第22話 あっちから軍船、こっちから変人
隼を見あげていたメグの手を、やってきたお福がとり、
「ご無事でなにより」と撫でた。お蘭たちは小屋の前で、失神した赤い影の女をしばり上げつつ傷を見てやっている。
「お福こそ、よく戻ってきてくれました。なにかありましたか?」
「それがですね」と、彼女は状況の説明をはじめた。
下見のため、小舟を使って黒狐と港の付近を見てまわったが、源三の工房のあたりを遠望すると、上空でやけに鳥が騒がしい。気になって早めに切り上げ、急いでこの先まで戻ってきたところ、水路の奥に軍の連絡艇らしき船を見つけた。
「昼間の無作法な警らの船と思いましたが、泊める場所が不自然です。そこで確認に近づいたところ、突然に船乗り風の一団があらわれ、ものも言わずに」
「襲いかかってきたの?でもお福こそ、無事でよかった」
「なに、斬り合いはほんの数瞬、驚いている間に終わりました。敵も、まさかこんないい天気の日に、悪霊に出くわすとは思いもしなかったようです」
「黒狐は悪霊ですか」メグは苦笑した。「ところで、軍の連絡艇には誰も乗っていなかったの?」
「それが、中には見覚えのある海兵が三人ばかり。みな死んでいました」
「まあ……気の毒に」
「愚かな男たちでしたが、あんな死にざまは、なんとも哀れでなりません」
メグは天井を見上げた。だんだんと血生臭い話に慣れてきた気がするが、もしかすると兵も赤い影も、自分のせいで死んだことになるのだろうか。
彼女が近くにいるせいか、船からは絶えず虫の羽音みたいな音がしていた。
「そういえばお福」
「なんでございましょう」
「あの隼、さっきより数が増えていませんか」
「あら、まあ。そういえば」
「じゃあ、私の嗅いだのは血の匂いだったの」お蘭が言った。
「この近くにも兵の死体を隠してあるんだろう」黒狐がうなずいた。おそらく赤い影は、彼らに目をつけて捕らえ、工房のことを聞き出し、案内させて始末した。だが、「姫様たちのお戻りが予想より早く、血の匂いをお蘭さんに気づかれた、というところだろう。侮ってもいただろうしな。まさか、こんなえげつない女たちとはな」
「こんなけなげな女たち、の間違いよ。けど、最初にどうやってこの場所を嗅ぎつけたのかな」お蘭は不快そうな顔をした。「ずっと監視してたってことかな。気味が悪い」
「方法なら、いくらでもあります」と孔雪が言った。「今回については、内通者がいると見る方が自然でしょうね。城、あるいは城から付いてきた護衛の中に。いくらお蘭さんや黒狐のような武芸の達者がいても、こっそり鳥耳に合図するぐらいならできます」
「これよ、孔雪。これを見て」外に出てきたメグが、二羽目の隼の足から取りはずした紙を示した。「いまさっき、鳥が持ってきた。ストヴェからね。それとさっき、赤い影を邪魔してくれた隼も彼女の使い鳥なの。いまは船の帆柱に仲良く並んでいるわ」
「ほう、二羽を同時に遣うとはさすがですね」
メグは孔雪たちに二匹目の隼が運んできた手紙についてを説明した。
「流星から急ぎ知らせよと命ぜられたと断り書きがあります。でも、走り書きのくせにびっしりと書き込んであるの。すごい量」
「正確に伝えることへの意欲が強いのでしょう。孔雪嬢と同じ人種ですな」
黒狐のコメントに孔雪は咳払いで返した。「失礼。メグ様それで」
「今日の午後」メグは手紙の説明をはじめた。「ストヴェは、軍務局に働く取り次ぎ役が、実は術師で諜者だと勘づいて問いただしたそうです。ひそかに術を使い外部とやりとりをしていたのね。しかし、抵抗されて影を放たれたため、やむなく『ラー』を行って対処したところ相手は昏倒した。それから意識を吸い出すのに時間がかかったが、判明したことをお知らせする、とあります」
「影とかラーとか意識を吸い出すとか、意味不明だらけです」お蘭が言った。
「とにかく最後まで読むわね。どうやら諜者には仲間がいて、いろんな情報を集めては売る商売をしていた。私たちが今日、神津に来たことについても複数の客に知らせた痕跡があった。追手があるかも知れず、油断めさるるなって」
「複数の客とは商売繁盛ですね。だから赤い影の皆さんの訪問があったのかな」
「それはわかりません。反応が早すぎる気もするし、別口の情報源と併用しているのかも」孔雪が冷静な口調で言った。
「影を放たれたというのは」メグがお蘭に説明した。「思念によって生み出した魔を使われ攻撃されたって意味。相手もやるわね。『ラー』は、わたくしもよくわからない」
