第2話

 カイゼリン市、もしくはカイゼリン領国。まだ誕生して十年もたっていない、新しい土地。その中でもルインと呼ばれる町がある。そういった名前ではない。その証拠に、町の入り口にある半分壊れ、倒れかけているアーチには、クルス……と半ばまで記されている。ルインと仮称されているのは、そのまま廃墟ルインだからだ。

 町の構造は、中継街として至ってシンプルなものだった。町の東端に大きなステーションがあり、中央には広場と商店、歓楽街が並んでおり、それらを避けるようにして市街地がある。一つ違うのは、ここにはもう、真っ当な住人は存在していないとう点だ。

 町が荒れ果てているのは、そこが中継地点としての役割を終えてしまったのと、そもそも戦渦に巻き込まれたからだ。北部は壊滅しており、大半は焼け落ちており、それを逃れていても無事な建物というのは一つとしてない。

 必然、そこの新たな住人たちは、町中心からやや南寄りに集まっていた。

 旧中央街の一等地(といって正しいのかは知らないが)にある酒場兼宿屋。そこに、四人の人間が集まっていた。バーの一角、薄汚れた窓際のボックス席の一つ。

 三人の男と、一人の少女だ。三人の男は、少女を見てげらげらと笑い声を上げている。


「ひーっ、ひーっ、マジかよ!」

「ほんま、世の中何があるか分からんなあ」


 あれた店内の中、テーブルに足をのせて笑っているのは、側頭部から頬にかけておおきな傷がある男――ポポルと、短髪で入れ墨が体中至る所にある男――ブフーだ。

 両者よりは控えめな様子で、しかし口元に手をやって密かに笑っている、筋肉質な男――シバリアだ。

 服装は全員似たようなもので、使い古して色あせたぼろ着だ。というか、むしろかろうじて形を保っている布といった方が正解かもしれない。少なくとも、この服を古着屋に持って行ったところで、逆に処分費を請求される。そんな服だ。


「しかしまあ、お前もずいぶんかわいらしくなっちゃってまあ」


 言葉に、少女――インヘルトはむっつりとした顔で、肘掛けに手をついていた。笑われたのが気に入らない、というよりは、どう反応していいか分からないという風だった。

 ため息を一つ吐いて、テーブルにのっているビール(もどき)に口をつける。炭酸はまだよかったが、口の中に広がる苦みと、アルコール特有のつんとくる刺激が舌に受け付けなかった。一口目だけはなんとか飲み込み、うべ、と口を開いて、ジョッキをテーブルに戻す。


「おいジネス!」


 見た目にふさわしい甲高い声。喉の使い方から、やや少年っぽくはなっているが。それで、奥にいる人に声をかけた。

 ジネスと呼ばれた初老の男は、カウンターの奥でコップなどを磨いていた。店主(これももどきでしかないが)は、めっきり老け込んだ顔を歪めて、じろりと少女を見る。明らかに面倒くさそうな仕草だった。

 そんな様子も無視して、インヘルトは言葉を続けた。


「なあ、なんかこう、ねえかな。この体に合う食いもんか何か」

「おめえさんは馬鹿か?」


 ジネスは呆れましたと全身で表現しながら、嘆息した。


「ここをどこだと思ってやがる。おめえらみたいなろくでなしばかりが集う町だぞ。お嬢様のお口に合うものがほしいなら街にでも出向いて小綺麗なカフェにでも入りやがれ」

「ははは、その通りだ。こんなところにケーキセットでもあったら逆に驚くね」


 ポポルが同調するように声を上げる。

 くそう、うめきながらインヘルトはジョッキを今し方笑ってくれた彼の方へと押しやる。ポポルは飲んでいたビールを干すと、乱暴にテーブルに置いた。そして、差し出されたジョッキを奪い取るように掴み、一気に飲み干す。


