第7話

 そこにはあらゆる感覚というものがなかった。

 とまでは言い切れない。しかし、希薄であるには違いなかった。何もかもが、感じれ取れないほどに薄い。

 それは自分の意識に対しても同じ事が言えた。時が限りなく永く、しかし一瞬でもある。どちらかの判断などつかない。ここでは、例え千年経っていようと、つい先ほどの事であろうと、等価なのだ。

 思考すらも融けるような中で、彼女はうっすらと考えた。ほんの少しでも、報いることはできたのだろうか。もう結果を知ることはできないが。

 と、彼女は考えた。いや、考えていなかったのかも知れない。

 報いる?

 自分?

 結果?

 何のことだろう?

 分からない。つまりそれらは、ただの記憶という事なのだろう。考えることができないならば、考えられた頃の思考に沿うしかない。

 余分なことだ。しかし、ここではその余分すら、意味をなさない。

 いっそ意識まで融けてしまえばいいと思う。限りなく薄まった世界では、それこそ唯一の、冴えた正解だと思えた。何も考えず、何も触れず、ただ揺蕩うだけになれば、どれほど楽だろうか。

 それとも。

 これこそが罪の証なのかもしれない。何の罪かは分からないが、とにかく罪だ。自分は罪科を背負った。そのためにここにいる。

 と。

 急に、明かりが差した。

 あり得るはずのない事だ。この場は、世界のあらゆる事象と隔絶されている。何にも干渉されざる世界。ただ一個の、一人だけの世界。ゆえに外的干渉などあり得るはずがなく、ただ一つだけで完結している。

 しかし、光は無遠慮だった。喉に刃を突き立て、それを開くように、光は強さを増していく。

 そのたびに、取り戻す事があった。時間の感覚、思考能力、感情、感覚……。あらゆるものが、津波のように押し寄せる。

 最後、光の扉が完全に開ききったときに、やっと思い出した。

 私は私だ。




   ▲▽▲▽▲▽




 暴力的な光に目を刺されても、不思議と、目がくらむ事はなかった。通常、これほど膨大な光刃に目を焼かれれば、後遺症の一つも残るものだが。やはり光そのものではなかったという事だろう。ともあれ、明かりが静まっていくのと同時に、通常の視界もまた取り戻した。

 ただし、影響がなかったわけではない。目の奥には、未だにチクチクとした痛みがある。

 なんとか涙を流さないように苦労しながら、術の結果を確認する。

 何をしたかまでは分からないが、極めて大規模な術だ。それが現実に影響しないものだとまでは考えづらい。そもそも、魂啼術自体、現実に現実以外の作用を起こす術なのだし。

 結果は、探すまでもなかった。

 人影が増えている。というか、浮いている。

 体長は30センチに満たない程度だろうか。姿形は、今のインヘルトにうり二つのように思えた。自分の姿を鏡で確認したわけではないので、正確とは言いがたいが。とまれ、人型が着ている服は彼女が先ほどまで着ていたドレスそのものである。

 ふと、インヘルトはリルエの方を見やった。

 彼女はまだ、この事態に気づいていない。というか気にする余裕もないようだった。俯いて息を荒くしながら、びっしりかいた汗を手で拭っている。

 インヘルトは、その人形のような何かを手の上に乗せてみた。疑念はあったが、どうやら触れることはできるようだ。足から掌で掬うようにする。人影は大して抵抗もせずに、足を折りたたんで座るような姿勢になった。完全に脱力しているのかもしれない。

