第18話 妖術師の噂と最強の魔女

「そういえばストヴェさん」しばらくの沈黙のあと、孔雪が口をひらいた。

「我が主の守り手については、もういいのですか」

「ひとまず懸案のもの『ではない』という結果が出ました。当面はなにも」

「さようですか。ま、こちらにはすばらしい兎の守り手があり、すばらしいお方様がいらっしゃる」孔雪が言うとストヴェは黙ってうなずいた。

「もちろん対策済みでしょうが、互いに盗難には気をつけましょう。狙っているのは曲者中の曲者ばかりだし」


 それを聞いていた流星が、メグに向かって言った。

「鐘や守り手のうちに、隠された意味や力を持つ物があるという噂は、萌と関係の深い貿易連盟の者から伝わったそうです。つい最近のことです」

「後ろにいるのは大商人やそれと仲の良い門閥とかでしょうか」孔雪が聞くと、ストヴェがうなずいた。

「母上は本気にはしておられなくとも、うるさいやつらですから内務卿も捨て置けず、あえてストヴェに失礼を命じました」二人が丁寧に頭を下げたので、メグはとまどった。「別にいいのよ、つい最近だって、使って減るものじゃないだろって言われたところよ」

「関係があるかはわかりませんが、少し前に兎の守り手の借用希望が萌の国からありました。調査に来るのではなく、貸し出せというのです」

「へえーっ、他国の神具を」この流星の報告には、メグも孔雪も驚いてしまった。同時に自国の内部からそんな依頼があったのを、二人は思い出していた。


「表向きは萌の職人組合からの依頼でした」ストヴェが言葉を引き取った。

「あの国は『妖精祝福グッズ』と銘打ち、呪力を利用した器具や日用品、植物などを全州に向けて販売して人気です。その新作の参考にしたいとの説明がついていました。むろん断りましたが、あまりの図々しい願いに、なにかと萌の国を庇う貿易連盟の関係者まで黙り込んだとか」

「なるほど。興味深いお話です」と孔雪は言った。「たしか、莫大な利益を上げている妖精祝福グッズの製造を取り仕切る祝福工房は、豪胆斎の息のかかった組織ではなかったでしょうか。意見が合わないからと彼を即座にお役御免とできないのは、その辺もありそうです。仕入れや製造に、まだあの男の人脈が欠かせないのでしょう。術師の世界に隠然たる勢力を持つそうですからね」

 またストヴェが黙ってうなずいた。


「妖精グッズってそんなに売れているの?」

 メグがかたわらの女たちに聞くと、調理道具やら寝具やら、果てはすぐ育つ猫草まで口々に実例が挙がった。お蘭が言った。「海燕公さまもお使いだった御髪の太くなるブラシ、あれだってそうですよ」

「ああ、あれ!手に入れるのに三ヶ月待ったと聞きました」

 すると、なにげない顔のままストヴェが聞いた。「妖具といえば、いつも警護に当たっているフラームの刀を帯びた剣客は、別室ですか」

 当惑したメグたちが顔を見合わせていると、

「枷の一部はヌイイ製のようですし、よくぞ珍しい品ばかりお持ちだなと」

「それって、やっぱり黒狐のこと?」

「ええ、あの方のことです」端にいる蜻蛉丸が言った。「めったにない刀だそうですよ、それも二刀も。……顔とか脚に付けておられる枷も術師の系統がさっぱり読めないとか」

「なら、いざとなれば珍品として好事家に身体ごと売れますね。中身も変だし」と、お福が言った。彼女のきつい冗談に慣れていない橘が困った顔をしている。


「フラームの刀というのは、そんなにすごいのかい、鉄でも斬れるとか」流星がストヴェに尋ねた。ようやく子供っぽい表情が顔に戻ってきた。

「もし私の思う刀であれば、はなはだ丈夫と聞いております。寒熱に海水、酸、あるいは時送りの術にも冒されないと。物を瞬く間に古びさせてしまう恐ろしい技のことですね」

「ほおー、どこでどうやって手に入れたのだろう」

「ただ、扱いが難しく、当たり前の剣士では紙一枚斬れぬし、刀からの文句がひどいとか」

「文句?」流星は明るく笑った。「ははは、刀が喋ったりはしないだろう」

「そのあたりよくわかりませんが、とにかく使い手に文句をつけるそうです。それをいつか確かめてみたいと念じておりましたところ、いきなり本物を二刀も差した剣客が現れたもので。あ、失礼ながら、あの方の腕前は……」ストヴェはメグたちを見た。瞳には、嘲りなどない真摯な感情が浮かんでいる。

