第9話

 気配を感じる。

 それは元あるべき形のような、確たるものではない。それでも、確かにそれはある。ならば、進まなければならない。


「……《鍵》」


 つぶやく。

 足りないと自覚のある頭で反芻する。《鍵》。必要なもの。やるべき事。

 忘れてはならぬ事柄。


「敵……捕まえる……逃がさない……」


 繰り返し繰り返し念じて、頭の中に刻み込む。

 先達の居住区に群がる『虫』たち。悲鳴を上げる者もいれば、攻撃らしき事を行う者もいる。こいつらはどうするべきかのか? 自問したが、答えは出なかった。つまりは、どうでもいい事なのだろう。そう見切りをつける。

 『銃』なる武器を向ける虫を切り飛ばす。背を向ける虫は針を飛ばして串刺しにする。何をしているか分からない虫は踏み潰した。

 これらは敵か? 頭の中に、またどうでもいい疑問が残る。

 答えは、どちらとも言える、だった。敵と見なすには、これらは弱すぎる。およそ戦いの成立する相手ではない。この中で、唯一敵と言えそうな一団は、とっとと去ってしまった。

 力なき虫とて、小うるさくはある。潰して回る理由はないが、あえて潰さない理由もない。どこで邪魔になるか分からないのだから。

 敵かは分からない。ただ、邪魔である事は確実だった。任務に支障をきたす訳にはいかない。対処法は簡単だ。こちらも邪魔を増やしてやればいい。

 またどうでもいい事にとらわれていた思考を、かぶりを振って元に戻す。


「《鍵》……取り戻す……報いる……」


 そう、必要な事はそれだった。

 報いる。必ず。目的を達する。必要な事。

 何に対して報いるのか。ふと疑問に浮かぶが、すぐにそれは捨てた。考える必要はない。ただ報いるのだ。

 報いるのだ。




   ▲▽▲▽▲▽




 ルイン中央広場より、やや東部。

 今は使われていないステーションやら宿場やらが立ち並ぶ場所。数日宿泊する程度ならばともかく、居住するには向かない建物ばかりであるため、そこに住んでいる団員はいない。あちこちにある、そこそこ開いた土地と、クレーン台などは、荷物の積み卸しに利用していたのだろう。港としては能率的なのだろうが、それ以外に使うには向かない。そのため、東側に立ち入る者自体が少ない場所ではあった。

 その一角に、元々は市役所だかに使われていたであろう建物があった。その会議室と思わしき場所に、彼女らは集まっていた。

 顔ぶれは、一種壮観と言えた。インヘルトを筆頭に、リルエ、シバリア、ポポル、ブフー。グノーツ傭兵団幹部の大半がそこに集まっている。

 会議室は薄汚れていた。使う頻度はそれなりにあるのだが、わざわざこの場所を掃除しようという物好きもいない。元が廃村に住んでいる夜盗もどきだ。ここが完全に風化すれば、放棄し別の場所に住めばいいと思っている連中に、清潔など望むべくもない。

 部屋の中は、長テーブルが二つ並んだ簡素なものだった。テーブルを囲むようにして、乱雑に椅子を並べている。どちらも長く使っているからか、年期を感じさせるものだった。

 部屋の大きさは、調度品の数相応だ。つまりは、数人が話し込める程度の大きさになっている。建物の中には、これより大きな部屋などいくらでもあったのだが。たった数人で、数十人が使うような広間で話すのはいかにも間抜けなので、使われたことはない。


「で」


 インヘルトは、やや傾いたテーブルに肘をつきながら、言った。

 本来の体とは身長が違うため、テーブルに体を持ち上げられている感覚がある。微妙に気持ちが悪い。


「躯染めの襲撃かぁ」


 その言葉が、ぼんやりとしていたのは。実感がわかないというものでもあった。

 躯染めの襲撃など、そうそうあるものではない。というか、そもそも躯染めと遭遇すること事態があまりない。躯染めが攻めてくると言うのは、大事件というよりは珍事といった方がいいかもしれない。まあそれを言ったら、わざわざ躯染めに攻め入ったインヘルトの行動も珍事なのだが。

