6話「転校生のクラスメイトは・2」

 教室中の注目を浴びながら、依田ちゃんの横に立つ春菜は、今にでも消えてしまいそうなくらい儚い存在感だった。

 かなり緊張しているのか、表情は固く、俺が今朝見た彼女とは全くの別人に見えた。

 腰まで伸び、自分の目さえも隠している黒髪が今は彼女の大人しさを悪い意味で増長しているようだ。

 周りの連中も近くのもの同士で好き勝手に、主に春菜の容姿についてひそひそと話し合っている。


「今日からこのクラスで一緒に勉強する、桃園春菜(ももぞのはるな)さんよ!漢字はねーー」

「おい、薫」

「…どうした」

「どう思う、あの子」

 

 依田ちゃんが黒板に漢字を書く隙を狙って、海斗が話しかけてくる。

 周りと同じく、新しく来た転校生に興味津々といったところだ。


「どう、って言われてもな」

 

 あれがさっき話してた妹だよ、と急に言えるはずもなく、言葉に詰まってしまう。


「ちょっと暗そうだけど、中々のものだよな」

「何が」

「またー、そんなのおっぱいに決まってんだろ?あれはEはあると見たね」

「なっ!?」

 

 薄々勘づいてはいたが、他人に言われてはっきりと認識してしまう。

 昨日抱きしめたときも思ったが春菜はどうやら着痩せするタイプのようだ。

 って今はそんなこと考えている場合じゃない。


「顔も前髪に隠れてるけど、実は美少女だったりしてな」

「海斗、お前なぁ!」

「四宮、うるさいぞー!」

「あ、すいません…」

 

 気が付けば依田ちゃんはすでに春菜の名前を書き終えて、こちらを睨みつけていた。

 そして春菜を教壇の真ん中に案内し、そのまま話を進める。


「ということで桃園さんは御家族の都合で他県から引っ越してきたばかりよ。皆助けてあげるように!」

「…桃園さん、か」

 

 確か、昔の記憶でも彼女の名前は「桃園」春菜だったと思う。

 当時は全く気にしていなかったが、苗字が別ということで誰も俺と春菜が兄弟だということに卒業まで気が付かなかったようだった。

 学校が事情を汲んでくれたのか、はたまた親が頼んだのか知らないが、「義妹」なんてもので周りからいじられたくなかった俺にとっては好都合だったに違いなかった。


「よし、それじゃあ桃園さん」

「は、はい」

「軽く自己紹介してみようか!」

「えっ…と」

 

 そう言われた春菜の顔は明らかに引きつっていた。

 見てすぐに分かるが、依田ちゃんは根っからの陽キャだと思う。

 自分の学生時代も、今と同じように持ち前の元気と明るさで乗り切って来たに違いない。

 でも今目の前にいる生徒は明らかに自分自身とは別のタイプなわけで。

 そういうところまで考えてクラスを切り盛りしなければならないのだけれど、今の「若い」依田ちゃん、いや依田先生にはまだそこまで読み取ることは出来ていないようだった。


「あ、の……」

 

 それにしても、様子が変だ。

 確かに初めてのクラスでの自己紹介は緊張するだろうし、特に教壇から話すなんて滅多なことじゃしない。

 だけど、最悪名前だけ言って、お願いしますくらい言えば済むことだ。

 今の春菜はとても苦しそうな表情を浮かべており、両手をギュッと握って俯いたままだ。

 クラスのざわつきが少しずつ大きくなるにつれて、彼女の苦しみ方はより酷くなっているように見える。


「…ああ」

 

 ――そうだ、これがきっかけなんだ。

 俺の記憶が正しければ、春菜はもうしばらくして突然倒れ込んでしまう、はず。

 突如、鮮明に蘇る記憶。

 それでクラス中大騒ぎになって、彼女は保健室に運ばれる。

 この日はそのまま早退して、次の週に登校してくるときにはもう「噂」が流れているんじゃなかったっけ。


『4組の桃園さんって極度のコミュ障らしいよ』

『暗くて一言も話したことないらしいね』

『あの髪型なんて、日本人形そのものじゃん』

 

 いつの日か、どこかで聞いた噂。

 俺も家族だと、一緒だと思われるのが怖くて、黙ってその噂を受け入れてしまった。

 ここがターニングポイントなんだ。

 こんな些細なことがきっかけになって、桃園春菜はクラスから孤立してしまう。


『……噂っていうのは面倒くさいのよね』

 

