第4話 秋桜畑で愛を叫ばされる
秋の、肌寒い朝だと言うのに、今日はいつもより騒がしい。
本来であれば、寒い寒いと言いながら足早に教室を目指す生徒の風景を見る時間だった。だが、どういうことか、皆、外や、教室の窓から乗り出して、ある一点を見つめている。
少年は何事だと言うように他の生徒の視線を辿った。
視線の先にはグラウンドがあった。普段であれば土が顔を出して、その顔を朝練に来た生徒たちが踏みつけている光景があるはずのそこには、一面ピンク色の世界が広がっていた。
少し近づいて見ると、それは秋桜だった。濃いピンクや淡いピンク色の秋桜が絨毯のように敷き詰められていた。
「あら、とてもきれいね」
いつの間にかやって来ていた先輩が、少年の隣でそう言った。
「あれ、先輩のせいじゃないですよね?」
「あら、後輩くん。いくら私が桜の花を咲かせたりしたからって、疑うのは良くないわ。私は花を咲かせる手伝いは出来ても、何もなかったところに無理やり花を咲かすことは出来ないわ」
あの子たちが勝手に生えてきたのよ。と、先輩は言う。
確かにこれだけの秋桜を一夜で咲かせるのは、先輩でも難しい。
ではやはり、先輩の言うように勝手に生えてきたのだろうか。
「奇妙なことに慣れたつもりだったんですけど、まだまだのようですね」
「大丈夫よ後輩くん。君ならすぐに慣れるわ」
先輩は笑って後輩の肩を叩いた。
少年はやや複雑そうな表情をして、
「それは、ちょっと……」
と、声をもらした。
グラウンドが使えないことが困るのか、数人の教師が草刈り機を持ってきて秋桜を刈り始めた。
それなりに広いグラウンドを、朝礼までに刈り終えることが出来るのだろうか。すでに朝礼までの時間は30分もない。
「さ、遅れないうちに教室に行きましょう」
先輩はそう言って歩き出した後、思い出したかの立ち止まって、
「あぁ、そうだ。後輩くん。しばらくはグラウンドに近づかない方が良いと思うわ」
と、忠告してきた
「近づかない方がって……」
なんで?と言おうとして、口をつぐんだ。
こういう忠告をしてくるときは、大抵すぐに意味が分かる出来事があるのだ。
*****
――思っていた通り、先輩の忠告の理由はすぐに分かった。
朝に刈り取られたはずの秋桜は、昼休憩には再び顔を出していた。まるで無駄なことをと嘲笑うように、美しい花を咲かせている。
それだけでなく、グラウンドには沢山の人が、秋桜の絨毯の中に立っている。
彼らはどういうわけか二人一組になって、お互いに向き合うようにして立っている。
そして――、
「好きです!付き合ってください!」
と、一斉に告白大会を始めるのだ。
「何を見せつけられてるんですかね。私たち」
教室で昼食をとっていた友人が、窓を見ながら突然そう言った。
「一斉告白大会?」
「そのまんまですね。それより、見てくださいよ」
そう言われて友人が指差した方を見る。
可愛らしい女性が美人の女の先輩に告白していた。
「可愛い方の生徒さん。確かこの前サッカー部の先輩に告白して付き合い始めたってこと、知ってます?」
「興味なかったから知らなかった。というかそれなら、そのサッカー部の先輩、走って止めに行かない?」
そう言うと友人は静かに首を振りながら別の方へ指をさした。
そこには別の女性に告白している姿がある。
「うわぁ……」
「どうも、あの花畑に近づくと、その場にいた人間の中からランダムにくっつけられて告白するはめになるみたいですね」
なんとも迷惑な話だと、友人は肩を竦めた。
確かに、これほどはた迷惑な話はないだろう。
少年は花畑の中に先輩がいないか確認した。しかし、よくよく考えれば、忠告してきた人間がわざわざあの世界の中に飛び込むことはないだろう。
「そういえば、午後は体育でグラウンドを使うはずでしたけど、どうするんでしょうね?」
思い出したかのように友人はそう言ってきた。
「――無理やりでもグラウンド使うって言ってきたら嫌だね」