「ラーとは多分、闇斬りの技です」黒狐が解説した。「いかにもヌイイ風の言葉ですが、刀剣に念を込めて魔を制したとの意味でしょう。そんな技を持つとは、私の刀に関心があるはずです。さすが元霊的護衛官」
「なんか、あの娘の印象が変わるなあ」とお蘭が言った。「あと、意識を吸い出すというのは……」
「そっちはわかります」メグが自慢げに言った。「死にかけたりして意識のない相手から記憶を読み取る技です。ストヴェは諜者を返り討ちにした段階で、まず私たちの安全確認のため最初の隼を放った。さっき助けてくれた鳥さんね。そのあと内容がわかったので、追いかけて二羽目の隼を放った。それがこの手紙」
「流星殿下からは、なにか」孔雪の問いに、「それをこれから言います」とメグはうなずいた。「流星によれば、中ノ津の沿岸警備部に所属の探索艇と装甲哨戒艇が各一艘、不審船の探索を理由に神津港方面に向け緊急発進したそうです。特に珍しくない話だそうですが、気になって海軍卿に確かめたところ、出動要請も許可も誰が出したか特定できないのですって。警戒を怠らないようにと」
「つまり誰かが、警護の手薄な状態の私たちを襲うつもり?それともこっちの出国計画に気付いて、軍船を使い邪魔しようとを考えたってことかな」
「おそらく、その両方かも。いずれにせよ、海軍にも要注意です」
「さっきの赤い影との関連は?」
「わかりません」メグに渡された手紙を確かめていた孔雪が答えた。「しかし、距離を考えると日の落ちる前に姿を見せてもおかしくはない。急ぎましょう」
「これからどうすればいいですか」メグが聞いた。
「とりあえず、急ぎこの地を去ることです」と孔雪が言うと、「賛成」と黒狐も言った。「赤い影に限っても別働隊が攻めてくる恐れは大きい。さっきの奴らはしっかり変装していましたから、偵察を任務とした先遣隊でしょう。だが連絡が途絶えれば、夜にまぎれてもっと人数がやってくる。今度のは、さっきみたいな遠慮はせず、火や毒煙を使うかもしれない。下手に相手すればアジサシの巣にまで被害が及びかねません」
「もう、出るのですか」お福も聞いた。「はい。追撃の来る前に、できる限りはやく」
各自が荷物を持って、バタバタと船に駆け寄った。さっきの隼は二羽、そろって上空に舞っていたが、こちらに戻ってきて繰り返し鋭い声を上げた。
それを聞いてお福は、しばらく空を見上げていたが、立ったまま目を閉じた。彼女はそのまま、彫像のようになった。
「お、お福……」メグがその肩に手を触れようとすると、お福はカッと目を見開き、「是非もなし」と言った。そして振りかえって船を見るなり懐から紐を出し、すばやく襷をかけて背筋を伸ばすと、
「追手ですね。皆様、行きますよ」と宣言し、小走りにしかし自信に満ち溢れた姿で船に向かった。いつもの、小言が多くどこか後ろ向きの女はもういなかった。
大急ぎの出航準備がはじまった。さいわい源三に怪我はなく、そのまま船出を手伝ってくれた。赤い影の女は、ストヴェに託すよう頼んである。
だが、お福は出航に焦り気味の一行を制止すると、先にメグひとりが乗船して操舵輪に触れつつ、船と航海を祝福するよう主張した。
旅の無事を祈りながら、メグは船に似合わないほど立派な舵輪にそっと手を触れた。
見上げていたひとびとは息を呑んだ。
くすんだ船体の表面が脱皮するようにハラハラと剥離し、その下から白地に青、赤、そして金色の横筋がうかびあがった。一方、水に接している船底との境目には、紫と黄色の細い筋がはっきりと浮かび上がった。帆も急にパリッとしたようになり、まるで洗濯したて、白く光を放ち輝いているように見えた。
見送りに来たゼンや彩文らが唖然となったのに気づき、メグは慌てて外装をのぞき込んだ。「あらっ、たいへん。どうしましょう。これじゃ目立っちゃうわ。なんでかしら。わたくし、またなにか失敗しましたか?」
「いいえ。とても良いことをなされました」お福がほこらしげに言った。「これは、何人もみだりに近づくべからずという神聖船を表す色の取り合わせです。藤と江津の色も入っているでしょう。いまどきの若い軍船乗りは知らないでしょうが、かつてはこれを見たら、まともな船乗りなら下手な干渉は避けたのですよ。よくぞ大切に保管してくれました。この色が浮き出たということは、護りの法もまた生きています」
