第12話
風の静やかな音が、天空を裂いている。
空は快晴だった。照りつける日差しはそれなりに暖かく周囲を包んでおり、吹く風がそれを適度に調整している。およそ過不足ない天候。太陽と空気、双方に当てられながら、その心地よさに溶け込む。
ルインの南端、住宅街も離れ、土を均しただけの道路しかない場所。信号機にもたれかかって、インヘルトはぼんやりとしていた。
「気持ちいいですねえ」
「そうだな」
ぽつりと、同居人が思わず漏らした言葉に同意する。
フューリアは空に浮く事もなく、インヘルトの肩に座っていた。視覚を始め、あらゆる感覚はあるが、所詮は現し身の体らしい。飛んだところで労力があるわけでもないのだが、しかし彼女は、体を落ち着ける事を好んでいた。
インヘルトも、わざわざ肩からはたき落とすような理由もなく、彼女のしたいままにさせている。もっとも、歩き出すと、視点の激しい上下が気持ち悪いという理由で、再び浮き始めるのだが。
「旅立ちにはいい日だ」
言って、彼女は空を見上げた。
青いキャンバスには、所々白く塗りたくられたように、雲が浮いている。ここは都会ではなく、空を飛ぶ自動車の類いもない。遮るものがなく、どこまでも広がる空は、それだけで心に沁み入るものがある。
空。言ってしまえばそれだけだ。子供の頃から、なぜだか見上げる事は多かった気がする。そして、野望を描いたものだ。いつか空を切り裂いてやる、と。もっとも、そんな荒唐無稽な野望はまだ捨てたわけではないので、今でも十分子供だったが。思い、苦笑する。
インヘルトは自分の言葉の通りに、旅装をしていた。
背中には登山用のやや小柄なバッグ――といっても、今はインヘルト事態が大分小柄であり、それと比較すれば十分大きなバッグであったが。中には携帯食料と金を、詰められるだけ積めている。衣類の着替えは、上着だけだ。彼女が今来ているドレスは、どうやら着用者まで含めて自浄機能があるらしい。いくら汚れても、勝手に分解してくれる訳だ。つくづく多機能である。そして、バッグの脇にあるハンガーには、左右に剣を二振りずつ。腰のベルトに佩かず、わざわざそんなところにつけているのは、あくまで護身用だと思わせるためだ。どこか街に入るときは、布でも巻いとけば簡単にごまかせるからというのもある。
普通ならば、空間増設なり拡張なりの魂啼術を使って対処する所だろう。空間術はその便利性から、研究を繰り返しかなり簡略化もされ、そう難しくない術にはなっている。それでもインヘルトには難易度が高いため、使えないが。そもそも、体が変わって以降、魂啼術適性が爆発的にあがったため、ちょっとした術でも馬鹿みたいな出力が出てしまう。そのため、迂闊に使えなくなっていた。
一応フューリアにも相談してはみたが。瞬発的な術ならばまだしも、長期にわたる術は不安があるというため、こういう形になった。
まあ、空間術には重要なものを収容しないというのが鉄則ではある。
しばらく、そのまま心地よい陽気を堪能している。
「インヘルト、姫様、お待たせ」
と、やがてリルエがやってきた。
こちらも旅装だった。服はいつものままだが、靴だけは頑丈なブーツに変えている。背中には大きな弓と、ナップサックを背負っていた。彼女は当たり前に空間術を使えるため、重要度が低いものはそちらに詰め込んでいるだろう。
「待たせた?」
ちらりとインヘルトを見ながら、彼女が聞いてくる。なんてことないと、手を振ってだけ答える。
そういえば、と思い出す。普段は大分身長差があるため、彼女に見られる時は大抵上目遣いなのだが。そうでないのは珍しいなと、どうでもいい事を考えた。
「じゃ、行くか」
リュックの肩紐を直しながら言う。
「ちょっと待って」
が、それはリルエに止められた。
どれほど待つまでもなく、ぞろぞろと人がやってくる。幹部連中に、団員が幾人か。
先頭に立っているシバリアが、代表するように言った。
「よう。今日出るって聞いたからな。その見送りだ」
「大げさだなあ」
インヘルトは苦笑した。
言葉に、シバリアも苦笑し返した。
「そう言うなよ。今度の旅は、ちょっと長引きそうなんだろ?」
「リルエがいるから連絡には困らないし、いざとなったら転移でいつでも帰ってこれるさ」
肩をすくめて言った。
もっとも、国家をまたいでの転移は、国際協定で禁じられている。行うならば相応の覚悟が必要なため、本当に最後の手段だが。
が、シバリアはそれも含めてといった風だった。
「気をもんでる奴もいるんだ。そう言ってやるな」
ひりついているというのは、まあ、わざわざ聞くまでもなくセナウの事だろう。
