第2話 どっちがマシ?裏切り者と妖術使い

 メグは眉間にシワを寄せて、狭い寝所をうろうろ歩き回った。

 そんな若き主人の様子を見てとったお蘭は、「喉が乾いておられませんか」と、隣の部屋から暖かい薬湯と砂糖菓子を持ってきてくれた。

 おかげで一息はつけたが、考えは依然としてまとまらない。


 落ち着かないまま、雑多な器に入れて棚に並べた各種の薬品を、手に取っては戻した。多くが危険とされる毒薬の原料だ。

 薬、とりわけ毒物の扱いは、神事以外は占いぐらいしか特技のない彼女にとっての課題だった。市場に近く雑務もない黒鷺館にきてから、研究は結構すすんだ。館を退くことになったら、せっせと増やした重い薬物類をどうやって移動させよう。大半は、放棄するよりなさそうである。

「内藤に腹下しの薬でも飲ませてやればよかった」

 謀反の主犯とされる内藤は、万事そつのない男だったが、胃腸が弱くてときどき腹痛を理由に職務を休んだ。評判の良い薬を届けさせたこともあったのだが、本当に体調不良だったのか、それとも裏があったのか、今では判らない。


「後知恵になりますが」メグのつぶやきにお蘭が答えた。「御出立の日の内藤家老は、たしかに様子がおかしかった気がします」

「そういえば、ギリギリまで門に出てこなかったし、目を合わせようとしなかった。また腹でも壊したのだと思っていました」

「あれは、メグ様の通力に心の中を読み取られるのを恐れたのでしょうね」

 メグは咳き込んだ。「わたくしにそんな力、ありません。せいぜいがいい加減な人相見ぐらい」

「少なくともあいつはそう思ってたわけです、きっと」あいつ呼ばわりしてお蘭は力説した。「だって、メグ様が答礼に手を取ろうとなさったのにうろたえたり。ぜったい変でした。このあいだの『口の軽くなる薬』、飲ませてやればよかったですね」

 市を歩くうちに偶然、材料を見つけたことから、メグはお蘭を助手に、ああでもないこうでもないと自白剤を試作していた。ただし人体実験はまだである。

「そうですね」メグはうなずいた。「今からでも匿名で奴に送ってやろうかな。隠しごとを口走って騒ぎになったら面白いのに」

「三人目の愛人についてしゃべったりして」

「えっ、そんなことあったの」

「えっ、ご存知なかったんですか」

 

 内藤家老には妾が二人いて、少し前にはさらに歳の若い愛人ができてしまい、本妻も交えて関係がこじれにこじれているそうだった。

「家の中があんなにややこしいのに、よく謀反なんてやるよと思ってました」

 

 そういえば、父上にそんな存在はいたのだろうか。

 そうメグは考えた。そして兄上は、婚約すらまだだったが、想いを寄せる相手はいたのだろうか。

 メグの心には、父と兄を失った悲しみが、まだぼんやりとしかやってこない。彼女は内心、それをとても残念に思った。

 気持ちに距離があるせいだろうか。

 

 母である灘の方とは、母娘としても祭祀の師弟としても絆は強く、心の通じあっている自覚はある。

 だが父に対しては、治者としての献身ぶりを尊敬する意識はあっても、弱みを持った人間同士としての理解や共感は正直、薄かった。

 彼の趣味嗜好は知っていても、感情の奥底まではうかがえない。愛人がいても、きっと気づかないままだったろう。

 メグが幼児でなくなると、多忙な海燕公が積極的に娘に会うのは、各種行事に協力の必要な場合や、独身の娘という存在を役立てたい時に限られた。それ以外は、限度さえ弁えていれば、娘が何をしようが気になどしなかった。

(でも声や笑顔はすぐ頭に浮かぶし、お人柄を人に説明もできる。だけど……)


 兄の太郎時宗に対する理解と感情は、父よりさらに淡く頼りなかった。

 彼は、父に対してはいたって忠実な、いわゆる「よくできた息子」だった。その一方、独自の意見というものは妹のメグでさえめったに聞いたことがない。

 そして、父譲りの容姿以外の思い出は、今も漠然としか浮かばない。それは兄も同じだった気がする。個人的な関心を彼に示された記憶はない。

 だが、兄がすでに落命していたら、もうこの記憶と印象を書き換えることはかなわなくなる。    

 ––– それにしても、なんて短いご生涯だったのだろう。きっと夢だって理想だってたくさんお持ちだったはずなのに……。

 メグはようやく、鋭い痛みが胸を刺すのを感じた。


「そうでした、お福」うつむいていたメグは顔をあげた。

「孔雪はどこにいきましたか」と、主任世話係の行方を尋ねた。あの知恵者なら、こんな状況でも惑ったりしないだろうし、暗く落ち込む無駄はしまい。

「はい、あの娘にはすでに情勢を探りに行かせております」

「さすがお福。抜かりありませんね」

「いえ」お福はバツの悪そうな顔をした。

「実のところ、止めても勝手に行ってしまったのです」

「あら。そんなことだろうと思った」

 とはいえ、普段の孔雪は、人の意見を聞かないわけでは決してない。むしろ理に叶うと見れば誰の意見でも採用する柔軟さを持っている。意思が強くて行動力があり、今のような緊急時の判断については、概して頭の固いお福より、はるかに信が置けた。お福当人だって、それを認めている。

 問題は、彼女がまだ十五歳に過ぎないということだった。

 