 佐藤の言う通りだ。

 この高校生活という狭いコミュニティで誰もが誰かを気にし合っている。

 徒党を組み、他者を排除しようとする。

 群れることを望む一方で、自分以外の標的を見つけて安心している。

 このままでは同じことが繰り返されるに違いない。

 なんとかしなければ、なんとか。


「……っ」

 

 気が付けば春菜はもう限界に近いようだった。

 重苦しい雰囲気に耐えかねなくなったのか、依田ちゃんがおもむろに歩み寄る。

 駄目だ、もう時間がないーー


「桃園さん、どうかしーー」

「出席番号17番!四宮薫ですっ!!」

 

 無意識だった。

 俺は思い切り立ち上がり馬鹿みたいな声を張り上げていた。

 先生も周りの生徒も、当事者の春菜でさえも鳩が豆鉄砲を食ったようにこちらを見ている。

 こうなりゃヤケクソだ、俺の青春なんて、高校生活なんてどうにでもなれだ、この野郎。

「好きな食べ物は梅干しと茶碗蒸し!!好きな女の子のタイプはおっとりした巨乳の子ですっ!!」

「…し、四宮?」

「将来の夢はIT企業の社長になることです、よろしくお願いします!!」

 ――終わった。完全に終わった。

 俺の大声が鳴り響いた教室は、痛いほどの静寂に包まれる。

 恥ずかしすぎてまともに目も開けない。

 身体中が熱くなるのを感じたが、次の瞬間――


「お前には聞いてないよ四宮ぁ!!」

「いてぇ!?」

 

 依田ちゃんがツッコミと共に投げたチョークで教室は一気に騒がしくなった。

 周囲からは「食べ物の好み渋っ!」とか「巨乳とか、気持ちわる…」とか「マジヤバいんだけど!」とか色々なご意見が聞こえてくる。

 ああ、なんとでも言うがいいさ。

 こっちは一回死んでるんだ、これくらいの誹謗中傷じゃちょっとしか傷付かないぜ……ちょっとしかな!

 依田ちゃんも暗い雰囲気をなんとかしたかったのか、しっかりとこっちの誘いに乗ってくれた。

 後は誰かもう一人、と俺が心配する必要もなく、隣の席の親友が席を立つ。

 そういうところが大好きだぜ、海斗!


「出席番号10番、倉田海斗!好きな食べ物はラーメン、好きな女の子は普段はツンツンしてるけど二人きりだとしおらしくなる子!将来の夢はーーいでぇ!?」

「お前にも聞いてないよ倉田ぁ!!」

 次はクラス中が爆笑だった。

 こういうのは続いて行った奴の方が盛り上がるんだよな。

 しかも言ったのはクラス男子の中でも女子人気のある海斗だ。

 俺の時とはうって変わり、クラスの女子が色めきだっていた。

 …世の中不平等だよな。

 周囲の男子たちの俺に対する同情の眼差しが唯一の救いだ。


「あんたら良いから座りなさい!」

「「へ、へーい」」


 座る直前に呆然とこちらを見ていた春菜と目が合う。


 ――次はお前の番だぞ、しっかりやれよ。


 そう目線で合図したら、ゆっくりと彼女が深呼吸したのを見た。

 …本当に世話がかかる妹だ。思い切りかましてこい。


「ふう……あ、桃園さん、ゴメンねーー」

「しゅ、出席番号は、分かりません!桃園春菜ですっ!!」

 

 顔を真っ赤にしながらーー

「好きな食べ物は卵焼き!す、好きな男性のタイプは、い、いざという時頼れる人です!!」

「「おおっ!?」」

「桃園さん!?」

 

 周囲の、特に男子がよろめき立つのも無視して必死に叫んでーー


「将来の夢は、心理カウンセラーです!よ、よろしくお願いします!!」

「桃園さんは真似しなくていいから!?」

「「いいぞー!!」」

 

 ――盛り上がる教室の中心にいる彼女を見て俺は、‘お兄ちゃん’ってのも辛いもんだよな、と世の中の義妹を持つ全お兄ちゃんたちに同情した。

 まあ、そんな奴、ほとんどいないと思うけどな。

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