第9話
シリルと名乗った男の子は、私と同じぐらいの子だった。近い将来に王子になるかもしれない男の子。地味な外見で、なんだか私と似ているような気がした。
私も、ご令嬢というわりには地味な容姿である。
ユウは、何故かシリルを危険だと思っているようだった。
私は、シリルが危険だとは思えなかった。だって、彼は私と同じように無害な子供にしか見えなかったのだ。
「止まって!!」
セリシアが、叫んだ。
御者が馬を急に止めて、私たちの体は大きく揺れる。
「何かあったの?」
私は、馬車の外に出ようとした。
だが、セリシアがそれを止めようとする。
「見ないでくださいませ、お嬢様!」
「おい、燃えてるぞ!!」
馬車から身を乗り出していたシリルが叫んだ。
「屋敷が燃えているぞ!!」
私は、セリシアが止めるのも聞かずに馬車の外をでる。私の目の前で、私が生まれて、私が育った屋敷が燃えていた。その光景に、私は茫然とするしかなかった。
だって、屋敷が燃えている。
轟轟と燃えて、火に包まれている。
あの中には、母と弟がいるのに。
私は、燃えている屋敷に向かって歩き出そうとしていた。何も考えられなかったのだ。ただあのなかに母と弟がいると思うと、足が止められなかった。
「おい!」
シリルが、私の肩を叩く。
彼は、首を振った。
「もう、だめだ。逃げていることを願うしか……」
私は、シリルの手を振りほどく。
「どうして、そんなことを言うのよ! どうして!!」
「俺が、原因かもしれないから」
シリルは、そういった。
「俺が、こっちにやってきたから。俺がこの地方にやってきたら、この地方の貴族を頼ると思って先に攻撃されたんだ」
その声を聞いた私の頭に理性が消えた。
シリルに掴みかかり、彼を殴るために大きく腕を振るう。けれども彼に私の手が届く前に、私は止まった。彼も泣いていたのだ。
はらはら、と泣いていたのだ。
「何で、あなたが泣くのよ」
泣きたいのは、私だ。
泣くべきなのは、私だ。
けれども、あなたが先に泣いてしまったら私はもう泣けない。
「おい、リゼ!!」
名前を呼ばれて、顔を上げた。
振り返ると、そこにはナイフの先生である老兵士がいた。
「無事だったか。……奥方と弟は、助け出せなかった。主人も二人を助けるために家に戻ったが、この様子だと」
老兵士の言葉に、膝の力が抜ける。
「立て!」
老兵士が、私を叱咤する。
「家族を亡くして辛いのは分かるが、今は自分の命も危ないときだ。立って状況を冷静に見つめろ!!」
その言葉を聞いて、私は無理やり自分の足に力を入れる。けれども、震えてうまく力が入らない。
『リゼ!』
ユウの声が聞こえた。
そのときの一瞬――一瞬だけ、私の目の前にはユウがいたような気がした。見たことがない服を着た、二十代前半の男。真面目で優しそうな雰囲気の男が、私に手を差し伸べていた。
『俺が、味方になるから!』
ユウは、叫んだ。
『絶対に、味方だから。お前の側にずっといる。だから、お前はなにがあっても生き残れ!』
私が、ユウの手を取った時にはもう彼の姿はなかった。
けれども、私は誰にも掴まれなかった手を握った。
「……分かった。生き残るわ」
私は、今まで自分が将来的に死ぬという話を信じてこなかった。
けれども、今は信じた。
私は、将来的に死ぬかもしれない目に会う。けれども、私は絶対にそれを乗り越えて生き残るのだ。
立ち上がった私を見た老兵士は、頷く。
「頼れそうな親族はいるか?」
「母の兄の養子に入る予定だったので、彼は頼れると思います。会ったことはないんですが」
母の兄が病弱すぎて、私と会う約束をしても相手の体調不良で齟齬にされてきたのだ。
だが、住んでいる場所などは分かる。
「分かった。すぐにこの街に行けるように手配する。セリシアは、使用人たちの安否の確認だ」
老兵士に指示に従って、セリシアは急いで動き出す。だが、すぐに踵を返して私に財布などを手渡した。
「少ないですが、これでどうか叔父様のところまで……どうぞご無事で」
セリシアは自分が身に着けていた首飾りまで私に与えようとした。
さすがにそれは断るが、セリシアは彼女の母親の形見だと語った。
「幸運のお守りです。どうか、ご無事で」