「鳥肌が立っちゃったね」お蘭と美歌が顔を見合わせて言っている。
「さあ、急ぎ発進します!総員乗船せよ」お福がメグに代わって操舵輪に手を置き、高らかに声を発した。あわてて残りの一行が乗り込むと、船は風も曳航船もないのにしずしず離岸した。ゼンと彩文たちが手を振り、源三は深々と頭を下げている。
「お福船長、これはなあに」メグはお福のすぐそばに立っていたが、操舵輪の前にあった半球状の物体を指差した。
「これは精霊指位盤といい、目指す方位を常に教えてくれるのです。いまではもう、作っているところはほとんどないと聞きました」
見ているうちに、黒かった半球の内部が透明となり、中の様子が見えるようになった。脂のようなとろっとした液体の中に、下半身が魚になった女性の像があり、それは片手に何かの本を持ち、もう片方の手はなにかを指し示すように突き出されている。
「それもまた、メグ様が乗船されたことで使用が可能となりました。どうぞ目的地を念じ下さい」
「えっ。そんなの、わからないわよ」
「とりあえず、碧海東端の白馬岬とお伝えを。近海ならそれだけで充分のはず」
船は水を切って走りはじめた。やや向かい風というのに、不思議にも帆は後ろから風をうけているかのように大きくはらんでいる。ただ、風があるため船体は多少揺れる。お福は堂々と突っ立っているが、メグと孔雪はどうにも落ち着かず、手でしっかり船体を掴んでいる。
「生き生きしてる」「格好よすぎて、何もいえない」お蘭と美歌がこそこそ言い合っている。お福に対する感想のようだ。
「それ、そこ。しっかり帆を見ていなさい」するとお福から指導が入った。「水面もですよ。水中にも罠というものがありますからね。こんなところにはない、と頭から思い込んではいけません」
「すてきな船長と思ったら、鬼船長だった」「あの怖い声に酔いそう」
いったん、お福のまわりに全員が揃ったので、「残りの手紙の内容を伝えておくわね」とメグは声をかけた。「私たちが今後、どこへ行かれようと、流星はとにかく無事と成功を祈っています、と言ってくれています。手紙の後段はストヴェの私信になっていて、彼女にはどうやら、私たちと同行したい気持ちがある」
「メグ様と一緒なら、刺激には事欠きませんからね」お福が言った。
「ただし現状では、まだ流星と彩芽の傍に術師が必要という気がするので、その勘に従いますって。それとこれはちょっとびっくり」メグは手紙をもう一度読み直した。「ストヴェの従姉妹にあたる術師も以前、江津の内務卿に仕えていたのだそうよ。それが、一年ほど前に理由も告げず出奔してしまった。その詫びもあって彼女は流星付きから異動したのね。これ、なんて発音するのかな」
孔雪が背伸びしてメグの持つ手紙をのぞいた。「タマルハルークムーンとでも読むのでしょうか」あまり馴染みのない名前だ。「とにかく、このタマルさんとどこかで会うことがあったら、元々の人柄は決して悪い者ではないのでよしなに頼むとあります」
「あの娘がわざわざ書いたということは」お蘭が言った。「なにか意味があるのかな。あるいは未来を予知したとか」
「詳しく書くと、差し障りがあるのかも知れません」孔雪が考え考え言った。「海燕公さまの難に関わりがあるのかも。とにかく意識はしておきましょう」
船が順調に港から出ようとした時、頭上で鋭い鳥の鳴き声がした。
ストヴェの隼らしい。源三老人から譲られた望遠鏡をのぞくメグの眼に、沖合からこっちの航路を塞ぐようにしてやってくる二隻の船が見えた。
「あらっ、もうきた。大小二隻、小さいほうは代わる代わる旗を振っています」
旗の色と模様をお福に伝えると、「停船指令ですね」と鼻で嗤うように返事があった。
「この船に従う義務はありません。それに、見れば肝心の江津の国旗と海軍旗が掲げられていない。と、いうことは本船がメグ様の御座船だと見当はついているし、なにをしでかそうとしているかの自覚だってある。ストヴェの手紙の正しさが裏付けられました」
「それは、軍船なのに正式な任務ではないとこと?」
「はい。湾内は人目が多い。自分たちが後ろ暗いのをわかっていて、公務僭称を避けたのでしょう。もし国旗と軍旗を掲げて外国からの賓客を拿捕した場合、それが偽りの任務だったのが露見すれば、その罪は命令系統の混乱ぐらいでは言い逃れなどできない。いざと言う時の逃げ道をつくっているのです。こざかしい」