 触れた感じは、人のものとは違う気がした。といっても、それがサイズ差故のものではないと言い切る自信も無いが。


「どう?」


 やっと回復したのか、リルエが聞いてくる。

 インヘルトは無言で掌に乗っている人影を向けた。浮いているせいで、手を離すとまた宙づりのような姿勢になる。そのため、もう片方の手で、胴体あたりを押さえてだが。


「これ……」

「急に現れたよ。聞くが、これが術の結果でいいんだよな」

「多分そうよ。ぃよし!」


 ぐっと、彼女はガッツポーズを取った。会心の出来だったのだろう。

 とりあえず、インヘルトは小さな人影をつついてみた。大した反応はない。寝ぼけた子供にそうしたのと同じ程度のものだ。

 と、掌の上で、何かもぞもぞと動くものを感じた。人影が意識を取り戻したのか。


「うーん……」


 むにゃむにゃと、人影。やがて目が冴えたのか、びくりとしたのが、手からの感触で分かる。


「え? え?」


 驚いて、周囲を見回している。きょときょととして。ついでに、真っ先に目に入っただろうインヘルトとリルエの間で、視線を交差させている。


「え? 巨人ですか?」

「言っとくが君が小さいんだよ」


 念のため付け加える。

 声は、インヘルトのそれと全く同じものだった。といっても、トーンは大分違ったが。喉の使い方が違うのだろうか、と思う。あえて指摘されなければ、同じ体から発せられた声だと分からない程度には質に差があった。

 それで納得したかは知らないが。ついで、その視線がインヘルトに固定された。


「わ……私……?」

「という反応って事は、あんたがこの体の持ち主って事でいいんだよな」

「えっと、そうです? 多分……」


 まだ事態を把握できないのか、どこかおどおどとした様子は変わらなかったが。


「姫様……ですよね?」


 二人の会話(というほどのものでもないが)を遮るようにして、リルエが言った。瞳が、どこか期待と恐怖に潤んでいる風ですらある。


「姫……はい、一応そうです。フューリア・イスタナ。それが私です」


 言葉は、自分の存在を確認している様でもあった。


「あああぁぁぁ……」


 答えに、リルエは深く、とても深く、息を漏らした。


「よかったぁー……姫様、無事だったんだ……」

「これを無事って言っていいのかね」


 インヘルトが再びフューリアをつんつん突くと、ひゃんと小さな声が上がる。サイズ差を考えると、どでかい丸太を突きつけられているように感じるのだろうか。そう考えると、いじるのは少し申し訳ない気がしてくる。


「詳しい事情を説明したいし、聞きたくもあるのですが……その前に、場所を変えましょう。ここはまずい」

「そだな」


 と、インヘルトは短く同意した。

 魂啼術の発動は、他者から感知できる。これは魂啼術が影響を与えて現実改変を行っているか、だとか小難しい話があるのだが。詳しくはインヘルトも知らなかった。ただ、実用的な問題として、魂啼術の発動は秘匿できない。小規模であれば、もしくは術士が高度であれば、知覚できないほど小さい事もあるが。これだけ規模が大きな術を使われれば、それこそ通りを大声で叫び回っているようなものだ。そうでなくとも、極端な発光はそれなりに遠くからでも見ることができただろう。

 先ほどの強力な術の余波は、それこそインヘルト程度下級の術士でも観測できる。ということは、概ね周囲にいる全ての人間が感づいたと考えるべきだろう。

 街中にいる他国のスパイやら何やらが、リルエの仮宿まで知っているかは微妙なところだったが。いくらかは知られていたとして、全て把握しているとも考えづらい。おそらくは、ここで尋常ではない術が使われたことだけは知っただろう。

 カイゼリンにおいて、これだけの規模の術を扱える人間は数えるほどしかいない。であれば、それがリルエの術である前提ではないというのは、かなり楽観的な予測だ。少なくとも、近くにいるスパイは確実に刺激しただろう。


