第3話

 カイゼリン領国。もしくは、バンスト・イアーゼ合併カイゼリン領。

 その歴史は、はっきりと短く、小さい。わずか六年、たったそれだけの歴史であり、領土も領地二つ分しかない。

 教科書などに記すのであれば、それはたったの数行程度になってしまうだろう。しかし、当事者たちにとっては、とてもそれだけでは済まない歴史ではあった。

 かつて戦争があった――。戦争と言うのもおこがましい、紛争だとか内乱だとか、その程度の矮小なもの。しかし、カイゼリン領国に住む者にとっては、それは間違いなく乾坤一擲の、血を絞り出すような大戦だった。

 始まりは何だったのか、とインヘルトは思う。単純に戦争が始まったきっかけと言うのであれば、七年程度昔の事だろう。しかし、その火種というのであれば、もう少し複雑だ。バンスト、イアーゼ両領内の経済的格差と、下層民に対する迫害は根深かったように思う。といっても、これも聞きかじりの情報と想像でしかない。彼女は下層民ではなかったのだから。

 インヘルトと、彼らを取り巻く人間たちの多く。つまりシバリア、ポポル、ブフーは、元は同じ組織に所属していた。いや、所属していたというのは間違いか。正確には、使われていた、というのが正しい。

 旧バンストには、長らく円形闘技場コロシアムというものがあった。奴隷戦士を集め、その結果をギャンブルにし、時には殺し合いそのものを楽しむ施設。インヘルトの仲間に言わせれば、すこぶる悪趣味な機関だ。

 バンストは円形闘技場によって成り立ち、そして円形闘技場によって利潤を生み出していた。領地そのものが崩壊する少し前までは。

 領主は、殺伐とした裏ギャンブルで領地が成り立っているのを良しとしていなかった、らしい。近隣の領地が健全であったからばなおさら。領主は円形闘技場に頼らず、領地を成立させようと努力していた。しかし、それは健全な経営という訳ではなかった。

 領主の沙汰は苛烈だった、と、当時を知る領民は語る。まあ早い話が、下層領民を締め上げたのだ。同時に、無数の奴隷戦士たちも邪魔になった。

 バンストは隣国と国境を接していた。

 ベルモパン国イアーゼ領。シナウッセル国バンスト領の敵であり、幾度となく小競り合いを続けていた相手の名。争いの絶えない両領地であったが、ただ憎み合っていただけでなかったのは、わかりやすく歴史が証明している。むしろ、その小競り合いを理由に国から援助金を引っ張ってきている節すらあったらしい。

 バンスト領主は、少しばかり欲をかいたのだ。存在そのものが表面化しては困る奴隷戦士を、どうにか表沙汰にせぬまま処分したかった。それは、戦争という形ですり減らすのが理想だったのだろう。奴隷戦士はイアーゼとの戦に、背後からバンスト騎士団に狙われながら、戦うこととなった。

 結果としては、それが引き金だった。奴隷戦士と、同じく邪魔になり処分されそうになっていた下層民で編制された兵士もどきは暴走し、そのまま反乱へとつながった。

 紆余曲折あって、旧奴隷戦士はインヘルトを首領とし、グノーツ傭兵団と名を変えた訳だ。もっとも、全員が元奴隷戦士であった訳ではない。中にはリルエのような、途中から反乱に参加した戦士もいる。

 そんな剣呑な経緯の土地であるため、カイゼリン領国は、実はシナウッセル、ベルモパンともに国家として認められていない。認識としては、反乱勢力に占拠された地方といったところだ。ただし、領地が合併したこと自体は認められている。そんな場所が放置されているのは、また事情があるのだが。その一つに、両国ともこの際だから敵国領土も含めて編制してやろうという思惑は間違いなくあるだろう。


(六年)


 その数字を、インヘルトは噛みしめた。

 たったの六年。

 主要都市を国境近くに置けるわけがないので、バンストもイアーゼも自領深くに最大都市があった。同じ理由で、カイゼリン領国が、首都を大都市に置けるわけがなかった。反乱が成功してすぐに、旧国境近くにあった砦に政庁を移した。


(つまり、六年程度でこの都市はできたわけだ)