 正直に言って、何か勘違いしていると言われた方が、よほど現実味があった。

 普通の国であれば上から下まで泡食うような事態であるが、しかし彼女らの反応は微妙だった。

 リルエはインヘルトと似たような姿勢でぼんやりしている。シバリアは腕を組んで椅子の背もたれに寄りかかっていた。ポポルとブフーに至っては、どうでもいいとばかりにあくびをしている。


「そういやさぁ」


 放っておけば雑談でも始めそうだったポポルが、不意に口を開いた。


「これって仕事になってんの? そうじゃなかったら、わざわざ戦う気になんてならないわ。ここ捨ててどこか別の拠点に移った方がいいと思うわ」

「あー、それもええかもなあ。そろそろここも飽きてきたし、いい加減ぼろいし」

「次の拠点はどこがいいと思う? 俺的には東の方とかいい感じだと思ってる」


 などと、どうでもいいことを話し始めたが。

 遮ったのはシバリアだった。


「その点については安心しろ。ちゃんと領王から依頼が来てる」


 言いながら、シバリアが紙を取り出した。

 団長こそインヘルトとなっているが、それは単純に一番強いからそうなっているに過ぎない。正直なところ、彼に実務的な何かが回ってきたことはなかった。できるとは誰も思っていないというのもあるだろう。

 なので、傭兵団の事実上の支配者はシバリアだった。彼が大抵の面倒ごとを処理している。面倒が多い場合は、そこにリルエの補佐がつく事もある。

 ポポルは紙を受け取って、その内容に目を通す。といっても、契約内容を精査している訳でもないだろうが。

 彼の横から、ブフーものぞき込んでいた。


「おお、結構いい額じゃねえか」

「しばらく遊んで暮らせそうやな」


 納得したのか、二人してうんうんと頷いていると。

 インヘルトが彼らを見ているのが分かったのだろう。紙をひらひらさせながら言った。


「ボスも見る?」

「いや、俺はいいや」

「だろうな」


 言って、ポポルは肩をすくめた。

 インヘルトが戦わないという選択肢をとるとは思っていないのだろう。それはまあ、正しい反応だった。彼女はほぼ戦わないことはない。戦うことを拒否する場合は、よっぽど気が乗らないか、さもなくば相手が弱すぎる場合だ。


「ごめんなさい……」


 そう消え入りそうな言葉を発したのは。いままで肩身が狭そうにしていたフューリアだった。


「恐らく躯染めの狙いは私です……。私がいるせいで、こんな……」

「気にせんでもええで、お人形ちゃん」


 へらへらと、手を振りながら、ブフー。

 リルエが彼に向かって、ペンを投げながら言った。


「姫様をお人形ちゃんとか言うな」


 大した威力でもないので、ペンは彼の額にぺちんと当たって、床に転がった。彼はペンの当たった箇所をぽりぽりかきながら、体をかがめてペンを拾っていた。


「ブフーの言うとおり、気にする必要なんてねえよ。俺らは対価をもらって仕事をするんだ」

「そゆこと。シナウッセルのアホどもが蹴散らされる姿も見られたし、おたくが気にする事なんてなんもないで」

「そう言っていただけると助かります……」


 言いはするが、それでも彼女は体を小さくしていた。

 フューリアの事情は、およそ説明済みだった。といっても、大分かいつまんだものらしいが。リルエが話の取捨選択をして語ったので、そこら辺に手抜かりはないだろう。


「私はこの体だと何もできませんから……」

「そうなの?」


 と、それは初耳だと、インヘルトはつぶやいた。

 彼女は申し訳なさそうに頷く。


「私の魂は大半をインヘルトさんに移設しました。間接的に魂啼術が使えないわけではないですが……。手間がかかる事ですし、そもそも私に戦闘の経験がありません。恐らく何かしようとしても、邪魔になるだけかと」