「そういえば」


 半ば話から置いてけぼりにされていたフューリアが、ふと思いついたように言う。


「私……いえもう私ではないんですけど、なんで裸なんです?」


 指摘されて気づいたという訳でもないが。インヘルトはまだ裸だった。

 言われて、どこから説明したものかと考えていると、


「その、裸族の片ですか? あまりそういった姿でふらふらされるのは、ちょっとどうかと」

「お前んとこの姫様、結構辛辣だよな」

「浮世離れしてるだけよ……たぶん」


 最後の一言は、自信なさげに小さなものだったが。

 ともあれ、もう裸でいる理由はない。服を着ようとして、ふとインヘルトは手を止めた。


「お前の服を借りられないか?」

「ここに服なんておいてないわよ。ドレスもまあ、目立ちはするけど悪いものじゃないんだからそれ着て」

「仕方ないか」


 言いはしたが、この部屋のうす寒さから、本当に着替えがあるだろうとは思っていなかった。そのためあっさりと諦める。

 床に落ちていたドレスを持ち上げる。

 服があるか聞いたのは、何もこれを着たくないというだけの理由ではない。単純に、これをどう着直せばいいか分からなかった。


「リルエ、ぷりーずへるぷみー」


 救援を頼む。

 と、彼女もそうなるだろう事は分かっていたのだろう。椅子を元の場所に戻しながら、顔だけをこちらに向けていた。


「鏡の前で服を確かめるようにしてみて」

「したことない」

「言われてみたらそうかしら……あんたが鏡の前で服を選んでる姿なんて想像できないわ」


 がたがた音を立てて椅子をデスクに突っ込んだ後、彼女は戻ってきた。

 ドレスを受け取ると、前後を確認した後、服をインヘルトの前に掲げた。服を体に合わせるようにして、密着させる。確かに、彼女が言うとおり、服を鏡の前で確かめるような風ではあった。彼女はその姿勢のままインヘルトの手を取り、自分で持たせる。


「脱ぐときと逆ね。今度は「着るぞー」的な事を思って」

「脱ぐときよかずいぶん雑な説明になったな」


 どうでもいい事だったが。

 念じてみると、服は吸い寄せられるように装着されていた。先ほどまでの、体に密着した、妙に慣れない感じが蘇る。

 服を着て、いくらか体を回してみた。特に違和感などはない。


「おお。分かってみると便利な服だな」

「ドレスの防御機構に隙間を作らないため、こういった構造になってるんです」


 フューリアが補足をする。

 上着を羽織って、出て行こうとするリルエの後についていった。一瞬、フューリアはどうだろうかと考えたが。彼女は浮いたまま、ふよふよとついてくる。どうやら飛翔能力は継続できるらしい。

 彼女は部屋を出ると、インヘルトを待ちもせずに階段へ向かう。つまり、ドアに鍵はかけていない。

 かつかつと、甲高い音を立てて階段を降りながら。リルエはぽつりと言った。


「このセーフハウスともお別れね」

「何か思い入れでもあったのか?」


 問われて。

 ふと彼女は、顔を上げた。階段を降りる、少々遅れてやってくるインヘルトに向けて。


「まさか」


 肩をすくめる。視線は戻し、再び階段に足をかけて。


「他のセーフハウスより少し長めに使ったって程度の話よ。元々、不定期に乗り換えているしね。今更一つが駄目になったからって、何を思うことはないわ」


 言って、彼女は沈黙して。

 インヘルトはそれ以上言葉はないと思っていたが、しかし彼女は続けた。


「あたしの家は、傭兵団の拠点にあるものだけよ」


 つぶやきは、足音だけしか響かない階段に、驚くほど通った。

 ふとインヘルトは、自分のすぐ横を飛んでいるであろうフューリアに視線を飛ばした。彼女も同じように、なんとなしにインヘルトの方を向いていた。

 何か思うところがあるのだろうか。考えなくもないが、それは無意味な問いだと知って、胸に秘めた。人生に何も思うところがないまともな人間が、わざわざ戦争になど絡んでくるはずがない。彼女も彼女で、生きてきた分だけの積み重ねがあるのだろう。

 しばし、二人の視線は交差して。何を言うでもなく、そのまま一階へとたどり着いた。

 建物を出て、三人は足早に脱出した。元々外縁部近くだ。都市の外まで出るのはすぐだった。

 背後で、気配がまとまっているのを感じる。術の余波を感じて、ビルに集まってきた者だろう。その中の幾人かは、他国の首輪がついているはずだ。

 アンディグアから出ても、その近くはまだ、開拓予定地として、かなり広域に切り開かれている。そんなところを通れば、当然目立つ。ここは一気に通り抜けようと、走って通り過ぎた。いくらか視線は感じたが、監視というほどのものでもない。

 ルイン方向に、正規の道はない。当たり前だが、ルインは破棄された元衛星都市だ。そんなところまで、わざわざ舗装してやる意味はない。道中もだが、ルインそのものだって安全な廃墟とは全く言えないのだ。

 獣道とも言えないような森の中に入って、二人はやっと走るのをやめた。


「周囲に気配は?」

「ない」


 問われて、即答する。


「これから飛ぶけど、一応聞いておくわ。忘れ物とかない?」

「大丈夫」


 言ってから、ふと思い出した。そういえば、偵察部隊を撃退した森の中に、剣を置き去りにしてしまった。多少申し訳ないと思ったが、今更取りに行くにしても、どこにあるかももう分からない。

