第五話 気分

「森山さん、おはようございます。


今朝、調べていて気付いたんですけど、観光地って混む道路があるんですよ。普段だったら十分程度の道が、何か行事があったり観光シーズンだったりすると、渋滞して倍以上かかったり。


こういうのって、使えませんかね?」


「あー、なるほどね。いいかもしれない。それじゃあ、そういうのも資料の中に入れておいてくれる?午後に田口先生のところに向かうから、その時までにお願いね。」



初仕事はうまくいきそうでなにより。最も、このアイデアが先生の考えに組み込まれるか否かは、わからない。


時間が経つのは早いもので、資料が完成したのは十二時を回ったところだった。


高崎さんにお昼に誘われたので、ご一緒する。近くの中華料理店に向かうことになった。八宝菜が人気のお店だそうで、値段もリーズナブル。高崎さん曰く、サラリーマンの味方、だそうだ。



「どう?仕事のほうは?」


「はい。森山さんの足を引っ張らないようにすることで、精いっぱいで。まだまだ勉強です。」


「そうか、まあ、無理しすぎないようにね。森山さんは凄腕だから、いろいろ勉強すると良いと思うよ。ところで、今は何やっているの?」



高崎さんは八宝菜に乗っていた、うずらのたまごに箸をのばしている。ショートケーキのイチゴは最初に食べる派なのだろう。なんだか妙に気になってしまう。



「時間トリックの資料集めです。観光地を中心に資料を集めてみたんですが、なかなか難しいですね。」


「ああ、観光地か。結構使われている題材だから、トリックが被らないように気を付けないといけないな。あと、観光シーズンだけ時刻表が変わるところもあるから、結構。」


―――そうか、その可能性があるのか。失念していた。


「すみません、高崎さん。少し資料を訂正したいので、お先に失礼します。」



高崎さんは懐かしいものを見ているような笑顔で、僕を送り出してくれた。急いで会社に戻る。デスクのパソコンはスペックが微妙なかんじなので、立ち上がりが少し遅い。



「えーっと、時刻表の…紅葉シーズンだから、十月あたりか…。」



インターネットで検索すると、やはりいくつか特別な路線が運行されていた。資料に添付していた時刻表を差し替える。


―――危なかった。


ギリギリで印刷も間に合ったが、相変わらずコピー用紙が詰まるトラブルに見舞われる。もはやため息も出ない。



「杉山さん、そろそろ行こうか。」


「は、はい。」



森山さんに声をかけられ、慌てて資料をかばんに詰め込む。ちょうど高崎さんも帰ってみえたので、頭を下げておく。



「ん?なんかあったの?」



森山さんと階段を降りながら、事情を説明する。



「なるほどね。確かに、細部まで、っていうのは大事だからね。それに、実際にトリックの内容を考えられるのは、あくまでも先生だから。」



確かにその通りだ。いつのまにかミステリー作家の気になっていた。はりきり方を間違えてしまった。



「まあ、何事も経験だからね。」



森山さんに励まされながら、車に乗り込む。さりげなくカーナビをセットし、田口先生のお宅へ向かう。



「よく考えると、私はエレベーターでも問題ないんじゃない?」



マンションの入口で、森山さんが笑いながらつぶやく。



「ま、まあ。その通りです…。」



不運なのは僕であって、森山さんではない。僕だけ階段でのぼれば、エレベーターが止まることもないかもしれない。



「冗談、冗談。さ、階段で行きましょう。」



なかなか強烈な冗談をくらってしまった。気持ちの整理もままならない状態で、田口先生のお宅に到着する。


結局、僕の用意した資料などほとんど意味をなさなかった。田口先生がお調べになった量を見れば、明らかだった。唯一、観光シーズンの特徴、即ち道路の渋滞についての意見は採用された。


―――うーんっ、やっぱりすごい世界だな。


顔に気持ちが出てしまっていたようで、田口先生から励ましの声をいただく。



「なんでも経験ですから、慣れですよ。慣れ。」


「すみません…。」



その後、田口先生の口から、トリックのおおまかな構想が語られた。時間トリックと、地理的なトリックの合わせ技。今までの先生の作品のなかでも、かなり複雑な部類に入るだろう。



「そうだ、実地調査に行きましょう。森山さん、杉山さんをお借りしてもよろしいですか?」


「はい、構いませんが。いい?」



田口先生と森山さんの視線が集まる。



「はい、お供いたします。」



小旅行、もとい実地調査の予定は明日ということになった。森山さんが郡山部長に電話で許可をとっている。


しばらくすると、森山さんが親指を立てた。許可が下りたようだ。一応一泊ということなので、スマホでホテルの予約をとる。



「先生、このホテルはいかがでしょうか?」



駅に近いホテルで、観光の中心からも程よい距離にある。僕には予算的な問題があるが、先生にはそういった問題はない。一応予算内で一番良さそうなホテルを選んでみたが、念のため、先生に確認をとる。



「はい…、そこってネット環境あります?」



確かにこのご時世、大変重要な点である。確認してみると、無料のサービスがあるようなので、結局そのホテルに決まった。時期的に予約が難しいと思っていたが、なんとか二部屋確保することができた。