「いや、そこまで畏まらなくてもいいんだけど」


 ひたすら頭を下げる彼女に、インヘルトはそう言うしかなかた。

 元々当てにしていたわけでもないので、頭を下げられても困るのだが。フューリアはどうも、自罰的な気がある。


「それで、今回俺だけ出ればいいのか?」

「やっぱこれ見たら?」


 と、ポポルが紙をひらひらと振るが。それは手を上げることで断りを入れる。


「投入できる限り全戦力を入れてくれ、とあるな。万が一にも都市に被害は与えたくないし、お前一人に戦わせてまた死ぬような真似は避けたいんだろう」


 代わりに答えたのはシバリアだった。ポポルが掲げていた紙を代わりに手に取り、懐にしまい込む。


「傭兵団総出かぁ。そりゃまた剛毅な」

「伝説に曰く――」


 瞳を閉じて、歌うようにつぶやいたのは、リルエだ。


「躯染めは国を滅ぼす力を持つ――。まあそれは昔の話で、今とは技術も戦力も、人口も違うからそれほど大げさな事にはならないでしょうけど。それでも、単独でとてつもない戦力を持っている事は間違いないわね」


 頷いたのは、インヘルト以外の全員だった。


「本来なら、傭兵団全員でかかったって戦力不足を感じる相手よ。ここまで暢気にしてられるのは、ポポルらの情報で、比較的若い個体だって分かってるのと、あんたがいるからよ」

「そーゆーもんか」

「相変わらず自覚ないのねえ」

「自覚……自覚ね」


 なんとなしに、口の中でその言葉を転がす。

 自覚。傭兵団団長として。あるいは、インヘルト・グノーツ個人の力として。それらの自覚は、一応あるつもりではあるのだ。まあ、見合った行いをしているとは、口が裂けても言えないが。特に傭兵団団長としては、ほぼ何もしていないに等しい。それでうまく回っているから、というのもあるが。


