第11話 藤の花は経緯を語る

「――あれ?」

 友人が暇そうにベンチに座っているのを見た。用事があって今日は一緒に帰ることはできないと、ケータイに連絡が入ったのを確認したばかりであった。


 にも関わらず、友人はベンチに深く腰を下ろして座っている。暇をもてあそんでいるのか、上機嫌なのか、時折風に運ばれる鼻歌がこちらへと届いている。


 事情を知らなければ絵になるであろう光景を、少年は不気味な感情で見つめていた。

 この友人はどんなに上機嫌でも、鼻歌を歌うだろうか?少なくとも少年が持つ友人のイメージにはない。静かに思案にふけるように座ることはあっても、上機嫌に微笑んで座っていることはない。


 では、あそこに座っている友人は誰だ?その疑問が、目の前の光景を不気味に変える理由だった。

 先輩でも呼ぶべきか、迷った。だが先輩は進路のことで現在進路指導の先生と話し合いをしているため、わざわざ呼ぶのは気が引けた。他に相談できる人はと考えて、彼のことをよく知る後輩の顔が浮かんだが、連絡先を知らないのでどうしたものかと思い悩む。


 とりあえず近づいて様子を伺おうとしたところ、こちらに気が付いたのか、目が合った友人はとびきり嬉しそうな顔をして手を振った。

「え、誰?」

「ひどいことを言うのう。この顔を忘れるとは薄情な人間じゃな」


 いや、本当に誰だ?


 話し方も仕草も違う友人の顔をした誰かを、少年は後退りながら見つめる。

こちらの違和感に気が付いているのか、誰かはからからと楽しそうに笑いながらこちらに来いと手招いた。

「安心せい。取って食いはせん。宿主が今、用があってわしが表に出ているだけじゃ」

「え、宿主って――」

 もしやと思い、声をあげようとしたが、その声はこれ以上口から出ることがなかった。急に背後から「あー!」という大声が響いて、誰かが駆け寄ってくる気配がしたからだ。


「先輩!そこどいてっす!」

と、聞いたことのある声で振り返る。そこには友人の後輩がいた。

 後輩は走り寄ってきたかと思うと少年を通り過ぎ、友人の方へ行く。そして勢いのまま友人めがけて蹴りを入れようと、足を後ろへ大きく振り上げた。


「やれやれ、とんだ邪魔が入ったものだ」

 突然殺気立ててやってきた少女に、友人の姿をした誰かは肩をすくめる。

 そして、後輩の蹴りが入る前に、友人の前に壁のようなものができ、後輩の足はその壁に沈むだけに終わった。

 その壁は、蔓のような植物が、網のように何重にもなった壁だった。存外柔らかいのか、後輩の足は壁に沈み、巻き付いて少女を離さない。


「言っとくが小娘よ。その蹴りが入っていたらわしだけではなく宿主も最悪死ぬぞ」

「ならさっさとその体先輩に返せよ!フジナダ!」

 植物に巻き付かれた足を乱暴に引きながら少女は言う。

 その少女の言葉に呼応するかのように、友人の足元から植物が生え、友人の足に腕に絡みつくように伸びていく。植物は肩からさらに上に伸び、葉が茂り、薄紫色の花を咲かせて、友人の顔を少し隠すようにして垂れ下がった。