 彼女は言葉に頷くと、すっと息を整えた。


我が声に従えセンテンフィア


 術が発動する。

 一瞬だけ、視界が切り取られた。カメラでシャッターを切る時のように、瞬間ブラックアウトする。次いで、小さな浮遊感。体と感覚が、時空間から切り離された証だ。慣れてしまえばなんてことのないが、初めて転移する者は、重力の急制動に吐き気を覚える事もある。

 転移した場所は、こちらは見覚えがあった。景色は転移前とさほど変わりない。違うのは、転移後のこの場所は、多少切り開かれているという点だ。廃村の周囲にいくつかある、傭兵団で定めた転移座標。ルインから十数キロ離れたあたりだ。

 なぜ直接街の中に転移しないかと言うと、これは傭兵団員を刺激しないためだ。いきなり気配の知覚範囲に転移すれば、概ね危険な事だと判断する。インヘルトだって、いきなり街中に転移されれば攻撃するだろう。それを避けるためだ。

 さして開けた場所でもないが、森というほどでもない。どこかの木にでも上れば、いかにも廃墟然としたルインが見えるような位置だ。

 ここからは、草木を踏み潰し、砂利道になった程度の道はある。

 インヘルトは、一応フューリアがいることを確認して、歩き出した。

 足を動かし初めてどれほどもしないうちに、フューリアが口を開いた。


「あの……お名前、聞いてもよろしいですか?」


 言われて、はたと、まだ名乗りもしていなかったことに気がつく。今更のような気もしたが。


「俺はインヘルト・グノーツ。で、こっちが」

「リルエ・シニアです、我ら極光族エルラエリテの頂点に立つ偉大なる神霊、フューリア姫様」

「いえ、私はそんな大層な者では……」


 謙遜というよりは、本当に恐縮しきった様子だが。ぱたぱと、手を振ったかと思うと、次いで赤らんだ顔を隠すように両手で覆った。ずいぶん忙しない。

 と、はたと、彼女は何かに気がついたようにつぶやいた。


「インヘルト・グノーツ……解放の英雄……バンストの悪魔王?」

「そんな二つ名までついてんのか。俺もなんか、すげえな」


 一体いくつその手の二つ名があるんだろうか、とぼんやりと考える。人が勝手につけていくものだから、マイナーなものまで含めると、数え切れないほどあってもおかしくない。あまり実感はなかったが、自分が生ける伝説として扱われている自覚くらいはあった。

 と、彼女はなぜだか恐縮しきった様子で、俯いた。いや、これは頭を下げたのだろうか。


「このたびは、本当に申し訳ありません。私ごときを助けるために、命を捨てさせてまでしてしまい……。感謝すればいいのか、謝罪すればいいのか……」

「…………?」


 本当に意味が分からず、インヘルトは首をかしげた。


「そもそも俺はあんたが誰だかも分かってなかったんだが……」

「え!?」


 驚愕に、彼女は顔をあげて。

 半眼になって顔を寄せてきたリルエが、それを補足した。


「本当ですよ、姫様。こいつ、姫様を助けるとかじゃなくて、ただ強い敵がいるって情報を掴んだから突っ込んでいったんです」

「いえ、いくらなんでもそんな人がいるわけ……」

「いまーす」


 いえーい、とでも言うように、両手をひらひらさせる。

 フューリアはがっくりとうなだれた。


「私のあの覚悟は……いえ、例え自覚がなかっとしても、私を助けてくれた結果が変わるわけではありませんし、選択に間違いがあったとは思いませんけど……」


 状況は分かった。でも心情的にはやるせない。フューリアの心境を代弁すれば、そんなところだろうか。

 とりあえず、感情には折り合いをつけたのだろう。彼女が顔を上げると、表情はさっぱりしていた。その上で、改めて頭を下げてくる。


「それでも、私を助けていただいた事には変わりありません。ありがとうございます」

「助けたとは言いがたいから、受け取りづらいなあそれ」


 事実、フューリアは肉体は放棄している。状況から察するに、魂も完全な形とは言えまい。助けたと言うには、いろんな意味で語弊がある。


「その点に関してなんですけど」


 隣を歩いていたリルエが、ぽつりと言った。いつの間に手にしていたのか、木の枝などを持って、小さく振っている。そういう事をするから幼く見えるのだが、自覚はないらしい。