「にしてもだ」


 インヘルトはリルエに視線を向けて言った。


「フューリアは自分を目的にして躯染めが襲ってくるみたいに言ってるが、魂啼術の専門家としてそれはあり得ると思うか?」

「どうかしら」


 問われて、彼女は困ったように首をかしげた。


「躯染めが誰か一人を標的にして動いてくるって、あんまり想像できないのよねえ。そうする意味もそうだけど、やって採算が取れる行動とは思えないし」


 すでに一体死んでるしね、と続けて。


「念のため聞くけど、今来てる躯染めはあんたが倒したのとは別の個体なのよね」

「外見的特徴で言えば、全くの別物だな。相手にとどめを刺した感触があるっていうのをおいといても、可能性は低いと思う」

「そういう事も信用できないってのが、躯染めの面倒くさいところよねえ」


 首を捻り、ついでに根元をひっかきながら。


「姫様は、躯染めに狙われる心当たりとか……」

「すみません、なぜか私にこだわっていたとしか」

「ないですよねえ」


 分かっていたと言うように、リルエは即座に返した。


「ポポル、ブフー」


 インヘルトが二人に声をかける。

 彼らは話しに飽きて、指相撲などをしていたが。声をかけられてはっとし、慌ててインヘルトの方を向いた。


「ちゃんと聞いとったで!」

「おう、その通りよ!」

「さすがに無茶のある言い訳だと思うが」


 服をびっと正し(礼服でもないのに)、背中などもぴんとさせながら。動いた拍子に、椅子までがたがたと鳴らしていた。


「躯染め、強さどの程度だった?」

「ぱっと見た限りは、俺ら二人がかりなら、なんとか足止めできるかもー、って程度やったで」

「といっても、あれが全力とは思えないけどな」

「じゃあやっぱり俺が戦ったのとは違うな」


 聞いて、彼女は断言した。


「お前らにゃ悪いが、俺が戦ったのは、お前ら程度じゃ瞬殺されるくらい強かったよ。てことは間違いなく別個体なんだが……」

「そうなると、なぜ別の個体まで同じ人間を狙うのかが分からん、か」


 シバリアが口を渋くしながら言った。

 結局のところ、そこに行き着くのだ。

 一体が、護衛部隊を殲滅してまで一人をさらう。ここまでなら、まあその個体の道楽だと言えなくもなかっただろう。言ってしまって、あえて否定するのも学者くらいか。

 しかし、後続まで現れて、しかも狙う人間が同一となれば、そこに共通した意識を感じざるを得ない。確実に、何か狙いがあるのだろうが……


「躯染めに社会性がある、とか聞いたことある奴いる?」


 インヘルトが問いかける。が、答えは同じだった。全員が首を横に振る。


「考えても意味ないことはやめましょ。取り急ぎ、重要な話は躯染めの侵攻に対してだけど」


 場の空気を変えるように、リルエが言う。


「こっちも街中には被害出したくないから、迎撃はルインの外で、って事でいいわよね」


 言葉には、誰も否定をしなかった。彼女は続ける。


「躯染めの侵攻時間予測だけど、ポポル?」

「あくまで転移してこず、まっすぐ向かってきた場合だけど、あと二十分と少しって程度じゃないか?」

「オッケー。まあまだたどり着いてないって事は、転移しては来ないんでしょ。じゃあとっとと話を進めましょ」


 リルエの言葉に、インヘルトはついていた肘を離した。

 視線の高さは、どれほども変わらなかった。普段は、こうすればそれなりに視点が変わるため、違和感はある。まあそれを言ったら、普通に立っている時の方がよほどだが。


「これより決議を始める」


 言うと、着席していた全員が姿勢を正した。

 唯一、何のことだか分からなかったフューリアが、きょとんとしている。そして、申し訳なさそうに声をかけてきた。


「あの、決議って何なんですか?」


 声は、インヘルトだけにしか聞こえないほど小さかった。これはわざと小さくしたのではなく、体のサイズを考えると、普通に話すだけでそうなってしまうのだろうが。今までは、それなりに声を張り上げていたのだ。


傭兵団うちの唯一と言ってもいい機能だよ」

「機能?」

「制限と言ってもいい」


 やはりよく分からず、彼女は首をかしげていた。


「そうだな。どこから話すべきか……」


 迷う。

 決議を待っている者たちに楽にしろと言うべきだろうか。迷って見回してみたが、彼らは二人の話が始まると、それぞれ姿勢を崩していた。

 ならいいかと思い直し、とりあえず最初から話すことにする。


「傭兵団を設立するに当たって、一番問題になったのが、うちらが無軌道だったって事なんだ」

「えっと、その……以前は奴隷戦士だったのですよね? なら当然では」

「そ。当然なんだ。俺たちは唯一頭を押さえてくる奴を排除して、自由になった。ただまあ、その自由ってのが誰にとっても問題でな。とりわけ組織的な機能にはとことん向いてなかったんだよ」


 当時はまあ、大変だったらしい。

 奴隷戦士をあくまで軍の一部として忠誠を誓わせたい議会。そんなことは不可能だと分かっているセナウ。今度は自分たちが支配者になれると思って、それができなく怒り心頭だった奴隷戦士。それらの支配欲とすれ違いの溝は、今度は内乱を起こすかと思われるほど深いものだった。


「当時、すでに独裁者に限りなく近かったセナウは、奴隷戦士が軍人をするなんて無理だと分かっていた。俺たちはそれだけ無軌道で、俗な欲望の塊で、なにより抑圧されていた反動か、自意識の塊だった」