そうなったときは仮病を使って逃げよう。
少年はそう思った。
放課後の校舎の中、少年は歩く。
すでに日は傾いて、夜を迎えようとしているのを横目に、少年は歩いていく。
ケータイのメッセージに従って、少年はある場所を目指していた。
目的の教室は、すでに誰かがいるのか、煌々と電気が点いている。他の教室が真っ暗なだけに、存在の主張が激しいと感じる。
少年は躊躇することなく教室の中に入った。中には先輩がいて、窓の外を眺めている。
「ねぇ、後輩くん。あの子達、どうしたら良いと思う?」
先輩はこちらに振り返らずに聞いてくる。
少しだけ困ったような色が滲んでいるのは、気のせいだろうか。
「あの秋桜が咲いた目的でも分かったんですか?」
少年は先輩の問いに答えない。代わりに少年から質問を返す。先輩はこちらに振り返って頷いた。
薄暗い、秋桜の花畑が見える景色を背景に、先輩は立っていた。
そして、
「素敵な恋が見たいそうよ」
と、言った。
「は?」
「だから、秋桜が、素敵な恋が見たいですって」
「えぇ………」
だからと言って、一斉告白大会になるのは………。いくら人間の文化や心を知らない植物でもいかがなものか。少年は頭を抱える。
「――こっちからしたらめちゃくちゃ迷惑な話じゃないですか」
「本当に困ったわねぇ」
よくよく見れば先輩は楽しそうに笑っていた。
面倒事が好きな先輩が、珍しく困っていると思えば、違っていた。これは困っているのではない。楽しんでいるのだ。少しでも自分にとって楽しい展開にするにはどうすれば良いか考えて悩んでいるのだ。そしてそれを悟られないようにして、笑みがこぼれないようにして話をしていたから結果として困っているように聞こえたのだ。
「素敵な恋を見たら彼女たち、すぐ枯れてくれるとは思うのだけど」
「抽象的過ぎて分かりません」
そもそも、素敵な恋ってなんだ?と、少年は思う。ああやって無理やりにでも誰かを繋げたところで、素敵な恋になるのだろうか。
「それが満足のいくものじゃなかったから私に目的を教えてきたんでしょ」
心を読まれている。いや、顔に出ていたのか。分かりやすいとでも言うように先輩は少年を見て笑う。悔しそうに顔を歪めると「後輩君はかわいいわねぇ」と、茶化された。ますます悔しい。
「――それにしても、素敵な恋って、どうするつもりなんです?」
閑話休題。これからどうすつもりであるのか、先輩に確認することにした。顔に感情が出やすいことを下手に色々いじられるより気分は幾分楽だと思ったから。
「うーん、正直素敵な恋を用意してほしいといわれてもこればっかりは難しいのよね。だから彼女たちにグランドみたいな邪魔になるところは退いてもらって、そこで素敵な恋を見つけてもらおうかと思ってて」
「なるほど。交渉するつもりだったんですね」
「そうなの。ただ私達とは常識も考え方も違う彼女たちが理解しているかどうかが不安なのよねぇ」
「とりあえず話しかけてみないとどうしようもないですね」
そう言って少年は扉の方に向き直る。さっさと交渉して今の状態が改善されるならそれが良いに越したことはなし、もし仮にあちらが立ち退きを了承しなかったとしてもその時別の方法を考えれば良い。
「あ、ちょっと、後輩くん」
先輩の制止する声を少年は聞かず、廊下を歩いて外へ出る。
正直あまり先輩をあの花畑へ連れて行きたくなかった。例えある程度耐性があったとしても、あの花たちによって先輩が誰かに告白するのではと思うだけではらはらした。しかもそれが自分に対してでなかったら、恐らく自分は泣くだろう。告白自体が 偽りのものだとしても、耐えられるほど自分の心は強くはない。
焦っていた。一刻も早くどうにかできるならしなければならないと。だから、彼自身、この行動がうかつだったことに気が付いていなかった。
