正輔君また大活躍
増田朋美
正輔君また大活躍
今日も又、10月だというのに、冬並みに寒い日が続いている。今日も本当に寒いねなんて、愚痴をこぼしながら、みんな寒い秋の日を過ごしているのだ。こんなさむい秋なんて、日本人では慣れていないことだろう。こんなに寒い秋に慣れているのは、ヨーロッパ人でなければだめなのではないかと思われる。
そんな中、日本人男性と結婚したため、日本に来日し、日本の静岡県富士市で動物病院を開いた獣医の横山エラさんは、いつも通り動物たちの診察を続けていた。その日の午後の事だ、いきなり杉ちゃんが、動物病院にやってくる。
「おい、こいつがさ、急に餌を食べなくなったので、見てもらえないか?」
という杉ちゃんに、受付係の中原さんは、ちょっと困った顔をした。
「なんですか、予約も何も入っていませんよ。来院するときには、ちゃんと予約の電話を入れてください。」
「だけど、ほかに待っている動物たちもいないじゃないかよ。ちょっと見てやってくれ。」
と、杉ちゃんは、一匹のフェレットを持ち上げて見せた。大きさは確かに平均的な
サイズに比べれば小さいが、真っ白い、アンゴラフェレットの雄である。
「いないと言っても、ちゃんと予約を取ってからにしてください。ここは完全予約制です。」
と中原さんがそういうと、エラさんが出てきて、いいじゃないですか、見てやりましょ、と杉ちゃんを診察室へ通してくれた。
「えーと、フェレットの正輔君ね。今日は一体どうしたの?」
とりあえず、杉ちゃんから名前を聞いて、エラさんは、電子カルテに、正輔君、アンゴラフェレットと書き込んだ。
「ああ、お昼の餌を食べさせたら、食べなくなったので、心配になってこさせてもらいました。」
と、杉ちゃんは言った。
「わかりました。じゃあ、ちょっと聴診させてね。」
エラさんは、小さなフェレットの体を、聴診器でじっくり観察した。
「はいはい、これはね、ただの食べすぎですよ。正輔君、どこにも異常はありません。今日は餌を控えめにして、食欲が出てきたら、いつも通りの餌を食べさせてください。」
「なんだ食べすぎか。其れだけだったか。」
杉ちゃんは、素っ頓狂に言った。
「はい、食べすぎですよ。この子は何も病気ではありません。ただ、食べすぎて、一寸憂鬱になっているだけですよ。」
エラさんは、にこやかに笑ってこのかわいい患者さんの説明をした。
「薬も何もいりませんから、おやつを食べすぎないように、気を付けて頂戴ね。」
「はい、わかりました。」
「じゃあ、待合室で、お会計をお願いしますね。正輔君、おとなしくて、アンゴラには珍しい子ね。」
エラさんは、杉ちゃんに診察室へ出てもらうように促した。杉ちゃんが、ありがとうございましたと言って、診察室を出ると、待合室には、一人の女性と、一匹の柴犬が、椅子に座っていた。
「あら、どうしたのこのワンちゃん。」
と、杉ちゃんが言うと、
「ええ、一寸ガラスを踏んでしまったようで。散歩中に急に動かなくなってしまったんです。」
と、彼女は答えた。
「そうかあ、ガラスを踏んだのか。日本にも道路へガラスを平気で捨てる輩がいるもんだねえ。さぞかし、ワンちゃんもいたかっただろうあ。」
と、杉ちゃんがつづけると、
「えーと、田宮さん、ごん太君。」
と、エラさんが診察室から彼女を呼ぶ声がした。女性は犬を抱っこして、診察室入っていく。杉ちゃんが、中原さんに正輔の診察料を払って、一寸世間話を30分ほどしていると、先ほどの女性がうれしそうな顔をして、診察室から出てきた。
「あら、まだいらしていたんですか。」
と、彼女は言う。
「ああ、なんだかしゃべりすぎちゃって申し訳ないね。僕はしゃべりだすと止まらないタイプだもんでね。エラ先生のドイツ時代のエピソードを中原さんに聞いちゃった。」