 インヘルトはつい癖で肘をつきそうになり、一瞬そうするべきか迷った。わざわざただした背をまた曲げるのか。

 結局は欲求に負けて、頬杖をついたのだが。


「結局は、傭兵団という形で折衷案がとられたんだが――」

「俺はまだ納得してねーぜ!」

「俺もや!」


 口を挟んできた二人を、横目で見て。

 インヘルトは軽く手を払った。すると、リルエが席から立ち上がり、二人に対して拳を振るう。

 めごす、と鈍い音がした。続いて、何か重たいものが床に転がるような音が聞こえる。

 フューリアは一連の様子を、顔を青くして見ていたようだったが。インヘルトはわかりきった結果を、わざわざ確認する気にはなれず、視線はぼんやりとフューリアを捉えたままだった。

 浮きながら震えているフューリアが回復するのも待たず、彼女は続けた。


「折衷案がとられたんだが、これだけじゃあまだ問題があった。当たり前に、傭兵なんてもんは、強盗とそう変わりない存在だって点だ」

「それはわかりますが……あの、ほっといていいんですか?」


 未だびくびくとしながら、彼女はポポルとブフーを指さす。

 テーブルに隠れて見えないが、音から察するに、彼らは痛みにごろごろと転がりもだえているらしい。


「どうでもいいよ。いつもの事だし」

「いつものこと……」


 何か衝撃的な事を目にしたかのようにつぶやく。

 どう思われてるかは知らないが、本当にいつものことなのだから仕方ない。インヘルトは気にせず続けた。


「つまり外側からは、金で雇われる武力集団として。これはまあ普通のことだが。ただし、窓口は一本化して、傭兵団の団員が勝手に依頼を取れないようにした。傭兵の形を多少洗練させた形だな。ちなみに、雇い主はカイゼリン領国に限らない。他国――つまりシナウッセルとベルモパンも、領主が国に秘して解決したい事件がある場合、俺らを使うこともある。これは余談だが」


 カイゼリンからの依頼は、大抵国家の有事であるため、支払い自体は大きい。まあ、傭兵団こそがカイゼリン領国の主力だと考えれば、これは当然だが。しかし、依頼数そのもので数えると、実は国外の方が多かったりする。団員も、半ば観光気分で依頼を受けたりしている。


「で、ここから本題の決議についてだが」


 頭を支えていない方の手で、ぴっと指を立てる。

 ふよふよ浮いているフューリアは、ふんふんと頷いていた。その距離は、鼻先というほど近くはないが、はっきり全容を見て取れるほど遠くもない。

 と、ふとインヘルトは不思議な感覚に襲われた。

 自他共に認める無学の自分が、まさか何かを説明する側になるとは思ってもいなかった。苦笑しながら、続ける。


「決議は、言葉まんまの決議だ。さっき言った、依頼の窓口を一本化した後、それを受けるかどうか決める、内側の権能だな」


 言った後、インヘルトはけして広くはない室内を見回した。つられるようにして、フューリアも視線を巡らせる。

 殴られた衝撃でのたのたと座り直しているポポルとブフー。憮然とした様子のリルエ。大体いつも落ち着いており、どこか超然としているシバリア。


「傭兵団の幹部は、一人一人投票権を持っている。これは、依頼の諾否を多数決で決めることになる。会議参加者のうち、過半数が賛成すれば依頼を受ける、てな具合だな。投票権は、議題提議権も持っている。ざっくり言うと、傭兵団はこうしたいっていう意見を述べる権利だな」

「そうなんですか。しかし意外です」

「何が?」


 首をかしげる代わりに、体が傾いているフューリアに問いかける。

 彼女は彼女で、体が斜めになっている自覚がないのか、そのままの姿勢で、縦軸だけを回し、インヘルトに向いた。


「いえ、団長が一番強い権限を持っているものかと」

「一番強い権限かは分からないがな」


 苦笑する。

 それも、まあまあ勘違いされる事ではあった。


「団長――つまり俺が持つ権利は、単純明快に拒否権だけだ。これは多数決を無視して、議題を却下する権利なんだが。ちなみに議題提議権もない。ほんとーに「それ気に入らないから受けねー」というだけの権利だ」

