第10話
列車は、俺が知るものとは全く違うものだった。
黒光りする金属で作られた列車の外見などはおおむね俺が知っているSLに近い。だが、俺が知っている列車は人が多い生活の足のイメージがある。しかし、リゼが乗り込む列車に乗ろうとする人々は少なかった。駅にも人がほとんどいなかったし、荷物ばかりが汽車に運び込まれていた。たぶん、この世界では遠くに出かけるという文化があまりないのだろう。旅行や通勤の概念がないのならば、運ばれるのは荷物ぐらいなのは当然なのかもしれない。
列車のなかは予想以上に狭く、空気がとても悪い。だが、俺が知っているSLよりは環境にやさしそうだった。俺が知っている列車は煙をもくもくと上げていたが、それに比べると煙がとても少ない。空気が悪く感じるのは狭い密室に、人が押し込められているせいだろう。列車は荷物がメインだから、人がいられる場所はひどく狭くされているのだと思う。
列車に揺られながら、俺は考える。
実は、リゼは本来よりも危ない立ち位置にいるのではないかと。
シリルの命を狙っているのは、彼を邪魔に思っている権力者の可能性が高い。リゼは、そのシリルを助けてしまっている。彼女の周囲の大人たちが速やかに彼女を逃がしたのは、リゼも彼女の父親や母親のように殺されるかもしれないと考えたからなのだろう。
もしかしたら、ゲームのリゼが殺されたのはコレが原因なのではないかと考えた。俺は、シリルとリゼがゲーム本編から面識がなさそうだったので、この事件も本編にもなかったと推理した。だが、似たような事件があったとしたら――リゼはこれが原因で殺された可能性もあるのではないか。
だとしたら、リゼの殺害動機が根底からくつがえる。
半日以上列車に揺られて、ようやく目的地の駅に着く。この駅も人が少なく、外に出るとリゼが生まれ育った町よりも発展しているようで、道がしっかりと舗装されていた。ただコンクリートなどでしっかり舗装されているわけではなくて、踏み固められて堅くなったような雰囲気である。老兵士はそこからさらに馬車を調達し、一時間以上も乗ることになった。
多かった人は、どんどんと少なくなっていった。
田舎になっていったというわけではなくて、大きな家ばかりになってきたのだ。おそらくは、金持ちの住宅地なのだろう。そのなかで、一際大きな家の前に馬車は止まった。
ここがリゼの母の兄――叔父の家なのだろうか。
リゼも戸惑っている。
「ここが、お前の叔父の家だ。俺が、いれるのはここまでだな」
老兵士は、リゼを馬車から降ろす。その姿は、リゼを両家の子女として扱う使用人のものであった。
「……おじさんに会ったことはある?」
リゼは、老兵士に尋ねる。
「俺は、ない。ただ、噂では頭のいい人らしい。乗ってきた列車も、おまえの叔父さんが作って運営させているという話だ」
その話を聞いた俺は驚いた。
実は、会社を運営している金持ち以外の情報がリゼの叔父にはなかったのだ。ゲームでも、あまり情報の提示はなかったような気がする。ゲームを進めればあったかもしれないが、俺はそこまで進めていなかった。
「私は、叔父さんにあったこともないの」
不安げなリゼ。
「大丈夫だ」
声をかけたのは、シリルだった。
「お前の叔父さんだったら、優しくて勇気がある人だ。お前みたいに」
その目は、静かで強かった。
思えば、彼は自分の命が狙われているのに気を動転させるようなことはなかった。大人しく、ついてきている。もしかしたら、彼の周囲には大人の味方が一人もいないのかもしれない。リゼとは全く違う状況だ。彼女は、たくさんの大人が味方をしてくれていた。
「シリル……あなた、孤独なの?」
子供の無邪気さで、リゼは尋ねる。
老兵士は、虚を突かれたような顔をしていた。「思っていても普通聞くか?」と言いたげな表情だった。気持ちは分かるのだ、気持ちは。
「……孤独だよ」
その言葉は、静かだった。
だが、急にシリルは陽気な声を出す。
「だって、親父のはずの王様でさえ俺の出生を疑ってるんだぞ。そのほかの大人は、皆俺を利用しようとするし。母さんは、助けてくれない」
笑うしかないだろう、とシリルは言う。
ゲームでは、シリルは第三王子になっていた。母親は妃をなくした王と再婚するが、王の寵愛を失った彼女もまた謎の死を遂げているはずである。そして、王は彼の弟を生む女性と再婚するはずだ。なんとなくしか覚えてないが、シリルの母親は地位が低い貴族だったはずである。美しいが教養が高いとは言えず、それによって王に飽きられたはずだ。
将来のシリルも、あまり賢いとは言えない王子に育つ。
勉強よりも運動が好きで、剣を好む少年だった。
「なら、私が味方になるわ」
リゼは、突然にそう言った。
その言葉に、シリルも驚いていた。
いや、俺も老兵士も驚いていたんだけど。
「俺の味方になったところで、なにも得をしないぞ……」
「そんなの私も同じよ」
リゼは、首飾りを握る。
それは、セリシアからもらった金色の人魚の首飾りだった。