 そう思いながら、インヘルトは周囲を見回した。

 立ち並ぶ巨大なビルの群れ。これが都市計画の通りにできたものだかは知らない。ただ、それぞれの建物が、規則正しく並んでいる。空では、空路一層には無軌道に自家用車が走り、空路二層にはそれよりいくらか控えめに、交通許可を取った運送車やらが飛んでいる。大抵の国でそうなのだが、車は地上を走る事は許されておらず、当然地上走行に向いた構造はしていない。車はビルやターミナルに出入りし、つまり大抵の建物の上層は大抵駐車場だ。

 地上は徒歩か人力車専用になっているため、道はさほど広くない。それでも、大勢の歩行者が不足無く歩ける程度には幅を確保していた。

 これらはおそらく、都市計画の賜だ。

 数百年クラスの旧都などに行くと、たまに飛ぶ車を考慮していない構造になっていたりする。そのため、道が無闇に広かったり、建築物の背が低かったり、中には駐車場が地上にあったりなどという事もある。

 戦争前からある、従来の大都市に比べればまだまだ小さい。しかし、未だ発展途上だと考えれば、十二分に大きいのではないだろうか。

 街を歩く人は、当然ながら小綺麗だ。流行だ何だというものに彼女は疎かったが。それでも、誰も彼もが十分にめかし込んでいるのはよく分かった。廃村を制圧するように住んで、薄汚い、いつ洗ったかも定かではない服を着ている傭兵団員たちとは根本的に違う。


(格差)


 ふと、インヘルトは思った。

 かつての話、しかしそう昔でもない話。

 バンスト、イアーゼともに、支配階級とそうでない者には埋めることのできない差があった。今この光景を見て、そして傭兵団の様を見て、どうなのだろう?

 横柄な領主による支配はなくなった。少なくとも革命者たちはそう叫んでいる。しかし、本当にそうだろうか。支配者は消えた。物理的にであったり、単純に領外に逃げたからであったり。それだけは間違いない。しかし今でも、都市、首都に住む者と、それ以外に住む者とでは天地の差がある。

 今が、誰もが望んだ現実という訳ではないのは分かる。しかし、一部の誰かが満足した現実でもある。


(結局、こんなもんなんだよな)


 ふっと、インヘルトは笑った。自嘲してではない。ただ本当に、おかしく感じただけだ。

 傭兵団は、戦争でもっとも活躍した戦闘部隊だ。それを否定する者はいないし、否定は許さないとはっきり言う団員もいる。そして、そういった者の多くは、領国の支配者階級として君臨したがっていた。戦いしか知らない者が、支配などできるはずもないのに。

 傭兵団は義務を背負わない代わりに、権利も与えられなかった。自由気ままとと言うこともできるし、裏切られたと言うこともできる。それを不満に思うなと言うのは、まあ卑劣なことだろう。それ以外に道はなかったとしても。

 とにかく、そういった事情で、傭兵団は未だ無頼漢であり。都市などに赴けば当たり前に浮く存在なのだが。


「服」


 ぽつりと、唐突にインヘルトはつぶやいた。そのまま立ち止まる。

 横を歩いていたリルエは、急に止まったインヘルトに、思わずつんのめった。半歩ほどつま先を踊らせて、振り返る。


「え?」

「服。買おう」

「あんた、着てるじゃない」


 当たり前のことのように、リルエは言った。というか、実際に肩をすくめてすらいる。

 立ち止まる少女二人を、周囲の人間が振り返る。両者とも美少女と言っていい容貌だというのもあるが、一番の理由はインヘルトの格好だろう。

 インヘルトは相変わらずドレス姿のままだ。着替え方が分からなかったというのもあるが、そもそも着替えがなかった。

 元の自分の服を、裾を折って着ることも考えたが。想像して、あまりに不格好なのでやめた。それこそドレス姿より動きづらそうではあったし。

 街のど真ん中で、一体どこから抜け出てきたのかと問いたくなるようなドレス。しかも、上半身は体のラインがはっきり出るような、見ようによっては扇情的な姿だ。別に視線に当てられて恥ずかしくなったとか、そういう訳ではないのだが。ただまあ、時折突き刺さる視線はやはり痛い。