「藤の花……」

「左様。この男に寄生している植物。名はフジナダだ」

 よろしくとばかりに手を指しでしてくる友人、もとい藤の花に少年は若干困惑しつつも差し出された手をつないで握手を交わした。


「えっと、俺は……」

「あぁ、名乗らずとも良い。宿主を通して知っておるからの。お主といい、そこの小娘といい、宿主といい、花に縁がある名の者ばかりが集うの」

「あと先輩も、下の名前が花の名前だったりするよ」

「は、4人ともとは。なんとも奇妙な縁じゃ」


 からからと小気味よくフジナダは笑う。少年はどう反応していいか分からず苦笑いをするしかなかった。


「それで?先輩に体をいつ返すんだよ?」

 一通りの自己紹介が済んだところで、本題とでも言うように後輩が話に入ってきた。

 乱暴な口調に少年は多少面食らったが、恐らくこちらの方が素なのだろう。フジナダは「相変わらずせっかちな奴じゃのう」と呟く。


「まぁ、それは、あちらとの話し合いが終わるまでじゃろうな」

 そう言ったフジナダが向ける視線の先を追う。ベンチの足元にシロツメクサの花が咲いていた。

 少年はポケットから依然作った植物の声が聞こえるイヤホンを取り出して耳に装着した。友人の声と、もう1つ、誰かの声が聞こえてくる。ただ、どちらもとても小さな声で、少年には聞き取れなかった。


「そこのシロツメクサはの、つい先ほどまで人間だったのじゃがなりかわられての。突然の出来事で途方に暮れとったところを、宿主がどうにかしたいと思ったらしくこうしてわしに体を預けて今話し合っているところなのじゃ」

「まーた先輩はそういうことする~」

「小娘は嫌かもしれんがもう少し待っておれ。時間つぶしにお主の恨み言くらい聞いてやろう。最も、わしはいつでも話ができるお主よりそこの小僧と話がしたいがの」

「え、俺?」

 言われて少年は困惑気に自身を指でさす。こちらとしては聞きたいことはあるが、あちらからもとは思っていなかった。


「そう、そうじゃ。小僧。今ならあのわしを冬に薬でこき使った先輩もおらぬ。お主から強く香るワスレナグサの理由も聞けるというものよ」

「ワスレナグサ?」

「そうじゃ、きっと何かあってその香りを纏っているのじゃろう?ほれほれ、先輩には言わぬから教えるといい」

 確か自身の母親が育てているのを見たことがあるが、去年の話だ。今は育てていなかったように思う。フジナダの言葉からして今も香っているのだろうが、少年には分からなかった。

「えーと、母さんが去年育てていたけど……」

「違う。そういうものではない。だが、その様子だと……なるほどの。それは忘れぬようにしている訳ではないのだな。――いや、妙なことを聞いた。忘れても構わん」

 未だ首を傾げる少年にフジナダは首を横に振る。そして何事もなかったかのように笑い、少年に向かってひらひらと手を振った。

「まぁ、わしの質問は良い。お主にもわしに聞きたいことがあるじゃろう?答えられるものなら答えるぞ」

「えーと、じゃぁ……」

 困惑しつつも促されるままに少年は質問する内容を考える。色々と聞きたいことが確かにあるのだ。

 少年は少しの間視線を地面に落としていたが、やがて顔を上げて口を開く。


「どうして寄生しているのか教えてほしい」


 一番に聞きたい、かねてより気になっていた疑問だった。元はなりかわられたはずだったのを面白そうだからという理由で寄生された状態に落ち着いたところまでは友人から話を聞いている。いや、だからこそ疑問だったのだ。一度なりかわったというのに寄生しているのだ。面白そうというのは、何かしらきっかけがあってそう感じなければ理由として出てこない。そのきっかけが少年は知りたかった。


「――そうじゃな。端的に言えば、人というものを知りたかった。これに尽きる。」

 フジナダは少年の質問に少しの沈黙の後、そう答えた。


「元々人になりたくてなりかわったのじゃが問題があっての。人の心の機微や体の動かし方などが分からなかったのだ。観察して完璧に真似ていたつもりじゃったが足りない部分が多かったようでな。実際に宿主となりかわった後、宿主の親族から言われてしもうての。“お前は誰だ?なりかわった植物ではないか?”とな」


 それは体の動きで指摘されたらしい。人と同じように歩いているように見えて、きちんと歩いていなかった。右手と右足を同時に前に出していた。足を必要以上に上げたり、かと思えば、引きずるようにして前に出していない方の足を直立するための位置に戻したりとしていたらしい。他にも、話し方、話の間の取り方、仕草など、どれをとっても友人とはほど遠い物真似で、だからこそ友人をよく知る人間たちにとって、より奇妙に映ったのだろうとフジナダは当時のことを思い出すように視線を泳がせながら説明してきた。