「それは……権限が大きいんだか小さいんだか分かりませんね」

「だろ? 俺も使った覚えはあんまりねえな。投票が偶数で割れて無理矢理却下した時くらいだ」

「投票者が偶数なのに多数決にするのもどうかと思うのですが……」

「うちにはもう一人幹部がいるんだよ。スィリエって言うんだが」


 と、これはシバリアだったが。


「そいつはまあ、放浪癖があってな。うちで話が合うのも団長のインヘルトくらいなもんだ。性格に問題があるが、如何せん強さは折り紙付きでなあ。入れ替えようにも換えがいないときた」


 困ったように言う彼に、分かったような分からないような、と言った風のフューリア。

 シバリアは意地悪くにっと笑った。視線がインヘルトに向く。


「いなくなっちゃ困るってのに勝手な事やらかすって意味じゃ、うちの団長といい勝負だな」

「とまあ、これが決議な訳だが!」


 説教が始まりそうな気配に、インヘルトは無理矢理話を戻した。

 頬杖を外し、顔を真面目に戻す。こんな時くらいしか、真面目くさった表情を作る機会もない。


「議題「躯染めの迎撃および抹殺」。これに賛成の者は挙手せよ」


 言う。

 と、その場にいる全員が手を上げた。

 インヘルトはいったん目を閉じて息を吸い、そして吐きながらまぶたを開いた。


「全会一致により、任務は可決された。シバリア、団員に迎撃準備は?」

「とっくにさせてるさ。迎撃直前であわ食うのも馬鹿馬鹿しいからな」

「良し。じゃあ俺たちもちゃちゃっと準備を……」


 言いかけたところで、扉がノックされた。誰かが返事をする前に、ドアが開かれる。

 扉を開けたのは団員だった。名前までは覚えていないが、顔は知っている。何やら、少々慌てている様子だが。

 当たり前に、作法にうるさい集団ではないため、ビジネスマナーなど持っていない。返事があるまで開けるななどという教育は受けていないが、さりとて会議中にその程度の気も回らない連中ばかりではない。

 つまり、それなりに緊急の用事なのだろう。


「急報っす」


 団員は、誰かに遮られるより早く、まくし立てるように言った。


「躯染めの予想進路より、大集団が接近中。数は少なく見積もって千を超える、と。遠目からでも、土埃が舞うのを見ることができるくらいっす」

「大集団だぁ?」


 ポポルが、体を反らしながら問いかける。


「俺らが見たときは一体だけだったぜ。一緒に来てるのはナニモンだ?」

「それが、見たこともない化け物だとか。あ、そういやわずかに人の面影があったり、何か服らしい布きれを貼り付けた者もいるとか」

「……野郎、もしかしてぶっ殺した人間を再利用しやがったのか?」

「転移せずわざわざ歩いてきたのは、このためかもしれへんな。捨て駒作って全部転移させてー、なんてさすがの躯染めでも手間やろうし」


 もういいぞ、ポポルが言って手を振ると、それで団員は退席した。

 続けるようにして、シバリアが問う。


「どう思う?」

「まああからさまに引き剥がし工作よねえ。相手は何が何でもインヘルト……というか姫様と一対一になりたいらしいわ」

「都合がいいじゃないか」


 多少ざわめいた室内。インヘルトが口を開くと、一瞬にして静かになった。

 誰も口を開かず、自分に注目している。それを確認して、彼女はさらに言いつのった。


「敵はわざわざ「お前たち専用」の駒を作って消耗してくれた。その程度の雑魚に後れを取るお前たちでも、団員でもない。違うか?」


 彼らは一斉に頷いた。それに続くように、インヘルトも首肯する。


「俺にとっては、戦う前に相手が消耗してつまらん限りだが……。まあこれで、団員が戦いの余波に巻き込まれて死ぬ可能性が減ったと思えば、悪い事態とは言えないな。やることが多対一から集団戦になっただけだ」