「順を追って、話したいと思います。まず姫様は、なんで躯染めなんぞに捉えられていたのですが?」

「なんででしょう……? 私にも分からないんです。いままで関わったこともないですし……」

「躯染めにそんな生態があるなんて報告もないよなあ」


 といっても、そんな報告にどれほどの価値もないのは分かっていたが。

 躯染め。

 端的に言って、化け物の総称だ。なぜ化け物として一括りにされているかと言えば、単純に生命体としてのレベルが高いからだ。いや、生命体として分類していいのかも分かっていないのだが。

 とにかく、躯染めとは強靱な存在である。人間種族以上に魂啼術を使いこなし、中には鍵句すら用いず術を発動する存在すらある。そこら辺が、人より一つランクの高い生き物としてカウントされる所以でもあるが。

 姿は千差万別。本当に共通点がない。ただ、生まれながらの強者であり、年を経るごとにその強さを増す事くらいが、インヘルトの知っていることだった。


「私が分かっている事は少ないです……。突然襲われ、護衛の方々は皆殺しにされました。ですが、なぜか私だけは拉致し、封印された、という事くらいです」


 思い出すだけでも恐ろしいのか、彼女の顔は青ざめていた。こころなしか、浮遊速度も遅まっている。


「そこを、インヘルトさんに助けられたのですが……私が解放された時には、彼も致命傷を受けていました。魂に致命的な欠損があり、どう回復術をかけても助からないような……」

こいつインヘルトと相打つクラスの躯染めか……。そんなの何百年、下手したら千年以上も生きてなきゃ無理だろうに」

「実際強かったぜ。ありゃあ楽しい戦いだった」

「戦って死ぬ事については、少しは顧みてほしいんだけど」


 じと目でリルエに見られ、インヘルトは視線を明後日の方向にそらした。

 二人の下らないやりとりは気にならなかったのか、あるいはただ単に無視しただけなのか。それとももう慣れたのか、フューリアは続けた。


「私は、私を助けるために命をなげうった方を、どうしても無視できませんでした。ですが、ただの蘇生では全く足りません。だから私の体と、私の魂を素材にして助けようと決めました」


 すっと、そこで胸を張って。


「魂を抜いて体を空にし、そこにインヘルトさんの魂を詰め込みました。そして、私の魂を少しずつ切り取りながら、インヘルトさんの魂になじむよう改変して、取り付けていったんです。といっても、そのまま行えば、手術を終えるより先に私の魂が飛び散ってしまいますから。胸元に魂の圧縮結晶体を作って、そこに私の魂を固定し、ぎりぎりまで作業を進められるようにしたんです。最後に、残った力を使って、インヘルトさんを安全な場所まで転移して……記憶にあるのはそこまでです」

「なるほど、それが霊響まで変わっていて、姫様の体を自分の体のように扱えていたからくりなんですね」

「ええ。危険な状態で、かなり限界まで術を行使ししたものですから、私もてっきり自分の魂なんてまともに残っていないと思っていました。こうして自分を保ったまま出てこれた事にも驚いています」

「……ん? となると……」


 インヘルトは、ふと疑問に思って、口を開いた。


「今のフューリアの魂は、欠損だらけって事だよな。そんなのが出てきちゃって大丈夫なのか?」

「多分、大丈夫だと思います」


 答えは、多少自信なさげではあったが。


「私の本体は、未だインヘルトさんの魂魄結晶体の中です。ここにいる私は、いわば触れられる立体映像のようなものですから。魂は固定されたままなのです」

「ほー……。便利なような、そうでもないような」

「あたしを褒めてくれていいのよ? 門外漢の術でここまでこぎ着けたんだから」


 むふー、と胸を張りながら、リルエ。

 実際、大したものではあるのだろう。他人の魂に手を入れるというのは、ただそれだけで超高度な術だ。それを、他人の魂に干渉せず、その虚像だけを具現化するとなれば、いったいどれだけ高度なのか。インヘルトには想像もできない。