 目立つことを、特別忌避する訳ではない。そもそも元の姿なら、どう取り繕ったところで悪目立ちはしたのだし。しかし当たり前に、目立つ事が本意でもなかった。


「どうも肩が出てるのが落ち着かないんだよ。上着がほしい」

「うーん、言われてもねえ……」


 リルエは困ったように、眉をひそめた。

 とりあえず道の中心で立ち止まっては邪魔なので、二人して隅による。人をかき分けていると、周囲の急いでいるらしい人たちから、やや迷惑そうにされた。

 建物の入り口を塞がないよう気を払いながら、壁に背を向けて並んだ。


「ここで服を求めたって、ただの布地のものしかないわよ」

「服は布だろう」


 何を当たり前のことを、というように、インヘルトは答えた。

 リルエは無理解を嘆きながら、かぶりを振った。


「じゃなくて、あんたたちが普段着てるような、軍用の防御処置してある服なんてないって言ってるの。いくら使い古しだって言っても性能が違うわ」

「服の防御力なんて当てにしたことないから、そこら辺はどうでもいいんだがなあ」


 実際、傭兵団員が戦えば、大抵の防御機構は役に立たない。上位の者ともなれば、今来ている超常的な防御力を持つドレスであっても、当たり前のように切り裂くだろう。高い加護を持つと言っても、所詮は低級相手の話でしかない。

 結局のところ、最後に頼れるのは自分が身につけた技能だけだ。

 彼女は改めて、周囲を観察した。

 首都アンティグア。西方から街に入ったため、商業地中心の町並みが並ぶ。

 個人商店から、大きなデパートまであらゆる店、物がそろっている。といっても、本当の都会と比べれば、こんなものは新興の地方都市でしかないが。


「ほら、あれ」


 インヘルトは、ふと見つけた店を指さした。大きなビルの隙間にある、縦長の小さな店だ。店名は妙に曲がりくねったフォントで分からなかったが、それでもショーケースにある物で、何の店だかくらいは分かった。


「ミリタリーショップなんてあるじゃん。ああいうところなら、俺たちが求めるような物も売ってるんじゃないか?」

「あんたねえ……」


 どうしてだか、リルエは本気で呆れたようだった。


「あんな店にあるのは全部イミテーションよ。本物が売ってる訳ないじゃない」

「見た感じ、刃引きされてる様子はないが。まあ確かに質は粗悪そうだけど」

「そうじゃなくてね」


 そこで一呼吸置いて、彼女はため息をついた。額に指を当てる姿は、無知を非難しているようにも見える。


「街中で当たり前のように本物の兵器が売ってるはずないでしょ。ああいう店に売ってる武器は、魂――対精神情報処理がされてないものよ」

「え? してないの?」


 インヘルトは驚いて、目を見開いた。

 対精神情報処理、つまり相手が魂啼術なり何なりをつかって、即座に戦線復帰できないよう、魂に傷をつけるのだが。これをしないと、即死以外は意味が無くなる。いや、高度魂啼術士にかかれば魂だけでも行動できるので、場合によっては即死でも意味が無い。

 昔は対精神情報処理も面倒なもので、何だか特殊な名前がついていたらしいが。今では量産品でも処理は簡単で、その用語も廃れてしまった。

 陳腐化、普遍化してしまえば、単語は意味を失う。よくあることだ、とまでは言わないが。ままある事ではあった。

 なんにしろ、処理がないならば、トイショップとさして変わらない。包丁やらとどれほど違うのか。


「そんなもん買ってどうすんだ……」

「コレクションじゃない? 後は軍だか戦争だかのマニア」


 言葉は大分投げやりだった。理解できない、という様子が、ありありと伝わってくる。


「わざわざ処理なし買うなんて、それこそ本物買うより高くつくんじゃないか?」


 ぼんやりと思う。大量生産のそれから、わざわざ一工程を抜いた少数生産にするのだ。少なくとも安くはならないだろう。

 それを買い求めるというのは、大分本末転倒な気がしたが。


「しかしまあ」


 続けて、彼女は言った。呆れを振り払うようにしていたが、どうにもうまくいかず、結局苦笑してしまったとう風に。


「あんたも大概世間知らずよねえ。いえ、この場合常識知らずかしら」

「面目ない」


 素直に謝るしかなかった。

 つまりまあ、この手の欠落は、インヘルトに限った話ではない。むしろ傭兵団の大半がこんな調子だった。

 独立当時、首脳陣が、もっとも活躍した戦士たちを切り捨てたのは間違いではない。そう言わざるをえなかった。今では傭兵団員も思い知ってしまったため(それでも納得まではできないため)、痛し痒しなのだが。