――躯染めを倒して、幾日か経った頃だっただろうか。インヘルトはセナウと会って話した。これはフューリアの事情を説明するためでもあったが、話の主題は、セナウの愚痴だった。つまり、躯染め侵攻の後処理について。
躯染めの狂乱で、各国から非公式に非難の声が上がったらしい。各国の調査団は、表向き一般人である上、ほとんど天災に巻き込まれたので、目立って文句を言えるはずもない。そもそも非難すること自体が無意味な事ではある。それでも言ったのは、躯染めの遺体という絶好の研究材料を独り占めさせないため、らしい。躯染めが生み出した化け物は全て灰になって消えたが、躯染めそのものはしっかり残っていた。
調査団の生き残りは、少数ではあるがいた。そのため、各国にはかなり正確な情報が渡っている。まあ、推測を主にした悲観的情報で組み立てられるよりはマシだろう。最悪、陰謀と言われかねない。
どのみち、カイゼリンのポテンシャルで躯染めの研究などまともにできるはずがない。遺体を切り分けて分配する程度で矛を収めてくれるなら、まあベターではある。とはセナウの弁だが。
「ここを出ることについては、セナウも了承済みだろうに」
「それと気がかりにならない事とは別問題だろう」
やはり、子供に言い聞かせるような面持ちで、シバリア。
「他国に俺の変化と弱体化を知られないためには、カイゼリン内にいない方が都合がいいって言ってたのになあ」
「そこはそれ、兄弟としての心配はあるさ」
ははは、とシバリアが笑う。
と、インヘルトは気づいた。
シバリアの横にいた二人、ポポルとブフーが嫌そうな顔をしている。彼女はそちらに視線を向けて、問いかけた。
「やっぱまだ苦手か」
「そりゃそうだ」
「あいつを好きになる理由なんてあらへんやろ」
「お前たちもつくづくだなあ」
そう言うしかない。
六年。短いようで長い年月。その間、関わりなどほとんどなかったのだが。それでも嫌うというのは、もう生理的な反応かも知れない。
あいつも報われないな、とセナウに対して思う。本人も分かってやっているのだから、もう言えることはないだろうが。
「しかし、旅に出てボスは体が戻るのか?」
「なんや、どこに行くんやったっけ」
「エルラエリテだな。
エルラエリテ。極光族が支配する国だ。種族名がそのまま国の名前になっているため、ひたすらわかりにくい。
「体が戻るかは、まあ分からねえよ。それを確かめに行くんだしな」
「戻ってもらわないと困るんだけどねー」
「私は別にいいのですが……」
話題に、リルエとフューリアが入ってくる。彼女らは、それぞれの感情をそのまま写したような表情をしていた。
「そういう訳にもいかないさ」
インヘルトは声のトーンをいくらか落として、最後の言葉、つまりフューリアに対して言った。
「女の体は据わりが悪いってのもあるけどな。一国のお偉いさんの体をうばっちまったってのは、さすがに問題がある」
自分みたいな馬鹿でも分かるほどに、と付け加えて。
彼女はぷっと頬を膨らませた。
「私は体を奪われたんじゃありません。あなたに明け渡したんです。そこだけは間違えないでください。そもそも、今私の意識があること自体がイレギュラーなんですから」
「それで『はいそうですか』とはなれないかな」
インヘルトはどんな表情をすればいいか分からず、曖昧なまま口にした。
「まあ使わざるを得ない間は使わせてもらうよ」
「そうして下さい」
きっぱりと言う彼女に、やはりどういう感情を移せばいいのか分からない。
インヘルトを安心させるように、少女は胸を張った。
「大丈夫です、同族は私が説得しますから」
「まさに納得してない同族がそこにいるんだがなあ」
言いながら、リルエの方を見る。
彼女はちょうど、見送りにやってきた小さな子供を抱き上げている所だった。
「じゃあフェリス、私も行ってくるからね」
「まま、いっちゃうの?」
どこか甘えるような、寂しげな様子で、その少女は言った。胸元まで持ち上げられて抱きかかえられ、上目遣いにしている。もっとも、やはり目の焦点はあっておらず、視線が交わることはなかったが。
「やだ」
つぶやきながら、ぎゅっとリルエに抱きつく。小さな手が服を掴んで、そこが皺になっていたい。
「これもお仕事なのよ、ごめんね」
「じゃああたしもいく」
「ダーメ。フェリスはここで待ってて、ね?」
「んーんぅー……」
ぐずるようにして、胸に顔を埋める。ぐりぐりと頭を押しつけて、絶対離すまいと言う意思を示して。
しかし、それからいくらかして、少女は手を開いた。
リルエはフェリスの脇を抱えて、体を離す。少女は泣きそうな顔をしてはいたが、なんとか涙は流さなかった。それが、一応は意思なのだろう。自分の欲求と、母に迷惑はかけまいとするギリギリのライン。
「はやく帰ってきてね」
