にも大した反応もせず、真白台はまたベンチに座り込む。
何かお礼をしないと気が済まないが、受け入れてくれそうにもなかった。
一体どうしたものか。
「何かお礼させてくれよ、真白台」
「だから良いですって。早く戻ってください。待たせてるんじゃないんですか?」
「そうだけどーー」
「考えておきます」
「ん?」
「…お礼なら、考えておきますから。決まったらまた連絡します。それで良いですか」
「…分かった。必ず連絡してくれよ!本当にありがとうな」
相手がそう言うなら仕方ない。
これ以上食い下がっても彼女をイラつかせるだけだと思い、俺はその場を後にする。
「……ホント、変な人」
その背中に、彼女の囁きが聞こえることはなかった。
「それでは今日は解散!別に再入園しても良いけど、あまり遅くなったりして補導とかされないでねー!」
辺りが暗くなり始めた頃、エントランスにて本日の遠足は無事終わりを迎えた。
どうやらこの後は自由行動らしく、帰りたい奴は帰り、再入園したい奴はそうするらしい。いくら高校生に戻ったとはいえ、心はもう30手前の俺だ。
自慢じゃないが、もう5つほどアトラクションを乗ってお腹いっぱい状態だ。
ここは速やかに帰宅――
「今日は9時までらしいから、夜のパレード見て帰るか!」
「よし、そうと決まれば再入園だね!いくぞー!」
「パレードだってお兄ちゃん!」
「あはは…」
となるはずもなく、残りの3人はアフターもやる気満々のようだった。
どうやらもう一踏ん張りしなければならないようだ。
家族連れのお父さんの気持ちが、ちょっとだけ分かる。
世間のお父さんは皆、我慢しているんだな。
「俺、腹痛いからそこのトイレ行ってから再入園する…。先に行っててくれ」
「迷子にならないか、薫?」
「ならねえよ!春菜、メールで場所教えておいてくれ」
「分かったー。早くね、お兄ちゃん」
とりあえず一休みしないとな。
春菜たちと別れ、用を足す。
しかしこんなに朝早くから夜遅くまで居られるとは、夢の国恐るべし。
そういえば会長や真白台はまだ居るのかな、なんて呑気に考えていた俺の頭はーー
「――あれ、かー君?」
「えっ……あ、おねえ…」
トイレの出口で突如出食わした幼馴染、真夏川青子によって一気に真っ白になる。
「…ふふ、すごい偶然だね?制服ってことは、陵南名物の遠足かぁ」
「あ、あおねえ……なんでここに」
冷や汗が一気に噴き出る。
もう俺は彼女の恐怖を克服したはずだ。
それなのに身体は思うように言うことを聞いてはくれない。
そんな俺に、青ねえはすっと近づいて耳もとでささやいた。
「ちょっと、時間ある?話したいことがあるんだけど」
「お、俺は別にーー」
「来てるんでしょ、春菜ちゃん」
「っ……」
「あはは、本当に分かりやすいね、かー君。大丈夫、すぐ終わるから、ね?」
なすがまま、俺は青ねえに手を引かれ、連れて行かれる。
どうやら神様は、このまま無事にこの遠足を終わらせる気はないようだった。
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