「私にもほとんど気配が読めず、よほどの使い手かそれともまったくの……」


「まあ、わりかし使えるみたいですよ」お蘭が答えた。

「ええ、この前もチョイチョイと敵を追い払ってたし」笑みを含んでメグが言った。「でも、そんなおかしな刀とは、全然知らなかった」

 メグたちはまた顔を見合わせた。本人を呼ぼうかと言いかけて、

「あっ、そうか」

 雪兎に来ていた若殿の一人が気になると、尾行中なのだった。

「では、また次の機会に」ストヴェは素直にうなずいた。

「そうだな、わたしも彼と話をしてみたい。とても不思議な男だね」流星の表情が和らいでいる。獣人だからと毛嫌いしないのが嬉しくて、メグも微笑んだ。


「では、代わりといってはなんですが、ささやかな情報を」いつものすまし顔で孔雪が口を開いた。「豪胆斎を調べるうちに気がついた、奴の弱みについてお話しようと思います。対策に役に立つかもしれません。もうお気づきならお許しを」

「それはいったい?」流星もストヴェも、いぶかしげな顔をしながら興味は抱いたようだ。

「あやつの得意分野についてです。攻撃と幻惑はたいした技量の持ち主ですが、苦手があります」聞いていたストヴェが片眉を上げた。

「長距離偵察と連絡です。そんなの大したことないよと思うかもしれませんが、違います。これは妖術師の本質に関わる問題です。もっといえば豪胆斎は長年、自らを万能の天才と見せかけるのに成功してきましたが、それは詐術です」孔雪はまるで講義するかのように後ろ手を組んで語りはじめた。


「ご存知のように豪胆斎には自慢癖があり、かつて大きな戦が多数あったころの戦歴は、今もかなり詳細にわかります。古い絵新聞をつらつら読むと、あの者の妖術師としての得手不得手が見えてきました。局地戦での勝率は実に八割近く、話半分としてもすごい。必ず勝てる部隊の存在は指揮官にとって得難いことでしょう。しかし」孔雪はメグとストヴェを交互に見た。

「霊的な能力、とりわけ事物に直に干渉できる呪力の持ち主は、持たない者からは神のごとく見えたりしますが、実際には違う。足が早い、耳が聡いのと同じく得意分野、言い換えれば適性があって万能ではない」

「まあ、そうね。占い師にだって自然の声を聞くのが上手なのもいれば、人の先を読むのが得意な人もいる」メグの言葉に、孔雪はニッコリうなずいた。

「例えばストヴェさんは見術に長けておられる。来歴を読んだり真贋を見抜いたり、あるいは遠間の出来事を見るというか聞きとるのもお上手。これは距離と時間を、広い範囲で感じ取る力に優れているから」

「過褒というものでございます」ぽつんとストヴエは言った。


「これらを意識しながら豪胆斎の事跡を見直すと、近間で強い力を発生させるのが得意と読み取れます。目の前にいる敵を叩いたり、一つの局面を勝ち抜く戦術的な行動には実に向いた能力ですよね。これは動物を元に妖獣を生成するのにも使えますし、弟子に実地訓練を施すにも便利と思います。そしてこの力で大量に生み出した妖犬や妖猿を伝令として使う。また陸上での局地戦では報告する相手を自ら見つけ追っかけもする犬や猿が有効なのでしょう」

 孔雪は歌うように続けた。「豪胆斎の数多い挿話には、戦場を怪しの霧で包んだ話は出てきますが、詳しく調べるとそれほど広い範囲ではない。また、遠くから一撃した話もない。輿で戦場を駆け抜ける姿は有名ですが、勇敢というより、要するに遠間は不得手なのだと私は見ます。ストヴェさんなどとは才能の傾向が違うのです。さらに、あくまで適性は前線指揮官でありゲージの大きな戦略面を受け持つには向かず、未然に戦いを防ぐのはもっと向かない。それを担当していたのは、萌の前の国主、静謐王と愛妾であり参謀たるタイガの局だったわけです。豪胆斎のいくさ上手は、国主らと組んでこそ光った。妖術師の近視眼的な傾向は、後裔にいて謀議をめぐらすのが得意な静謐王と互いを補完しあっていた。そんな主君と謀臣の死後、気質のかなり異なる現在のサラア様とは分担と連携が上手くいかない。むろん憶測に過ぎませんが、それほど外れてはいないと思います」

