第7話 橘の実を食む
『ミカン、いりませんか?』
と、唐突に友人からメッセージが届いた。
詳細を聞くと、瀬戸内に住む親戚から大量に送られてきたが、食べきれないので貰って欲しいとのこと。
両親に相談すれば嬉々として欲しいと言われ、その旨を友人に連絡した。
12月31日。今年最後の日の朝のことだった。
「――いくらなんでも多すぎると思うんだけど?」
「安心してください。家にはあと5箱くらいあるので」
「わー……」
夕方、大きめの箱いっぱいに詰まったミカンを持ってきた友人に感想を述べると、そんな言葉が返ってきた。
「今年はかなり豊作だったんですが、その分訳ありミカンも結構な数出てしまったようで……。売り物にならないからと言って送ってきたんですよね」
「うーん、ありがたい話ではあるけど、儲けてるのか不安になるね」
「ああ、そこは大丈夫ですよ。普段であれば1個1000円くらいするブランドものなので」
「……それをただ同然でもらうの、申し訳ないからお金払うね」
なら、1箱1000円でと言われ、もう少し出すと言ったが、首を横に振られた。それなら味の感想と周りに宣伝してくれと頼まれた。
「あぁ、そうだ」
思い出したかのように友人は手に持っていた袋を差し出す。
「これはあの先輩と一緒に食べてください」
袋を受け取って中身を確認すると、ミカンが入っていた。
「……追いミカン」
「ミカンというより橘ですね。ヤマトタチバナ。酸っぱいのでマーマレードジャムとかにした方がいいかと」
「なんでこれを?」
「何と言うか、まぁ、当たりが入っていたので」
当たり?と訝しげに友人を見れば、「先輩が教えてくれると思いますよ」と、言葉が返ってきた。今ここで答える気はないようだ。
「それでは、良いお年をお過ごしください。私はこれから他のとこにミカン配り歩いてくるので」
「あ、うん。良いお年を…」
手をひらひらと振って去っていく友人に、何か言いたかったが、特に何も浮かばず、良い返しもできずに見送った。
*****
「先輩、あけましておめでとうございます」
真夜中。少年は父親に頼み込んで車で小一時間するところの神社に来ていた。
除雪はある程度されていたものの、それなりに積もった雪に四苦八苦する羽目になり、到着したころには既に0時を迎えていた。天気予報では今冬は暖冬だと言っていたのに。日付が変わる瞬間を先輩と共に過ごせなかったことが悔やまれる。
先輩はというと、誰かと一緒にいる様子はなく、鳥居の前で少年を待っていた。
少年の姿を見て、先輩は微笑む。
「あけましておめでとう、後輩くん。後輩くんのお父様も、あけましておめでとうございます」
「いえいえ、こちらこそ、うちの息子が迷惑をかけてるようで」
和やかに返される挨拶だが、少年は少しだけ恥ずかしいのか、後で合流するからと父親の背中を小突く。父親は少年の心境を察してか、「お父さんは適当に屋台で買い物しているから、何かあったら連絡しなさい」とだけ残して去っていった。
田舎の中では大きい方の神社であるだけあって、神社の境内には屋台が立ち並んでいる。それが外まで続いているのだから、壮観だ。普段であれば賑わいもない静謐な空間が、この時だけは活気に満ちている。
まだ参拝を済ませてなかったので、少年は先輩と共に社の前に来ていた。ほとんどの人間は年明けとともに済ませているのか、今はまばらに人だかりが出来る程度だった。
賽銭箱に百円玉を入れ、二礼二拍手一礼をして願い事を心の中で唱えた。
先輩から「何をお願いしたの?」と聞かれたが、恥ずかしさもあり適当に学業成就を願ったと言った。
その後、お守りを頂に行こうかと思ったが、こちらはかなりの人だかりで、バイトらしき巫女装束を着た人たちが慌ただしく行ったり来たりをしていた。流石にあの人だかりの中に紛れるのは抵抗があったので、諦めて近くの屋台から温められた甘酒を買って、神社の隅で飲むことにした。
「あ、そうだ。先輩」
一通り落ち着いたところで、思い出したように持ってきた袋を先輩へ渡す。中には友人から貰い受けたミカン類が入っている。
「あら、これ良いミカンじゃない。貰うのはなんだか心苦しいわね」
袋の中身を確認した先輩が声を上げた。見ただけで品種がわかったのか、驚きと、嬉しさの混じった声音に少年は、良い仕事をしてくれた友人に、心の中で親指を立てる。
「それ、友達から貰ったんですよ。親戚から沢山貰ったからって」
「なんだか悪いわねぇ。また今度お礼でもしようかしら」