「私に味方をしても利益がない。でも、たくさんの人が私を逃がしてくれた……そういう大人に私はなりたいの」
リゼは、胸を張る。
幼い令嬢。
立派になれと願われた少女は、ここに宣言する。
「私は、あなたを守ります」
それは、単なる大人への憧憬だろうと思う。
それでも、彼女は今ここでそれを宣言した。
『正気かよ。こいつは、将来はお前を殺すかもしれないんだぞ』
リゼは、少しだけ息を詰まらせる。
怯えるような感覚。
けれども、すぐに恐怖を押し殺す。
「それでも殺さないかもしれないわ」
リゼは、いう。
「私は、それを信じたい。そういう大人になりたいの。それに、いざ殺されそうになっても帰りうちにしてやる」
リゼは、そう宣言した。
俺は、茫然としていた。
だが、俺が何も言わないことにリゼは不思議そうだった。
「あなたは、こういう女の子になってほしいんでしょう」
『いや……えっと。俺は、生きていればいいんだ』
俺は、そう告げていた。
『俺は、妹みたいなお前が幸福に生きていればいいんだ。強くなくてもいいし、弱くなくてもいい』
生きていればいい。
生き残ればいい。
俺が、リゼに望むことはそれだけだ。
「でも、私は強くいきたいわ」
リゼは、そう言った。
「今度は、全部を守りたいの。今から家族になる叔父様も……守りたい。ねぇ、ユウ――」
俺に語り掛ける、リゼ。
「私は、強くなれるかしら」
『ああ、強くなれる』
そうでなければ、リゼは生き残れない。
リゼは、シリルも伴って屋敷のなかにはいった。リゼが生まれ育った屋敷も立派なものであったが、叔父の屋敷はそれ以上であった。いたるところに古くて、おそらく高価であろう家具や調度品が並んでいる。だが、手入れには無関心のようで埃をかぶっている。使用人がいないのだろうか。
リゼもシリルも「こほり」と小さく咳をした。
『ハウスダスト的には、最悪の環境だな』
「なによ、ハウスダストって」
とりあえず、俺は不潔な環境と言っておく。
間違いではないだろう。
「こんなところに、人なんて住んでいるのか?」
シリルは、不思議そうだった。
俺だって、事前に叔父のことを知らなかったら廃墟だと思ったことだろう。それぐらいに、屋敷の気配は思い。
「お待たせいたしました」
屋敷の奥から、メイドの少女が出てくる。
十八歳ぐらいのメイドは、体中を埃だらけにしていた。たぶん、掃除をしていたのだろう。
「申し訳ございません。あの……部屋を何とか使えるようにしていました」
その悪戦苦闘ぶりは、彼女の恰好を見ればわかる。
「この屋敷には、メイドはあなたしかいないの?」
リゼは、思わず尋ねた。
気持ちは分かるというか、そうじゃなきゃ説明がつかないというか。
「はい……ご主人様は人嫌いなので。一応、週に一回は別のメイドの方も手伝いに来てくれていますけど」
屋敷が広すぎて、手が足りないのだろう。
「あの……こちらへ。ご主人様がお待ちです」
「あなたの名前は?」
リゼが、尋ねる。
メイドは思い出したように、スカートの裾を持ち上げた。
「イネシアと申します」
イネシアの案内の元、俺たちは二階に上がった。
一階は客を接待するための空間だが、二階は住居者のスペースとなっているらしい。二階
は一階より、だいぶマシだった。だが、接客スペースを掃除しろよと思わなくもない。この屋敷にくる客が少ないということなのだろうが。
リゼたちは二階にある主人の寝室へと向かう。
広いというか、不気味というか、お化け屋敷というか、そんな雰囲気の屋敷の寝室は周囲よりも少しだけまともだった。少なくとも埃の匂いはしないし、清潔だ。ただし、明かりは限られている。カーテンが閉められているから薄暗いせいもあるだろうが、そんななかでも煌々と光っている灯りは、贅沢の表れだろう。
「おまえが、リゼか」
部屋の主は、そう言った。
世話がれた老人のような声だった。だが、老いているのは声だけであった。そもそもリゼの兄なのだ。中年ぐらいが妥当の年齢だろう。しわがれた声なのは、おそらくはタバコである。この世界では江戸時代の日本と同じように、タバコが健康に良いと考えられている。
ベットに座ったままではあるが、それでも長身であると分かる。そして、髪も長い。この世界では比較的髪型が自由なので、長髪の男というのも珍しくはない。
「ご主人様、カーテンをお開けします」
イネシアが、カーテンを開ける。
強い日光に照らされて、おもわずリゼとシリアは眼をそむけた。
次の瞬間に、ようやく館の主の顔を二人は見る。青白い顔に、年相応に刻まれた皺。気難しそうな顔だが、えらく細い姿でもあった。
「あなたが、お母様のお兄様……」
リゼは、小さく呟く。
「つまりは、お前の叔父だな」
難しい顔で、叔父は呟いた。
「妹は、残念だった……」
叔父は、目を伏せる。
彼なりに妹の死を悲しみながらも、子供たちには悲しみを見せまいという表情であった。
「おまえは、どうして私を頼った」
叔父は、そう尋ねた。
