5話「転校生のクラスメイトは・1」
「薫―、聞いたぞぉ!」
「おっす、ってなんだよ海斗。そのにやけ顔は」
自分の席に着くや否や、海斗がニヤニヤしながら近づいて来た。
経験則だが、こういう時のコイツはろくな話をしなかった気がする。
「隠すなって!」
「だから何をだよ」
「今朝、一緒にいた女の子のことに決まってんだろ?」
「あー…」
やっぱりろくでもない。
見られていた、わけではないと思う。
海斗は確かサッカー部で今日も朝練だったから、あの時間にはもう学校のグラウンドで汗を流していたはずだ。
だとしたら答えは一つしかないわけで。
「もう結構な噂になってるぜ?通学路で熱い接吻を交わしたとかーー」
「せ、接吻!?」
俺が出した大きな声にクラス中がこちらに反応する。
残念ながらすでに噂はクラスにも広がっているようで、ひそひそとこちらを伺っている奴らが少なからずいることが分かった。
「おはよー、ってなんか知らないけど盛り上がってるわね」
「お、悠花!聞いてくれよ!薫がさーー」
「おい、海斗やめろってーー」
「ああ、薫が転びそうになった女子を偶然助けたってやつでしょ!」
「「えっ」」
「もう聞き飽きたわよ、その話。実際見たって子に聞いたけど、変な噂になってるみたいね」
俺に負けず、クラス中に響く大きな声で話す佐藤に思わず顔を見合わせる俺たち。
周りはそんな佐藤の話に納得したのか、あっという間に俺たちへの興味がなくなっていくようだ。
気が付けば数十秒後にはもう皆がそれぞれの話に戻っていた。
「……噂っていうのは面倒くさいのよね」
俺たちにしか分からないように佐藤は小さくウインクをする。
どうらやこの厄介な噂を払拭するために一肌脱いでくれたようだ。
昔から思っていたが、本当に佐藤は気が利く良い奴なのだ。
まあだからこそ、横で今頃「ああ、そういうことね」とか間抜け面で言っている、海斗への恋が早く成就して欲しいと思うわけで。
しかし何故だか自分のことになると途端に要領が悪くなるんだよな、コイツは。
「…助かったよ、佐藤」
「ナイスフォロー!」
「海斗、アンタは余計なことしないの!…で、ちゃんと聞かせてもらうわよ」
「えっ」
「‘真実’に決まってるでしょ、カオルクン?」
ニヤリと笑う佐藤に、俺は叶うはずもなく今朝の出来事を洗いざらい白状するのだった。
そういえばコイツはこういう所も抜け目なかったんだよな。
「――いや、全く分からん」
「聞いておいてそれかよ!」
「うん、でも正直、急に‘義妹’とか‘お兄ちゃん’とか言われてもね」
「ぐぬぬ…」
ホームルームが始まるまでの貴重な自由時間を費やしたにも関わらず、友人たちの理解を全く得られなかった俺は思わずため息をつく。
じゃあ実際に逆の立場になれば理解出来るかと言われれば、かなり怪しいと思うが。
昔の俺が事前に親父が再婚するとか、向こうに同い年の連れ子がいるとか、同じ屋根の下で暮らすとかの情報を話していたら別だったのかもしれないが、思春期真っ只中の四宮少年にそれを求めるのは、些か酷なのかもしれなかった。
「とにかく!今の薫の悩みは急に出来た妹にどう接して良いか分からない、と」
「まあ、そう、だな」
一応プライバシーに関わる部分は大幅にカットしているが、簡単にまとめるとそういうことになる。
身体は高校生だが、心はもう30歳手前。女子高校生の心情を理解するにはかなりの無理があるのだ。
こうなったら多少の恥をしのんでも、目の前にいる現役女子高校生に教えを乞うしかない。
そんな最後の希望であるはずの佐藤悠花はーー
「…私さぁ、ちょっと年の離れた兄がいるんだけど、普段家の中で話すことって、ほぼないんだよね」
知っているぞ。
こないだお前らの結婚式で「悠花ぁ―、幸せになぁ!」とか大声で酔っ払いながら叫んでたあのお兄さんだろ。
「…で?」
「だからさ、思春期の兄妹なんて仲良くする方が珍しいから」
「そうかー?ウチは妹と結構仲良いけどなぁ」
「海斗のとこは仲良すぎ!中学生にもなって一緒にお、お風呂とかあり得ないから!」
それも知っているぞ。
こないだお前らの結婚式で「お兄ちゃんは騙されてるんだ、この泥棒猫!」とか大声で酔っ払ってもないのに叫んでたあの妹だろ。
「…つまり?」
「分からない?そっとしておけってことよ」
「そう、だよなぁ…」
結局現役女子高校生が弾き出した答えは、オッサンがこの短時間で導き出した答えと全く同じだった。
本来ならそうしたいのが山々なのだが、事情が事情だ。
どうにか仲直り出来ないものかと考えていると、教室の扉がガラリと開き、元気良く我らが担任である依田ちゃんが入って来た。
どうやら作戦会議はいったん解散らしい。
周りの生徒もぞろぞろと自分の席に戻っていく。
「みんなおはよー!ほらー、ホームルーム始めるから席付けー!お、今日は四宮もちゃんと来てるね!」
「き、来てますよ失礼な!」
クラスの何人かがクスクスと笑う。
相変わらず依田ちゃんに目を付けられているようだ。
自分の過去の遅刻や居眠り回数を思い出せば当然といえば当然なのだが。
「よーし、四宮号令―」
「ええ、俺ですか!」
「昨日授業中に居眠りしてたのは誰だー?」
くそ、職権濫用もいいところだ。しかしここで反抗したって何も起きないわけで。
長いものには巻かれる、これも社会人としての知恵の一つだ。
「き、きりーつ!きょーつけー!れーい!」
「「おはようございーます」
「はい、おはよー!座ってよし!」
ダラダラと座る生徒たちとは対照的に、先生は朝から元気いっぱいだ。
俺も塾講師を始めた当初はあれくらいやる気に満ち溢れていたっけ、なんて感傷に浸っていた俺はすぐに現実に引き戻される。
「よーし、実は今日から皆の仲間になる新しい仲間がいます!」
「……そ、そうだった」
依田ちゃんの一言で騒つく教室とは別の意味で、自分の心がざわついていくのが分かる。
覚えている、俺は覚えている。
ここがターニングポイントだ。間違いなく、ここだ。
「はい、静かに!じゃあ入っておいで!」
クラスの注目を一斉に浴びながらおずおずと入って来るその女の子は、どこからどうみても今朝、俺に説教をしていた妹だった。
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