杉ちゃんは、頭をかじって笑った。
「いいえ、このフェレットちゃんが三本足だから、私も、心配しちゃったのよ。」
中原さんもそんなことを言っている。
「まあ、確かに前足一本かけているけどさ、明るく元気に生活しています。三本足だからと言って、悲観もせず、楽観もせず、いつも明るく元気よく。」
「いいわねえ。うちに来る動物たちにも、そんな気持ちで生きていてくれればいいわね。今は動物も、家族の一員なんだから。」
中原さんは、白髪の混じった髪をかき上げた。田宮と呼ばれた女性が、杉ちゃんの膝の上でかまぼこ板に乗っている正輔をじっと見ていた。杉ちゃんが思い付きで発明した、フェレット用の車いす。かまぼこの板に、糸巻を改造した車輪を付けて、リストバンドで正輔の胴をまき、動けるようにしてある。正輔にとっては、うれしい移動補助具といったところか。
「うちへ来てくれる動物たちも、正輔君みたいにかわいがってもらったら、喜ぶわよ。」
と、中原さんは杉ちゃんに領収書を渡しながら、そういうことを言った。
「それで、田宮さんだっけ。お前さんのほうはどうだったの?ごん太君大丈夫?」
「ええ、おかげさまで。刺さったガラスを先生に抜いてもらいました。初めて、エラ先生に会いましたけど、感じのいい先生でうれしかったわ。」
田宮と呼ばれた女性は嬉しそうに言った。
「ごん太君だって、喜んでいると思うわよ。足の裏のガラスも抜けましたし。」
と、中原さんがそういうと、
「おう、これで二匹とも一件落着だ。うちの正輔は、ただの食べ過ぎで済んでくれたし、良かったよかった。じゃあ、又この子たちの具合が悪くなったらよろしく頼むね。」
中原さんが田宮さんに領収書を渡すと、杉ちゃんはからからと笑った。
「ねえ、正輔君でしたっけ。」
と、田宮さんが杉ちゃんに言う。
「ええ?どうしたの?」
「ごん太が正輔君に興味を持ってくれているみたいなの。ちょっとペットカフェでお茶していきません?」
田宮さんはそんなことを言った。
「ああいいよ。ついでに僕の名前を自己紹介しておくと、名前は影山杉三で、杉ちゃんって言ってね。」
「ああそうなのね。私は、田宮素子。よろしくね。ちょうど、動物病院の近くにカフェがあるから、そこへ行きましょうよ。ちょうど、診察帰りによって行く人がとても
多いそうよ。」
「おっけ。よろしく。」
二人は、そんなことを言いながら、病院を出ていった。確かに動物病院の近くにカフェはあった。一見すると、普通の家と変わらないような建物であるが、玄関先に、ペットと一緒に入れますという小さな看板がある。
「いらっしゃいませ。」
と二人が入ると、にこやかに店員が迎えてくれた。正確には二人と二匹というところなのだが、全員を座席へ案内してくれた。ほかに客はいなかった。
「ご注文は、なにになさいますか?」
と、店員にメニューを見せられて杉ちゃんは困った顔をする。すると、田宮さんが、じゃあ、アイスコーヒーを二つ下さいと言ってくれたので難を逃れた。ついでにフェレットと犬の餌も用意してくれた。数分後、二匹の動物が互いの体をなめて、遊んでいると、カフェに設置されたテレビが、ニュース番組になってこういうことを言っていた。
「きょう未明、静岡県富士市の医療機関で、脊髄腫瘍の手術を受けた男性が、手術から数時間後に死亡するという事件がありました。男性は、脊髄腫瘍のため、富士市内の医療機関に入院していましたが、摘出手術を受けたばかりでした。手術前には安定していたことから、遺族が不審に思い、警察に通報したことから、事件が発覚した模様です。警察では、何らかのミスがあったとして原因を調べています。」