「ええ、なるべくね。あたしもそんな長々とやってるつもりはないわ」
言って、彼女は少女の頭を撫でた。
その姿を、穏やかに見ていると。リルエがきょとんとした顔でこちらを見た。
「どしたの? 何か変?」
「いや……」
一瞬、言うべきかどうか迷って。特に言わない理由もないと悟って、口を開いた。
「まるで今生の別れみたいだなって」
「縁起でもないこと言わないでちょうだい」
憮然として言われ、ついでに肩も叩かれる。
まあ、彼女の言うとおりであったため、そこには反論しない。素直に叩かれておく。
目的の割には大層な別れを終えて、二人(ともう一人)は町の縁に立った。
「じゃあ行ってくる」
「おみやげはないわよ」
「なんやねんそれ」
リルエの軽口に、ブフーが突っ込みを入れて。
インヘルトは手を上げて言った。
「またな」
団員たちは、同じように片手を上げて、口々に言う。
「おう、早く帰ってこいよ」
「土産の話は楽しみにしとるで」
「ボスがいねえと締まらねぇーんだ。早く帰ってきてくれよ」
「インヘルトおじさん……おばさん? またね」
別れの挨拶を一通り聞いて、リルエが唱える。
「
視界が歪む。それは一瞬で、気づいたときには林の中だった。
人気はない。というか、道らしい道もない。これはまあ、当然だ。カイゼリンはシナウッセルとベルモパンに挟まれるようにして立地している。その隙間を抜けて他国に入るならば、当然パスポートが必要であり、つまり身分を明かさねばならない。そんなことができるわけもないため、密入国で抜けなければならなかった。であれば、人通りがある場所を通れるはずもない。
場所が国境際になろうと、所詮は狭い領地内だ。風が涼やかなのは変わらない。木々のため、少々木陰ができており、そのおかげか、多少体感温度は下がっている。
「そういえば」
ぽつりと、リルエが口を開いた。
「こうして二人だけってのも――まあ姫様もいるけど――初めての事よね」
「言われてみればそうかもな」
出会って六年ほどか。インヘルトは言葉を噛みしめながら、数えてみる。
知り合った当初は、戦争に、事後処理にと忙しかった。そもそもさほど話す愛柄でもなかった、というのもある。
それからルインを拠点にすれば、近くに団員がいない時というのもなかった。セナウに会うためアンティグアに行くときは、大抵リルエかシバリアが一緒だったが。そういった時だって、近くに誰かしらはいた。往復はそれこそ術で一瞬だったのだし。
目的地はエルラエリテ。極光族の本拠地。おそらくは、この世でも一、二を争うほど魂啼術が発達した場所。同時に、この世で最大級の魂啼術適性を持つ種族。
「ま、ゆっくり行きましょ」
「さっきと言ってることが違うじゃないか」
「だって」
言って、彼女は肩をすくめた。
「急いでどうにかなる事でもないでしょ。秘密に国境を抜けるから、迂闊にレンタカーも借りられないし。どうしたって時間はかかるわ」
「……その通りだな」
旅路は、そう長くはなくとも、短くもない。そして、目的の場所にたどり着いたからと言って、目的を果たせるかも分かっていない。
そもそもどうすれば解決するのか、今のところそれすらも分かっていない。魂を完全に分離するのか、片方――その場合はおよそインヘルトだろうが――が死ぬことになるのか。フューリアを回復するにしても、いくら魂を圧縮していると言っても、今は人形サイズまで縮小してしまっている。それを戻すならば、やはりインヘルトに移設された残りの魂が必要だろう。どうしたって、難易度が高いのには変わりない。
感情の問題もある。インヘルトはすでに一度死んだ気でいるが、それはフューリアが納得しそうにない。やるならば両方を生かす形にしなければならないだろうが、それがさらに解決の難易度を高めていた。
「前途多難か」
「私はこのままでもいいと思いますけど。なんなら私がいなくなっても……」
「絶対駄目です」
相変わらず自分を捨てたような物言いのフューリアに、リルエは鋭く制止をする。
空は青い。どこまでも続く空。そして、どこまでも通じている空。
「ま、どこでも可能性がありそうな場所に行けばいいさ」
空の続く限り、繋がっている。隔てるものはない。かつてそれすら断とうと焦れて、結局果たせなかったもの。
「どこだって、そこにある限り、いつかはたどり着くんだからさ」
言って、歩き出す。その少し後ろで、リルエが慌てたようについてきた。
空は快晴。少しばかりの雲が、申し訳程度に浮いている。
旅立つには悪くない日だった。
QUEEN EDGE 天地 @1235533
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