第5話

 その一室は、軍事基地の一部という割には豪勢だと言っていい。

 部屋の造り自体は、それらしく無骨なものだったが。壁紙など貼り、らしさを多少は緩和している。備え付けられたフックには儀仗の剣がかけられているが、これはシナウッセルの慣習だった――両手直剣はシナウッセルを象徴する武器である。つまり、それがあるという事は、司令官の部屋なのだが。

 今その部屋には、三人の人間がいた。

 いくら最上位者の部屋と言っても、所詮は基地の個室でしかない。寝泊まりと、簡単な執務を行うためだけの部屋だ。さらに盗聴対策もしてあるのでは、さほど大きな部屋にはならない。当たり前に、三人も詰めればかなり手狭だった。

 当然椅子は一つで、そこに座っているのもまた一人。残りの二人は立っている。

 立っている一人は、薄汚れた若年の男だった。迷彩服を着ており、同じ柄のヘルメットもしている。汚れているのは、今し方任務を終えて帰ってきたからだ。礼儀正しく立ってはいるものの、表情は憮然としており、不満がありありと見て取れた。

 もう一人、立っているのは、ここの司令官だった。中年から、そろそろ初老にさしかかろうかという程度の年齢で、頭も相応に白髪が多く、薄い。カーキ色の軍服は、着慣れているのが分かる。こちらは直立不動の姿勢を崩さず、額に冷や汗なども垂らしている。明らかに過ぎた緊張を感じていた。

 最後――司令官の代わりにプレジデントチェアに座っている男は、明らかに老成していた。年齢は、すでに六十を過ぎているだろう。一人だけ軍服ではなく、儀典用の服を着ていた。ただでさえいかめしい顔つきを、さらに締めている。口元に髭を生やしているのが特徴と言えば特徴か。腰に下げた剣は、佩いたままでは座れないので、今は鞘ごと抜いて、地面に突き立てるようにし、両手で保持している。

 誰も口は開かなかった。立っている二人は、理由は違えど、自ら口を開くことは望まなかった。


「で……」


 仕方なしに、という訳でもないが。座っている男――アルベルト・ノーツはつぶやいた。


「いいようにやられて帰ってきた訳か。おめおめと」

「はっ」


 若年の男――クラー・フットは、否定とも肯定とも取れる返事を返した。視線は直立不動のまままっすぐと――つまり、アルベルトの方は見ておらず、壁に向けて突き刺さっている。これもまた、反感を思わせる態度だった。

 まあ、やらせたことを思えば無理もない――アルベルトは、言葉にはせずひっそりと思った。同時に、この程度の反抗なら許されてしかるべきだろうとも。

 彼のそんな姿に、司令官は目に見えて焦っていた。浮かぶ汗が多くなる。もしここにアルベルトがいなければ、叱責の一つでもしていただろう。もしかしたら、悪し様に罵りすらしていたかもしれない。


(そんなに恐れることはないのだがな)


 ひっそりと、心の中でだけ思う。

 実際には、まあ、恐れられなければ困る。そういう風に振る舞っているのだし、舐められていい立場でもない。

 恐れなくていいのは、怒りが脅威を突破してしまった場合だ。つまり、今のこの、若者のように。

 そういった意味では、彼は胆力があるのだろう。たとえそれがやけくそであっても。


「繰り返そう」


 言って、アルベルトは机に手をついた。上には、いくらかの書類が載っている。それらは崩さぬよう、努めてよけながら。


「今任務の為に編制された、第七防衛部隊はカイゼリン反乱領に対し小規模浸透偵察を敢行、目的は消息を絶ったインヘルト・グノーツの確認」


 ぽつぽつと、言いながら、テーブルを指で叩く。そのたびに、司令官の体がびくりと動いた。


(このまま続けていれば、こいつはひきつけでも起こすのかな?)