 流星は感心したように、心地よさげに語る孔雪の説明に聞き入っている。


「そして一時は国守のいるところ必ず姿があったのに、ある時期から勿体ぶるようになりました。これは年寄って気まぐれが増したのに加え、体力と能力の低下も確実にありそうです。そして本人も老いを自覚し、海魔獣の製造に活路を見出そうとしている」

「この前、鳥耳を見事に邪魔したそうだけど」とメグが言うと、「老いても豪胆斎。そのぐらいこなしても驚きはないし、思うに鳥が近寄り過ぎ、奴の索敵範囲内に入り込んだのでは。むろん弟子もついていますし。もっと言えば、奴の実感できる空間がだんだん狭まり、直接目で見て触れないと納得できなくなった。鐘に対する態度もこれで理解できるというのが私の仮説です。自ら触りたいのです」


「ふーむ」と考え込みつつストヴェは言った。「先日、藤に侵攻したのに驚いたのですが、つまりはおのれの得意な状況に持ち込もうとしただけですか」

「そう思います。そして私が伝えたかったのは、これからも豪胆斎は攻めてくるでしょうし、攻める前に幻惑もかけるでしょう。しかしその際は、当人でなくとも誰か有力な弟子が必ず現場に来ているはずです。当然、弟子も術の傾向は師に似ますしね。先日の各地の港での幻惑はそれぞれ弟子が出張したと見るべき。一人の超人として恐れるより、術師の集団として対策すべきです。ストヴェさんの優れた観の目でいち早く弟子たちの動きを発見できれば、反撃または逆襲に役立つかもしれない、ということ。まず探せ、ですね」


 流星といい孔雪といい、そしてストヴェといい、これほど若いのにいったいどうしてこんなにしっかりしているのだろう。話の内容より、メグはそっちに感心した。流星なんて似た生まれ育ちのはずだが、使命感が違う。メグが今の彼の年頃には、祖父の別邸近くにある野山を毎日ただ駆け巡って遊んでいただけだった。なんとなく、いやになってしまった。

 その後、流星主従は退出し、蜻蛉丸と橘の兄妹も自分たちの部屋に戻った。


 それを見送った美歌が、なんとも優しい微笑みを浮かべてぽつりと言った。「若殿様はメグ様がお好きなのね」

「えっ、なにそれ」メグがとまどうと、「年上の素敵なひとに憧れる年頃ですよ」と、お蘭も言った。「メグ様は、年下の男の子はどうです?」

「へんなこと聞かないで。甥ですよ」

「ですけど」


「若君がメグ様を慕われるのは、ずっと前からですよ。あのお心のまま、君主になっていただければね」とお福も言い、「しかし、あのストヴェって女官もおもしろうございますね。孔雪に似ている」

 孔雪は眉を動かしただけだった。

「でも孔雪。あそこまで豪胆斎の秘密を教えずともよかったのでは」

「いいえ、ほんの一部だけです。この国の対策がすすめば、わたしたちにも得になる。その範囲に止めました」

「まだ、ほかに知っていることはあるの」メグが聞くと、孔雪は悪びれもせずうなずいた。「一つあげますと、前に豪胆斎の索敵あるいは軍隊との協調を担当し、やつの苦手を補っていたのは、赤い影に殺された愛弟子でした。術はすごかったようですが、師匠ほど近接戦における爆発的な力がなく、赤い影の肉弾攻撃に不覚をとったようです」

「黒狐を雇っておけばよかったわねえ」

「でも狐くん、男の妖術師は嫌いとか言ってた。あいつにも過去があるのね」

「怪しい過去が頭巾被って歩いてるようなものじゃない」


「現在の豪胆斎は」孔雪はまた続けた。「まだ30代とされる妖獣使いミゲルをしきりに頼っているようですが、奴の得意は師匠に瓜二つらしい。あとサラア・千尋様についている二人の弟子の素性もある程度つかんでいます。これは我が従兄弟の協力によります」