「しかしまあ、ほんまに団長なんよなあ」


 がじがじと、炙った燻製肉だかなんだかをかじりながら聞いてくるのは、ブフーだった。どこか訛りのある口調で言う。

 口の中にまだ苦みが残っていて、どうにも落ち着かないものを感じながら、インヘルトは答えた。


「それについてはもう話したろ」

「まだ信じらんねえんだよ。別人になる事は、まあないこともないとしてもや。それにしたって、いかにもいいところのお嬢様というか、お姫様やろ?」


 まあそうだな、と、言葉には同意せざるを得ない。

 本人証明自体は済んでいた。仲間内でしか知らない事柄はもちろん、インヘルト特有の技術――剣の技量まで。まあ信じてもらえた一番の理由は、単純にたたきのめしたからだろう。言うなれば、強さこそが一番の証明だったわけだ。

 結果は概ね真といえたが、だからといって信じ切れるものでもない。嘘くさい事実というのは、世の中にあふれているとまでは言わずとも、ままある。

 薄く息を吐きながら、インヘルトはどかりと背もたれにもたれかかった。

 体の調子は、驚くほど悪くなかった。そして、違和感もなかった。元の身長と40センチ近く違うとは思えない。今のところは、性別による差も思い知らされなかった。剣を持つとき、柄が太すぎるなどの違和感はあるのだが。試してみると、おそらくこの体が経験して事に概ね慣れがないと分かった。といっても、それらは所詮引っかかりを感じるという程度でしかない。おそらく剣も握ったことのないこの体で、剣術の九割は再現できるとなれば、インヘルトの為に最適化されたとしか考えられなかった。

 おかしな事だ、と彼は思い悩む。

 インヘルトの癖や能力は引き継いでいるのだが、逆にこの体本来の習慣などは全く思い起こせない。意識しないとっさの判断が、全て思い当たる事だった。覚えのない癖というのが一切起こらない。まるでインヘルトがこの体を使うに当たって、余計なものを消去したようですらあった。


(んなことできるのか?)


 魂啼術こんめいじゅつ――この世の普遍的な技術の名だ。これを応用して、旧時代的なエネルギーを捨て、半永久期間として機械を動かすこともできている。あるいは、世界法則そのものとして称される事もあるのだが。

 インヘルトは魂啼術は門外漢であるため、詳しいことは知らない。高度な使い手になると、魂だけで行動したり、体を乗り換えたりという真似までできることは知っている。ただしそういったものは、無数の制約があるのが常だった。今の自分のように、他人の体を、今まで通りに扱えるほど簡単なものではない。


「とにかくよ」


 言ったのは、シバリアだ。筋肉が服を着てるようなこの男は、見た目に反してかなり知的ではある。


「お前さん、いつまでその似合わない――いや、似合いすぎてるのか? とにかく、その服着てるんだ? 見ててどうにもおかしな気しかしねえ」

「うーん」


 インヘルトは、唸って天を仰いだ。

 服の上部分を掴み、引っ張る。かなりの伸縮性があり、指にほとんど抵抗がない。ちょうど胸のあたりを掴んだため、横乳がわずかにはみ出る形になったが気にしない。指を離すと、ぱちんと音を立てて、服は元の形に戻った。

 この服も、どうやって脱ぎ着するのか分からない。すでに背後は確認してもらって、ジッパーなり何なりはないことは確認済みだ。下半身もレオタードみたく一体型であり、下から脱ぐこともできない。まさか、ハイネックの首元を無理矢理伸ばして着付ける訳でもないだろうが。