「まあいいわ。とにかく上着がほしいのよね」


 ふっと息を吐き、やっと気分を振り払いながら。ぴっと指を指す。


「あの店にしましょ」


 指先には、そこそこ大きな服屋があった。婦人服のブランド店らしく、店内にあまり人は見えなく、落ち着いた雰囲気だ。


「高そうじゃないじゃ?」


 今し方常識知らずと言われたばかりだが、それでもインヘルトは、というか傭兵団は、金銭面に敏感だった。武器というのは金がかかる。そして消耗品だ。たった一度の戦闘で複数回武器を変える事も珍しくない。金銭管理をしていないと、あっという間に枯渇する。それで幾度も痛い目を見た、というのもある。

 リルエはなんてことないとでも言いたげに言った。


「その服に合わせるなら、あれくらいの格式がないと」

「俺は男物のミリタリー服とか考えてたんだが」

「あんた、言っとくけど」


 彼女の眉が、危険な角度に曲がった。目つきは鋭く、インヘルトを突き刺している。


「その姿のまま、姫様の名を貶めるような真似したら許さないからね」

「分かった。任せる」


 怒ったリルエを敵に回すとろくな事が無い。というか、彼女は傭兵団随一の魂啼術士なので、敵に回したらどんな報復をされるか分かったもんじゃない。


(だいたい服の善し悪しなんて考えたこともないんだから、普通に任せればいいんだよな)


 絶対かわいらしい格好にされる。それは分かっていたが、無理矢理自分を納得させた。

 店に入ると、やはり高級志向だった。一瞬、近くの服の値札を見て、目眩を覚える。脳内からその数字を、努めて追い出した。服一枚に、なぜこんな数字が出てくるのか。インヘルトには未知の領域だ。

 しばらく、リルエに言われるがまま着せ替え人形にされる。選ぶ時間も、選ばれた服の枚数も、思ったほどではなかった。この後予定が詰まっているからだろうか。

 インヘルトは鏡の前に立ち、腕を伸ばしながら、体を捻って見せた。

 着せられたジャケットは、一言で言ってしまえば無難だった。ドレスの色に合わせてか、薄手で白が基調になっている。やたらに細い体に合わせてか、サイズが小さいように感じたが。服の感触を確かめるに、元々前は留めないのだろう。


「うん、これでいいわね」

「そっか、よかった」


 彼女はひっそり、安堵の吐息を吐いた。とりあえず、思ったよりかわいらしい服にはされないでよかった。

 リルエは自覚ないかもしれないが、かなりの少女趣味だ。彼女の私室に人形やらがおいてあることは、公然の秘密である。なぜ秘密かというと、指摘したら怖そうだと誰もが思っているからだが。

 とにかくこれで、街中を歩いていても、場違いなドレス姿には見えないだろう。やたらド派手な私服くらいになるはずだ。

 服は着たまま会計を済ませる。支払額は見ないように注意しながら。

 店から出て、改めて目的地へ歩き出す。

 元からあった砦以外は新しく作った街だけあって、その総面積はたいしたことが無い。それでも目的地が見えづらいのは、別に砦が街の中心にあるわけではないという事と、そもそも砦自体がさほどたいした建物ではないというのがある。

 見えてきた建物は、周囲のそれに比べれば、はっきりと地味なものだった。無骨で、いかにも壁が厚く、堅牢なのだけは分かる。攻撃などを食らって、施設が破壊されても、そのまま倒壊などという目に遭わないようにしていた。外見からは分からないが、対転移妨害術も敷いているはずだ。これは戦闘が起きそうな場所全てに共通する話だが。かつての武器庫やらは取り壊され、今では役所の別施設が建てられている。そのおかげで、砦が一層ぼろく、物々しく見えた。

 砦に入って、四階に上がる。三階までは一般的な行政サービスを行っていた。上ったところに、案内カウンターと防火扉を改造した扉がある。ここから先は、許可がないと入れなかった。カウンターには、案内が二人座っている。