あの友人の調子だと首を横に振りそうだ。貰い受けた時のことを思い出して少年は苦笑する。
そう言えば、当たりがあると言っていたが、あれは何だったのだろうか。ふと、疑問に思ったところで、先輩が何かを見つけた。
「これ、タチバナね」
「らしいですね。マーマレードにした方がいいとか言ってました」
袋の中にもう一つ、別の袋を入れていたことに気付いたらしい。友人から言われたアドバイスをそのまま伝える。
だが、先輩の反応は思っていたものと違った。「そう言うことじゃなくてね」と言った後、人通りの少ないところへと案内される。
「何かあったんですか?」
「このタチバナ。普通のヤマトタチバナじゃなくて、多分非時香果よ」
「ときじくのかぐのこのみ…」
聞いたことがある。確か古事記だったか日本書紀だったかに記されている食べ物の名前だ。
「って、普通にタチバナじゃないですか」
記憶をたどっていくと「是今橘也」という一文を思い出し、いったい何が違うのかと少年は思う。眉根を寄せている少年に先輩は「それはそうなんだけどね」と言った後、補足説明を行った。
「確かに古事記に書かれているのは今の橘って事になっているけど、本当は違うのよ。見た目はとてもよく似ているし、誰かが知られると不味いと思ったから、今はそう言う風になっているというだけなの」
「つまり、古事記に出ていると非時と、今言われている橘は別物ってことですか?」
「えぇ。そもそも非時って名前も本当ではないの。多くの始まりを集めた植物を日本ではそう呼んでたと言うだけ。姿も形もないその植物を、無理やり姿を形を与えたものがこれなのよ。」
そう言って、先輩は袋からタチバナを一つ取り出した。暗い夜の世界で、うすぼんやりと光るそれは、確かにミカンと同じ形をしているが――どうしてだろう。きれいだというのに、何故かひどく薄ら寒いものを感じてしまうのは。
「多くの始まりを集めったって、言いましたけど、どういう意味なんです」
「始まりというとピンとこないかしらね。命そのものだと思えば良いわ。全ての物事に始まるがあるように、命にも始まりがある。その命の始まりを集めたもの」
「それが、非時?」
先輩の首が縦に動く。少年は言葉の意味を飲み込んでいくうちにとんでもないものを貰ってしまったと冷汗が出始めた。寒い夜だというのに、気持ちの悪い汗が出て仕方がない。
友人は「当たり」と言っていたが、これがもしそうだとしたら、なぜこんなものを少年に渡してきたのだろうか。そもそもこれがどんなものか友人はどこで知ったのか。疑問が次々と湧いてきて、どんな感想を言うべきか見当もつかない。からからに乾いた喉が水を求めるが、手にある甘酒を飲み込む気持ちにはなれなかった。
「古来からこの植物は色々な姿形を変えて、様々な名前で呼ばれていたわ。ムベ、フロフキ、バントウ。他にもソーマという薬に入っている植物の汁も、『始まりを集めた植物』からだと考えられてるわ」
にわかには信じられない話だった。そもそも、『始まりを集めた植物』などというオカルトな話を信じろというほうが無理な話だ。
だが、少年は知っている。このようなことはさして不思議ではないことを。架空の出来事ではなく、本当に存在し、こうして目の前にあることを――。
「……なんであいつは、これをくれたんですかね?」
「分からないわ。今度直接聞いてみましょう」
それよりも、この実をどうするか考えましょう。と、先輩は言う。とはいえ、少年に思いつくことは一つしかなかった。
「食べますか?」
「……後輩くんのそういうところ、嫌いではないわ」
「あ、もしかして食べちゃダメなやつでした?」
「ううん、そういうわけじゃないのよ。食べれば不死……は、怪しいけれども、不老長寿は間違いないなしね。それ以外で使うこともできるけれども」
例えば、それこそ、新しい命を作ることが出来る。
その言葉を皮切りに先輩から他に様々な使い道について教えてもらったが、少年にはさして興味のないものだった。不老不死についても実は興味ない。やばいものを貰ったという実感だけはあるが少年にとって所詮ミカンはミカン。美味しく腹の中に収めてしまえば良いのでは?という気持ちがある。
そうして、あれこれと話し合った結果、二人で食べることになった。
「あ、でも、友人が言ってた通りなら酸っぱいんですよね?ならやっぱり他のミカンと合わせてマーマレードにした方が良かったり……?」
「とりあえず食べてみましょうか。このままだとどんな味がするか興味あるもの」