「はあ、変な世の中だねえ。昔だったら、そのままにしておいて済んだのに、今は
変なことが在ったらすぐ、医者のせいにするんだ。」
と、杉ちゃんは大きなため息をついた。
「その事件の被害者は、私の身内なの。」
と、田宮さんがそういうので杉ちゃんはまたびっくり。
「私の兄なのよ。田宮浩太郎。警察に通報したのは私の両親。」
そういう彼女に、杉ちゃんは、彼女が何か特殊な事情を抱えているんだなということを感じ取った。とりあえずその場では、そうかとだけ言っておく。
それをしている間にも、小さなフェレットと柴犬は、友達になれてうれしいとでも思っているのだろうか、楽しそうにじゃれあっていた。二匹の気持ちが通じているのを、何か記録に残しておきたいくらいかわいかった。
次の日、蘭が杉ちゃんの家にやってきた。なんだかしょんぼりというか落ち込んでいるような顔をしている。
「どうしたんだよ蘭。何かいやなことでもあったのか。」
と、杉ちゃんが言うと、
「いやあねえ、今日はちょっと重たい気持ちで、施術をしなければならなかったのさ。私が生きているのは、兄のおかげだから、兄が好きだった朱雀を、背中に入れて、兄がいつまでもそばにいるという気持ちになりたいって、依頼が来たんだよ。」
時折、そういう目的で、刺青を頼みに来る人がいる。特に刺青に偏見の少ない、若い女性や外国人は、そうなりやすい。
「そうか、あまりにも突然で、受け入れられなかったのか。」
「そうだね。しかも、お兄さんがなくなったことが、重大な医療事故で、テレビでも取り上げられて、余計に受け入れられないんだって。テレビで取り上げられると、お兄さんがまだ生きているのではないかと思っちゃうって。」
と、杉ちゃんの話に蘭は応じた。
「ずいぶん、純情な女の子じゃないか。」
「そうですねと言いたいところだが、彼女は、両親とお兄さんと四人家族だったそうだ。彼女は、日ごろから、お兄さんと比較されて育った。それで、そのお兄さんがなくなったことで複雑なきもちだと、彼女は泣いていたよ。」
蘭は、ため息をつく。
「おい、蘭、その女性って誰の事だ?名前はなんていうんだ?」
杉ちゃんが思わず聞くと、
「ああ、そうか、杉ちゃんはテレビ何て見ないから、あまり知らないのかもしれないが、結構話題になってるよ。彼女の名は、田宮素子。あの脊髄腫瘍の摘出手術に失敗して亡くなった田宮浩太郎さんの妹だ。お兄さんがなくなったのは、あまりにも急だったんで、収拾がつかないと言っている。」
と蘭は答えた。
「なるほどね、確かに予想外の出来事ってのは人を揺さぶるよ。」
「しかし、彼女の話によると、病院側は、何もミスはなかったと説明したらしいんだ。でもそういうわけではなさそうだよ。彼女のご両親が色いろ調査しているらしいから。きっと病院側が手を抜いたんだろう。それでは本当はいけないんだけど。」
刺青を入れるとき、世間話をする客は少なくなかった。手彫りは機械彫りほど痛みは少ないと言われるが、ちっとやそっとの事で表せるものではない。黙って入れてもらうことは、暴力団などではスタータスらしいが、一般のひとには簡単なことではなく、入れている間、世間話をして気を紛らわすのだ。そういう時に話すことは、痛みで話を飾り立てるという余裕はなくなっているから、多くの人の背中を預かってきた蘭は、客の世間話は真実だと思うようにしているのだ。
「そういうことか。それで田宮素子さんは犬を飼っていなかったか?」
ふいに杉ちゃんはそういうことを言った。
「うーん、それについてはあまり詳しく言わなかったけど、まったく、彼女のお兄さんも運が悪かったよな。評判の悪い病院を医療コーディネーターから紹介されたんだって。」
蘭はため息をついた。