「だからなのか、今の私はインヘルトさんから5メートルくらいしか離れられないようなんです」

「試してみた……訳じゃないよな。そんな余裕なかったし」

「はい。ですが、感覚として分かるんです。正確には、それ以上はなれると立体映像を維持できなくなると言うんでしょうか」


 なるほど、と彼女は頷いた。

 まあ、存在できているだけで儲けものだと思うしかない。話を聞く限り、手術が終わった時点で、魂ごと消えていてもおかしくない状況だったらしいのだし。


「で、次はインヘルトだけど。あんたはどこで躯染めの情報を知ったの? 姫様が拉致されたのはかなり有名な話だけど、躯染めの所在までは広がってなかったわよ。聞く限り、大分ちぐはぐなんだけど」

「言われてもなあ。俺だって、噂の又聞きで知ったって程度だよ。そもそも最初は、躯染めがいるとすら、ほとんど期待していなかったし」


 うーんと悩みながら。語るべき場所がどこかを整理する。


傭兵団うちに入ってくる情報はほとんど生臭いものだって言うのは、まあお前も承知だろ?」

「ええ、まあ」

「団員が躯染めがウラル山脈にいるだなんだって話を聞いて、丁度暇だったし、じゃあ行ってみるかって思ったんだが」

「暇だからで命なんてかけないでほしいってセナウに言われそうよねー」

「実際言われたよ。反省はしてる」


 顧みるかは別の話だが。心の中でだけ、そう付け加える。口に出すと怒られそうだし。


「で、行ったらまさかの大当たり。互角に戦えるような相手がいて、噂も馬鹿にならないなーとか思ってたんだが。フューリアがいるとかは全然気づかなかったなあ」


 と、そこでいったん言葉を止めて。はたと気がついたように、言葉を続ける。


「そういえば、広間の一番奥で、人が半透明の箱みたいなもんに納められてたような。思い返せば、それはフューリアっぽかった気がしなくもないな」

「あんた、そこははっきり気づいておきなさいよ……」


 呆れかえったリルエだが。さすがにインヘルトにも言い分はあった。


「生きるか死ぬかの戦いの中で、そこまで気を遣ってはられんよ」

「それで姫様をなます斬りにでもしてたら、あたしが敵に回ってたわよ」

「そりゃ怖ぇ」


 はは、とインヘルトは小さく笑った。

 負けるとはかけらも思わない。だが、高度魂啼術士が手段を選ばず敵に回った場合、一体どんな手段を取るのかは、怖くもあり、興味深くもあった。

 いったん会話が途切れる。が、すぐにフューリアが口を開いた。


「ところで、今どちらに向かっているのですか?」

「ああ、俺らの拠点だよ」

「姫様はちょっと驚くかもしれませんね」


 言われて、彼女は小さなその体を少しばかり、びくりとさせた。


「裸族の里……」

「言っとくけど、俺も仲間も、別に裸族じゃないからな。さっき否定し忘れたが」


 そうなの? と問うように、彼女はリルエに視線を向けた。

 リルエは、苦笑いで答えた。


「違いますよ。まあ、馬鹿ばかりだし、別の意味で驚くかも知れませんが」

「別の意味で?」


 人差し指を顎に当て、首をかしげるフューリア。かなりかわいらしい、というかきっぱりと幼い仕草だった。


「うちにはかなり年長の者もいますからね。見たら驚くんじゃないでしょうか」

「ああ、それなら大丈夫ですよ。私こう見えて、外交の為に結構諸国を渡り歩いてましたから。捕まったのも、その帰りのさなかですし。」

「……そういや、リルエも元の頃は、俺たち見てかなりびびってたっけ……」


 昔を思い出しながら、インヘルトは考えた。

 極光族エルラエリテ。その実体を知るものは、実は少ない。これはかの種族が特別秘密主義だとかいうのではなく、単純に特徴がわかりづいらからだ。

 彼らは一定年齢に達すると、年を取らない。正確に言えば、外見年齢が二十歳そこそこになると(自然種族で言えば十五かそこらだ)、見た目が変わらなくなるのだ。よって、世間では、極光族は若い人間しか諸国漫遊をしないと勘違いされている。

 衝撃は極光族からしても同じらしい。つまり、彼らから見て、中年以降は人間離れした化け物に見えるのだ。リルエも最初の頃は、シバリアなどの、比較的年長者を見て、腐ったゾンビでも目撃したかのような目をしていた。