 愚にもつかない事を考える。それを振り払うようにして、彼は続けた。


「君はおよそ正午過ぎに、長距離から透過した攻撃を確認。防御態勢を取るも――取らされるも、二発目で防御機能が全壊。その攻撃をインヘルト・グノーツと断定し、任務達成と判断して撤退」


 ここまではいいか? そう問うように、間を置いた。

 クラーからの反応はなかった。それどころか、微動だにしない。視線も、相変わらず壁に向けたままだ。


「なお、姿は確認していない。繰り返そうか、姿は確認していない。そうだな?」

「はっ」


 さすがに直接問われては、返事をしない訳にはいかなかったのだろう。青年将校ははっきりと返事はした。反感はそのままに。


「はっきり言おう。私は君の判断を疑っている。同じ場にリルエ・シニアがいたのならば、無理をすれば同じ事ができないわけではなかったと思っている。君たちはもう少し粘り、的の姿を確認すべきだった」

「ならば」


 言葉を遮るように、クラーは言った。顔を怒りに歪め、犬歯をむき出しにして。


「敵の言うとおり、部下が不具になるのも承知で、敵対を続けろと? もしかしたら部下の何人かが死ぬかも知れないのに。無意味に。そう、無意味にだ!」

「やめんか!」


 感情が高ぶり、ついに絶叫になったところで、司令官の叱責が言葉を中断した。

 言われて、クラーはまた、感情を覆い被した能面へと戻る。ただし、次に刺激すればすぐだろう。噛みつく狂った犬へと変貌するのは。

 それに怒るほど、アルベルトは若くない。ただし、不快を示さない訳にもいかなかった。立場の上でも。そのため、わざと少しだけ眉をしかめた。かくして、また司令官は震え上がるのだが、それはどうでもいい。


「思うところがあるのは承知した。しかし、任務の成否に感情を考慮することはできない。その程度は承知するだろう?」

「はっ」


 収まりきらない感情を、その一息で吐き出すように、クラー。

 アルベルトは、心の中でだけ小さく頷いた。まあ、この期に及んで、また噛みつかなかっただけ立派なものだろう。そんな風に思っておく。若者にしては、自制心がある。訓練で得られる自制心など、たかが知れてるのだ。どれだけ訓練されようとも、戦場になれば、上官を背中から撃つ者は撃つ。いくら締め上げたところで、夜盗のごとき働きをする者はする。彼はそういう類いではなかった。


「ならば、いい。任務は失敗だ。下がりたまえ」

「はっ。失礼いたしました」


 杓子定規な返事をして、男は退室した。

 一人が消えると、アルベルトは椅子にもたれかかった。いつからあるのかは知らないが、どうであれ椅子はすり切れるほどに昔からある。当然体重を預ければ物音の一つもするのだが、それも気にする気にはなれなかった。

 落胆はある。たとえ失敗すると分かっていたとしても。青年将校の言葉を肯定するわけではないが、本当に無意味な形で終わった。

 一つ分かったのは、カイゼリン側に隠したいことがあるという点だけだが。今更そんなことに、一体何の意味がある? 向こうが隠したいことなど、いくらでもあるのだから。


(忌々しい……)


 密かに毒づく。

 シナウッセルという国は、盤石とは言えない。

 思って、それは馬鹿馬鹿しい考えだと言わざるを得なかった。盤石である国というのもない。どんな国でも、どこかに不満と不具合をかかえて、それに折り合いをつけている。それこそカイゼリンでもだ。見て分かるほど膨れた風船に、突けば割れると指摘して、何の意味がある?

 カイゼリン。総合的な軍事力で言えば、トップクラスに危険な国と言える。ただし、国そのものの重要度は高いとは言えない。厄介極まりない土地だ。意識しない事もできないため、調査せざるをえないのだが。重要でないため、クラーごとき小物程度しか派兵できない。


(そう、クラーだ)


 間を置けば忘れてしまうだろう名前を反復する。

 頭の中にある、名前のリストを呼び出した。そして、クラー・フットと書いてある名前に、横線を引く。

 兵に命をかけさせる。これ自体は簡単なことだが、多用していい事でもない。誰も彼もが愛国心に溢れ、命を投げ出してくれるわけではないのだ。職業軍人とて、増えればその程度のものでしかない。故に、命をかけさせられるのは、一人につき一度だけ。それ以上行えば、モラルの低下、最悪の場合は裏切りを生む。アルベルトの経験則だった。


(もう彼に無茶はさせられない。手札が減っていくな)


