第15話

 リゼは布のブローチを作って、それをメイドの派遣協会の人間に売ることにした。俺は新しくメイドが来てからブローチづくりをすると思ったが、リゼはイネシアに教わって一人でブローチづくりを始めた。


 布のはぎれは、レオが仕入れてくれた。


 リゼのドレスを作ってもらった伝手があったので、上質なはぎれが安く仕入れられたのだという。紅茶とお菓子でイネシアを雇ったリゼは、小さくて可愛いブローチを作る。結構雑だが、初めて作ったにしては上手いと思う。身内のひいき目だが。


「あと、二三個作ればもっと上手くなりますよ」


「ブローチとして身につかられるような外見になればいいんだけど」


 リゼは、自分で作ったブローチを不満げに見つめていた。


『どうして、今の段階でブローチを作るんだ?』


 人を雇ってから作ればいいのに。


「見本品。あと、面接に来た人に配ろうと思って」


 リゼの言葉に、針を持ったイネシアは答える。


「無料で配っていいんですか。はぎれは格安で手に入れられたと聞きましたが、私のお茶とかお菓子……お嬢様の労働力も加わると無料で配るのはもったいないような気がしますよ」


 イネシアは、つまりは利益が出ないと言いたいのだろう。


「でも、私が作ったものだから出来は悪いし。それに、こういうものを作っていると知らせることもできます」


 つまり、リゼは宣伝がしたいのだろう。


『CMとか打てないもんな。良い宣伝だと思うぞ』


 問題は、リゼ一人で量産ができるのかと言う点である。


 質に関しては、作っていくうちにうまくなることを願うしかないだろう。


『それにしても、もうちょっとビーズとか付けられれば華やかになるのに』


「ビーズやガラスを付けたら、値段がすごく上がるわよ」


 俺の世界ではお手頃価格のビーズも一つ一つが手作りのこの世界ではけっこう高価だ。いくらレオが仕入れを手伝ってくれると言っても、それを安く売るというのは抵抗がある。だからといって、値段をあげたら買ってもらえない。


「ただ、一つだけにはビーズをつけたいわ。どうしても、送りたい人がいるの」


「レオ様に頼んでおきます。送りたい方とは?」


 イネシアの言葉に、リゼは少し照れたように笑った。


「前に実家でメイドをしてくれた人なの。その人に、綺麗な飾りを送りたくて」


 セリシアに送りたいのだろう、と俺は思った。


『喜ぶと思うぞ』


「……このネックレスはまだ送り返せませんから。盗難事故とか怖いですし」


 リゼの言葉に、俺は苦笑いするしかない。


 この世界の郵便物は、けっこう信用ならない。配達人がプレゼントを盗むということは、十分にあり得る。だから、リゼは自分が作ったプレゼントを贈ることを決めたのだろう。


「……素敵ですね」


 イネシアは、小さく呟く。


「そのように相手を思いやることは素敵なことだと思います」


 リゼは、その後もせっせとブローチを作り続けた。


 その結果、彼女のブローチは素人が器用に作った程度には上手いものになった。


 それを何とか二十個制作した、リゼ。


 その横顔は、もうすでに一つのことをやりぬいた達成感で満ち溢れていた。いや、家庭教師付けの生活でここまで作ったのはすごいと思う。まだ、やりぬいてないけど。


「すごいでしょう。褒めてよ」


 リゼは、俺に向かって呟く。


 その顔には、笑みが浮かんでいる。


『えらい、えらい。でも、まだまだ道の途中だからな』


 これから、メイドたちの面接である。


 レオと一緒に屋敷の一角を使って、三人ずつの面接を行う。早い話が集団面接である。野新たに雇う人数は三人までが上限だとスェラが言っていた。それでもこの屋敷の大きさでは足りないぐらいなのだが、雇い主がそういうので増やすわけにもいかない。


 面接は、どこの時代でも変わらない感じだった。


 名前とか歳とか聞いて、志望理由なんてものを聞く。大抵の場合は、ストレートに金が欲しいという理由だった。まぁ、メイドが「御社の理念に惹かれて」なんてことをいうはずがない。集団面接したなかで、すでに他の屋敷でメイドの経験があって、愛想のよさそうな人間を選んで、さらにレオとリゼで個人面接をした。


残念ながら縁がなかった人間には、リゼが作ったブローチを渡した。メイドたちは、それを不思議そうな顔をして受け取っていた。まぁ、普通は面接に来て記念品をもらうとかはあまりないだろう。