 実体を知っている人間は、わざわざ無精髭を生やして極光族の前に出て、驚かすという悪趣味な遊びをしている者もいるらしいが。

 話していて、ふとフューリアは気がついたように行った。


「むしろ私の方が驚かれるのではないでしょうか。こんな小さな姿になっていますから……」

「そこはまあ……インヘルトによく似た空階族スィーリーエーとして通すしかないかと思います。団員もさして口が堅いわけではないし、第一当たり障りのないうまい説明も思いつきませんし」

「空階族がふらふらしてる方が問題視される気もするがなあ」


 空階族。インヘルトも実物は見たことがない。

 別名、妖精種族とも言われる、世界最小の人間種族だ。実体はおろか、噂でもほとんど知られていない。その理由は、彼らが自分の領地から、ほとんど出てこないからだが。そもそも民族的な特徴として、ひたすら暢気であり、そのせいで会話がほとんど成り立たないとも聞く。

 比較的極光族とは交友があるらしいが、それも噂程度の話だ。

 まあ、ごまかすには空階族と言うより他なくはある。

 インヘルトの体が死滅し、フューリアの体を得て生まれ変わったという点に関しても、どうせそのうち知られてしまう事だ。後は、その間にセナウがうまく折衷するのを期待するしかない。


「問題っていうなら、あんたが姫様の体を持った事の方がよっぽど問題よ」

「うーん、やっぱり極光族との仲が悪くなるか?」

「そ、そこは私から説明しますから……」


 フューリアが、あわあわと慌てるが。

 リルエはそれをきっぱり否定した。


「いいえ、極光族との仲よりは、むしろあんたが戦いに問題のない体を得たことの方がよっぽどよ。最悪、シナウッセルを刺激して、戦争が再開されかねないわ」

「それほどかぁ?」


 いまいちピンとこないインヘルトに、リルエは視線を険しくした。


「極光族の永い寿命、高い魂啼術適性を引き継いで、あんたは元の欠点を全部克服した。……といっても、魂啼術のセンスまでは引き継いだわけじゃなさそうだけど。とにかく、あんたが早々に脱落すると思って楽観していた周囲から見れば、これは明確な脅威よ。というか、それを通り越して悪夢かしら?」


 極光族の外的な特徴は、極彩色に輝く瞳のみではある。しかし、細かいところまで上げていけば、自然種族と大分違うことが分かるだろう。

 実用面で言えば、種族柄極めて高い魂啼術適正が上がる。これはあらゆる種族の中でトップの平均値だ。魂啼術の扱いが壊滅的で、未だそのへんの子供クラスであるインヘルトにはあまり分からない事だが。しかし、肉体の作りに反した身体能力の高さを考えると、その最大値は譲り渡されていると分かる。

 これは、将来的に高度な魂啼術士になれるという期待よりよほど重要な事だ。適性が低いという事は、魂啼術に対する防御が低いという事でもある。

 魂啼術には魂に直接危害を加える術が相当数ある。これに対する防御は、防御術と、単純に魂啼術適正の値で決まるのだが。そのどちらも低いインヘルトは、これらの攻撃に極端に弱かった。というか、彼女が躯染めと相打った遠因も、戦っている間、じりじりと魂を攻撃され続けたからでもある。そうでなければ、インヘルトは、苦戦はしても相打ちにはならなかっただろう。

 他にも、極光族は寿命が長い。平均して500歳ほどだ。リルエも、こう見えて実は100歳を超えている(つまり人間で言えば二十四、五歳くらいだ。体の成長速度が違うため、一概にそうとは言い切れなくはあるが)。

 種族の特徴から、そのほぼ全期間が全盛期となる。肉体的ダメージを考えると、あと数年から、永くて十数年で戦えなくなると自覚していた元の体。フューリアの実年齢は知らないが、少なくともあと数百年は生きると期待はできる。

 総じて見ると、以前のインヘルトの弱点と欠点を、全て補っていると言えた。

 女の体であるのが不満と言えば不満だが。そのほかは、概ね満足できる状態ではあった。


「どのみちシナウッセルとベルモパンとは戦う必要があるでしょうけど――それが武力かどうかは別にして――、今はまだまずいわよ。態勢が整ってない。これもまあ、セナウに任せてなるべく引き延ばしてもらうしかない事でしょうけど……あんたの事情を長く隠せるはずもないし、時間の問題ではあるけど」