 続いてスカートを掴むと、それを持ち上げた。服の裾をテーブルの上まで持ってきて、広げるようにしてみせる。


「ブフー」

「うん?」


 古いからか、がじがじと、なかなかかみ切れない燻製肉と格闘しながら、ブフー。

 インヘルトは彼の方に、スカートの裾を突き出した。


「これ切ってみ」

「はぁ?」


 意味が分からないと言いたげな様子で。涎のついた肉を口から出す。


「なんで切るんよ、もったいない。まんま残して売ればええ金になるやろ」

「いいからいいから」


 全く納得いかないという様子で、彼はぶつぶつ言い続けているが。金に変えたところで、どうせ酒代にでもなってしまうだろうに。

 ブフーの手が、一瞬ぶれた。かと思えば、すでに振り切られていた。手には、どこに隠していたのか、小型のナイフが握られている。まるで手品のような手際だ。


「おりょ?」


 ナイフは間違いなくスカートを通過した。それは、インヘルトからも感触で分かった。が、スカートには傷一つついていなかった。


「え? ウソやん。マジでぇ?」


 斬りかかったブフーが動揺する。それはほかの者も同じようで、ポポルは目を白黒させ、シバリアは服を見ながら感心していた。


「お前、手を抜きすぎじゃねえか?」

「いや、そらまあ本気で斬りかかる訳もないけどさあ。言うて切れないほど手加減した覚えもないで」


 ポポルの言葉に、彼は手に持っているナイフを確認した。刃に近い部分を指で撫で、刃こぼれでもないか確認している。物こそ数打ちの粗悪品だが、手入れだけはしっかりしている。ただの布地でなくとも、防刃繊維だろうと片手間に切り裂ける男だ。

 ブフーは当代随一の暗器の使い手だ。インヘルトが戦って負ける事はまずないが、しかし彼の技術は目を見張るものがある。インヘルトから見ても、彼がどこに武器を隠しているのか、そしてどうやって武器を出しているのか、見切ることができない。


「こりゃすげえな」


 シバリアが、筋肉が骨を従えているような手で、スカートの端に触れた。


「とんでもねえ防御力だ。なるほど、確かにこれはお嬢ちゃんに見えても手放すのは勿体ない」

「だろ? さすがにここまで性能があると、ほいほい手放す気にはなれねえよ」


 そうでなければ、とっくに切り裂いてでも脱いでいる。まあ、切り裂いて脱ごうとしたがなかなかできなかったから分かった訳だが。


「痛てっ」


 ブフーがつぶやく。どうやら、刃物の切れ味を試し損ねて、指先を切ってしまったらしい。その様子を、ポポルがげらげらと笑っていた。


「もっかい、もっかいやらしてや。今度はちゃんと切るからさ」

「やめろ。さすがに本気でやったら切れない訳がないから」


 テーブルから身を乗り出して、妙な手招きをするブフー。手には、今まで持っていたナイフとは別の、妙に曲がりくねった刃物を持っていた。

 伸ばされた手をインヘルトはぺしりと叩いた。

 人が近づいてくる音がする。両足で、床を叩く音が違った。ジネスだ。これはわかりやすかった。彼は過去の戦いから、片足を落としており、今は義足だ。


「ほらよ、これでも飲んでろ」


 彼が渡してきたのは、水だった。ごく普通の、透明なもののはずだが、そもそもグラスが薄汚れているので分かりづらい。

 差し出された水を、インヘルトは一口飲んだ。相変わらずまずい水だ。こういったものは、味覚にそう大きな差は出てこないらしい。


「水がまずいから酒を飲んでるんだがなぁ……」

「文句ばっか言いやがって、小僧が。いや、今は小娘か」


 とりあえず、水を半分ほど飲んだ。喉は渇いていたが、さすがに味が邪魔をして全て一気には飲めなかった。こうだから、酒がほしかったのだが……まあどのみち、酒であればどれほどうまいという訳でもない。