 

こうして、スェラの屋敷に新しく三人のメイドが追加された。


 メイドは四人となり、イネシアの負担が減ると思いきや――彼女たちに仕事を教えなければならないのでイネシアはさらに忙しくなってしまった。彼女の仕事が落ち着いたのは、二か月がたったころだった。


 そのころになって、ようやくリゼは新しいメイドの三人と共にブローチ作りをすることができた。手先が器用な人間を採用しただけあって、ブローチ作りはなんとか軌道に乗った。ブローチがある程度の量を作れるようになったら、今度は販売に乗り出さないといけない。


 レオは、メイドの派遣協会の本部の隣に露店を出す許可をとってくれた。


 この露店には、リゼとイネシアが立つことになった。といっても接客はほとんどリゼがやり、イネシアは保護者のように後ろから見守っていることになった。


露店は祭りのときはよく見られているが、平時はあまり見られない。たぶん、食料や物の作り置きがもったいなく感じられるのだろう。究極にロスをなくそうとしたら、こういう世界になるのだろうなと思う。そんな世界で、リゼが運営する露店はちょっと物珍しい雰囲気になった。

 

店に立つリゼは、いつものお嬢様然とした恰好ではなかった。メイドをやるような身分の子が普段着る古着を身に着けている。周囲に溶け込むためだろうが、手入れが行き届いた肌や髪の子供が古着を身にまとうのは奇妙な違和感があった。


 そんな違和感がありつつも、メイドの派遣協会に用事がある女の子がリゼのお店をちょこちょこと覗いていく。買っていく子はなかなか現れなかったが、女の子たちは興味をもったようだった。一応、この場所には一週間だけ店を出していいことになっている。その間に、売れればいいのだが。


『なぁ、このお店なんだけど限定一週間って書いた方がよくないか?』


 俺のアイデアにリゼは首傾げていたが、期間限定商品に弱い人間は一定数いるものだ。翌日、手書きの看板に『一週間限定』と書き足された。


 限定商品だと明記されると女の子の食いつきが目に見えて変わった。手に取る人も増えたし、じっくりと商品を見る子も増えたと思う。そして、とうとう「いくらですか?」と尋ねてくる子が現れた。


「えっと……」


 リゼは緊張しながら値段を述べる。


 商品を手に取ってくれた子は、もう少し安くならないかと値段交渉をしてきた。この世界においては、値段交渉はわりと当たり前に行われるようだ。もっとも、それは庶民の間でのことでリゼは未経験だった。


「いいえ、この商品はこれ以上は下げられません」


 リゼが戸惑っている間に、イネシアがしっかり返答する。女の子は少しだけ考えて、商品を購入してくれた。リゼが初めて売ったのは、青色のブローチだった。


「売れた……」


 リゼは、茫然としていた。


 けれども、すぐに嬉しさがこみあげてきたようだった。


「やった!やりましたよ!!」


 リゼは声を上げて、イネシアに抱き着いた。


 イネシアは、それにびっくりしていた。リゼの気持ちも分かってやってくれ。彼女は、生まれて初めて自分の作ったものを売ったのだから。


 リゼのブローチは、それから少しずつ売れた。たくさん売れたというわけではなくて、少しずつだったけれども。リゼはそれでも嬉しそうだったし、楽しそうだった。


「こんにちは」


 ある日、珍しいことに店に男の客が来た。いや、大人の俺から見れば少年といっていい年頃の子だった。リゼよりは少し年上で、整った顔立ちをしている。キラキラ輝く金髪が、王子様然としていてリゼと同じように庶民の古着を着ているが奇妙に浮いていた。なんか見たことがある顔だな、と俺は思った。


「これは、君が作ったの?」


 少年は、赤いブローチを手に取る。


「いいえ。作ったのは別の人です」


「それを君が売っているんだ。へぇ」


 少年は、手に取ったブローチではなくてリゼのほうを見つめていた。奇妙な客であった。普通ならば、商売人よりも商品を見るのが客だというのに。


「君ぐらいならばいいかもね」


 少年は、何も買わずに帰っていった。


 リゼは首をかしげていたが、俺は内心悲鳴を上げた。


『今のってアルバーノ王子だ!!』


「なんで、第一王子がこんなところにくるのよ?」


 リゼは、俺のことを信じようとはしなかった。


 だが、俺は奴のルートを二時間だけだけどプレイしたことがあるのだ。ゲームの時のアルバーノはもっと成長していたが「~ならばいいかもね」は奴の口癖なのだ。


『なんで来たかはしらないけど……』


 アルバーノは、リゼの婚約者ではなかったはずのキャラだ。さすがに、攻略ルートをやっていたから間違いはないはずである。どういうキャラだったかと言うと、一言でいうのならばつかみどころのないキャラである。