「予約をしていたリルエです」


 言いながら、彼女は予約札だかを案内の一人に渡した。そのまま、いくらかやりとりをする。予約の確認や、そもそも本人かの調査だろう。

 この領地は、定義で言えば未だ戦闘中だ。おいそれと中には入れるようにいはなっていない。外からの侵入を防いだところで、中が緩ければ意味ない。


「あの」


 おずおずと話しかけてきたのは、案内のもう一人だった。


「あなたも、その、元奴隷戦士なんですか? いえ、とてもそうは見えないので……」


 手持ち無沙汰だからなどという理由でもないだろうが、かなり突っ込んだ話をしてくる。

 インヘルトは軽く肩をすくめて答えた。


「そうだよ。でも、その質問は改めた方がいい。傭兵団の中には奴隷だったことをひどく恥じてる奴も少なくない。衝動で殺されたくなければ、言い方を考えな」

「す、すみません……」


 案内は、ひどくおびえ、体を小さくした。どうやら叱責されたと思ったらしい。

 別にそんなつもりはないのだが。インヘルトは思う。だが、別にそうとられたところで不都合はない。わざわざ訂正はしなかった。

 つまらない話をしているうちに、確証は取れたらしい。五階の入り口まで案内される。その先は案内でも進むことは許されない。

 二人、そこそこ慣れた道を進む。間違える事はない。元々が、さして広くもない施設だ。

 五階の中央になる扉に立って、リルエは言った。


「あたしはここで待ってるから」


 扉のすぐ横の壁にもたれかかって、腕を組む。

 インヘルトは短く感謝を告げると、戸を開いた。

 部屋の中は、そう広いわけではなかった。清潔にはされており、明かりも十分ある。それでも圧迫感を感じるのは、ものがそれなりに敷き詰められているのと、窓がない為だろう。わざわざ窓がない部屋など作っているのは、暗殺対策の為だ。長距離からの狙撃だけは、まあそれが爆撃でもなければ、警戒しなくて済む。

 無数の書類に囲まれながら座っているのは、一人の男だった。座した状態でも、背が高いのが分かる。黒い髪は短く整え、他人から無精に見えない程度にまとめている。特徴のある顔立ちではないが、それでも特徴を探そうとすれば、眼鏡がそれになるだろう。

 セナウ・グノーツ・カイゼリン。領地の内側からは領王と呼ばれ、その外からは領主、あるいは指導者などとも言われる。インヘルトなら単純に――そう、弟と言うだろう。


「よう、セナウ。またやつれたか?」


 今までやや俯いて分からなかったが、あげた彼の顔は、明らかに不健康な頬のこけ方をしていた。


「兄さん……なのかい?」

「意識の上ではな」


 逆に言うと、それ以外に自己証明をするものがない。それを信じるかは、各個に任せるしかなかった。

 彼は立ち上がると執務机を迂回して、その手前にある応接テーブルにやってきた。そこに疲れたように腰を下ろし、インヘルトにも対面に座ることを求めてくる。彼女に逆らう理由もなく、進められるままに座った。ただ、話は長くなりそうだと思った。


「本当に……いや、やめておこう。皆が兄さんと認めたなら、それを疑っても何にもならない」

「そう言ってもらえると助かるよ。久しぶりだ」


 本当に、長く合っていない。この六年、気軽に会うことは許されなかった。それは誰にとってもだ。彼はそういう存在になってしまった。

 ふ……と、セナウは嘘を吐き出した。疲れている、しかし合間だけはない顔から吐息が漏れれば、現れるのはひび割れだ。隙間を敷き詰める何かが漏洩してしまえば、むしろ空隙こそが本体となる。全てが消え去り――残ったのは、疲弊し切ったただ一人の男だった。


「……やつれたな」


 哀れを感じて、彼女はそれだけを漏らした。言いたいことと、言うべきことは、いくらでもある。しかし、出てきた言葉は、たったそれだけだった。


「そうだね。まあ、気は抜けないさ。僕がこんな大げさな地位について、気を抜ける時なんてありはしない。いつでも、冷徹で隙の無い支配者として振る舞わなきゃいけない。致命的な失敗をして引きずり下ろされるか、誰かの我慢が限界に達して、腹にナイフでも差し込まれない限りは。気苦労だけはいくらでもあるさ。本当に、おかしな事に」


 訥々と彼が漏らした弱音は、おそらく誰も聞いていいものではなかった。肉親であるインヘルト以外は。


「もう少し気を抜く事はできないのか?」

「気を抜く?」


 セナウは伏せがちだった顔を持ち上げた。まるで裏切られたように。

 インヘルトとセナウの視線が絡まる。彼の目の中に何があるのか、もうインヘルトにはうかがい知れなかった。以前はそうではなかった。ただ、この半ば独裁者として君臨する時間が、ただの人間であった男をそう変えてしまった。