 それは仕方の無い事ではあったが。兵など所詮、増えるより損耗の方が早い。物理的にも、精神的にも。


「あの、閣下」


 物思いにふけっていると、部屋の主が言いにくそうに声をかけてきた。


「ああ、すまないね大佐。私もすぐに出て行こう」

「いえ、それはかまわないのですが……」


 どこか言いづらそうに、司令官。

 いくらか悩んでいたようだが、やがて意を決したように言った。


「カイゼリンなど、それほど気にする相手なのでしょうか。確かに厄介な力を持っていますが、言ってしまえばそれだけです。私見を言わせていただきますと、下手につついてその気になられた方が厄介です。インヘルト・グノーツを抜きにしても。正直に言って、彼らがその気になった場合、当基地では防ぎきれません」

「なるほど、正しいな」


 本当に正しい。軍人としては。正しそこには、地政学的な問題は含まれていない。

 カイゼリン以西の開けた土地、攻めようと思えばどこにでも攻められる。そんな場所に反乱勢力が居座っているというのが、どれほど厄介か、分からないはずもないだろうに。まさか、今のバランスが永遠に続くとでも思っているのか?

 アルベルトは笑った。今度は隠しきれなかった。

 そう思っている者は多い。天秤が永遠に傾かないと思っている者が。


「君は六年前を知っているかね?」

「は? まあ……」


 司令官は何を問われてのか、一瞬分からず呆けた様子だったが。なんとか持ち直して首肯した。

 これもまあ、問うまでもない事だ。たった六年の間に、兵ですらなかった者が大佐ほどの位置にまで昇進することはありえない。よほどの――たとえばアルベルトやインヘルトほどの――例外でもなければ。


「当時、彼らは奴隷だった。無力とは言わないがね。それでも、まともな自意識は保てていなかった。ただの扱われる存在だった」

「そう……ですな」

「本来ならば、彼らはまるごと我らの戦力になるはずだった、と言えば信じるかね?」

「は?」


 今度こそ、訳が分からないという反応をされる。


「分からないか? 我らは彼らを吸収する予定だったのだよ。前領主を更迭してね。想像がつかないかね?」

「正直、あまりピンとこない話ではあります」


 まあそんなものだろう。アルベルトは思った。

 当時、まだカイゼリンの半分がバンストと呼ばれていた頃。シナウッセルは、奴隷の事を完全に把握していた。不動のチャンピオンとして君臨していたインヘルトの事も、その単独戦力が一国家に相当する事までも、全てだ。めぼしい者はそれだけでなく、奴隷戦士として名をはせていたシバリア、ポポル、ブフーも確認している。いや、そもそも歴戦と言える奴隷戦士全てが、高位戦闘技能者として名をあげられていた。


「彼らを飲み込めれば、全て順当に済む話だった。前領主が無駄な野心とヒステリーさえ起こしていなければね……」


 シナウッセルには敵が多い。そして、戦力などいくらあっても足りない。

 長く黙認していたが、シナウッセルにとって円形闘技場コロシアムは、当たり前に望ましい物ではなかった。前時代的に過ぎる施設なのだ。その崩壊を考えていたのは、何もバンスト前領主だけではない。

 シナウッセルは秘密裏に、コロシアムの解体を考えていた。

 国家主導で、その非人道的な機構を廃し、ついでにバンスト前領主も罷免する。その上で奴隷戦士たちには恩義を与え、代償として軍に編制するつもりだったのだ。まあ、奴隷戦士にまともな軍務がこなせるわけがないので、特殊部隊という名の特攻部隊として扱うつもりだったが。

 それが、バンスト前領主の短気で、全てがパーになった。恐ろしく厄介な敵というおまけ付きで。

 そんな事情など、一地方軍司令が分かるはずもないが。

 話を切り替えるようにして、アルベルトは言った。


「君はセナウを信用できると思うかね?」

「セナウ……セナウ・グノーツ・カイゼリンでしょうか」

「そうだ」


 馬鹿馬鹿しいものを感じながらも、アルベルトは肯定した。いくらセナウとうい名がさほど珍しいものでないと言っても、この状況で、他の者を出すはずもないのに。


「私は政治将校ではないので、そちらについては言うところがないのですが……軍事的には、信頼していいかと」

「理由は?」

「昔の反乱以降、彼らとは小規模な戦闘しか発生していません。その戦闘も、全てこちらから攻め入ったものです。セナウ・グノーツ・カイゼリンは、戦力は示威のための物であると知っています。だからこそ、当基地は敵に対して小戦力であります」