 口の中に残る苦みを舌でこねながら、なんとか消そうと努力する。


「ジネス、今度はジュースでも仕入れといてくれよ」

「お前以外に誰が飲むんだ馬鹿たれ」


 けっ、と一つ吐き捨てて、彼は再びカウンターに引っ込んでいった。

 態度こそすげないが、それでも彼はやってくれることを、インヘルトは知っている。何週間後になるかは分からないが、メニューに入るだろう。

 再びコップに口をつけて一息つこうとして、彼――もとい彼女――は、手を離した。

 確認するまでもなく、周囲の三人も、雰囲気を尖らせている。目が細まり、雰囲気が準戦闘態勢のそれになる。

 この中で唯一武器を持っていたブフーが、皆に配り始めた。ポポルには折りたたみ式の長ナイフ、シバリアはダガーだ。インヘルトも、ナイフを受け取った。当の本人は無手に見えるが、彼がその気になれば、体のどこからでも武器を取り出せるのは知っている。

 恐ろしく薄い気配だ。水に水をそっと落としたような、そんな静謐と、小さな違和感。戦士の感覚でなければ捉えられない、細やかなもの。片足を失い、戦闘技能者としては脱落したジネスでは分からないほど。

 気配は近づき、いよいよ眼前に現れる時、四人は体を緊張させた。

 そして、ぽとり、落ちてくるように降ったのは、小さな影だった。体を丸めて足から着地し、むくりと起き上がる。

 現れたのは子供だ。年齢は、たしか6歳だったか……かなり小柄なため、それより小さく見えるが。顔立ちは整っているが、どこかぼんやりした表情のため、いまいち把握しにくい。やや殺気だった戦闘技能者4人に睨めつけられても、それは変わらない。


「フェリスか」

「あい」


 シバリアの言葉と同時に、全員が殺気と武器を引っ込める。全員が気を抜いて、ブフーに武器を返した。

 年齢を考えれば、異常な能力だと言わざるを得ない。身内にすら気配の色を悟らせず、トップクラスの能力を持つ者でなければそもそも察知もできない。天性の暗殺者と言っていいだろう。

 フェリスはぼんやりした表情のまま、インヘルトを見た。よく観察すると、顔の向きも、視線も微妙にかみ合っていない。相手を見ているようで、実のところ、あさっての方向に飛んでいた。その子供が、実は目がほとんど見えないという事実を知る者は少ない。


「だれ?」

「インヘルト・グノーツおじさんだよ、ちびっ子」


 言うと、フェリスは唇に指を当て、首などもかしげる。


「うそ。知らないひと」

「まあ分からんよなあ」


 インヘルトは苦笑した。

 仕方のない事ではある。誰が見たところで、元のインヘルトとは結びつかないのだから。ましてやフェリスは、目が見えない代わりに、魂の質、とでも言うものを見る。そちらまでずれてしまっている場合、すりあわせをできるほど、まだ柔軟な思考は持っていなかった。


「まあとりあえず、そういう事で納得しとけ」

「……あい」


 やや悩んだが、やがて納得したのか、かぶりを振った。


「で、何のようよ」


 すでに元のくつろぎモードに戻り、テーブルの上のチップスをつまみながら、ポポルが聞いた。


「それとも、お前も酒飲みにきたかぁ? ほれ来いよ、一杯やるから」

「いらない」


 絡み持ち上げてくるポポルを、いやそうにぺちぺち叩きながら、フェリス。最年少という事もあって、なんだかんだかわいがられている。

 フェリスは片手で顔の上半分を押し、もう片手で口元を引っ張っている。ポポルはそんな様子も気にせず、頬ずりしようとしていた。

 フェリスが本格的に嫌がる気配を見せる前に、ポポルは手を離した。少女はぴょんと跳ね、そのまま逃げようとし、ふと立ち止まった。音も立てずシバリアの巨体に隠れ、顔だけを出してインヘルトを見る。