「こうなると、外側から観察するだけでは足りないと思っての。ちょうど良いところに交渉する材料もあったことじゃし、なりかわるのではなく寄生すれば感覚がつかめるにではと思うての。何より宿主がなかなかに興味深い人間じゃったこともあるが。まぁ、そんなところで宿主とそこの小娘にもちかけたというわけよ」

 ずっと静かに話を聞いている後輩の方へ視線が行く。彼女はやはり何かを言うわけでもなく、ただ、苦々しい表情をして地面に視線を向けている。


「小娘にとっては嫌な話じゃろうて。自分のせいでなりかわられた挙句、交渉の材料に使われるのじゃから恨まれても仕方がないというものよ」

「え……」

 少年はフジナダの言葉に絶句する。交互にフジナダと後輩へ視線を向けるがどちらにも視線が交わることはない。未だ視線を地面に向け、こぶしを強く握る少女と、先ほどまで浮かべていた笑みを消してただ淡々と少女の方へ視線を向けるフジナダがいるだけだ。


「……なんで?」

 やっとのことで少年が出せた発言はそれだけだった。聞いていいのかいけないのか、恐る恐る小さなかすれた声で呟くように言うしかなかった。

「――運が悪かったんすよ……」

 少女は言う。怒りと悲しみと、いくばくかの諦めを混ぜこぜにした声音で。

「先輩の叔母さんが、先輩を殺そうとした。自分じゃ止められなくて助けを求めても周りに人がいなかった。それだけだったんすよ」

「小娘は知っていたからの。その気になれば植物もその場から動くことができることを。最終的に助けを求めた先が目の前にいるわしを含めた植物たちじゃった。そしてあそこで一番に動けるものがわしじゃった」

 その言葉を皮切りにフジナダから説明された。友人の叔母は友人に対してひどい執着を見せていたこと。特に女性とかかわろうとすると友人に手を挙げていたこと。それを問題視した友人の両親がなんとか逃げ出そうとしてこの町へ引っ越してきたこと。しかし居場所がばれてしまい見つかったところが目の前にいる後輩と一緒に遊んでいたところだったこと。そして――叔母から殺されそうになる友人と助けを求める後輩を見て助けた対価と称して理不尽に友人となりかわったこと。


「――叔母の話は宿主に寄生してから聞かされた話じゃ。当時のわしはそんな事情は知らんかったし興味もなかった。ただ助けを求めた対価としてなりかわることのできる、ちょうどいい存在にしか思ってなかったからの。」

「その後も最悪だったしな。お前」

「そうじゃのう。ほかの植物から始まりを多く集めた植物であれば宿主を元に戻せるかもしれないと聞いて探し出した実をわしが奪い取るわ、挙句、本来ならすぐ動けぬはずなのに動いて小娘を守ろうとした宿主にこのまま抵抗するなら小娘も殺すと脅しをかけたしのう」

「うわ……」

「いやー、当時のわしまじひどいやつじゃったと思うとるわ。そこの小娘に殺されかけるほどの恨みを持たれても仕方あるまい」

 そう言って笑うフジナダを見て、少年の眉根にますます皺が寄った。悪気はあるようだがこうして笑うのだ。人と感性がずれている。人の心が分からないというより、理解はできているが共感が出来ていない。どれほど人の形をしていてもこれでは人とはほど遠い。


「何より、面白かったのはその後の話よ。小娘と始まりを集めた植物の実を交渉材料に話を持ち掛けたら、何と言ったと思う?あやつ、小娘が無事なら自分はどうなってもかまわないと言って簡単にこちらの交渉に合意したんじゃ」

