第6話 ポインセチアを踏みつける(下)

 ――翌日。友人は学校に来なかった。


 朝のホームルームで彼が欠席であることを知らされた。何かあったのかと思い、ケータイでメッセージを送ると、昼休憩に指定の場所まで来てほしいと返信があった。


 嫌な予感がして、昼休憩に入るや否や、言われた場所に行くと、友人が立っていた。


 右目に花を咲かせて。


 その花は昨日のポインセチアだった。緑の葉と、赤々とした苞が、遠目でも分かるくらいに主張している。

 友人は面白くないとでも言うように、口を引き結んで立っていた。


「何それ?」

 一応確認のために聞いてみる。

「昨日のお返しらしいですよ。邪魔だし見え辛いし、引っこ抜こうにも根が頭に伸びてきて下手したら死ぬので取れないし、本当に性格の悪い花ですね」

 恨み言を込めて返された。


「あー…」

 少年は苦笑することしかできなかった。いつも通りの元気さで安心したが、同時に恐ろしいことを聞いた気がする。


「どうするの?」

「枯らすのが良いんですけどね、枯葉剤飲むわけにもいきませんし」

「それ人間も死ぬやつ……」

「まぁ、だから別の方法を取った方がいいんですけど、私の知り合いも、彼らにも対処するのが難しいとのことで」


 彼の発言から、ここに呼び出された理由を理解した。確かにこれらの問題を対処できる人間に一つだけ心当たりがある。


 友人の発言の一部に気になる部分はあるものの、少年は彼の代わりに口を開いた。

「先輩に相談してってことで良いのかな?」

「話が早くて助かります」


 出来れば、今日明日でなんとかしたい。そうぼやく友人に首を縦に振った後、自身のケータイをポケットから取り出した。





*****


「なるほど、面白いことになっているわね」

「いえ、全く面白くないです」


 友人のことを先輩に軽く報告すると、「詳しい話を放課後に聞かせて頂戴」と言われた。

 放課後、言われた通りに詳細を先輩に伝えると先輩は不敵に笑ってそう言った。

 友人は盛大なため息をついて言葉を返す。


「治せますか?先輩」

「ん?んー、そうね。後輩くんの頼みだから、何としても治すわ。それよりも、気になることがあるのよね」

「気になること?」

「ねぇ、後輩くんの友人くん。普段なら君の中にいるものがそれをなんとかすると思うんだけど、何故何もしてくれないのかしら?」

「……あれは良くも悪くも気まぐれなので。このことだって興味深いと言ったきり出てきませんしね」


 あと、寒いから嫌だそうです。という言葉に、流石に先輩も苦笑することしか出来なかったようで、「ああ」と納得したような声を上げつつもその声はどこか乾いていた。


 なんの話をしているのだろう。少年は疑問に思う。友人の中にいるとは、いったい何のことなのか――。


 訳もわからず首をかしげていると、先輩が「まだ教えてなかったのね」と呟いた。

「教えるわけないじゃないですか。一応彼、一般人ですよ」

「それで嫌われちゃったら嫌だものねぇ」

 分かる分かる。友人の言葉に先輩は頷いた。


「……話を戻して、どうにかできませんか?」

「出来るといえば出来るけど、君の中にいる彼にも手伝ってもらった方が効率がいいのよね」

「ですよね……」

「大丈夫よ友人くん。そのくらいの事で後輩くんは貴方のこと嫌ったりしないわ」

「それは分かってますよ」


 だから、早くと、彼は急かす。早いことこの面倒ごとに蹴りをつけたいとでも言うように。


 話の内容を半分しか理解できない少年は、置いてけぼりの気分になった。だが、友人から生えている花を取り除く方法があることだけは分かってホッとする。


「これを」

 そう言って先輩は、小さな瓶をポケットから取り出した。中には何か液体が入っているらしく、手のひらで転がってたぷん、と音を立てる。


 友人はそれを受け取った。しばらく躊躇するように、眉根を寄せてその瓶を見つめていたが、諦めたようにため息をついて栓を開ける。


 そのまま瓶を口元へもっていき、中の液体を飲み干した。

「……不味い」

 液体の味に気分が悪くなったのか、口元に手を当てて前かがみの体制を取る。心配になって友人に近づこうとすると、先輩が前に出てきて静かに首を横に振った。


ず、


と、妙な音が聞こえてくる。例えるなら、何かが這っているような、摩擦音。


 それは、どこか湿った音をしていた。ず、ずずっ、と、小さくてもはっきりとした音が、友人の方から聞こえてくる。


 服を着ているにも関わらず、少年の目にも分かるほど、背中が、腕が、足が、ボコりと歪んで戻ってを繰り返す。

 それはまるで、彼の肌の下を何かが這いずっているようだった。不思議なことに皮膚が裂けることはなく、ゴム袋のように伸び縮みをしている。