「ままがくるって」


 言ってフェリスは、今度こそ、溶けるように気配ごと消えていった。

 それと入れ替わるようにして、気配が迫ってくる。フェリスの気配が凪だとすれば、今度のそれは台風とか、暴風とか、そういったものだった。


「インヘルトおおおおおぉぉぉぉ!」


 大きな音を立てて、扉が蹴破られる。それは過大な表現ではなく、実際に木片が散っていた。ジネスが恐ろしく嫌そうな顔をしている。


「あんた一体なにやって……」


 そこで、人影はいったん呼吸を止めた。顔面の色が白黒と変色、混乱にフリーズし、そして再起動。嘉悦の表情で、インヘルトに飛びかかった。


「姫様ああああああ無事でよかったですううううう! まさか躯染くぞめに拉致されるなんて、我々一同ほんともう、ほんっとうに心配してたんですよぅ! あ、そういえばインヘルトのアホが救出したって聞きました! あいつはアホでアホで本当に馬鹿の戦闘狂でアホで仕方ない奴ですけどたまには役に立つんですね! 何にしろ無事で良かったです姫様! アホのインヘルトには私が爪の先ほどの感謝を述べとくんで気にしないでくださぷびゅる!」


 暴走して小うるさいそれの横っ面を叩くようにして、インヘルトは黙らせる。

 衝撃に、影はぺしゃんと転んだ。ついでにうぅ……などと唸ったりもする。そう強く叩いたわけでもないのだが。タイミングの問題だろうか。

 現れたのは少女だった。身長は今のインヘルトと同じか、いくらか小さい。日に焼けた金髪に、ここらではまず見ない、まともな身だしなみをしている。といっても、汚れることを前提としているため、深い緑が基調だが。大きめの服の上からでも、胸があるのは分かる。大きいと言うほどでもないが、しかし、インヘルトみたいに体に張り付く服でもよく見なければあることがわからないのとは天地の差だ。最も特徴的なのは瞳で、オーロラのように揺らめいている。これは極光族エルラエリテの特徴だ。

 飛び出してきた少女は、床にぺたんとすわりながら、しなを作って、わざとらしく泣いて見せた。


「姫様……すげないです」

「違うから」

「いいえ、姫様は分かってません! 姫様がさらわれたと知って私たちがどれほど心配したと思っているんですか!?」

「そうじゃない。俺はインヘルトだ。目を覚ませリルエ」


 ついでに、その少女――リルエの頭をぺしぺしと叩く。

 彼女はとりあえず立ち上がり、にへらと顔を崩した。


「またまたご冗談を。どっからどう見てもインヘルトのアホじゃないじゃないですか」

「アホで悪かったなあおい」


 インヘルトは、顔を引きつらせて答える。


「冗談言っても通じませんよ。あたしをかつごうとして」


 やだもー、と相変わらずへらへら笑いながら、手を振った。

 インヘルトはため息をついて、ちらりと同席している三人を見る。意図は察してくれたのか、彼らは頷いた。

 ポポルとブフーが立ち上がる。二人とも、向かったのはバーの隅、乱雑に壊れ物が積み上げられている一角だ。ポポルは足の折れた椅子を引きずり出し、ブフーはちょうどよさげな短い棒を引きずり出した。その間に、シバリアは窓を開ける。リルエが疑問符を浮かべているが、それは無視した。

 二人が戻ってくる。木の棒はインヘルトに渡され、ポポルは窓から身を乗り出して、椅子を空高く放り投げる。彼が身を引くと同時に、シバリアが窓を閉めた。

 ガラスで遮断されたため、落下音などは聞こえないが。椅子は放物線を描き、ちょうど未知の真ん中、割れたアスファルトの上あたりに落下を始める。

 ただでさえ壊れ、物陰で風化していた椅子だ。たたきつけられば、跡形もなく砕けるだろう。が、その前に。

 インヘルトは何の資材だか、指が回りきらないほど太い木材を振った。風切り音さえ、超常的な一撃。鈍器から放たれた斬撃は、間を隔てる障害物に全く影響を与えず疾駆した。壁とガラスを透過し、無色無音の刃は墜落する椅子に絡みつき……一塊のそれを、十数のパーツに切り刻んだ。