 セナウは視線を外してかぶりを振った。目の色が少しだけ変わる。それは非難だった。自己に対する非難。


「無理だよ。僕は僕の役割を果たさなきゃいけなかった。旧来の体制を壊し、カイゼリンとして成立させるための。その代償の一つに、仲間があった」


 後悔を噛みしめるように、彼は何度も何度も、首を振った。力なく、しかし止めることもできない。ただ、ため息だけはつかなかった。もう吐けるものがなかっただけかもしれないが。


「奴隷時代なんて、いい思い出があるはず無いけどね。それでも、仲間にだけは困らなかった。僕たちは、心の中では繋がっていた。だから、孤立無援でも、どんなに苦しくても、僕たちは戦っていられた」


 嘘。それと、自由。人が生きるために必要な物だ。バランスを崩してしまえば、人は健全に生きられない。ましてや、片方を失えば?

 その答えが、目の前にあるのかもしれない。インヘルトはなんとなくそんな風に思って、彼の言葉を待った。


「ただの仲間でいるのは、僕はすこし前に出すぎたんだろうね。そうしない事ができたのかは、今でも分からないけど……。旧勢力を一つに纏めるには、僕たち奴隷戦士は邪魔だった――ああいや、僕にはもう僕なんて言うのも許されてないかな。一度気づいてしまえば、もう嘘はつけない。僕たちは、致命的に。思い知るには、まあ、時間は必要なかったよ。必要だったのは、覚悟だけだった」

「その結果が、今だとでも?」

「そう言うよりほかないだろう?」


 くく……セナウの口から漏れた。意識はしていなかったのかもしれない。口をゆがませたとすら、気づいていないのかも。


「領地を成立させるためには、奴隷戦士はその構造から遠ざけるしかなかった。僕は……裏切ったわけだ。報いる必要があったにも関わらず、報いてしまえば、独裁などよりもよほど恐ろしい結果が待ってると気づいたから。組織を独立して外に置くしかなかった」

「そんなに……その、なんだ。自分を責めるな」

「仲間は……いや、かつての仲間は、僕を許してくれてるかい?」


 その問いかけは、いっそ致命的ですらあった。

 インヘルトは口を閉じた。すでに現状に慣れたという事もあって、セナウ殺害を主張する声は小さくなっている。しかし、嫌悪だけは未だに現役だ。

 沈黙が答えだと受け取ったのだろう。それは嘘ではない。


「僕は許されない。それはそれでいいんだ。いっそ諦めることもできる。そして、一生許されないだろう事も分かってる」


 ただ、心の傷だけは埋まることがない。それだけは、言わずとも分かった。

 セナウの裏切りは、仕方の無い事だった。それは、今の発展を見れば、誰も否定はできないだろう。しかし、許せることでもない。身内であるインヘルトですらそう思ってしまう。だから、絡まった思惑が解ける事もない。

 傭兵団が彼を許せないのは、ただ権力につきたかったとうだけの話ではない。

 かつて奴隷戦士だった頃。戦争は熾烈だった。敵の強さがどうこうより、こちらは圧倒的無勢であり、物資も極めて少なかったのだ。

 仲間は本当にあっさりと、歯抜けするように死んでいった。彼らは何もかも足りなかった。序盤で戦争を理解できない者が死んだ。次に死んだのが、実力が足りない者だった。その次に、経験が足りない者だ。最後に戦争に適応できない者が死んだ。結果的に年少者から死んでいき、今では子供など数えるほどしか生きていない。元より奴隷戦士で長く生きる者などそういないというのに。

 死んでいった者たちに報いる事が、あるいは鎮魂の儀だったのだろう。しかし、その手段は取り上げられた。

 裏切り。仕方の無いこと。しかし、許せない行い。


「やめよう。こんな話をするために、兄さんを呼んだんじゃない」


 セナウは背もたれから体を離し、背筋を伸ばした。

 数瞬、目を閉じ、開く。その後には、今まで弱音を吐いていた男はいなかた。彼曰く、冷徹で隙の無い支配者が戻ってくる。


「今僕がなんて呼ばれてるか知っているかい?」


 その言葉には、やや皮肉が含まれていた。少しばかりの怒りも感じる。

 インヘルトは、杓子定規だと感じながらも、一般的な答えを返した。


「セナウ領王」

「それは半分しか正解じゃない」


 きっぱりとした態度で、彼は否定した。そう、否定だ。半分合っているような言い方をしながら、しかし採点ではゼロをつけたのだ。


「領王という名は、あくまで内側での扱いだ。シナウッセル、ベルモパンでは、僕はただの領主――それも簒奪――として扱われてる。この意味、分かるだろう? 少なくともこの二国は、カイゼリンを国として認めておらず、ただの反抗勢力として扱っている。なぜそんな半端な扱いをしてる?」