ゲームの仕様のせいなのかもしれないが、すべての判断をプレイヤーに投げかけて、すべてを肯定していたような気がする。そのせいで、アルバートの性格は読みにくかった。正直、こいつが真犯人でもおかしくはない程度に性格が分かりにくいキャラだったような気がする。


 ともあれ、リゼにとっては不穏な人物の登場だったことに間違いない。さらっと行ってしまったが、今度どういうふうにリゼの人生にかかわってくるのかは分からなかった。


『ゲーム中のアルバーノは……特にリゼについては言及してなかったしな』


 少なくとも顔見知りであったかのようなセリフはあった気がする。


 けれども、そこに感情を見出すことはできなかった。そのため、俺はこいつのことをサイコパス王子と呼んでいたのだ。ゲーム中の話だが。


 一週間の間に、リゼのブローチは作った半分ぐらいは売れた。


『よし、じゃあ今回のことを報告書にまとめるぞ。ついでに利益を手伝ってくれたメイドにどういう感じに分配するかも考えないとな』


「報告書?分配?」


 リゼは、首をかしげる。


『金を出してくれたりしたのはレオやスェラだから「こうやりました」っていう報告が必要だろ。あと、儲けがでてるんだから労働者にも分配しないと。今度同じようなことをやったときにのやる気が違うからな』


 俺の話を、リゼは「そうなんだ」と呟きながら聞いていた。


 基本的に貴族で、金に困ったことのないリゼにはこういう報酬の話をしても実感を持ちにくいらしい。


『物事にはご褒美があったほうがいいだろ』


「なるほど」


 これで、ようやく理解してくれた。


 俺は、リゼにアドバイスをしながら色々なことをまとめた。まずは商品が購入すると思われる客層とか、商品の材料の仕入れ先とか、メイドが一個の再作にかかる時間とか、一個の単価とか。基本的にこれって最初に考えるだろうということをリゼにまとめてもらった。


 リゼは、すべてのことが初めてだった。


 だから、最初に考えるよりもやってみてやったことをまとめた方がいいと思ったのだ。だって、これは練習なのだ。次にやったときに、計画の立て方を練習できればそれでいいのだ。


「できた!」


 リゼが書類を作ると、それをスェラに見せさせた。


 思えば、これが大失敗だった。



「それで、誰がバックについている」


 叔父様に呼ばれた私たち。


 開口一番に、そう尋ねられた。叔父様は今日も体調が悪そうだった。体調が悪そうでありながら、不機嫌そうだった。部屋に閉じこもって仕事ばかりしているから、そうなるのかもしれない。だが、今の私たちはそれを指摘することもできない。


『……うまくやりすぎたぁ』


 ユウが困惑しながらも、そんなことを言った。


 どういうことなのかが気になるが、叔父様が目の前にいるので尋ねられない。


『スェラとレオは、たぶん失敗前提で今回の話を持ち掛けたんだ。あるいは、二人のどっちかをもっと頼るとか……二人をもっと頼るとか』


 つまり、私たちは私たちだけで上手くやり過ぎたということである。


 今回の商売は、私は初心者だった。でも、ユウは経験があったみたいで、それで色々と頼ってしまった。そのおかげもあって、商売はそれなりに成功した。それが、叔父様には怪しく映ったのである。


 これは、私たちの悪い癖が出てしまったということなのかもしれない。


 ユウは、大人のユーレイだ。そのせいもあって、私に色々な助言をくれる。私は、それに従ってしまうから他の大人から見れば私は要領がよい子供と思われがちだ。今までは、そう思われるだけですんでいた。だが、今は違う。少なくとも叔父様は、私が誰か知らない第三の大人を頼ったように考えている。


 さて、これは返答に困る。


 正直にユーレイと相談してすべてを決めたと答えれば、私は狂人扱いである。よくて幽閉といったところであろうか。だからといって、商売のノウハウのある第三者をでっちあげるのも難しい。すべて私一人で思いついて行動を起こした、という説明も根拠に欠ける。


