10話「共感力(エンパス)」
ふとカレンダーを見れば、4月も半ばを過ぎていた。
満開だった桜も散りかけな過ごしやすい気候に、人々が活動的になっていく今日この頃。
それはこの陵南高校でも同じことで、本格的に新学期が始まっていた。
ある者は部活に精を出し、またある者は友達や恋人と親睦を深めていく。
高校2年生の春といえば、大学受験を控える俺たちには実質最後の1年の始まりと同義なわけで、この数ヶ月が今後の友達付き合い、青春を謳歌出来るかを大きく左右する。
……端的に言えば、高校生活をリア充で過ごしたければ、今のうちに仲良い友達やら、気になるあの子やらを作らなければならないということなのだ。
「うーん…」
それなのに、だ。
何故俺はこの一刻を争う時期に、しかもこんな平日の放課後に隣町の図書館にいるのだろうか。
「これでもない…」
気になるあの子と二人きりで月末にある定期テストの勉強、とかだったら俺だって大歓迎ですとも。
しかし目の前にいるのは、難しい顔をして本と睨めっこしている春菜、つまり妹。
何が悲しくて放課後に、しかも3日連続も妹と図書館を渡り歩かなきゃならないんだろうか。
さようなら、俺の青春。
こんにちは、シスコンの日々よ。
「はぁ…」
「今、面倒くさいって思ったでしょ」
「えっ!お、俺の心は読めないじゃーー」
「だ、か、ら!顔見れば分かるから!サボってないでアンタも探してよね!」
「図書館ではお静かにー」
「いいから、さ、が、し、て、よ!」
「へいへーい」
本日何度目かになる本の探索へレッツゴーだ。
ちらっと席を見ると春菜はまだ山積みになっている本の一冊と格闘していた。
それもかなり劣勢のようだ。
「ふぅ…もうひと頑張り、ですかね」
春菜が転校してきてから、あの衝撃的な夜からもう2週間近くが経った。
俺の心配を余所に、春菜は意外と順調にクラスの奴らとの交流を深めている。
主に佐藤のサポートが大きいが、それでも春菜なりに努力して少しずづ自分を変えていこうとしているようだった。
それでもたまにキツいときは、俺の方に目配せをして来るので、さりげなく彼女の近くに行く。
春菜曰く、俺が近くにいるだけで周りの‘声’は多少聞こえ辛くなるらしい。
それなんてATフィールド、と口を挟みたくなるのを抑えて、こうやってさり気なく春菜がクラスに溶け込めるように協力している。
ちなみにその涙ぐましい妹の努力を支える、これまた涙ぐましいまでの優しさを持つ兄貴は、こないだの一件から完全に周囲から危ない奴扱いをされていた。
廊下を歩けば誰かの視線を感じるし、他学年にも話が広まっているのか、「おっぱいソムリエ」とか「巨乳大臣」とか呼ばれているらしい。
大臣はないだろ、大臣は。
「ここはもう見た、よな」
そして今日も俺は、そんな悲しい汚名を背負いながら、愛する妹のため資料探しの旅に出ている。
俺たちが数日考えて至った結論は、分からなければ調べればいい、というよく考えれば当たり前のことだった。
そこでとりあえず近くの図書館を調べてみようじゃないか、と探し始めたのが3日前。
気が付けば精神系の本や医学書、カウンセラー本などを求めて隣町のこの図書館まで来ていた。
しかし、そういう関連の本というのは山ほどあるわけで、この3日間でも大した収穫はない。
探しているのは放課後から閉館までのわずか1時間ちょっとの時間なので、見つからないのも当然なのかもしれないのだが。
「うーん…ここも見たしなぁ」
「…あの」
「お、これとかどうだ?」
「おい…」
「おー、これは中々――いだぁ!?」
「無視、すんなっ!」
思い切り脛にローキックを喰らい思わず悲鳴に似た何かが出る。
なんだいきなりと、痛みを堪えて振り替えるとそこには誰もいない。
「――え、怪奇現象?」
「馬鹿か!ここだここ!」
「い、痛いっつーの!」
2発目のローキックを喰らい、たまらず膝を着くとそこには女の子が一人、不機嫌そうに仁王立ちをしていた。
セミロングの銀髪とそれに合った灰色の瞳。
そして西洋人形のような端正な顔立ちは、間違いなく彼女が将来引く手数多の美女になるだろうことを想像させる。
間違いなく、と加えたのはこの娘がまだ幼く見えるからだ。
乱暴な言葉遣いと行動とは裏腹な、小さな身長とまだ発展さえしていないそのロリボディ。
おそらく、彼女が小学生高学年くらいであろうことが簡単に推測出来た。
「お、おいおい。図書館で暴れちゃ危ないだろ」
「あんたが邪魔なのが悪い。本、元に戻せないから退いてくれない?」
最近の小学生の生意気さといったら天井知らずだな。
…だが、ここで怒ってはいけない。落ち着くんだよ、薫くん。
俺は大人なのだ。
相手は子ども、しかも小学生だ。
塾講師時代の自分を思い出せ。平常心だ、平常心。
「…ごめんよ、でも届かないんじゃないか」
「……は?」
「その本、上の棚に戻すんだろ。椅子使うと危ないから俺が戻しておくよ」
「…馬鹿に、してんの?」
「はい?」
「あたしがチビだから、馬鹿にしてるんでしょ」
「チビって、小学生だったらそれくらいの身長、普通だよ」
その瞬間。
何かがぶちんと切れた音がした。
同時に女の子は無言で鞄から手帳を取り出す。
赤く縁取りされたそれは手帳型のパスケースのようだ。
そしてぐいっとそれを俺に押し付けて来る。
「な、なんだよ」
「みろ」
「は?だからなんーー」
「み、ろ」
いつの間にか彼女の背景には噴火した火山が見えていて、漫画ならば「ゴゴゴゴゴ…!」という表現がぴったしの雰囲気を纏っていた。
圧に負けて中をゆっくりと開くとそれはパスケースではなく、生徒手帳だった。
丁度めくったページ、つまり最初のページには仏頂面で写る、目の前の彼女写真と共に個人情報が載っている。
赤の他人の個人情報なんて、と思った俺の思考はその文字列を見た瞬間、一瞬で吹き飛んでいた。
――在学証明書
真白台 冬香(ましろだい ふゆか)
私立桜陽学院大学附属高等学校1年A組――
そう書いてある文字列を数回、目でなぞった後、俺は静かに目を閉じた。
数秒後また目を開けて、目の前の少女をもう一度見る。
身長はおそらく150、いやそれ以下だろう。下手したら140前半も十分あり得る。
そしてその身体つきは、どう考えても真っ平な、特に胸なんてまるでまな板そのものだ。
――これが、こうこう、いちねんせい……?