「道理だ。だからこそ問題があると言える」

「……それ以外については、私は語るすべを持ちません」


 彼の言うとおり、バランスのなんたるかを知っている。これもまた、厄介ごとだった。

 カイゼリン内の、民の感情。奴隷戦士を傭兵団として再編成、中枢機関とは距離を置く。シナウッセル、ベルモパン間の緊張と弛緩。そのどれを失敗しても、領地は崩壊していただろう。どれにしたって爆発寸前の不満があったはずだ。しかし、彼は保った。天才的な政治センスとういより他あるまい。

 いっそ内部崩壊を起こしてくれれば、それを理由に非軍事的介入ができたものを。そして、当初の予定とは違うだろうが、奴隷戦士たちを軍に編制する目もあったろうに。

 セナウ・グノーツ・カイゼリン。そして、インヘルト・グノーツ。つくづく、どちらもシナウッセルに祟る存在だ。

 うっすらと息を吐きながら、アルベルトは体を持ち上げた。椅子は、やはりまた、やかましい音を立てる。


「インヘルト・グノーツは健在である。あると判断するしかあるまい。そのつもりで頼む」

「はっ、了解しました!」


 司令官の敬礼には、軽く手を振って答えて。アルベルトは司令室から出て行った。

 基地の中を歩けば、否応にも兵たちとすれ違う。彼らがアルベルトの顔を知らないはずもなく――そして、胸にある勲章と階級章が分からないはずもなく、敬礼をしてく。それにいちいち返しはせず、歩き続けた。

 目的地は転移装置だ。

 転移装置には大型と小型の二種類ある。大型の方は、主に物資などを効率的に持ってくるためのものだが。これは国内にしか飛べない。小型のものには、少数、旅行用の国外行き転移装置というのもあるが。

 やろうとすれば他国に転移することも難しくないのだが、行えば国際条約違反になる。そのため、国外に飛べる大型転移装置というのはなかった。名目上はだが。有事に秘して敵国深くに飛べるよう準備しているのは、まあどこの国も同じだろう。弱小たるカイゼリンも。

 アルベルトは小型転移装置を利用して、王都へと戻った。

 それだけで空気が変わるわけでもないが。それでも、地方の粉っぽさが消えて、代わりに都会特有の、どこか自然を感じさせない乾いた空気にに変わる。

 王都に人は少なかった。これは人が少ないというわけではなく、ただ単に施設そのものが広いからだろう。

 自分の執務室に戻って、アルベルトは大きく吐息を漏らした。同時に、肩を動かしてほぐす。


(偉ぶるのも、楽ではないな)


 もう何十年も感じてきたそれを、改めて思う。何度目かも、すでに数える意義すら感じられなくなったそれ。

 座り込んだ椅子は、地方軍司令官にしつらえたそれより、遙かに柔らかなものだった。が、自分には、あの半ば堅く潰された椅子の方が心地よいのかもしれない、とも思う。


(いい加減、お偉いさんなどしているのも疲れた)


 思う。

 が、思ったところでやめられるものでもない。

 忠誠心がある。国家に対する愛国心も、人並み外れているという自覚がある。それこそ偏執的だとすら言えるほどの。土台が安定していると言えない状況では、やめるわけにはいかない。

 自分の執務室で、誰もいなく、目立った仕事もないその暇。そのときだけだ、と彼は思う。その短い隙間だけが、彼をただの人間として存在することを許してくれる。家でも、誰かがいるときでも、その全てで許されない。彼を完璧な愛国者かつ、最高戦力保持者として振る舞う事が求められる。


(あとどれくらい続くか……などと)