「それにしても田口先生、私も誘ってくだされば良いのに。」



会社への帰り道、森山さんが返事に困る愚痴をこぼした。さすがに旅行先でありえない遠回りをされたら大変だ。田口先生の懸命な判断だと思うのだが、そんなこと口が裂けても言えない。



「仕事とはいえ、一泊する旅に女性を誘うことは躊躇われたのではないですか?」



苦しい気もするが、田口先生のフォローをしておく。その後は話題が変わり、トリックの内容について、森山さんとの議論が続いた。



「ただいま戻りました。」



会社に戻ると、高崎さんから声がかかった。



「あー、杉山さん。お疲れ様。ちょっと話があるから、そこの会議室で待ってて。」


―――なんだろう。明日のことだろうか。



会議室とは言っても、作家先生との面談にも使われる部屋なので、遮音性も備えた豪華なつくりになっている。しばらく待っていると、高崎さんが女性とともに現れた。



「あーごめんね。こちら、城島じょうしまさん。宮野先生の担当。」


―――ああ、ジョーさん、って、城島さんのことか。


「はじめまして、杉山です。」


「はじめまして、城島です。急にごめんなさいね。」


「じゃあ、あとはよろしく。杉山さん、あとでタクシー代の精算があるから、経理にも顔出しておいてね。」



挨拶を交わす二人を見届けると、高崎さんはそう言いのこし、会議室を後にした。



「宮野先生から連絡があったんだけど、パソコンの件。よろしくお願いします。私じゃよくわからないし、頼める人を探してたときだったの。」


「はい。でもすみません。出しゃばったような真似をして。」


「いいのよ。先生をサポートするのが担当なり出版社の役割だから。一応三日後を予定してるんだけど、田口先生の方を優先してもらって構わないから。あと、森山さんには話を通しておくから、安心して。」



だんだんと話が大きくなってしまった。果たして直せるのだろうか。三人がかりでパソコンを揺するという、最悪の事態にならなければ良いのだが。




翌日、田口先生とは駅前で待ち合わせをして、紅葉で有名な中部地方の観光地に向かった。田口先生の行動力はすさまじく、ついていくのでやっとだった。資料写真を撮影したり、観光案内所の方にお話を伺ったりと、初日だけでかなりの情報を集めることができた。



「杉山さんは、どうしてこの業界に?」



夜、田口先生と食事をしていると、僕に関する質問が来た。



「まあ、話すと長いのですが、かくかくしかじか…。」


「へえ、そんなことが。それにしても、災難でしたね。」


「本当に小さいころから運がなくて、自分の一人前で定員オーバーとか日常茶飯事でして…。」



自分で話していて悲しくなってきた。



「でも、考えようによっては、これから幸運が訪れると思いません?だって、運をまだ使っていないってことでしょ。」



確かにそういう考え方もあるのだが、果たして僕は、運というもの自体を持っているのか。そこの問題に常にぶつかってしまう。



「まあ、最近は前向きに考えるようにしてはいます。」


「…しかし不運な男か…今度の作品はこんな主人公で…。」



なんだかとんでもない方向に進んでしまいそうだ。



「ま、まあ。先生、僕はこの業界に入れただけでも、良かったと思っていますから。今後とも、よろしくお願いします。」



強引に話を閉じようとすると、田口先生から想定外の言葉が飛んできた。



「ええ、でも杉山さんとお仕事できるのは、あと少しですよ。だって、新人さんはいろんな作家さんのところを回りますから。」


「え、そうなんですか?」



どちらが会社員かわからなくなる。



「だって、一年ぐらい前にみえた新人さんは、二週間で次の作家さんのところに行きましたよ。」



それもそうなのか。いろいろなジャンルを経験しておかないと、対応できる範囲が狭まってしまう。


その後はなぜか会社の仕組みについて、田口先生にご教授いただくという、とても会社員とは思えないことをしてしまった。


肝心の取材については、一日でほぼすべての予定をこなしてしまったため、翌日は観光地を巡ることになった。こうして一泊二日の弾丸取材旅は幕を閉じたのだった。



「…ということになりました。」



ひとまず会社に戻って、森山さんに報告する。



「お疲れ様。それにしても、田口先生が取材旅なんて。私が担当してきて初めてだわ。」


―――きっと僕に経験を積ませようと、気をつかっていただいたんだ。



そんな考えが頭をよぎる。そして二週間ほどで別の先生のもとへ行く、という件について聞いてみたところ、そういう制度とのことだった。次にどの担当者につくのかは、まだ決まっていないらしい。いずれにせよ、あと一週間ほど。最後までしっかりやり遂げよう。



「あと、城島さんから連絡があったんだけど、明日は特に予定はないから、宮野先生のところに行ってきて大丈夫よ。」


「はい、何とかしてきます。」



女性の部屋に入ることには、少し抵抗感があるものの、仕事なのでそうは言っていられない。あくまでも会社員としてお邪魔するのだ。


その後退勤した僕は、無意識に美容室に向かっていた。

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