「俺たちが勝ったから。あと、お前がうまく両者の間でバランスを取ってるから」

「正しくない」


 また零点をつけられた。

 インヘルトはうぐっと顔を潜めた。考える事は苦手なのだ。いつでも、大体は力押しで解決してきた。戦争だってそうだ。面倒なことは他人に任せ、いつも最前線で剣だけを振るっていた。


「バランサーは僕じゃない。なんだ。そりゃどっちも傭兵団を恐れてるけどね、手を出せないほどじゃない。本当に脅威として存在するのは、インヘルトというただ一個人の武力なんだよ」


 言い聞かせるように、彼は言った。

 説教かな? とインヘルトは思った。実際それでもおかしくない。こんな地位について、彼はそういった真似がとてもうまくなった。言い返すと三倍、心に刺さる言葉が返ってくる。


「独立っていうのは簡単な話じゃないんだ。戦争によってなら余計にこじれる。僕たちは戦力を保持し続けなければ、あっという間に攻め滅ぼされる」


 と、そこで、彼は大きく息を吸った。そして拳を握り、テーブルにそれを落とす。

 次の瞬間には、セナウの怒声が響いていた。


「簡単に行方不明になったり、死ぬような目にあったりするな! 領国は傭兵団に予算を割いてるんだ! それくらいの事を言う権利はある!」

「はい、すみません!」


 インヘルトはひるんで、素直に謝った。半ば悲鳴のように、声がうわずる。

 ひっそりぽつぽつと、昔のことを思い出す。

 奴隷時代の事だった。セナウは同世代の中でも、はっきり弱い方だった。戦争に生き残れたのも、運がよかったとしか言い様がない。後半は後方支援だったのだが、それを加味してもだ。そして、昔から頭がよかった。口げんかなどして、一度も勝ったためしがない。


「で?」

「はい?」


 セナウは目が据わったまま、問いかけてくる。

 彼女は何のことだか分からず、尻込みしたままつぶやいた。


「体の正常値まで変わったのは分かる。子細はシバリアとリルエから聞いてるからね。で、どの程度?」


 ああ、と納得がいって、インヘルトは頷いた。


「この体は技が染みついてないし、そもそもろくに鍛えてない。でも元の体より高性能だし、精神情報に刻まれた技能は、完全に引き継いでる。それを加味すると、元の九割ちょっとだ」

「つまり、上澄み一割を失ったわけか……それは痛いな」


 事態を正しく理解し、うめく。

 仲間内の誰も、その事態を理解していなかった訳ではない。ただ、その深刻さを本当の意味で分かることができるのは、セナウだけだった。インヘルトも含めてだ。

 親指を額に当て、ぶつぶつと何かを計算している。いくらかその状態が続き、やがて頭を上げる。が、彼の顔は、まだ深刻なままだった。


「二つ聞きたい事がある。一つは、今攻めてこられたとして、対処できる? もう一つは、その体のまま、今までの力を取り戻すのに、どれくらい時間がかかる?」

「一つ目は、まあ問題ないと思う。脅威になりそうな奴はいるが、あっちが指揮官として来る限り、そう恐ろしいもんじゃない。全てをかなぐり捨てて、ただの一戦士としてきたら、今のままじゃ分が悪いと思うが……その可能性はあるか?」

「多分ない。ならそっちはまだ安心か」


 少しだけ――本当に少しだが、セナウが安心したように手を離した。浮いた手が、テーブルの上で指を組まれる。


「二つ目だが、こっちは正直わからん。俺が思うに、あそこまで強くなるのに必要なのは、才能とは違うんだよな。もしかしたら永遠に戻らないかもしれないし、ぽんと今までの力以上になるかもしれない。なんにしろ、体を鍛えた後の話だから、最低でも数ヶ月は今のままだと思ってくれていいが」