「――彼らしいね」

「あぁ、じゃがわしはそんな理由で自身を差し出すとは思ってもみなかったのでな。とても興味深かった」

 だからこの体に今も居残っているのだとフジナダは言う。後輩からは何度出ていくよう頼んだし自分や他の人間に寄生する案も出したがダメだったと後付けされた。どうやらフジナダは友人をかなり気に入っているらしい。

「人はピンチの時に本性を現すと言うらしいの。そういう意味では、宿主はとても心根が優しい人間なのだろうて。こちらからすれば体のいい寄生先よ」

 その言い方はどうなのだろう。少年としてはあまり気分の良い物言いではなかった。

困ったことにこれはフジナダにとって褒めたつもりの言葉だったようだ。だが、体のいいなどと言われて、褒められたと思う人間はいない。


「――体のいい寄生先とは心外ですね」


 ふいに友人の声がした。気が付けば体の主導権が変わっていたらしい。先ほどまでの感性のずれた笑いとは打って変わって苦笑ともいえる表情が浮かんでいた。

「確かに脅しにうちの後輩を使われたからというのもありますが、助けてもらったことには変わりないので……感謝はしているからこの状態なんですよ」

「だから体のいい寄生先とわしから言われると思わんのか、宿主よ」

 友人の言葉に、友人の頭の上で咲いている藤の花がざわりと揺れて呆れたような声を出す。少年が驚いたことに気が付いたのかフジナダは、「その気になれば植物はそのイヤホンなしでも喋れるぞ」と笑われてしまった。よくよく考えれば桜の木に花を咲かせた時、確かに桜がしゃべっていたのを思い出した。あれは死んだ女生徒の声と言葉なので、カウントしても良いかは疑わしいが。


 それよりも少年は友人の方が心配だった。

「えっと、大丈……」

「先輩!こっちには危ないことすんなって言っておいて何やってんすか~!」

「あー……、それに関しては大変申し訳なく思ってます」

 少年が友人に安否を確認する前に後輩から抗議の声が上がった。さえぎられてしまったのは困ったがこの様子だと問題ないようだ。普段ならどこか淡々としている友人が珍しく、ひどく気まずそうに視線をそらしながら後輩に謝罪をしている。


 フジナダはやれやれと言いたげに葉を揺らした後、するすると友人の体に戻っていく。

「話したいことはまだまだあるがそろそろ時間じゃろう。また今度話をしようぞ、小僧」

 こちらの挨拶を聞くことなく、フジナダは姿を消した。


「フジナダの相手をしてくれてありがとうございます」

「あ、ううん。大丈夫」

 友人からお礼を言われたところで、校舎の方から下校時刻の鐘がなる。そろそろ先輩も、進路指導の先生と話を終えてこちらにやってくるだろう。もしかすると、フジナダは先輩に会いたくないからさっさと引っ込んだのかもしれない。なんとなくだが、少年はそう思った。


「そう言えば、なりかわられた生徒はどうなったんすか?」

「このままなりかわったままで良いらしいです。なんでも、植物の方が生きやすそうだから、と」

「……それなら仕方ないっすね」

 シロツメクサの方に全員が視線を向ける。実際に動いたわけでも、話しかけてきたわけでもないが、風に揺らされるシロツメクサの様子はどこか申し訳なさげだった。

「“ご心配をおかけしました”だそうっすよ」

「そっか……」


 選択をしたのなら自分たちがこれ以上、とやかく言う必要はないだろう。少年は遠くで手を振っている先輩に気が付いてそちらの方へ歩き出す。


「お待たせ、後輩くん。面白いことでもあった?」

 先輩の質問に「色々と」だけ言って振り返った。友人たちはそのまま帰るのか、手を振っている。少年も手を振り返せば二人はそのまま校門の方へと歩いて行ってしまった。


「話すと長くなりそうなので、帰りながら言いますね」

 少年は先輩の方へ向き直って、そう言った。

 夕方というのにまだ明るい景色を背に、少年は歩きながら先輩に、先ほどの話をし始めた。

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