11話「世間は広いようで案外狭い」
その事件が起きたのは4月も終わりに差し掛かった、昼休み直後のことだった。
いつものように海斗と佐藤、そして佐藤の誘いにより加わった春菜の4人で昼飯を囲もうとしていると、クラスの女子が佐藤に話しかけて来た。
「悠花―、今大丈夫?」
「沙織(さおり)どうしたの、全然平気だよー」
沙織と呼ばれた女子は短めの茶髪に焼けた肌、活発な話し方からしていかにも部活大好きな陽キャタイプだった。
佐藤はその整った見た目の人気もさることながら、持ち前の人の良さからクラスの女子からの人気もかなり高く、よく色んな女子と遊びに行ったりしているようだ。
こんな場面も見慣れたもので、またその類のお誘いに違いなかった。
「明日って部活休みだよね?放課後カラオケ行かないー?」
「そっか、沙織のとこも休みだもんね!良いよ、いこいこ!」
「おっけー!じゃあ、いつものとこにしよ!あ、そうだ!」
良いこと思い付いた、なんて台詞が飛び出しそうな表情でその女子、沙織は春菜を見る。
「桃園さんも一緒に行こうよ、カラオケ!」
「えっ!?わ、わ、わたし?」
「そうそう!桃園さんとまだあんまり話したことないし!」
その理論で行くと、俺もあんまり、というかこの沙織という女子とほとんど話したことがないのでそのカラオケに行って良いことになる、わけはなく当然誘われることはない。
予想外の展開にあたふたしている春菜を知ってか知らずか、沙織はニコニコしながら話を続ける。
「あ、あの、そ、そうですね」
「よし、じゃあ決まり!悠花、また今日メールするから!桃園さんもよろしくね!」
一体なにが「そうですね」なのか、会話が若干噛み合ってない気もしたが、それだけ言うと沙織は元いた女子グループの方へ戻って行った。
しかし、春菜がカラオケに誘われるなんて過去の記憶にはない。
少しづつではあるが、クラスに馴染めているのだなと彼女の方を見ると、何故か死刑宣告をされた死刑囚のような顔つきをしていた。
「…いや、どうしたその顔」
「…えっ!?い、いや何でもないよ?なんでも。あはは」
明らかになんでもある様子でぎこちなく笑う。
佐藤もそんな春菜の様子に気付いて声を掛けてくれた。
「ごめんね、桃園さん。沙織、良い子なんだけど人の話を聞かないことあってさ。嫌だったら私から断っておくよ」
「北原はちょっと強引なとこあるからな」
「う、ううん!大丈夫!むしろ誘ってもらえて嬉しいし」
「そう?それなら良いんだけど」
4人で廊下を歩きながら食堂を目指す。
まあ、新しい友達っていうのも一歩前進だよな、なんて思っているとぐいっと右袖を引っ張られる。
いつの間にか隣に移動してきた春菜が、前の二人には聞こえないくらいのヒソヒソ声で話しかけて来た。
「…今日、訓練するから」
「…はい?」
「だから、訓練。予行練習。リハーサル。放課後、正門に集合ね」
「春菜さん?」
真剣な顔して何言ってんだこの妹は。
詳しく聞こうとしたが食堂についてしまい、密談が出来なくなってしまった。
適当な席に4人で座りそれぞれ弁当を出す。
海斗はコンビニの袋、佐藤は可愛らしいピンクの弁当箱、そして俺の弁当箱と向かいの春菜のそれは全く同じものだ。
もちろん中身もである。
「相変わらず兄妹仲が良いことで、羨ましいねぇ」
「羨ましいだろ。俺たち仲良しだもんな、春菜」
「いただきます」
「おいこら」
俺を無視して目の前の妹は弁当を食べ始める。
元々隠すつもりはなかったが、この全く同じ弁当箱の存在により、海斗と佐藤には俺たちが兄妹だということはとっくにバレていた。
勿論、春菜の‘体質’のことは伏せている。
それでも二人は特に変わりなく接してくれるからありがたい。
特に佐藤なんかはより春菜のことを気に掛けてくれているし、海斗も変に気を使うことなく春菜と話してくれている。
我ながら良い友人を持ったものだ。
今のところ、先生以外にはこの二人にしか、俺たちの関係は知られていないようだった。
自分たちから言い出すことでもないので、聞かれない限りは言うつもりもない。
「しっかしカラオケね。そういえば最近行ってないなぁ」
「海斗はとりあえず勉強ね。油断してるとまた赤点取るわよ。テスト終わったら皆でいけば良いんだし」
「そうだなぁ…あ、そういえば桃園さんはよく何歌うの?」
「…う、歌う?」
「そうそう。ちなみに俺、最近ハマってるバンドがあってさ」
「それ、こないだ貸してくれたやつでしょ。正直微妙だったけど」
「いやいや、分かってないなあれはさーー」
夫婦漫才を始める二人に気にせず春菜を見ると、どうみても様子がおかしかった。
さっきの返事もおかしかったが、まさか、いやまさか…。
まさか、そうなんですか春菜さん……?