「そうか。僕は、昨日、犬を連れた田宮素子というひとに会ったんだ。一緒に、ペットカフェにも連れて行ってくれた。この正輔も一緒にな。」
杉ちゃんが言うと蘭は、そうなのかといった。
「まあ確かに、ペットを飼うのは珍しくないが、お兄さんよりペットの世話を優先しているというのが、一寸気になるところだな。」
その時、蘭のスマートフォンがなった。
「なんだ。またニュースアプリか。最近こういうものばっかり入ってきちゃって困るなあ。」
蘭はやれやれと言いながら、スマートフォンをとった。
「まあ、新聞をとるよりもこっちのほうが、お金が安くていいんだが、毎日毎日でかい音で更新の知らせが来るので、うるさくてたまんないよ。だったら新聞のほうが都合がよいや。」
そういいながらニュースアプリを開いた蘭は、
「あ、社説欄に何か投稿しているぞ。久しぶりに社説が書いてあるな。これが実は面白いんだな。読んでみよう。」
と、蘭は読み始めた。意外に蘭は、社説を読むのが好きだった。こういうところに意見を提出するのは、大体特殊な職業についている人が多いので、変わったところに着目してくれて、面白いのである。
「はあ、今度は、ドイツから来た女性の獣医さんか。へえ、人間より動物のほうが良い医療を受けられる時代になった、なるほどねえ。」
つまり、投稿したのは、エラさんだったんだろう。杉ちゃんが何を書いてあるんだと聞くと、
「いや、こう書いてある。えーとね、先日の中央病院の医療事故といい、人間の医療では、すさんで、不適切なことが何回も行われているのに、犬や猫の診療では、親身になって行われている。これなら、人間を扱うときも、親切にやってほしいものですという内容だ。」
と、蘭は答えた。
「そうかそうか。エラ先生は、犬の診察でそう思ったんだろうね。中央病院の医者も見習ってほしいものだ。犬にもフェレットにも優しくしてあげるような、そんな医療を提供してもらいたいよね。」
と、杉ちゃんが言うと、
「彼女の投稿にも書いてあるよ。今回脊髄腫瘍で亡くなられた、田宮浩太郎さんにも
お悔やみを申し上げます、もし、田宮さんが、人間ではなく、動物であれば、もっといい医療を受けることができたのにと思う。」
と、蘭はため息をついた。。
「確かに動物のほうが手厚く看病してもらえるのは、皮肉だな。」
「そうだねえ、人間の医者は高慢な人が多いからねえ。しかし、田宮さんのことについては、あんまり話題にしないほうがいいと思うんだけどねえ。」
「なんだよ。何か困ったことが在るのかい?」
「ああ、田宮素子さんが言っていた。犯罪者みたいにメディアが殺到してきて、うるさくてたまらないと彼女は言っていた。」
「まあ日本の報道機関は、暇人ばっかりだからな。取材が殺到しちゃうのもわかるよ。」
杉ちゃんと蘭がそんなことを言い合っていると、蘭のスマートフォンがまたなった。何だろうと思ったら、今度は電話アプリだった。
「はいもしもし、ああ、え?田宮さん?どうしたんですか?」
欄のスマートフォンを通してだが、杉ちゃんにも、声はこういうことを言っていたのである。
「あの、先生、助けてください。もうどうしていいかわからなくなりました。毎日毎日お兄さんの事で取材をさせてくれと言われて、もうたまりません。頭がおかしくなりそうです。」
「はあ、そうですか。落ち着いてください、人のうわさも何とかと言いますから、しばらくたてば静かになりますよ。」
と、蘭が言うと、杉ちゃんが蘭のスマートフォンを、むしり取るような感じでとって、
「もしもし、僕は、こないだフェレットと一緒にカフェに連れて行ってもらった影山杉三だ。あのねえ、もしそんなにつらいんだったら、僕のうちでしばらく過ごしたらどうだ?あの、お前さんの背中に朱雀を彫った先生とは、無二の親友なんだよ。もうマスコミの取材がうるさくて仕方ないんだろう?そういう事は親御さんに任せてさ、僕らのところに会いに来てよ。」