「なんで、あのじいさんのことを前から調べていたの?」

「はい。藤の国に参るにあたり、なにがメグ様の脅威となるかいろいろ考えました。その結果、当面いちばん危険なのは、あの男だとの結論に達したのです」

「それはすごい、当たってた」

「ですが、内藤様の謀反までは読めませんでした」

「あら」

「わたしをあまり買いかぶって下さいますな。懸命に考え続けているだけです。それより、この国を目立たず出ていく方法を考えねばなりませんね。売り払われたりはないでしょうが下手をすれば軟禁、あるいは再びくだらない男との婚約を押し付けられる危険はあります。考えれば、亡命中の大国の公女との恋愛なんて、ええカッコしいの江津の貴人には目がくらむほど魅力的です。これも、いままで気がつきませんでした」


 窓の外はすっかり暗くなっていた。孔雪が声をかけた。「黒狐。戻っていたのですね。こっちにきてください」

「はい、はい」しばらくして、扉から黒狐が入ってきた。流星たちの来訪を聞くと、「例の懸念について、なにか情報は得られましたか」と孔雪に聞いた。

「いえ、具体的には。ただ、江津、萌、須田原の三国がメグ様への態度を当面保留することになりそうです。もしかして、その背景にはあれがあるのかも」孔雪は微笑しつつ、いたずらっぽく目をくるりと巡らせた。


「また、二人で密談してる」メグが二人の横に腰をかけた。

「今回の騒動について、術師の界隈に流れる無責任な噂を、一度検証しなおしているのです」と黒狐は説明した。「少なくとも豪胆斎や赤い影はそちら側に近い存在ですから、当然噂は耳にしている。どこか遠慮がちなのは、その影響かも知れないということです」

 なんのこと、という顔になったメグに孔雪が説明した。「つまり海燕公のご遭難は不届き者を誘き出す壮大な罠である。そして空前の霊能力者、最強の魔女であるところのメグ様は、浮かれ出た馬鹿者たちに特大の呪いをかける時期をはかっておられると」

「うっそお、まさかー。ひどいなあ」

「先刻、当地の術師とその友人の鳥耳らと話す機会を得ましたが、やはり似た意見を口にしておりました」と黒狐も言った。「冗談かと思えばけっこう真剣。少なくとも我々をそう見たがる層がいて、その意見が次第に力を持ちつつあることは、頭の隅に置いておくべきでしょう」


 それを聞いて、メグは長椅子にひっくり返った。見ていたお福は最初、顔をしかめていたが、そのうち自分も横に腰をかけた。「まあ、そう考えるのが一番面白いかもしれませんね。無責任な野次馬からすれば」

「あ、そうそう」お蘭が聞いた。「狐くん、尾行してたんだって?」

 黒狐はうなずいた。「雪兎にいた狸谷領主の息子とそのお付きを追跡しました。城の裏通りで不審な男女と会っていたのが気になったからですが、そやつらの案内で、若殿は雑木林にある農家風の建物へと入りました。表札には腕を組む男女の影絵が描かれ、家主は妖女カナハンという人物」

「あっ、その人、惚れ薬の巨匠として知る人ぞ知る薬師なのよ」

「私も知っています」うつむき加減に孔雪がつぶやき、お蘭と美歌がまじまじと彼女を見た。

「どう考えても姫様を狙っているのでしょうから、美味しそうだと、みだりに他所で飲み物を口にしないようになさいませ」とお福が言った。

「うはっ、惚れ薬」メグは独り言をつぶやいた。「船が買えるほど高いだろうに、なに考えてんのかな」


「その御曹司、顔はどう?いけてる?ブサい?」興味津々でお蘭が聞いた。

「うーむ」黒狐は首を傾げた。「まず、痩せ薬が必要か。ちなみに今回は見本だけ、二十日後に代金と交換に現物を渡すそうです。カナハンは、客の素性は決して明かさないそうですが効能については口が軽く、一度飲めば好意が沸き、二度飲めば恋に落ち、三度目で離れられなくなると教わりました」

「えっ、カナハンと話をしたの?」

「はい。その友人とも。いえ、脅したわけではありません。なぜか術師は私に好奇心を抱くのです。近くに住むという鳥耳も自ら来ました。変な奴がきているな、紹介しろと」

「あっ、そうだ」メグは膝を叩いた。「聞いたわよ、あなたのその刀、フラームの珍しい刀なんですって?それも二刀とも」

「情報源はストヴェ嬢ですか」

「ねえねえ、刀が文句を言うってどういう意味?」

「特に怒られたことはありません。至って友好的な関係です」

「えっ、やっぱりしゃべるの」

「たまに」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る