『……つんでるんだよな』


 ユウは、ため息をついた。


 ここでは、ユウを頼ることができなさそうだ。私は、ダメもとである手段を試してみようと思った。その作戦とは「頼る相手を複数に分散しました作戦」である。


『叔父様、作るものは実家のメイドとの会話をヒントに考えました。販売方法などは家庭教師の方々の話をちょっとづつ聞いて検討し、今提出した書類については叔父様やレオの普段の様子を見ていて真似をしたのです』


 すべてを一人の人に教えてもらった、というとボロがでる。


 でも、少しずつ大人を手本にしたと言えば、そこまで不自然ではないだろう。だが、叔父様はじっと私を睨んでいる。


「引き取った当初から、お前は奇妙な子供だった。家族を失ったというのに、迅速に動き、そこから状況に対応していった」


「それは……」


 周囲が助けてくれたのが一番の理由だ。


 けれども、それ以上に私の精神を助けてくれたのはユウだった。彼が手を貸してくれたから、私は立ち上がれた。まだ、大丈夫だと思った。私は、家族の全員を失ったわけではないと思えた。


「私もよく言われることだが……お前の精神のありようが分からない」


 そのとき、私の足元が揺れたような気がした。


 今まで自分の中にあったはずの価値観が揺らぐような感覚。いいや、違うのかもしれない。今まで必死に守ってきたものが、手のなかからこぼれていくような感覚。


 急に息ができなくなって、窒息しそうになった。


『この野郎!』


 気が付くと、私の体は私の意思では動かなくなっていた。


 たぶん、ユウが私の体を乗っ取ってしまったのだ。こんなことは初めてだったが、私は少し安心した。少なくとも、これで呼吸はできた。


 ユウは、細くて折れそうな叔父様の胸倉をつかんだ。


『相手は、家族を失った女の子なんだぞ!分からないなんていうなよ!!』


 叔父様に、ユウは怒鳴る。


 叔父様は、目を白黒させていた。女の子が急に男に代わってしまえば、驚くのは無理もないだろう。


「……なんだ、おまえは?」


『俺は誰かっていうのは、些細な問題だろ!!』


 ユウは、怒っていた。


 これ以上はないってぐらいに、怒っていた。


『なんで、分からないっていって突き放すんだ!リゼはお前の家族なんだぞ!!それでもって、傷ついた女の子だ!それでも、必死に頑張る女の子だ!』


 ぐず、と鼻をすする音が聞こえた。


 ユウが、泣いていた。いいや、違う。私の体が泣いていたのだ。泣いたのは、いつぶりのことだっけと思った。母や父、弟が死んだ時以来のことだと思い出した。


『お前が、リゼのことを分からないっていうならば……リゼが悲しみを押し殺してきたからだ。それで、自分でも分からなくなったからだ!』


 ユウは、拳を振り上げようとした。


 けれども、彼はすぐにそれを下ろした。


『……あんただって、家族を亡くしたんだから分かるよな?悲しくなかったわけがないよな。でも、あんたはそれを表には出さなかった。あんたは大きな会社を経営しているし、子供のリゼの前で弱気になれるはずがない。でもな、それはリゼも同じなんだ。知らない大人に囲まれて、必死に虚勢をはっているんだ。それでもって、そのうちに自分の感情がわからなくなるんだ』


 でも、それって普通のことだろとユウは語る。


『相手に見せてる姿だけが、全部じゃない。真実じゃない。……みんな同じだ、だから分からないなんていうなよ。突き放してやるなよ』


 私は、ユウを通して叔父様を見ていた。


 この人も、私の家族を失って――妹の家族を失って悲しんだのだろうか。


『レオから色々聞いたけど、あんたが家の資産を勝手に持ち出したっていうのは嘘だろ。鉄道の資金になるだけの金を勝手に持ち出すなんて、さすがに無理がある。あんたは体が弱かったから、家の跡を継げない。だから家督の相続権を妹に渡すために、家から資産を持ち出したという理由をつけて家から出て行ったんだろ。持ち出した資産は、親からの生前分与分だったんだろ』


 ユウの言葉に、叔父様は息を飲んだ。


 彼の言葉は、正解だったのだろう。


 女性に財産は管理できないので、母は早くに結婚をする必要があった。だが、その未来が安泰であるかは分からない。そのため、私の祖父は叔父に多額の財産を分与したのかもしれない。万が一、母の結婚が不幸なものになったときのために。