 これにもまた、反対もなく同じ反応。

 インヘルトは笑った。少女の顔立ちに似合わず、凶悪に。


「さあ、戦いだ。俺たちの本領で挑んできたらどうなるか、躯染めにたっぷりと教えてやれ」


 返事はない。ただ、その場で闘気が膨れ上がったのは感じた。


「あんたって、なんだかんだ言って団長よね」

「そうか?」

「そうよ。だってこんなに、人をヤル気にさせるのがうまい」


 リルエはあっさりと言っている様子だが。しかし視線だけは、普段見せない鋭さがある。


「んじゃ、解散。各自準備して、迎撃予定地で再集合」


 言うと、全員が足早に会議室を出て行った。

 インヘルトは一番奥の席であったため、それらにいくらか遅れる形で部屋を出る。

 町の中は静まりかえっていた。元々人口に比して広大な土地であるため、さほど騒がしい場所でもないのだが。それでも、普段よりよほど音がない。そもそも気配すらないのだからよほどだ。

 彼女はそのまま自分の家へと向かった。

 団長だからと言って、特に大きな家に住んでいる訳ではない。どこにでもあるような、通りに面した家の一つだ。いかにも量産品な角張った作りであり、三階の一角には、駐車場もある。もっとも、そこにあるべき自動車はないが。

 自宅と言っても、元は一家数人が住むようなところだ。一人で住んでいたとして、使う部屋はそう多くない。実際、彼がよく使う部屋以外は廃屋然としていた。

 向かったのは私室ではない。元は物置であっただろう、階段の真下にある部屋だ。

 扉を開き、明かりをつける。中には無数の武器が並んでいた。全て剣であり、乱雑に重ねられている。

 フューリアは、インヘルトから多少後ろの位置で、中を確認していた。並ぶ剣刀類に、思わずと言った様子で声を上げる。


「いろんな剣がありますね。武器を集めるのが趣味なんですか?」

「いいや、全部実用品さ」


 中身を確かめる。シャムシール、ククリナイフ、カットラス、サーベル……。あらゆる片刃曲刀がある。全てが扱いやすいとは言いがたいが、しかし使うには及第点を与えられる武器たちだった。

 壁に掛けられているベルトを装着する。それらのうち六つを無造作に手に取り、ベルトに佩いた。


「武器なんて所詮消耗品さ。一回の戦いでも、何度も折れるし、折れれば変えなきゃならん」


 極めて単純な話、量産品の武器では、インヘルトの技量に耐えられないのだ。気を遣わなければ、簡単に折れてしまう。これは彼女に限った話ではない。自前で持ってきた良品の武器を持つリルエ以外、誰もがそうしていた。


「再生武器などは使わないのですか?」

「簡単に言ってくれる」


 思わず微苦笑した。

 再生武器。名の通り、欠損や金属疲労などを自動的に治癒してくれる術を施した武器だが。それはあまりお出回っているとは言いがたかった。

 理由は簡単で、術自体がそれなりに高難易度である事。そして、武器の種類……というか形状によって、施す術が変わってしまうこと。これらによって、通常の武器より何段もランクの高いものとなっている。


「再生処置を施した武器は、単純に高いんだよ。傭兵団ごときが簡単に買い集められるものじゃない。所持者を殺して奪い取るってのは、探す手間を考えるとやっぱり現実味のある話じゃないしな」


 続けて、インヘルトは夢見るようにつぶやいた。


「そりゃ、自分専用に調整された武器なんてのは、誰もが一度は求めるもんだがな。量産品じゃないもんを求めようもんなら、職人に直接立ち会う必要がある。カイゼリンにそんな腕前がある奴はいない。となれば他国で作るんだが、それを許すほど甘い国なんざないしな」


 結局、お下がりのボロを使うしかないわけだ。そこまでは口に出さないが、しかしすくめられたインヘルトの肩から、それは読み取ったのだろう。


「いつか……エルラエリテに来てください。そうすれば、インヘルトさん専用の武器を作ってもらえるよう頼めます。それが、私のせめてもの恩返しです。だから……」

「まるで辞世の言葉だな」


 インヘルトは目を細くして言った。

 剣を抜きだして、手に持つ。両手に剣を持てば、それだけで意識が切り替わるのを感じた。

 解放者リベレーターやらバンストの悪魔王やらと呼ばれる前の話だ。まだ奴隷戦士のチャンピオンでしかなかった頃は、双剣のインヘルトと呼ばれていた。昔の話だ。遠い過去のようで、まだその続きにいるような、そんな話。