 少年は立ち尽くすことしか出来なかった。何かが彼の体から這い出ようとする瞬間を、ただ、呆然とした顔で見つめていた。


 ずるり、と、ポインセチアが、彼の目から抜け落ちた。

 根は何かが絡み付いており、それが無理矢理その花を押し出すように体外へと伸びだしている。


 それは、植物の蔓だった。

 葉軸の左右に長楕円形のような葉が青々と繁り、葉にはポインセチアの根が絡み付いている。


 ポインセチアの方も驚いたようで、まるで首を振るかのように左右に揺れた。


 そして、そのポインセチアの動揺に気にすることなく、彼から伸びた植物は、ポインセチアを地面へと下ろす。

 下ろしきり、ポインセチアの根を絡めとっていた葉は、ゆっくりと根から抜け出し離れていった。


 直後、未だ現状を飲み込めていないポインセチアに向かって友人は、勢いよく足を上げ、踏みつけた。

 今度こそ、徹底的に、その花に止めをさすべく、容赦なく挙げた足をポインセチアに向かって。謝罪の言葉も、言い訳も、聞きたくないというように、一片の慈悲を与えるつもりはないとでも言うように。


 哀れにも踏みつけられた花の残骸は、自身に降りかかった状況を理解しきる前に事切れていた。

 それを見て満足したのか、未だ目から植物の蔓を伸ばした友人は、「清々しました」と言って、おざなりに手を叩く。感情のない気だるげな拍手が、余計に慈悲のなさを表している。


「えっと……人間、だよね?」

「失礼な、ちゃんと人間ですよ。この通り植物に寄生されてますが」

「えぇ……」


 まずはポインセチアが抜けたことを喜ぶべきだったが、出た言葉は率直な質問だった。

 正直、彼がどんな人間でも別に良かったが、あまりにも突然降って沸いた彼の秘密に、困惑を隠しきれないでいた。


「まぁ、そんな訳です。気持ち悪いのは自覚してるんで気にしないでください」

「いや、気持ち悪いとは思ってないけど、びっくりはしたかな」


 そう、びっくりしたのだ。少なくとも、今までは少し変わってはいるが普通の人間だと思っていたから。


「なんでそんなことになってるの?」

「昔、こいつに成り代わられたんですよ。で、色々あって成り代わるより寄生する方が面白そうだからって理由で元に戻って今の状態なんです」

「情報量が多い………」

「気にしたってどうしようもないですよ。そんなもんだと思ってください」


 成り代わられた経緯といい、聞きたいことが増えてしまった気がするが、今の少年では混乱するだけだと思ったのでやめておいた。


 それでも、一つ、気になることがあった。それだけは質問してもバチは当たらないだろう。


「でも、他の植物が寄生してるって、なんでこの花は気づかなかったのかな?」

 友人によって無惨な姿になったポインセチアを横目に少年は首を傾げる。


「さぁ?深く根を張っていなかったから気づかなかったんじゃないですか?こいつは心臓の方に根を張ってますし」

 恐ろしい答えが返ってきた気がする。青ざめた顔の少年を見て、友人ははたと気づいたように、「あ、心臓と言ってもほぼ完全に同化してるので、痛いところはありませんし」と、よくわからないフォローをしてきた。あまり深く考えない方が良さそうだ。


 何はともあれ、無事ポインセチアを取り除くことが出来たのだ。そこに安堵していれば良いと自分の心に言い聞かせて友人に「とりあえず、無事に取れて良かったね」とだけ言った。


「さて、問題も片付いたことだし、帰りましょうか。もう帰らないと見つかってしまうもの」


 先輩の言葉にはっとして、少年は辺りを見回した。今のところは人の姿は見えない。だが、もし、見つかればあの地獄を見ることになる。


「そうですね。帰りましょう」

「ええ、そうしましょう」

 少年と友人はお互いに頷きあって自分の通学用鞄に手をかけた。


 そうして、そそくさとその場から離れようとしたところで――。


「あ、いた!」

「先輩!お話が!」


と、いう声が聞こえてきた。


「………後輩くん、ストック何本ある?」

「………1個だけです。先輩は?」

「ゼロよ」


 ここに来る途中で全て人の手に渡ってしまったと、先輩は言った。

 友人はそもそも持っていない。

 つまり今ここいあるのは少年が持つ香水瓶一本のみ――。


「走るわよ」

「はい」

「ええ」


 自分達は今から帰るのだ。営業時間はもうとっくに終了している。

 少年達は人の声がしない方向へと、迷わず走り出す。


「え、ちょっと!先輩方!」

「逃がすな!なんとしても捕まえろ!」


 未だ入手できていない者たちが鬼のような形相で少年たちを追いかけてきた。


 冬の日の寒さを忘れて、少年たちの鬼ごっこが始まった。

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