「――だからこそカラオケで歌うんだよ!な、薫もそう思うよな」
「…そうだな」
「いやいや、薫はほとんどカラオケなんて行かないでしょ。私たちと行く時も大体同じ歌だし」
それは放っておいてくれ、っていうか別に良いだろうが、いつも同じでも。
同じやつしか歌えないんだよ、俺はさ!
「あー、確かにな」
「ね、情けないお兄ちゃんだよね、桃園さん?」
「そ、そ、そうだね!あはは…」
目の前でそんな俺よりも、情けない笑い声をあげる春菜を見ていて、ようやく移動中に言われた言葉の意味を、俺は理解し始めていた。
「やっぱりか」
「だ、だって!今まで誘われたことなんてなかったし…」
陵南高校の近くにはカラオケはないので、この辺の学生が行くとなると必然的に隣町の駅前にある店が使われることが多い。
おそらく明日の聖戦(ジハード)でもそこが使われることは間違いない。
そして俺と春菜は今、そのカラオケ屋を目指して歩いている。
「嫌なら断れば良いだろ、佐藤も言ってたけどさ」
「嫌じゃない!…せっかく誘ってくれたんだよ、わたしなんかを。う、嬉しいのは本当だし」
隣で喜んだり落ち込んだり、はたまた緊張したりする妹は、想像した通りカラオケ未経験者だった。
放課後正門で待ち合わせした俺たちは、明日の春菜のデビュー戦のため、彼女のいう予行練習あるいは訓練、リハーサルに当たるものをしに来たのだ。
しかし、わたし‘なんか’…ね。
春菜の過去はあの夜に少しだけ聞いた。
内容が内容だけにそれ以来深く突っ込んで聞いてはいないが、その過去と彼女の体質が、今の彼女自身の性格に大きく影響していることは明らかだ。
春菜は自分を軽んじる傾向が、他の人よりも強いのだろう。
少しずつ自信を持ってもらうためにも、今回のこの出来事は丁度良いのかもしれない。
ただひとつだけ問題があるとすればーー
「わたしも一歩ずつでも良いから、進んでいかないと」
「…素晴らしい考えだとは思うんだけどな、妹よ」
「何よ」
「人選ミスじゃないかな」
そう、この俺に教えを乞うことだ。
自慢じゃないが俺自身、カラオケなんて学生時代は勿論、社会人になってからも会社の付き合い程度でしか行ったことはない。
そんな俺に女子高生のカラオケ攻略法なんて、思いつくわけがない。
「…それは、十分に分かってるつもり」
「ちょっとは否定しようか」
「でも他に頼れる人もいないし、その分わたしもカバーするから大丈夫!」
「なんで俺が悪いことになってるのかな」
まあ春菜の言う通り、今日は海斗も佐藤も部活なのでお願いは出来ない。
そうなると必然的に俺たちだけで頑張るしかないのだ。
そして、そんなこんなで到着した店は駅のすぐ近くだった。
緊張しながら二人で目配せして店に入る。
別に怪しいホテルとかに入ろうととしているわけでもないのに、何故か異様に緊張している自分がいた。
――あとで考えればこれは本能による警鐘だったのかもしれないのだが。
とりあえず2時間一本勝負ということにして、初めに選曲の仕方や座るポジションなどあくまで俺が知りうる知識を教える。
「合いの手は入れすぎると逆にウザいから気を付けろよ」
「そ、そうなんだ…」
「あと、トイレに行くときは周りをよく見ろ。一気に何人も居なくなったら空気が悪くなるからな」
「ま、まって!全部メモするから…!」
ひとまず俺が知っている暗黙のルールを叩き込むことにする。
…大丈夫かこのルール。合ってるよな。
あとは実際歌うしかないわけで、早くも俺の教えることは無くなってきていた。
一回考えをまとめるために、頭がパンクしかけている春菜を置いてトイレに行く。
そうそう、カラオケのトイレって案外分かりにくいところにあるんだよな、なんて考えているとーー
「いたっ!?」
「わっ!?」
ちょうど傍から出て来た女性とぶつかってしまった。
ぶつかった相手はお店の制服を着ているので店員さんだった。
幸い、手に料理などを持っていることはなかったので大事にはならなくて良かったが、よそ見していたこっちも悪い。
「も、申し訳ございまーー」
「あ、すいまーー」
同時に謝ろうとして店員さんと目が合った瞬間、身体中に電撃のようなものが走った。
いや、正確には店員さんが見上げる形、と言った方が正しいのか。
向こうもすぐに気が付いたのだろう、俺を凝視してくる。
こんな、偶然が果たしてありえるのだろうか。
ーー世間とは何と狭いものか。
「あ、あ、あ、あんたあのときのっ!?」
「マ、マジかよ…」
そこに居るのは間違いなく、こないだ図書館で素敵な本をプレゼントしてくれた超絶傍若無人なロリっ娘、真白台冬香(ましろだいふゆか)だった。
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