4話「二人の距離と通学路」

 実家から俺たちの通う陵南高校までは、電車での乗り換え1回を含めても40分くらい。

 ホームルームが始まるのが8時45分からなので、8時に家を出れば十分に間に合う。


「呆れた…それじゃあ学校に着くのがギリギリじゃない。もし電車が遅れたりしてたら、遅刻確定よ?」

「だから今日はこうして30分も早く出てるじゃん」

 

 それなのに何故か朝っぱらから、俺は電車の中で妹に説教されている。

 もし電車が遅れたなら遅延証明書を貰えば良いだろ。社会人の常識だぜ。

 そう自慢げに語る俺を見て、春菜は大きい溜息をついた。


「ほんとにアンタはさ、そんなんじゃ遅刻ばっかりじゃないの?」

「まあ担任には常にマークされているかな」

 

 高校時代の記憶を手繰り寄せる。

 確か3年間担任はずっと依田ちゃんだったが、よく寝坊や居眠りをして職員室に呼ばれていたような気がする。

 ボリボリと頭を掻く俺に構わず、電車を降りても春菜はそのまま説教を続ける。


「はぁ…あのね、仮にも家族なんだから、わたしに恥ずかしい思いさせないでよね」

「分かってるって」

「じゃあ明日からは毎日この時間に登校すること!」

「ええっ…」


 歩きながら俺をじっと見つめて来る。

 せっかく女子高生と通学しているってのに、全く楽しくない。

 これじゃあ可愛い妹じゃなくて小煩い姉じゃないか。


「文句言わないの。これもアンタのためなんだから」

「…アンタじゃなくて、お兄ちゃん」

「…はぁ?」

「お、に、い、ちゃ、ん。ほれ、言ってみ?」

 

 うん、家族内の序列はハッキリさせておかなければな。

 このままじゃ女子高校生に説教をされ続ける残念なオッサンの烙印を押されてしまう。

 別にめっちゃ年下の女の子に図星を突かれてムキになっているとかではない。

 断じて、ない。


「アンタねぇ…恥ずかしくないの」

「生意気な妹にはお灸を据えなきゃな。つーかさ」

「何よ」

「なんでちょっと離れてるわけ」

「べ、別に…」

 

 家を出てからずっと気になっていたのだが、この妹は常に俺と距離を空けている。

 電車に乗る時もなぜか席を一個空けて座り、今だって間に一人分くらいのスペースがある。

 いくら昨日のことが嫌だからってこの扱いはなくないか。

 まるで思春期の娘に忌み嫌われて、肩身の狭い思いをしているお父さんそのままだぞ。

 距離を詰めようと右に一歩動くと、春菜もシンクロしたみたいに同じように動く。


「あのなぁ…確かに昨日のことは悪かったよ。でもそこまで避けることなくないか」

「避けてるとかじゃ、ないから」

「いや、明らかに避けてるだろ…」

「……ごめん」

 

 それは肯定ってことか。

 まさか昨日のハグがここまで関係に支障をきたすとは。

 無言の気まずい時間の中、通学路を二人歩く。

 こいつってこんなだったっけ、と過去の記憶を思い出すがそこで俺は自分が最低な人間であることを再認識した。

 

 ーー俺は、妹と一緒に通学したことが一度もない。

 勿論、彼女にとって一番不安であるはずの今日も含めて、だ。

 朝だって今だからあんな楽しげな朝食になったが、過去には素っ気無い態度で二人を傷つけたんじゃないか。

 そっと横を見ると、今にも泣きそうな顔をしている春菜がいた。

 

 俺は、何をしているんだろう。

 わざわざ過去に死に戻りして、結局やっていることは昔と何も変わっていない。

 俺がやってきたことに比べれば、彼女がしたことなんて全く問題無いわけで。

 春菜だって急に新しく家族が出来て、戸惑っているに違いないんだ。

 俺は、知っていた。

 知っていたしもう大人だからある程度受け入れることが出来たが、彼女はそうじゃない。

 それでも一緒に登校しようとしたり、遅刻を心配してくれるのは彼女なりの優しさに違いなかった。


「…あの、さ」

「きゃっ!?」

「うわっ!?」

「あっ!?……えっ」

 

 バランスを崩して倒れかける春菜を、とっさに抱き抱える。

 とっさだったので腰に手を回すような形になり、身体が密着する形になってしまった。

 妹といえど、血の繋がっていない女子高校生の感触は俺の思考回路を吹っ飛ばすには十分なものだった。

 なんだかフローラルな良い香りもしてくるしーー


「朝からお熱いねぇ」

「あれって確か4組のーー」

「っ!?」


 周りのヒソヒソ声でやっと我に帰ると、春菜はかなり驚いた表情で俺を見つめていた。

 またやってしまった。

 もう遅いかもしれないがすぐに手を離して距離を取る。

 不可抗力とはいえ公衆の面前で、しかも同じ学校の奴らの前でこんな醜態を晒してしまうとは。

 自分の顔がみるみる熱くなるのが分かる。


「わ、わりぃ…」

「…………やっぱり」

「へっ?」

 

 烈火の如く怒られると思って改めて見た春菜の表情は俺の予想を大きく外れ、どこか心ここにあらずで、むしろ何かを確信するようなものだった。


「は、春菜?」

「な、なんでもない!じ、事故だもん、大丈夫!」

「そ、そうか」

「……た、助けてくれてありがとう」

「あ、おう…」

「わ、わたし、職員室寄って行くから先行くね!」

 

 それだけ言うと春菜は駆け足で先に行ってしまった。

 やはり怒っているのだろうか。

 それにしては変な反応だったよな。

 ちゃんとお礼を言ってくれたってことは少なくとも許してくれてはいるのだろうか。

 だとしたらあの不自然な距離は一体なんだ。


「なんか…女の子って、分かんねぇ」


 まだ始まってもいない高校生活に更なる不安を抱きながら、10年ぶりくらいの母校へと向かう。

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