少年の疑問に先輩はとりあえずと言って、タチバナを剥き始めた。うすぼんやりと光っていたのは実の方だったらしく、皮の下からきらきらと輝いた実が出てきた。
「……眩しい」
「他の人が来ちゃう前に食べましょう」
暗い中では殊更よく光るので、少年はつい目を細めてしまう。ふわりと柑橘系独特の香りが辺りに舞う。光り輝く以外は特に他のタチバナと変わらないようだった。
一房。取り分けられたタチバナを先輩の手から貰って口に運んだ。味は、酸っぱいミカンの味がした。
「……普通にミカンですね」
「えぇ、酸っぱいミカンね」
しばらく二人で残りを分け合って食べた。食べ終えたところで特に変わった様子はなかった。たくさんの始まりを集めたというが本当にそうなのかと疑問すら思う。
口の中の酸味に耐えきれず、少年は残っていた甘酒を仰いだ。酸味のせいで、余計に甘みを感じてしまい、むせる。
「お水の方がよかったかしら?」
「そうですね……」
落ち着いたところで先輩の手元を見ると、タチバナの皮が未だ手の中にあった。よくよく見ると種が転がっている。
「種あるんですね」
「えぇ、元は普通のタチバナと一緒みたいね」
そう言って先輩は手に持っていた種に向かって、二、三、何かつぶやいた。
種はニョキニョキと芽を出して、枝のように細く小さな気を作る。しばらくすると花が咲き、実ができた。人差し指の第一関節ほどの大きさもない、小さな実だ。
出来上がった実が光り輝くことはなかった。ただ小さなヤマトタチバナが出来ただけだった。
「種を育てれば非時の実が出来るのかと思っていたのだけれど、違うみたいね」
興味深そうに手に生えたミカンの木を眺めながら先輩はそう言った。成り行きに満足したのか先輩は、雪が未だ覆う地面にそっと置いて、適当に埋めたことにした。
「不法投棄……」
「大丈夫よ。どうせ明日には土に還ってるわ」
そういう物だもの。先輩はそう言って、また甘酒を飲みに行こうと少年を誘う。
少年はもう少しだけ、先ほど植えたタチバナの木を眺めた後、先輩と一緒に屋台の方へと向かった。
*****
『あけましておめでとう。ミカンありがとう。あと、あれ、なんで俺に渡してきたの?』
あの後、先輩と少しだけ屋台を回って、流石にこれ以上の夜更かしはやめておこうとなり、お互いに家に帰ることになった。
少年は、家についた途端さっさと寝てしまい、次に起きた時には朝の9時近くになっていた。
そこでふと、友人には挨拶のメッセージを送っていないことに気が付いた。ついでに聞きたいこともあったので、とりあえずメッセージを送って返信を待つ。
しばらくしてから、返信が来た。
『あけましておめでとうございます。あれはうちの植物が他人に渡したらどうなるか気になるから渡せと言われて実行しました』
どうやら友人の意志ではなく、友人に寄生している植物からの命令だったらしい。
ちなみに、どうなったかと聞かれたので食べたと連絡を入れると、文面からでも分かる大爆笑をされた。願い事なども考えず食べたことが大爆笑する理由らしい。
『あれは願い事を考えながら食べないと、意味がないんですよ』
と、説明された。何も願わなかったら、怪我も病気もしない健康的な生涯を送るだけで終わるどうだ。多くの始まりを集めたと大それた存在のくせに、願いがなければその程度で終わるとは、何ともよくわからない話である。
それよりも、気になることが一つある。その後に続いた文章に、
『半分こしたというのなら、もう一つの方はどうしたんですか?』
と書かれていたことだ。
非時の実は二つあったことを、少年はこの文章で初めて知った。
もう一つは、おそらく先輩が持って帰ったあの袋の中にあるのだろう。
見つけた時には気付かなかったのか、気付いてあえて黙っていたのかは知らない。先輩なら悪いようには使わないだろうと思っている。だから大丈夫だろう。何も心配はない。
それでも、あの先輩が何を願うのか、気になって仕方がないのだ。
彼女自身の願いだろうか、それとも、もっと別のことに使うだろうか。もし使うのなら、教えて欲しいと思わなくもない。それが自分たちのことに関係する場合はなおさらだ。自意識過剰だと笑われるかもしれないが、もしかして、と、思ってしまうのだ。
年明け早々できた疑問を解決するべく、少年は電話の通話ボタンを押した。
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