外に出るとピンク色の花畑があたり一面に広がっていた。グラウンドが使えないことで活動を中止している部活も多く、人はほとんどいなかった。
だが、少ないながらも人はいるのだ。そして既に2人組が完成しているところはともかく、完成していない人間はどうなるか。火を見るよりも明らかだった。
少年の体が言うことを聞かなくなったと思うと、ふらふらと花畑の方へと歩いて行った。そしてそのまま、ちょうど居合わせた女性の方へと歩き始める。
どくん、と心臓が鳴った。まるで心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥り、呼吸が早くなっていく。
何故だろう。目の前にいる女性が、とても魅力的なものに見えた。そんなことはあってはならないはずなのに、どうしてもその女性から目を離すことができない。
そのまま少年はどんどん女性のもとに近づいてく。女性もこちらの方へ近づいてくる。
あぁ、そうだ。早く言わなければ。あの言葉を彼女に言わなければ。頭の中で声が響く。
その声は自分であるはずなのだ。だが、違うとどこかで感じている。
きっとこれは、秋桜の声だ。秋桜の願望が自分の感情に、脳に、トレースされ、再現しようと命令する声だ。
少年は抵抗ができなかった。そしてそのまま、近づいてきた女性の手を取って――
「だめよ。後輩くん」
手を取ろうとしたところで後ろから誰かが声をかけてきた。さらに、目隠しをするように、背後から手が伸ばされる。
「あなたが告白したい相手はその人?違うでしょ?ほら、こっちを向きなさい。あなたは誰と一緒にいたかったの?」
「――先輩」
引き寄せられ、目隠しをされ、そう囁きかけられて、少年はハッとした。
ぽつりと声を漏らして目隠しを外した先輩の方へ視線を向ければ、先輩は満足そうに笑う。
「良い子ね」
「子ども扱いは止めてください」
「あら、こうして人の話を聞かないで勝手に出ていくところなんて、まだまだ子どもだと思うんだけど?」
ぐうの音も出ない。少年は気まずそうに視線を逸らした。先輩は、少年の行動を見て盛大に笑う。
そして、すぐに冷たい視線を秋桜の方へ向けた。
「あまり、好き勝手にしないでちょうだい。この子は私の大事な子よ。偽りでもこんなことされるのは、あまり気分の良いものではないわ」
少年は先輩のその言葉に嬉しくなり、顔を赤らめた。彼女のことだから面白がって他の女性との告白を許すと思っていたから、余計に嬉しかった。現金なもので、はた迷惑な秋桜のおせっかいは、少年にとって良い仕事をしてくれたと言っても過言ではない。少年は秋桜に向かって、無言で拳を握り親指を立てる。
当の秋桜はというと、先輩の言葉を聞くと同時に、まだ、つぼみだったものが一斉に花を咲かせ、やがて枯れていった。
既に花を咲かせていたものたちは、恥ずかしがるように花弁を内側に巻いて、同じように枯れていく。
先輩のいたところから輪になって、花が咲き乱れ、枯れていく。
ものの五分としないうちにグラウンドにあった花は全て枯れ、土へと還っていった。
「――あれで満足したということでしょうか?」
「少し癪だけど、そうみたいね」
翌日。
すっかり花は消えてなくなったグラウンドを眺めながら、後輩は先輩に質問した。
ふと見ると、昨日友人が言っていたカップルが仲良さげに帰っていくのが見えた。どうやらよりを戻したらしい。
いや、そもそも昨日のあれは彼らにとって夢に過ぎなかった。よりを戻す以前の問題なのだ。
だが面白いことに、中にはそのまま恋人関係を継続する人もいたようで、ぎこちないながらも共に帰っていくのが見える。
夢から覚めていないのか夢が現実になったのか。少年には分からないが、彼らにとってあの花のおせっかいは、自身にきっかえを与えてくれる恋のキューピッドだったのだろう。少なくとも、少年はそう思うことにした。
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