 量産品だけあって、同じタイプの剣でも、左右でバランスが違った。まあ、この程度の違いには、もう慣れたものだが。最悪、片手には剣で片手にはナイフという、めちゃくちゃに偏ったスタイルで戦ったこともある。


「言っておくが、俺は負けるつもりなんてさらさらないぞ」


 持った剣の、刃と刃を滑らせた。きぃ――と独特の音がする。


「躯染めとの相打ちは、何も思うところがなかったわけじゃない。今度は勝つぞ。完膚なきまでにな」

「私も手伝えればよかったのですが……」

「やめろやめろ。こりゃ決闘だよ。他人に手を出されて勝つのは、その、なんだ? ああ、あれだよ。楽しくない」


 その言葉は、案じる少女をなだめるためのものでもあったが。あながち嘘でもない。戦いはやはり、完全無欠の一対一でなければならない。そうでなければ、自分の強さを信じることはできない。

 生まれてこの方、力だけが全てだった。それだけを頼りに生きることを強要され、許容していた。

 力。

 強さ。

 それだけが、インヘルトをインヘルトたらしめるものだった。獲物がどうだなどというのは、ただの言い訳だ。


「おし、行くか」


 持った全ての武器の感触を確かめて、彼は鞘にそれらを収めた。

 ドアを閉じ、踏み出そうとして、ふとインヘルトは口を引くら。


「ああそう言やなんだけど。お前って戦いに巻き込まれたら、そっちのちっこい体で耐えられるのか?」

「その点については大丈夫だと思います」


 彼女も、確証がないらしい様子ではあったが。それでも言う。


「私のこの体は、以前も言ったとおりただの影なんです。だから、インヘルトさんの胸のクリスタルがどうにかならない限りは、致命傷にはならないと思います」

「それを聞いて安心したよ」


 とりあえず、無理してかばう必要はないわけだ。

 安心して、インヘルトは踏み出した。

 街中を北西方面へ駆け抜ける。どこもそうだが、町の端は、建物と林の端が入り交じるようになっていた。

 道の下に集まっては、誰がどれだけ集まっているか見えないためだろう、誰もが建物の上に立っている。

 人だかりの中央辺りに、リルエたち幹部が集まっていた。そこにインヘルトも着地する。どうやら一番最後だったらしい。


「悪い、遅れたな」

「躯染めの到着に間に合わなかった訳でもなし、構わんよ」


 謝罪には、シバリアが答えた。

 中にはぎょっとしてインヘルトを見ている団員もいる。話に聞いていなかった訳でもないだろうが、まあ、手放しに信じ切れる事でもない。

 集合した傭兵団の真正面では、砂埃が舞っていた。どうやら敵は、木々などの障害物をなぎ倒して向かってきてるらしい。前進するたびに、何かが粉砕される音が、まるで雷鳴のように聞こえる。

 それらの一番奥。砂埃に隠れているが、確かに存在する敵。体格はひときわ大きく、巨獣は王のように悠然と向かってくる。おそらくは、現れたインヘルトに向かって一直線に。


「野郎ども」


 インヘルトは剣を抜いた。両手でそれを弄び、ついでに手の中で一回転などもさせながら。最後に大きく掲げて、高らかに宣言した。


「久しぶりの戦争だ! 死ぬんじゃねえぞ! そしてぶっ殺せ!」

『オオオオオォォォォ!』


 辺り一面から咆哮が帰ってくる。

 戦争時代も悪くなかったが、今もこれはこれでいい。思いながら、インヘルトは手に持った剣を、号令のように振り下ろした。




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