首飾りは、金の人魚がモチーフになっていた。高価なものではないが、安いものでもない。ましてや、母親の形見である。
「受け取れないわ」
私は、セリシアにそれを返そうとした。
だが、セリシアは首を振る。
「これが、私の代わりにお嬢様を守ってくれるなら……」
私の手に首飾りをぎゅっと握らせる、セリシア。
もう、首飾りは返せなかった。
「これを、いつかあなたに直接返します。この約束をお守りにします。セリシア」
私は、長年私に仕えてくれたメイドに抱き着いた。
メイドは、震えながらも私の背中をなでていた。
「どうか、ご無事で。……お嬢さま、どうか」
セリシアの手は、母よりも老いた手だった。
たぶん、母よりも私をいたわってくれた手だ。
私は、泣きたくなった。
この人は、母だ。
産みの母と同じぐらいに、私を愛してくれた人だ。
「おい、もう行くぞ」
老兵士が、私とセリシアを引き離す。
私とセリシアは、互いに後ろ髪が引かれていた。けれども、老兵士は「今、別れればいつか再び出会える」と私に言った。私だけに言った。
そのときに、知った。
私だけが、決められるのだ。
セリシアとの離別を。
「戻ってくるから」
私は、セリシアに告げた。
「絶対に、これを返すから……」
私は、セリシアに別れを告げた。
セシリアはいつまでも、私に手を振っていた。私とシリルは、老兵士に手を引かれて生まれ育った町を出ようとしていた。
「おい、あっちのガキは?」
老兵士は、私に尋ねる。
「……もうすぐ王子になるらしい男の子」
私の言葉に、老兵士の足が止まる。
「そんな身分の人間が護衛もつけずにいたのか?」
「護衛は……たぶん全員が襲撃者になったんだと思う」
それぐらいに、シリルには味方がいなかった。
そもそも、どうして彼の側には母親がいないのだ。正直、こう考えるのが自然なのだ。
『お前の考えは、当たってると思う』
シリルは、母親にでさえ死んでもいいと思われているに違いない。シリルは王の子かもしれないが、結婚前に生まれてしまっている庶子だ。彼は、王の子ではないと思われているのかもしれない。
「置いていくか?」
老兵士は、私に尋ねる。
彼も、シリルが狙われていると分かっているのだろう。
ユウも「置いてけ、置いてけ」と私のなかで叫んでいる。
「できる限り、保護するわ。せめて、母の兄に協力を求められれば」
私の決心に、老兵士は頷いた。
「分かった。俺もついていこう」
老兵士は、私たちと共に馬車に乗って駅を目指した。
駅に、私は初めて足を踏み入れた。
列車の切符の値段はひどく高価で、そのせいか客はあまりいなかった。そもそも冬は列車事故が多い。主に荷物を運ぶための列車だった。その列車に、私たちは乗り込んだ。
列車のなかで、老兵士は私にナイフを渡した。
それは、今まで私が使っていたナイフとは全く別のナイフだった。
「きれい……」
思わず、私は呟く。
今まで私が使っていたナイフは、飾りもなにもないナイフだった。だが、老兵士が新たに私に渡したナイフは美しいナイフだった。柄には飾りがあり、ナイフは磨き抜かれている。
「これは、俺が認めた弟子に渡していたものだ。お前にも渡す。いざというときは、これであっちで師事できる師匠を探せ」
「これは、免許皆伝の印ではないの?」
「お前みたいな未熟者にそんなのを与えられるか。これは、あくまで俺の弟子だという証だ」
できれば、老兵士にはついてきてほしかった。
けれども、彼は私を送り届けてはくれるが一緒に来てはくれないらしい。
「あの町は、俺の故郷だ。定年後は、あの町を守ると決めてた」
老兵士は、そういった。
私は、それを聞いて何も言えなくなった。
あの町は、私の故郷でもあったからだ。
父と母が、ずっといてくれた町。思い出して、思わず涙腺が緩む。けれども、泣くものかと拳を握る。
「いつか……大人になったら、私もあの町に戻ってくる。そうして、私もあの町を守るわ」
老兵士は、私の頭をなでた。
「待っててやるよ」
そう言って、彼は笑った。
いつか……いつか、私はここに戻ってこられるだろうか。
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