 だが、叔父はその資金で会社を興した。


 事業は成功したが、失敗する可能性もあった。叔父様は、それが後ろめたかったのかもしれない。


「本当に、お前は何者だ?」


 叔父様は、ユウに尋ねる。


『俺は、リゼの一等弱い部分だよ』


 ユウは、そう答えた。


 この二人は――ユウも叔父様も大人なのだなと思った。


 私は叔父様の話を聞いたときに、そんな仮説を考えられなかった。話を受け止めるだけで精一杯だった。


「そういうことはどうでもいい。お前は、リゼにとりついた悪霊か何かか?」


 叔父様は、ユウに尋ねる。


 ユウは『この世界に悪魔払いの習慣とかあったか?』と呟いていた。


 悪霊払いというのは初めて聞いた言葉だ。


『よし、ないんだな』


 ユウは確認して、答えた。


『よく考えれば、ここでミスっても最悪幽閉だから……将来的に殺されるよりましだよな』


 ユウは、笑った。


 たぶん、できるかぎり友好的に。


『俺は、友好的なユーレイだよ。しかも、えっと……未来も予測できるような』


 叔父様は、そんな幽霊がいてたまるかと言った。


 その通りだと思う。だけども、ユウは出会った当初から――私がユウを認識できるようになってからずっと言い続けてきた。私が、将来的に誰かに殺されてしまう。ずっと、ユウはそれを予言し続けてきた。