とでかい声で言った。
「でもいいんでしょうか。」
と、小さな声で素子さんがそういっているのが聞こえる。
「いいよ。だって、仕方ないものは仕方ないだろう。其れなら、使えるものは使え。逃げるんなら逃げたって良い。ともかく、うちに来な。僕のうちは、蘭の家の隣だ。きてくれればすぐわかる。」
「わかりました。じゃあ、来させていただきます。私、お礼に先生方の身の回りの手伝いとかなんでもしますから、しばらく先生のお宅にいさせてください。」
と、素子さんは、半ば号泣しながら、電話を切った。小一時間ほどして、こんにちはという声が聞こえ、杉ちゃんの家に彼女がやってきたことが分かった。
「この度は呼んでくださってすみません。田宮素子です。」
杉ちゃんの家にやってきた彼女はとても疲れているようにみえた。
「まあ、ここでは本名を名乗らなくてもいいよ。ただでさえ、お前さんは名前も名乗りたくないだろうから。何か、愛称が在ればそれでいいだろう。なんでも好きな愛称を名乗ってくれ。」
と、杉ちゃんがそういうと、
「愛称なんて、特にありません。私、友達もいないので。」
と、彼女は答えた。
「本当にないの?学生時代の愛称とか、そんなものはなかったの?」
と、杉ちゃんが聞くと、素子さんは、はい、ありません、と答えた。
「じゃあ、本当にないなら僕が決めてあげよう。よし、カッツとでも。」
「カッツ?」
「ああ、お前さんが周りのやつらと、自分自身に勝つという意味で、カッツだ。」
「なるほど、よくかんがえるねえ、杉ちゃんは。」
蘭も、そういいながら、彼女のことをカッツと呼ぶことにした。そのほうが、彼女に親しみを持てると思ったからである。
「じゃあ、私、何かしますから、なんでも仰せ付けてください。せっかく住まわせてくれるんだし、何かしないと。」
とは言ったものの、杉ちゃんも蘭も、自分の身の回りのことは、手伝ってくれる人が存在した。それは、あくまでも完了している。
「えーとねえ。そういう衣食住的なことは、間に合っているからねえ。」
と、杉ちゃんは、頭をかじる。でも、何もしない生活は確かにつまらないと思われた。蘭は、いいことを思いついた。
「よし。僕たちと一緒に大渕の製鉄所に行きましょう。と言っても、鉄をつくるところではなく、居場所をなくした人たちが、定期的に通って、勉強したり、仕事をしたりする場所です。そこで利用者の世話をする人を欲しがっていますから、それをしたらいかがですか?」
それは名案で、杉ちゃんたちは、すぐに彼女を、タクシーに乗せて製鉄所に連れて行った。詳しい事情を聞かれることもなく、カッツは手伝い人として働かせてもらう事になった。カッツは実によく動く働き者で、製鉄所の建物内の掃除だったり、庭の草取りも、丁寧にこなした。
「カッツさんがなんでもやってくれるから、あたしたち助かるわよね。」
と、利用者たちはそういうことを言っていた。
「でも、早く報道陣が静まり返ってくれるといいのにね。」
利用者がそういう事を言うほど、テレビの報道は続いていた。それ以外に、報道することはないのかと思われるほど、あの医療事故の報道が続いている。報道によってだんだんに事実が明らかになってきた。脊髄腫瘍で入院した、カッツのお兄さんは、入院した時点でもう手の施しようがないと言えるほど、進行していたという。其れでも、お兄さんは、両親になにも言わなかったようだ。妹のカッツは、家の戸を壊して暴れるほどの非行少女だったというのも報道された。其れでもお兄さんは、妹のことを気がかりで働き続けたという事実も報道されている。其れはもちろん両親や自身の生活のためでもあったけど、なんだか非行に走ったことがある妹を、支え続けた兄という報道がされてしまい、世間は亡くなったお兄さんに同情が一気に高まった。其れが相次いで報道されて、カッツはなんだか寂しそうだった。