 リルエが顎が外れんばかりにぽかんとしている。それを見て、インヘルトは木材を投げ捨てると、両手を挙げた妙なポーズで言った。


「ハイ!」


 奇しくも、ほかの三人までもが同じような事をしたが。

 一人取り残されたリルエは、まだ呆然としていた。数瞬、そのままぽかんとし続け。その姿勢のまま、絶叫をあげた。


「はああああああぁぁぁぁぁぁ!?」


 絶叫に合わせてか、体ががくがくと揺れる。そのまま息を全て使い果たし。

 さすがにもう一度呼吸して、叫び直すつもりにはなれなかったのだろう。彼女は汗を垂らしながら、なんとか落ち着こうと体を揺さぶっていた。


「どっ、どどっ、どういうこと!?」

「どうと問われても、見たとおりでしかないだろう」


 ほかに言い様もない、とシバリアがぼやく。


「だって! 霊響れいきょうだってインヘルトのものと違う!」


 びっと、リルエは少女を指さして言う。

 霊響と言うのは、つまるところ個人認証技術だ。正確には違うが、現在それ以外の用途で使われることはまずない。

 過去には指紋やら虹彩やらなどが使われていたが、魂啼術の発展とともに、それらをいじることがさほど難しくなくなってしまった。つまり、情報の上では簡単に自分以外の誰かになれるようになってしまったのだ。

 これを解決したのが霊響だった。魂啼術の力の源泉――その波長――をパターン化記憶する。これを意図的に変える方法というのは、今のところ見つかっていない。少なくとも安全には。これを下手にいじった場合、それは魂が崩壊する可能性をも見せるからだ。


「そうは言ってもよぉ」


 ポポルが、手に持った串をがじがじとかじりながら言う。皿の上には、もう何も乗っていない。口元が寂しいのだろうか。


「あんな真似を鼻歌交じりにできる人間なんて、俺ぁボスしか知らねえぞ。それともお宅の姫様とやらは、うちの団長みたいな絶技を鼻歌交じりにできる化け物なのか? んなら俺は極光族の認識を変えなきゃいけないが」

「う……それは、多分、いや、確実に無理だけど……」

「やったら団長と思うよりほかないやろ」


 後を引き継ぐように、ブフーが言う。

 でも、と。どちらかと言えば、自分に言い訳するように、リルエが続けた。


「あの子……フェリスは納得したの?」

「納得というよりは、棚上げって感じだったな。分からないから分からないままでいいって」


 リルエがナチュラルに霊響を見ることができるように、フェリスもまたそうだった。

 彼女らは、実の親子ではない。むしろ関係としては、師弟に近かった。ただフェリスが彼女を母としても慕っているというだけだ。

 フェリスの母は、とっくに他界している。戦争の時の話だ。彼女の母――名前も知らないが――は、妊娠したまま戦争を戦い、そして殺された。そのときに腹から引きずり出されたのか、まだ未熟児だったフェリスだ。彼女の目が見えない、どころか体中に不調があるのは、そのためではないかと思われている。事実は分からないが、なんにしろあの少女は全身障害だらけであり、通常ならば立っている事もできないのだ。

 魂啼術ならば、体を癒やすのは簡単だ。それこそただの怪我ならば、手足だって生やす事ができる。しかし、魂を破壊されたり、そもそも魂に記録がないものまでは治癒することができない。いや、それは正しくないか。正確には、治癒したところで、魂にそれを機能させる情報が欠落しているため、意味が無い。

 フェリスは生きるために、幼少期から魂啼術を教え込まれた。そうしなれば、とっくに死んでいただろう。今では術を扱う能力は、持ち前の才能もあって、リルエに次ぐものとなっていた。障害を補って有り余る才覚を見せている。