「……なぜ、過去に死んだ幽霊が未来を予言する」


『それは、俺がちょっと特殊なユーレイだからだ。リゼは世界で一番の金持ちになって、それが原因で殺されるんだ』


 ユウの言葉に、叔父様は笑う。


「世界で一番?たとえ、リゼが私の会社を継承したとしても私の会社はそこまでは多くはないぞ」


 叔父様の言葉に、ユウはぽかんとした表情をした。


「鉄道としては、私たちの会社は第三位ほどだ。世界で一番には、程遠いぞ」


 ユウは小さく「ゲームの設定と違う……なんで」と呟いていた。


 そして、はっとする。


『そうか……まだ本編までは何年も時間がある。変化するんだ』


 ユウが何を言っているのか、よくわからなかった。


 そのとき、再び足元が揺れた。


 また、立ち眩みが襲ってきたのだと思った。だが、叔父様も気分が悪そうに顔を伏せた。


『おい、ヤバいだろ。これ地震だぞ』


 ユウは、慌てたように呟いた。


『大きくなるぞ! おい、家具と天井に気をつけろ!!』


 ユウは、私の体で周囲を見渡す。どうやら、ユウは家具やシャンデリアといったものの位置を確認しているらしい。


『くそ、テーブルの下に隠れろ!』


 ユウは、叔父様を引っ張る。


 そして、二人でテーブルの下に隠れた。叔父様はユウが何をやりたいのか理解できないようだった。だが、次の瞬間に体験したこともないような揺れがやってきた。


 部屋に置いてある家具のほとんどが倒れて、私はユウに守られながらも茫然としていた。

叔父様も私と一緒で、茫然としていた。ただ、世界に揺られながらもユウは一人で冷静だった。揺れが収まると、ユウはテーブルからひょっこりと顔を出した。


『この建物って、他の建物よりも丈夫だよな。だったら、外ってどうなってるんだよ……』


 そういいながら、ユウは窓の外を見る。


 窓の外では、煙が上がっていた。


 たぶん、火事なんだと思う。


『火災か……。この世界は、ガスが一般的じゃないのに』


「街灯は、ガスを使用している」


 叔父様が、そう言った。


『そのガスって、自動的に止まったりはしないよな』


「しない」


 ユウは、舌打ちをする。私の体で下品なことでしたせいで、叔父様は眉をひそめた。だが、ユウはそれを気にしない。


『町の人間に火を使うなって教えられるか?ガスが漏れてたら、もっと被害が広がるぞ』


「町全体に一斉に知らせるのは無理だ」


 ユウは『そうか。無線とかもないし……』と悩みだす。


『とりあえず、外に言って呼びかけてくる。じっとしてるよりは、マシだ』


 ユウは、外に飛び出そうとする。


「待て!外は危険だ!!」


『でも、被害を抑えないと』


 ユウは、一階に降りる。


 屋敷内部でも、家具が倒れていた。メイドたちに怪我はないらしく、倒れた家具を直そうと必死になっていた。


『イネシア、大きな家具は直さないでいい。近々、また地震があるかもしれないし』


 ユウが、そう説明するとイネシアは驚いていた。


「これが地震ですか?」


『地震を知らないのか?』


 ユウも驚いていたが、最後に地震が起こったのは五十年以上前のことだ。歴史を勉強していない人間は、地震を知らないことのほうが多いと思う。


『そうか、海外みたいな感じか……。イネシア、とりあえず俺……私は外にいってくる。ブーツをとってきてくれ。これじゃあ、歩きにくいんだ』


「街にいかれるんですか?」


『ああ、念のために護身用のナイフも頼む』


 イネシアが荷物を持ってくる間に、ユウは私に向かって呟く。


『しばらく体を貸してくれ』


「それはいいわ。私じゃ、何が起こっているのか分からない」


『俺だって、何が起こっているのかはよくわかってないさ。ただ、こういう緊急事態にはお前よりも慣れている』


 イネシアは、私のブーツとナイフを持ってきてくれた。ユウは、それを身につけて町へと歩き出す。街はひどいありさまだった。街灯は倒れて、建物の多くは崩れている。その建物に下敷きなった人もいた。


「お嬢さま!」


 屋敷を出るなり、声をかけられた。


 声をかけてきたのは、私の家庭教師たちだった。おそらく、彼らは屋敷に住む私を頼ってきたのだろう。私は、戸惑うことしかできなかった。全員が、私の判断を待っている。けれども、私にはそんな判断を下す権利はなかった。


「リゼ!」


 私を呼んだのは、レオだ。


彼は巨体で街を走り、私のことを抱きしめた。獣の匂いが、漂う。それと同時に、レオにくっついてきたらしい若い獣人たちが驚くのも見えた。どうやら、レオは会社ではこういうタイプの人間ではないらしい。


「平気だったか。スェラと屋敷は?」


『二つとも無事だ……です』


 私の言葉を真似するために、ユウは頑張っていた。


『レオ、街の住民を屋敷に避難させる許可をくれ。あと、屋敷の医療品も使わせてくれ』


「……街の被害に私財を投じるか」


『ここでヒーローになれば、あんたらは名実共に街のヒーローだぜ』


 ユウのにやりと笑って、体が私だということにようやく気が付いた。


『ってことを家庭教師にならって……』


 ユウの言葉に、家庭教師は首を振る。


 早速、裏切られている。


「わかった。スェラの許可は私が取ろう。ただし、この二人をつけるぞ」


 レオは、自分についていた獣人の二人を見る。獣人の若者は緊張した面持ちで「はい」と答えた。


『レオは?』


 ユウは、レオに尋ねる。


「私は、仕事がある。わが社の列車がさっきの揺れで脱輪したという噂がある。今、人を走らせているが……」


 列車は、この世界で一番早い移動手段だ。


 その列車が脱輪して動けないのならば、確認は馬を走らせるぐらしか方法がない。


『分かった。そっちは、そっちで頼む。あと、家庭教師の先生方』


 ユウは、家庭教師たちに向き直った。


『悪いけど、怪我をしていないならば俺たちの手伝いを頼む。みんなに火を使うなって教えてくれ。あと、怪我人を屋敷に。怪我の手当をできる人はいるか?』


 家庭教師の何人かが手を挙げたので、ユウはその二人は屋敷の残ってもらうように話した。怪我人を見てもらうことになった。


 ユウは、街に走った。


 スカートの裾を気にしない走りに、獣人の二人に驚きながらもついてきた。


『火を使うな。ガスに引火するぞ。けが人は、屋敷に!』


 叫ぶ、ユウ。


 だが、彼が叫ぶだけでは混乱する街に光を灯すことはできなかった。街の人々に、ユウの声は届かなかった。それでも、ユウは叫ぶ。


『火は使うな!けが人は屋敷に!!』


 声が枯れそうだった。


 それでも、ユウは叫ぶ。


 自分についてきた獣人も瓦礫に押しつぶされた人々を助けるために派遣してしまった。あまりに必死な姿に、私は呟く。


どうして……そんなふうに頑張れるのだろうか。

 

どうして、ユウはいつも人のために頑張れるのだろうか。


『全然、頑張ってない!』


 ユウは、怒鳴った。


『俺は、全然頑張ってない。今だって、生きてる時の知識で走り回ってるだけだ』


 それが、頑張っているというのではないだろうか。


 必死に体を動かして。


『でもな。こんなふうに動く体を作ったのは、リゼだろ』


 ユウは、笑う。


 あたりは悲惨なのに、彼は私を励ますように笑う。


『これは、お前の人生だ。頑張ったのは、リゼだ』


 ユウは、それからも叫んで回った。

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