親族だから頼った、という答えは許さないという鋭い目であった。
「生き残るために、頼ったわ」
リゼは、即答する。
「今の私では、生き残ることが難しい。だから、あなたを頼りました」
リゼは、スカートの裾を持って礼をとる。
「あなたの母への愛情を頼るようで心苦しくは思っています。けれども……私は生き残りたいのです」
リゼは、まっすぐに叔父を見る。
叔父は、リゼの態度に「ほう」と小さく呟いた。
「生き残ってどうする?父と母の復讐か」
叔父の質問に、リゼは首を振った。
その姿は、毅然として美しいものであった。
「守るためです」
リゼは、宣言する。
「私を守ってくれた人。私にかかわってくれた人……すべてを守るために強くなりたいんです」
彼女は胸に飾られている首飾りを握った。金色の人魚の首飾り。その首飾りを送った相手もいつかは守りたいとリゼは思っているのだろう。
「……おまえの覚悟は分かった」
叔父は、ゆっくりと立ち上がる。
立ち上がると叔父は本当に背が高い人物であった。日本人よりも平均身長が高い世界だが、叔父はその平均身長よりも頭二つは高い。しかも痩せているので、シルエットがかなり不気味であった。
「おまえを私の後継者としよう」
叔父は、そう言った。
リゼは、きょとんとしていた。俺はと言うと、ゲームのシナリオを知っていたので驚かなかった。そもそもリゼは、叔父の後継者に任命されていたからこそ命を狙われていたのだ。それに、そもそもリゼは叔父の養子になるはずの子供だった。だから、男女平等で育った俺はリゼが後継者になるのは当然だと思っていたのだ。
だが、リゼたちの感覚では違うようであった。
この世界は、男尊女卑の世界である。女性が財産を受け継ぐことはできない。そのため、ゲームのシナリオでも叔父はリゼの子供に男子が生まれることを期待していた。
ようやく、俺はこの世界の感覚の肌で知った。
女は、世継ぎにはなれない。
それでも、叔父はリゼを認めた。
その心と覚悟を認めた。
それは、どんな理由で後継者となるよりも尊いもののような気がした。
「ようやく、後継者を認めたか!」
ドアを力強く開けた、男がいた。
その男は、今まで見たどんな男よりも人間離れしていた。顔はライオンだった。スーツも着ていたが、スーツ以外から覗く手は毛むくじゃらだった。しいていえば、ライオン人だった。リゼは、そんな男の出現に目を白黒させてた。
思えば、リゼは初めて獣人に会うのだった。
俺は、ゲームで存在を知っていたが。
獣人は現実世界でいう黒人のポジションにあたる。つまりは、虐げられる人種だ。リゼたちのような人種と違って体力があるのが特徴になっていて、仕事が多い都会ではその体力を生かして金儲けをしているという設定であったはずである。だが、それはあくまで下流の労働者の話である。会社経営のようないわゆる上流の労働者には、獣人はいなかった。
「俺は、レオ。このスェラと一緒に鉄道会社を経営している」
だが、このレオは違う。
ゲームの世界でもそうだったらが、リゼの叔父スェラと共に鉄道会社の経営をしている。だが、レオに会社を所有する権利はないためリゼが早期に婚約を決めた理由の一つになっていたはずだ。ゲームでは。
「叔父さま……あの、その……獣人?」
「名前は、レオだ。共同経営者」
スェラは、レオを紹介する。
リゼは茫然としながら、レオに高い高いをされていた。
獣人は比較的力が強い人間が多いが、レオは大柄だけあってとても力強い。身長はスェラと同じぐらいだが、筋力はスェラの倍以上ある。リゼが、思いっきり胴上げされている時点でそれは察してほしいものである。
「じゃあ、スェラ。あっちは、だれだ」
レオは、シリルを指さした。
「……誰だ」
スェラは、リゼに尋ねた。
どうやら、今まで気が付いていなかったらしい。
「あの子は、シリルよ。将来的に王子になるの」
リゼの言葉に、スェラの顔色が変わった。彼はきっと仕入れていたのだ。妹夫婦が、一人の王子候補によって殺されたと。それでも、リゼはシリルを連れてきた。
「彼も被害者よ」
スェラはため息をつく。
「たしかに被害者ではある。だが、彼を庇うのは難しい。王族の問題に首を突っ込むことになるからな」
リゼは叔父の言葉を聞いて、シリルを見る。
シリルは、リゼから顔をそむけた。
「いい。俺は、俺のやり方で身を守る」
「そうか。ならば、せめて信用できる人間と連絡が付くまでは屋敷にいてもいい。滞在を許そう」
「……おまえ、王族相手にも偉そうだな」
レオが、この場を代表してスェラに突っ込んだ。
「彼は、まだ王族じゃない。ただの子供に偉そうにして、何が悪いんだ」
ゲーム本編にはほとんど登場しないスェラだが、なんとなく彼の性格が理解できた。天才だが変わり者といったところだろうか。
「滞在の許可を感謝します」
シリルは、スェラにそう告げた。
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