「でも……じゃあなんでインヘルトが躯染めと戦ったのよ」

「風の噂で、居城があると聞いてな」

「それで姫様の事は聞かなかったわけ? むしろそっちの方が有名なはずだけど」


 と、リルエは疑わしそうな半眼で見てくる。


「聞いてないな」


 と、インヘルトはきっぱりと言った。そんな話もあったような気がするが、本当に気がするだけである。

 言葉に、彼女はさらに目を細めて問うてきた。


「本当でしょうね……? 言っとくけど、あんたが聞く噂の元なんてここくらいしかないんだから、調べればすぐに分かるんだからね。嘘だったり、ただ聞いてかなったりなら承知しないわよ」

「聞いてないが!」


 無理矢理語彙を強めて、はっきりと否定する。後から何かを知られたところで、それはそれと諦めて。

 この話題は分が悪い。話を変えようと、インヘルトは言葉を続けた。


「まあとにかくだ。そっちから来てくれたならちょうどいい」


 インヘルトはぱっと手を広げた。


「ちょっと魂の様子、見てくれよ。俺じゃ何も分からねえ」

「あたしも確認したいし、それはいいけど……。じゃあ奥につめて。ほらデカブツ、あんたも詰める!」

「デカブツ扱いはやめてほしいんだがな」


 シバリアは苦笑して、席の奥へと詰めた。Uの字をしたボックス席の中央に座り直す形になる。

 インヘルトも席を詰めて、空いた場所にリルエが座った。彼女はインヘルトの体を少し押して、椅子の上で脱力するよう指示する。


「先に言っとくけど、抵抗しないでよね」

「俺の実力じゃ抵抗なんてできねえよ」

「ド素人が下手に身動きしたらかえって具合が悪いから言ってんの」


 リルエはぴしゃりと言って、手を掲げた。掌を、胸の上あたりで浮かせる。


我が声に従えセンテンフィア


 鍵句けんくが紡がれる。

 魂啼術は万能にして、この世の規範だ。しかし、ごまかしがきかないものも、いくつかある。その一つが鍵句だった。始まりの一言。力を深化させる、あるいは深淵から力そのものを拾ってくる際に行う儀式。もっと単純に、人間ごときがこの世を好きなように改竄するならば、デメリットを負わない事など不可能だ、とも言える。

 ふっと、掲げられた手から一瞬だけ、光が漏れ出た。透き通ったそれは、インヘルトの体内に抵抗なく沈み込んでいく。

 リルエが集中しているのを見て、ブフーが思わずつぶやいた。


「なんや、子供が妙な児戯しとる見たいやな」

「あんた後でぶん殴るから」


 少女が青筋を立てて言った。

 極光族は、人間――もしくは自然種族よりも平均身長が10センチから15センチほど小さいため、よく子供に間違われる。それを気にする極光族は少ない。まあ、多分に慣れもあるのだろうが。他種族と交ざって暮らす場合、そういった不都合には目をつぶるしかない。

 彼女は例外で、子供扱いされることをよく思っていなかった。


「うーん……」


 リルエはぼやきだかうめきだか、よく分からない事を漏らしながら。手の角度を微妙に変えながら、術を続けた。


「よく調べてみると、たしかにあんたの魂にはインヘルトの面影があるのよね。ただ、そのものじゃない。それだけは間違いないわ。これだけ違ったら、同一人物とは言えない。少なくとも法的には。……ねえ、体に違和感とかないの?」

「驚くほどないんだよな。剣技も完璧とは言えないが、それなりの精度で再現できるのは、さっき見たとおりだ」

「体の方まで最適化されてる……? 霊響も驚くほど違和感がないわ。まるで最初からそうだったみたい。でもよく調べると、もとあった部分がないのと、後から付け足された部分も、わかりにくいけど一応分かる。本当に別人だわ。どうやったらこんな風に魂をいじれるのかしら。超人的な魂啼術の使い手だわ」