「考えても詮無いことばっかりだなあ、俺たち」

「それでも考えないのは難しいのよねぇ。気苦労って大変だわ。ほんと、よくセナウは領王なんてできてるもんだわ」


 まあとにかく、と彼女は続けた。


「あんたに早く以前の力を取り戻してもらわないと、あたしら領国ごと共倒れよ。姫様には申し訳ありませんが……」

「いえ、かまいません」


 申し訳なさそうなリルエに、フューリアはきっぱりと言った。


「私はもう、死んだものと思っていました。今はもう、インヘルトさんについているおまけに過ぎません。力も、体の使い方も、お任せします」


 言われるが、リルエは苦虫をかみつぶしたような表情をした。


「本国との関係も考えると、さすがにそういう訳にはいきませんよ。どうにか復活は考えないと」


 二人の話が堂々巡りの言い合いになりそうになったところで。インヘルトは手を叩きながら、それを中断した。


「はいはいそこまで。それこそ今言い争っても発展性のない事だろ」


 互いに不満そうではあったが。言葉に一理あるとは思ったのだろう、それ以上言い争いはしなかった。

 話をしていたから、あまり意識はしなかったが。それなりに時間は経っていたのだろう。なだらかで小高い丘にさしかかると、眼下にルインが見えてくる。

 映った町並みを見て思うことは、まあ、いつも通りの事だ。なんとも寂れた、活気のない街。

 カイゼリン西部にある――あった――小さな町。中継都市であったとはいえ、元々さして要所であった訳でもない。旅行者を抜いた定住人は、おそらく五千人に届くか届かないかといった程度だっただろう。

 戦火に飲まれたのと、風化が進んで、無残な時の流れを感じさせない建物はない。北部は文字通り消失しており、中央広場近くまで大きなクレーターがある。当たり前に、そちらにはもう何もない。わずかに建物が建っていた痕跡があるだけだ。

 それでも、たかだか200人程度が住むには苦労しない場所ではあったが。たったそれだけの住人しかいないというのが逆に、時の流れの悲しさを物語っているように思えた。

 町の全容が見えると言うことは、つまりそこまで障害物がないという事でもある。


「んじゃ飛ぶか」

「そうね」

「え?」


 話しについて来られず、つぶやいたのはフューリアだが。

 それを気にするより前に、二人は大きく一歩を踏み出した。固まった地面を思い切り蹴り、一気に空へと躍り出る。


「わひゃあああああぁぁぁぁぁぁ!」


 いきなり移り変わった視界に、フューリアが悲鳴のような声を上げた。音は速度においていかれているので、実際に聞こえたわけではないが。必死になって肩につかまる彼女から、その気配だけは窺えた。

 とん、と中央広場――もう中央でもないが――に軽く着地する。飛翔は終わっても、彼女は体をがちがちに固め、未だ肩にへばりつくようにしていた。


「ひいぃ……」


 泣き言のようなものまで聞こえてくる。


「そんなに驚く事かね」

「人間離れしてますよぅ……」


 しくしくと弱音を吐きながら。

 団員ならば、誰でもできる程度の事なので、あまり意識はしないが。こう一般人(と言っていいかまでは分からないが)に言われると、顧みるものはある。気がする。まず間違いなく是正はしないだろうけど。


「団長! リルエさん!」


 と、団員の一人が駆け寄ってきた。

 走ってきて、そして、はたと足を止める。


「団長……でいいんすよね?」

「おうよ」


 返事をする。

 とりあえず、傭兵団の中では、インヘルトの体が入れ替わった事だけは周知されているらしい。

 寄ってきた彼はいくらか逡巡するが、やがて考える事を放棄したようだ。そして、続けてくる。


「セナウ領王から依頼っす」

「連絡?」


 怪訝に思い、問いかける。

 彼とはついさっき話したばかりだ。連絡ならば、そこでされても良さそうなものだが。


「緊急との事っす」


 男は、顔を真面目に作りながら言った。


「躯染めがこちらに攻め込んできています。直ちに迎撃に当たれ、と」




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