 アルベルトはくくっ、と笑った。一人であれば、こんな無様な笑いも許される。

 と、ドアがノックされた。

 ただそれだけで、一人の人間としている時間は終わる。隙間は所詮、隙間でしかない。


「アルベルト、いるか?」


 問いかける声に、彼は椅子から立ち上がった。短い時間で身なりを整え、畏まり、ついでに佩いた剣の位置も直して。

 彼はドアを開けながら、深くを頭を下げた。


「ようこそいらっしゃいました。クレイスト・クルス・フェント・シナウッセル様」

「そう畏まるのはよしてくれ」


 扉の向こうから、青年は人当たりのいい笑顔で言った。

 クレイストは、いかにも王族然とした青年だった。年の頃は二十歳を少し過ぎたくらいだろうか。金髪碧眼の美形であり、誰もがうらやむような美形だった。人の上に立つのであれば、ただ美形であるというだけでも、大きな加点になる。嫌悪感を与えないというのは、何よりの財産だ。それを証明するように、服装も、嫌みにならない程度に飾っている。これから王位を狙うというのであれば、アルベルト以上に隙を見せてはいけないのは、疑いなかった。


「私は貴君が、他の誰よりも私に尽くしてくれているのを分かっている。あまり畏まらないでくれ」

「承知いたしました、クレイスト様」


 そう答えて、彼は頭を上げた。

 はっきりと余計な、格式張ったやりとりだったが。そうしないわけにもいかない。臣下と主君であるのなら。


「カイゼリンからの偵察隊が帰ってきたと聞いたよ」

「さすが。お耳が早い」


 言葉は、世辞と受け取られたのだろう。特に反応もなく、クレイストは続けた。


(あながちお世辞でもないのだがな……)


 偵察隊が戻ってきて、どれほどの時間も経っていない。その間に、情報を察知したのだから、それだけで十分に有能だと言えた。


「結果はどうだった?」

「芳しくありませんな。インヘルトと思わしき攻撃は受けています。しかし、彼の者の存在を肯定するほどのものではありません」

「そうか……」


 言葉に、彼は目に見えて落胆した。

 立場にふさわしくない仕草だが、仕方が無い、とも思う。カイゼリンはもっとも強大な敵ではないが、もっとも厄介な敵ではある。


「取引の材料になりそうな事もないか」

「これから結果を注視はしてみますが、セナウ・カイゼリンがそれほどの隙を見せるとは思えませぬ」

「セナウ・グノーツ・カイゼリン……」


 その名前を噛みしめるるように、クレイストは言った。口の中で、何度も繰り返し、反芻するように。

 いくらか逡巡していたが、やがて意を決したように、彼は問いかけてきた。


「率直な意見がほしい」


 人見の色に、どこか卑屈なものが混ざっているのに、アルベルトは気がついた。羨み、妬み、歯噛みする。弱者が強者に向けるそれ。


「私とセナウを比べてどうだ? 能力的に勝ると思うか?」

「厳しい、と言わざるを得ません」


 答えにくい事ではあった。

 クレイストを限りなく贔屓し、その上で彼のプライドを傷つけないようにする。その程度で気分を害する相手ではないと分かっていても、努力を要求される作業だった。少なくとも、慎重さを捨てていい話ではない。


「セナウは不世出の天才です。加えて、冷厳な状況から、限りない労力を要求され、おそらく本来の才能より多大な力を得ました。比較するべき相手ではないかと」


 言って、アルベルトは違和感を感じずにはいられなかった。

 およそ完璧な統治者。完璧に人を制し、完璧に冷徹な判断も下し、今なお、完璧な支配を実現している。

 そんな人間が、現実にいるものなのだろうか。いたとして、それは本当に人間なのだろうか。

 セナウと言おう男について、彼が――いや、シナウッセルが分かっていることは多くない。ただ、彼も奴隷戦士の一人であったこと。反乱においては、特に目立った戦果は持たないこと。その程度だ。どちらかと言えば後方支援に向いていた人間だ、というくらいが、当時の評価だっただろうか。あまり目立たなかったため、資料は少ない。それを苦労して思い出しながら。