「なにか、言うことは?」
少女は放心状態の俺から学生証を奪い返し、仁王立ちで睨み付ける。
どうやら怒り心頭なようで慎重に言葉を選ばなければ、確実に破滅することは明らかだった。
…が、そんなことを考える余裕は今の俺にはあるはずもなくーー
「……成長」
「…は?」
「成長……限界、だ、と…」
「し、死ねぇぇえ!!!」
心の‘声’がそのまま口から出てしまった次の瞬間、少女の持つ本の全力での投擲により意識を失うのだった。
「共感力(エンパス)、か…」
「らしいな、その本によるとだけと」
隣を歩く春菜がかじりつくように読んでいるその本には、確かに書いてあった。
世の中には少なくない数、他人の感情や身体の痛み、不調などを読み取ることの出来る人たちがいる。
それを共感力(エンパス)といい、人によって身体に反応出たり、相手の感情を共感出来たり…様々なタイプがある。
そして共感力(エンパス)は病気ではなく体質であり、自身の感情をコントロールしたり、精神を鍛えたり、自分だけの時間を過ごしたりすることで、ある程度緩和できる。
俺たちがやっとの思いで探し当てたその本には、確かにこんな内容のことが書いてあった。
「でも、わたしのはもっとはっきりと、‘声’として聞こえる…」
「多分だけど、春菜にも元々共感力(エンパス)が備わってたんだと思う。それが、こないだ話してた、小学生の時の出来事でーー」
「より、強くなった、ってこと、なのかな」
俺たちの意見は概ね一致していた。
つまり共感力(エンパス)が制御することが出来る代物ならば、春菜のこの特殊な体質も制御することができるのではないか、ということだ。
今の段階では共通点があるに過ぎないのだが、何も知らないよりはマシだ。
何より自分以外にも同じような体質を持つ人がいる、ということは春菜にとって良いことに違いなかった。
「まあ、3日間頑張った甲斐があったってもんだな。春菜の体質についても少し分かってきたし」
「うん……でさ、ここにね、抑制する方法として、なるべくリラックスすること、例えば信頼できる人と一緒にいるのが良いって、書いてあるじゃん」
「書いてあるな」
「…わ、わたしってさ、アンタといると声が聞こえにくくなるって、言ったよね」
「そうだな」
「そ、それってさ、つ、つまりさ…」
「つまり?」
「だ、だから……わ、分からない?」
「さっぱり。つーか顔赤いぞ、風邪か?」
「も、もういい!馬鹿っ!!」
「お、おい顔はやめろって!」
暴れる妹の攻撃を必死にかいくぐる。
最近の女子はすぐに暴力に訴える流行でもあるのだろうか。
どうせ打つなら尻にしてください!いや、そんな趣味ないけど。
「はぁはぁ……つーかさ、妹よ」
「はぁはぁ……な、何よ」
「最初からさ、図書館なんて行かずにネットとかで調べれば良かったんじゃ…」
「……それじゃあ、一緒にいられないでしょ。最近、二人で帰れてなかったし…」
「え、なんだって?」
「な、なんでもない!ネットはデマが多いから信用できないの!……というかさ、わたしも聞きたいんだけどさ」
「ん?」
「その顔の腫れ、何があったの?本、探しただけなんだよね」
不審そうに俺の頬の腫れを見る春菜。
…悪いな、男には、どうしても隠さなきゃいけないこともあるんだよ。
言えるわけないだろう。
超絶傍若無人なロリっ娘に投げられた本が当たって気絶した挙句、それが探してた本だったなんて。
兄の威厳に関わる由々しき事態だよ、これは。
「ふっ、気にするな」
「…気持ちわる」
「おい」
そんな兄の気高い覚悟は無慈悲な妹の一言によって、一瞬で砕かれたのだった。
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