「お前以上にか?」


 それは、特に気負いせずぽっと出た言葉だったが。彼女はぎょっとして、かぶりを振った。


「冗談じゃないわよ。あたし程度じゃこんなこと絶対無理」


 得意分野じゃないのもあるけど、と小さくつぶやく。

 言い訳というよりは、そんな真似ができる方に戦慄している様子だった。


「自分の魂を削りながら、あんたに不足無いように付け足していったのよ? どれだけの事か分からない?」


 分からないため、こちらもかぶりを振るしかなかったが。

 リルエは反応にあまり興味は持たなかったようで、顎に手を当てながらぶつぶつとつぶやいた。


「でも、これだけ鮮やかに施術したなら、最後の最後まで自分の意識を保ってないと不可能なはず……。うまくいけば、姫様の意識を取り戻せるかも……」


 とりあえず独り言をつぶやきながら、しばらく続けていたが。

 やがて両手を下ろして、リルエは吐息をした。


「見た限りだけど、体にも魂にもおかしなところはないみたい。少なくとも、すぐどうこうっていうのはないはずよ」


 はっきりとは言うものの、彼女の言葉は、どこか自信なさげだった。


「ちなみに、俺が元の体にもどったりとかは……」

「無理」


 そこだけは、はっきりと言う。


「あんたが何したんだか知らないけどね、本来なら死んでるのよ。肉体的ダメージはもとより、魂にまで致命的な欠損を受けてね。それを――多分姫様が――自分の魂を削ってまで補ったの。だから、元の『インヘルト・グノーツ』って器はもう作れないし、作ったとして、適合ができないわ。すでに元のあんたの体は他人の体なのよ」

「そうか……」


 インヘルトはつぶやいて、少しだけ俯いた。その反応に、リルエはやや慌てながら、声をかける。


「えっと、その、へこんだ? でも事実だから仕方ないし、ごまかしてもあんたのためにならないし……」

「いや、そうじゃなくてな」


 彼女は顔をあげて、苦笑した。何でも無いと証明するように、肩をすくめてややおどけ、安心させるようにしながら。


「俺は死んだんだなって思ったんだよ。死んで、生き返ったんだ。それを考えれば、今の体がどうかなんて、まあ小さな事だろ」

「あたしとしては、姫様に体を返してほしいんだけど……」


 調子を取り戻す。


「もっと詳しく調べたいんだけど、その前に」


 言って、ふと彼女は、視線を外した。その先には、ポポルとブフーがいる。彼らはいきなり視線を向けられ、不思議そうにしていた。


「セナウから、いえ、領主から呼び出しよ。あんたを見つけ次第すぐに連れてきてくれって」


 げっ、と声を出したのは、やはり今し方の二人だった。両者とも、顔を歪めている。それは嫌そうでもあり、敵を排するようでもある。

 その様子に、シバリアは苦笑した。まるで聞き分けのない子供をあやすような視線を向けてつぶやく。


「お前ら、まだ駄目なのか」

「当然やん。あいつは裏切り者やで」

「さすがにもう何とかしようとは思わないけどなあ。でも、それとこれとは話が別だよ」


 放っておけば、舌打ちでもしそうな様子だ。インヘルトも気持ちは分からないでもないため、それについては何も言わないが。もうずいぶん昔の話なのだし、いい加減気にしなければいいのに、とも思う。


「詳しく調べるのは帰ってきてからにするか」

「すぐ済む用事だといいんだけどね……」


 インヘルトとリルエ、二人して立ち上がる。出口に歩き出すと、残った三人は広く座り直し、追加注文などもしていた。

 連れ添って歩きながら、インヘルトはふと疑問に思ったことを聞いた。


「なあ、時間かかりそうな用事なのか?」


 言われて、一瞬リルエはきょとんとしたが。すぐに呆れたように顔を変えた。


「あんたは好き放題やってるから知らないんでしょうけどね。いきなりふらっと戦いに向かったと思ったら、今までじゃ考えられない期間帰ってこなかったのよ? すでに死亡説までささやかれてるし、しかもあながち間違いじゃないし。厄介ごとなんて山積みでしょ」


 ため息を吐かれながら言われてしまえば、もう何も聞くこともできない。

 インヘルトは連れられるまま、歩いて行った。




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