 人間ならば。本当にただの人間なら、隙が無いはずが無い。必ずどこかに、人らしい見落としがあるはずだが。

 それに、自分の権能が届けばいいのだが。アルベルトは思いながら、セナウの顔を思い浮かべた。記憶の中の顔つきですら、隙を見せない男。


「アルベルトは優しいな」


 クレイストは苦い微笑をたたえて、首を振った。


「もっとはっきりと、私が不甲斐ないと言ってくれてもいいのに」

「そのような事は……」


 ない、とは言えなかった。事実として、及ばないというのはそういう事だ。成果は素養に優先される。

 力ない様子の彼に、アルベルトはわざと自嘲を込めて言った。


「不甲斐ない、と仰るのであれば、私こそがそうでしょう。私がインヘルト・グノーツに負けた。それが汚点の始まりです」


 クレイストは何かを反論しようとしたが、途中で言葉を止めた。

 言葉はないだろう。当然だ。それこそが、誰もが認める敗北の始まりだったのだから。

 アルベルトとインヘルトの因縁は、深いとも浅いとも言える。あの男はこちらの事を覚えているだろうか……? そんな事を考えて、無意味だと悟った。力くらいは覚えているだろう。その程度の自信はある。ただし、名前まで覚えていられる自信はない。

 シナウッセルが大国と言える規模になったのは、わずか三十年と少しの話だ。それまでは、カイゼリンと同程度……とまでは言わずとも、それに近い程度の小国だった。カイゼリンに歴史があるよう、シナウッセルにも歴史がある。六年前にカイゼリンの反乱を許したのが、皮肉と言われれば、それは否定できない。

 アルベルトは旧来の宿将だ。それは将軍としても、単独戦力としても。彼の力こそが、シナウッセルの象徴だと言う者もいる。


「私はインヘルトに負けました。ええ、はっきりと。それもあると言われれば反論もできませんが、私は奴を気に入りません。今であれば……奴の弱点ははっきりしています。実際試してみてどれほど有効かは分かりませんが、勝ち目はあるでしょう。なぜあのときそれを思いつかなかったのか……」


 と、ぶつぶつと言い続けて。

 いつの間にか下げていた頭を、はっとして上げた。目の前では、クレイストがぽかんと口を開けている。


「お見苦しいところを……」

「いや、それはかまわないが」


 彼は言いながら、小さく笑った。


「アルベルトが愚痴を吐くことなどあるのだな。言い訳じみた事を言うことも」

「私も人間ですからな」


 だが、無意味な強がりではない。それだけは、心の中ではっきりと言い切った。

 インヘルトはその強さに反して、魂啼術適性が極端に低い。並より下だろう。その上、そちらはさして鍛えていないのだから、その辺の子供程度にしか術を使えない。

 さらに、彼は長年の奴隷戦士生活で、体を酷使しすぎた。あの男が、初期は今の鬼神のごとき強さを持たず、むしろ負けることの方が多かったのは、調査で分かっている。おいそれと死なぬよう、奴隷戦士の武器には対精神情報処理が施されていないと言っても、ダメージが度重なれば無視できないものになる。

 インヘルトを殺すならば、一人の強者が対峙しているうちに、広域に魂へのダメージを与えるフィールドを作るべきだ。耐性の低さから、インヘルトこそ一方的にダメージを受けるだろう。そうでなくとも、あと十数年もすれば戦えない体になる。そんな風に目されていた。まあ、その時までアルベルトが戦えるかは未知数だが。


「お互い、自虐はやめにしよう。発展性がない」

「ですな」


 言葉に同意し、頷いた。確かに考えても詮無いことだ。

 インヘルトなどのことを考えれば、今でもはらわたが煮えくりかえる。


「カイゼリンは、今はまだいい。セナウもバランスを取ることに終始しているからな。しかし、我が国という例を考えれば、無視もしていられない」

「いずれはシナウッセルに編入されるよう、働きかけるようになるでしょう。それがどういった形になるかは、今はまだ分かりませぬが」


 可能であるならば、今すぐそうしてしまいたいくらいだ。

 シナウッセルに内憂は多い。というか、今は王位継承争いという、最悪の内憂真っ只中だと言っていい。

 かつて、ダントツで王に近いと言われた継承権持ちがいた。聡明で、力もあり、バランス感覚もある。目の前にいるクレイストがそうだ。

 六年前、まだ十代の若き王位継承者は、その名を不動にするため、内乱の鎮圧に総大将として赴いた。元奴隷戦士の脅威ははっきりと分かっていたため、補助にアルベルトがついて。