「この前みたいに牢屋に入れられちゃうのかな」とメグが聞くと、「いいえ。よくて一生重禁固。下手すれば艇長と副長の首と胴が離れるでしょうね」
「あら、厳しい。そりゃ小細工だってしますよ」
「だれが黒幕でしょうか」孔雪も興味深げに言った。「赤い影との連携かどうかはわかりませんが、参州でも特に規模の大きい江津の海軍です。内藤さまと気脈を通じたのがいても不思議ではないですし、先日のお福様のご旧友のおっしゃったように、頭に血が上った愚か者がいるのかも知れない」
振り払おうと、メグたちの船が進路を少し変えると、軍船はなおも追いかけてきた。「大きい船はちょいノロマでも」お蘭と美歌が海上を見ながら言った。「小型のやつはなかなか足が早いですよ。追いつかれるかな」
風はメグたちの船にとって向かい風である。追う立場の小さな偵察艇はぐんぐん速度を増し、互いの乗員が目ではっきり見えるところまであと少しだ。
「なに、無理をせずとも、突き放せます」お福がいい、舵輪をぐるぐる回しつつ、傍の伝声管に「速度あげよ」と命じた。ここに話しかけると船が言うことを聞くらしい。
すると帆柱の角度が変わり、船の速度が増した。
だが、それを見た敵船から白煙が上がり、近くの水面に小さな水柱が上がった。
「んまっ」彼女は憤然とした。「鉄砲を撃ちかけてくるとは、ありえない」
まだ距離はあるが、船の進行方向へ大きな水しぶきがあがった。こっちは装甲哨戒艇からの大型砲による威嚇だ。「大砲ですと、これはまた、なんと無礼な」
「この船は、護られているのですか」水しぶきがかからないのを見て、黒狐が聞いた。
「鉄砲ぐらいなら大丈夫のはず。しかし、こんな狭い湾内で大砲を撃たれたら、万が一もありえます」
「こっちに武器はないの?」美歌が聞いた。
「源三さんからもらってあるよ。この船の元々の装備で、火薬は入れ替えずみ」と、お蘭が木箱を示した。中には、まさに蛸壷のような紐を巻き付けた陶製の壺があった。
「火縄に火をつけて、蓋をしたら流すの。二百読んだらバーンとなるようにしてあるって」
「それより、私が乗り移って舵を壊した方が早い」黒狐が言った。
「水に落ちると、あなたは沈むのではありませんか」思わずメグが聞いた。「この前はうまく行っても、今度はわかりませんよ」
黒狐が足や顔に金属の枷らしきものをつけているのは以前から知っていた。だが、ストヴェからその一部がヌイイ製の極めて珍しい呪具だと聞き、このごろ気になっていた。いくら陸上ですさまじい動きができても、水に落ちればそう簡単に行かないと思うのだ。
「ご心配ありがとうございます。そのときは大声で悲鳴を上げて姫様をお呼びしますので、よろしく」
真面目な口調で冗談を言われ、思わず頬がゆるんでしまった。だが、お福は、
「このぐらい、まだまだ」と言い、「メグ様、このあたりでひとつ隠形の術を」
「ストヴェじゃあるまいし、そんな術、知らないわ!」
「なに、偽りの雲で姿を隠せと命じて下さるだけで結構。そのうち日が沈みます。そうなれば術者でも乗せていない限り、しつこく追うのは難しいと思います」
だが、メグの代わりに望遠鏡をのぞいていた孔雪が、「軍船とは異なるものが、こっちに近づいています。どうやら、さらにロクでもなさそうです」」
「え、なにそれ」
空の上で鳥の声がした。ストヴェの隼かわからないが、やけに騒がしい。
見ると、沖から大きく回り込んできたなにかが海上にあった。みるみる距離をつめてくる。
「あの速さは、船とは思えない。まるで魚」お福の声が、やや固くなった。
「軍船の発砲が、沖にいた別の奴らも呼び寄せてしまったのかも」
そう言って、孔雪はふたたび望遠鏡を向けた。決して性能は良くないが、肉眼よりはましである。だがすぐ、「あれ」変な声を出した。
「え、なにがきたの」
「魚か船かよくわからないものが」
「ん」黒狐が眉をしかめ、へさきに身を乗り出したが、すぐに
「なんだ、あれ」と、呆れ声を出した。
波を切って近づいてくる船とも魚ともつかない二隻のうち、小さい方の上から黒い笠らしいものをかぶった人影が、優雅に手を振っている。風に乗って、途切れ途切れに声が聞こえてきた。
「はあーっはっはっ。みなさあーん」と、こっちに叫んでいる。
「おまたせしましたっ、ミゲルですっ」メグたちは互いに顔を見合わせた。
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