「そう……いや、そこは今更言っても詮無いか。最低限はあるんだから、それ以上を求めるのは贅沢と思おう」


 無理矢理納得するように、彼は首肯した。


「なんにしろ、今兄さんは霊響レベルで別人なんだ。ばれるなら少しでも遅い方がいい」

「隠せるのか?」

「頑張って隠す、としか言い様がないよ」


 どこか諦めたように引きつった笑みを浮かべて。

 気苦労は多いだろう。インヘルトが余計な気苦労を持ってきた、とも言える。どのみち現状維持のできない領土とはいえ、想定外は心身に答えるだろう。彼の体――そして魂が変わってしまったことで、確実に書類の数は数十、もしやすれば三桁にまで増える。関連することまで含めれば、さらに。

 インヘルトは心の中でだけ、セナウに謝った。これからはなるたけ気をつけるようにする、とも。口には出さない。出すと言質として捉えられてしまうから。彼に言質を取らせると恐ろしいのだ。話すなら、玉虫色の回答をし続けるに限る。


「その体、極光族の貴人の体だって?」

「リルエの話によれば、姫様とやららしいが……」

「じゃあそっちには下手に隠さず明かした方がいいかな。あっちとはあまり関わりたくないんだけど」


 ため息こそつかなかったが。首を曲げ、頭を抱えるようにして、セナウ。

 極光族の支配構造というのは、人間、もとい自然種族には極めてわかりにくい。というか、支配構造と実態とが離れていると言えばいいのか。なんにしろ、こちらとはかけ離れた体制なのだ。かけ離れていると言うことは、つまり関わると面倒くさいという事でもある。


「まあこれは、まだ先の話だ。差し迫った問題から先に解決しよう」


 姿勢を戻し、今度は手も組まずに。

 見知った表情だ。為政者として、命令を下す時のそれ。


「シナウッセルから小部隊が領内に侵入してきている。国境際でふらふらしてるだけだけど、目的ははっきりしてる。インヘルト・グノーツの確認だ――かれらはインヘルト・グノーツの死亡説をかなり本気で信じてるらしい。これを、姿を見せずに撃退してほしい。可能であれば、力の衰退も確認させず」

「おう、了解」


 インヘルトは簡単に答えて、そしてにっと笑った。凶悪な笑みすら浮かべる。今のかわいらしい容姿では、そこにどれほどの威勢も感じられなかったが。

 彼女は立つと、壁際に歩いた。そこには、壁に掛けてある飾り物の剣が二振りある。十時にクロスするようにおいてあるそれを持ち上げた。


「そんなんで大丈夫なの? それ、対精神情報処理どころか刃引きされてるけど」

「手加減にゃ丁度いい。刃がついていると、つい殺しかねない」


 言って、腰に佩こうとし、気づく。いつもの格好ではない。つまり、腰に剣を佩くためのベルトもない。仕方なしに、肩に担ぐようにして持った。


「分かってるならいいけど。あんまり殺しすぎると具合が悪いよ。相手には脅威だけ伝えて、引くことができなくなるまで叩き潰したくはないんだ」

「その辺の加減は理解してるよ」


 肩をすくめ――ようとして、剣が邪魔な事に気がつき、代わりに小さく笑う。

 戦闘以外ではからっきしだが、戦闘にかんしてだけ言えば、彼女は有能だった。関わってさえいれば、多少の力関係も考慮できる。もっとも、一番得意なのは、やはり殲滅なのだが。

 扉を出る。と、そこには、先ほどと同じ姿勢のまま、リルエが待っていた。


「話は終わった? なんか怒られてたのだけ聞こえたけど」

「怒られたけどなんとかなった」

「あんたが怒られてなんとかなった記憶って言うのもちょっとないんだけど……。大抵諦められてるだけだし」


 彼女のそんな言葉は、まあ聞かないことにして。インヘルトは先導して歩き始めた。


「で、そんなもん担いで何しにいくの?」

「ちょっと待てのできない犬どもを小突き回して追い返すんだよ」


 ふぅん、とリルエはつぶやいた。それだけで察した様子ではある。


「あたしも必要?」

「来てくれると、まあ助かりはする」

「じゃあ行くわ。もう用事もないし」


 組んだ腕を放し、軽くステップを踏むようにして、彼女はインヘルトの後についていった。




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