 結果は惨敗だった。そのせいで、クレイストは名を落とした。落ち着きかけていた王位争いは、燻りを再び大炎にしたと言える。

 才がはっきりしているとは言え、クレイストは所詮、継承順位第四位でしかない。ましてや、敗戦から向こう、彼は自信を失っていた。王になるには必要な対価とも言えるが、それにしたって、もう少し後でもよかったはずだ。まだ少年でしかなかった男には、あの負けは大きな傷になりすぎた。


「彼の領地は、まだ無視してよいと私は考えている。セナウが消えるか、シナウッセルの状況が大きく変わるまで」

「私もその意見には賛成です。忌々しい限りですが」

「取り急ぎ、調べる必要があるのはウラル山脈だ」


 言葉に、アルベルトは頷いた。


「あの山が崩れた件、インヘルトが無関係ではありますまい」

「だろうな。話では、躯染めまでいたという話だ。順当に見れば、奴が討伐に向かったのだろう」


 互いに頷き合う。それだけではないだろう、と。

 調査部隊の編制は、順調に進んでいる。先遣隊は、すでに現地に到着しているはずだ。この点に関しては、派閥がどうのを無視して、誰もが注視している事だった。


「もし何かあれば、お前に頼むかも知れない」

「ない事を願いますがな」


 戯れるようなクレイストの言葉に、このときばかりは素の顔を見せて、アルベルトは肩をすくめた。


「私はそろそろ公務に戻ろうと思う。後は頼むぞ」

「お任せを」


 背筋を伸ばしたクレイストに、彼は一礼を返した。

 歩き去ろうとする彼に、ドアの前でその姿をしばらく見送る。姿が見えなくなったところで、彼は執務室に戻り、ドアを閉めた。

 息を大きく吸い、ゆっくりと吐く。それで、また隙間の時間が戻ってきたのを感じた。もっとも、それに浸かる時間は、そう長いとは言えなかったが。

 憂慮すべき事はいくらでもある。それこそ本当に、カイゼリン関係など、優先順位が低いと言わざるをえない。それでも驚異だけは大きいのだから、本当にうっとうしいことこの上なかった。

 クレイストの前ではあえて言わなかったが、シナウッセル内部でも、不穏な動きがある。それを察知していない王子でもないだろう。ということは、対策はしているのだろう。それがうまくいくかは、それこそ結果が出てみなければ分からない。

 そんな時に、ウラル山脈の崩落と、インヘルトの所在不明情報が流れてきた。タイミングは最悪だった。


(インヘルト……セナウ……忌々しい兄弟め)


 口の中に血の味が広がる。噛みしめた歯が、頬の内側を切ってしまったらしい。これも放っておけば収まる程度の事だが、しかししゃくに障るのは止めようがない。

 セナウがいなければ、カイゼリンを曲がりなりにも独立はできなかっただろう。インヘルトがいなければ、そもそも勝つ事ができなかっただろう。どちらかが欠けていれば、最悪の一歩前で踏みとどまれた。現実になれば詮無いと分かっていても、思わずにはいられない。

 アルベルトは、かぶり振って、そのいらだちを修めた。

 一人になると、どうしても余計な事を考える事がある。悪い癖だった。

 とりあえず、無視すべき事はしなければならない。それを強く自覚して、帯剣を外し、何度座っても慣れない、柔らかすぎる椅子に体を預ける。


「さて、何からすべきか」


 そのつぶやきは、わざと出した独り言だ。

 感覚から私を殺し、公務に徹する男の顔を作り上げる。

 とりわけ、今すぐやっつけなければならないことは――確認して、彼はうんざりした。

 やらなければならないことは、ウラル山脈の調査だった。つまりは、またカイゼリン。またセナウとインヘルト。また苛立ち。


「いっそ、何もかも捨てて殺しに行けてしまえば、楽になるのかもな」


 当然そんなことが許されるはずもなく。

 彼はライブラリを立ち上げながら、積み重なった書類の一番上を、ひったくるように手に取った。




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