「テレビのことは気にしないでいいんだよ。日本社会は、どうしても、働いて自分を犠牲にしようとするやつばかりに目を向けるが、お前さんだって、十分苦しんだと思うからな。それに今のお前さんは一生懸命働いてくれるから、それでいいさ。」
と、杉ちゃんはカッツにそういっておく。その日、カッツは、製鉄所の縁側の掃除を行っていた。四畳半には水穂さんが横になって寝ていたが、その近くを正輔が、かまぼこ板に乗って歩き回って遊んでいた。
「どうして、そんなに苦しんだんですか?容姿が良くなかったとか、そんなことはなかったと思いますけど。」
水穂さんが、彼女に聞いた。
「どうして、そんなことをしてしまったんですか?」
「理由は、私にもよくわからないんです。単に試験の答えを、隣の席の子に教えてあげただけなのに、それで何か嫌がっていた人がいたみたいで。それで私は、なんだかもう世の中がいやになったみたいで、大暴れみたいになっちゃったのよ。」
「そうですか、理由なんて言わなくて結構ですよ。あなたがつらかったことは、ちゃんとわかっていますから。あなたは、これからも、お兄さんを殺した悪い奴とされてしまうのかもしれませんが、すくなくとも、この製鉄所には味方がいると思って、頑張って生きてください。」
彼女が、そう話すと、水穂さんは、静かに言った。
「大丈夫ですよ。お兄さんだって、きっと見てくれるでしょうし、背中の朱雀も、見守ってくれますよ。」
小さなフェレットの正輔が、カッツの体にすり寄ってきた。カッツは、彼にしっかりと餌をやるのも忘れなかった。
「このフェレットちゃんは幸せね。ちゃんと、杉ちゃんたちが、世話をしてくれているんだし。三本足であっても、しっかり面倒見てもらえるんだから。私は、お兄ちゃんに支えてもらうしかない、悪い人。お兄ちゃんは、私のために、足を棒にして働いてくれたけど、私は、それにこたえて、立派な女性にならなきゃいけないっていう、気持ちに押しつぶされそうで、もう疲れちゃった。おまけにテレビがこんなふうに報道するから、余計に私は悪い人扱いよ。」
「そうか、それが、あなたの本当の気持ちなんでしょう。」
と、水穂さんはそういった。お兄さんだけに、負担をかけてと、彼女は、さんざん言われてきたのだろう。ご両親もそれにこたえることができなかったのだ。いや、そういうことではなく、両親はお兄さんばかりに目を向け続けたのかもしれない。
「その気持ち、誰かにぶつけてみてください。今は、本を書くとかそういうことまでしなくても、投稿サイトでも色いろありますし、あなたの言葉を待っている人が、いるかもしれませんから。其れが、お兄さんに対するあなたの償いなのではないでしょうか。」
と、水穂さんは、にこやかに笑った。
「そうね。確かに、報道されても、きっとお兄ちゃんに対しての評価はぐんぐん上がるけど、私はずっとダメな人で、生き続けなければだめなんでしょうね。でも、私は大丈夫だってこと、お兄ちゃんに知らせてやらなきゃだめよね。」
と、彼女つまり、田宮素子さんは、そういうことを言った。小さなフェレットの正輔が、彼女の体にすり寄ってきた。素子さん、今はカッツと言われている彼女は、そっと彼の体を撫でてやった。
正輔君また大活躍 増田朋美 @masubuchi4996
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