 孔雪は、誰より知恵があっても体は小さく、実際の年齢よりさらに幼く見えてしまう。彼女を知らない人間なら、せいぜい十一、二にしか見えないだろう。こんな子供に万事を託してよいのかと、なにかあるたびに悩んでしまう。

「学恩卿についてなにか知らないか聞きたかったのです。手紙には、なにも書かれていませんね」

「はい、そうなのです。おそらく琥珀館にいらしたと思うのですが」

「もう取っつかまったか、あるいは反抗して殺された……」

「メ、メグ様」

「でも、、叔父上が反抗なんてするかしら。これも運命とか適当に格好をつけて、すべて相手の言いなりになりそうよ」

「そのご意見、否定できませぬ」

 

 叔父上というのは父の末弟、学恩卿の称号を持つ朽木グリーン義紀のことだ。城とは離れたところに別家を建てて、勝手気ままに住み暮らしている。

 藤の国では、いちおう男子が継承において優位とされる。そのため、父と兄が急死した緊急事態における国主継承権はメグより上位にあり、当然ながら彼を立てる動きがあっておかしくない。というより、メグにすれば自分が一国の主なんて馬鹿げてると感じるし、叔父がなりたいなら助かるとさえ思う。

 だが一国の指導者としての適性を冷静に測るなら、よくて両者どっこいどっこい。もしかしたら、こっちがまだマシかも、と思わないでもない。


 叔父は兄である海燕公のようなさわやかな武人タイプでも深謀遠慮の政治家タイプでもなく、見た目からほっそり飄々として、自ら『てきとうな人間』と名乗ってうふうふと笑っている男である。

 若くして学恩卿の称号を得たが、この号を名乗るのは政治経済・軍事とは距離を置くということであり、出家したのと同じ意味を持つ。

 野心家が長年にわたって無欲を装い世間を騙し続けた例は歴史に珍しくないわけだが、叔父については、人についての目利きとされた祖父が、「あれは好きにさせよ。如何ともしがたい」と、嘆息とともに言ったそうだ。ボンクラも筋金入りなのだろう。

 グリ様というあだ名で民衆にも親しまれる彼にも熱意の対象はあった。

 絵画をはじめ美術に関心が深く、実作者としては平凡、批評家としてはなかなかの見識を持つ。琥珀館は国立の美術館であり、叔父は長年代表者の地位にある。むろんお飾りなのだが、彼が着任して以降、同館収蔵品のレベルが目立って向上したのも事実だった。


「でも、神輿は軽いほどいいっていうけど、叔父上はさぞかし担ぎやすいでしょうね。とっくに内藤に担がれて、浮かれてらっしゃったりして」

 叔父に対してつい悪口が出るのは親しさより、メグの敬愛する人々に対する彼の振る舞いが不快だったせいだ。祖父の亡くなった時や母が双樹に戻る時の態度、そしてお福たちメグの側近への下らない冗談など、若い彼女にはどうにも受け流せなかった。

「御一門への陰口はそのぐらいに」といいつつお福の口元も笑いを堪えている。

「陰口じゃなくて、推測。でも叔父上が国主なんて、考えたらすごいわねえ」

「…なにせ、お若いうちは自ら『参州一の無責任男』と称されていましたし」

「政策決定に、くじを使ったりして」「それも、否定できません」 

「あんな担ぎやすい叔父がいて、わたくしを狙うというのも変ね。国の実権が欲しいならあの方をおさえればすむ。それとも、私の存在自体が邪魔なのかな」


 とはいえ、この黒鷺館ではメグがもっとも身分が高く、館に関わる人々の生命を守る責任は自分にあるとメグは考えていた。襲撃があれば、なんとか跳ね除けて家来たちを生き延びさせねばならない。とりあえず、館に働く地元の者たちはすべて開放しよう。そのあとは……

 

 メグは首から下げていたお守り袋にそっと触れた。袋の中には木と真鍮で作られた印籠みたいな小箱があり、さらにその中に、石と金属からなるお守りが入っている。いつもは腰のポーチに入れて持っているが、今日は斎服だったため、首から下げていた。これこそメグが母から譲られた「お守り」である。通称を「未の守り手」という。

 守り手は全部で三つあり、残りの「兎の守り手」「辰の守り手」はそれぞれメグの長姉と次姉の所有となっている。

 もともとは母の生国、双樹に古代から伝わった気候を司る神器「歌う鐘」に照応する、予備というか姉妹品とみなされていた鐘である。メグの父と母が結婚した際に三分割し、母と二人の姉の手に渡った、というのが公式の説明である。母から聞く話とは微妙に違うが、あまり人にしゃべったことはない。


 なお、「歌う鐘」も三種類のうちの一つであり、文化・文明を司る「読む鐘」は現在都にあり、生死を司るとされる「黙る鐘」は、すでに失われて久しい。

 そして「歌う鐘」は、現在では藤の国の国主の証しとなってメグの父、海燕公の所有だった。雨風に影響を及ぼすという「歌う鐘」は、転じて自然や農作物・海産物に関わる人々の暮らしを守る神具とされており、今回の雲の儀式の目的もまた、気候の安定および豊作豊漁を祈願することだった。普段は城に置かれているはずだが、近々公が自ら黒鷺館に持参する予定となっていた。

 今度はメグの胸のうちに、鐘についてのさまざまな思いが去来した。

 –––– もし父上がお亡くなりだとすれば、誰かが「歌う鐘」に認められたのだろうか。やはり内藤だろうか。彼は「歌う鐘」の意味を、どこまで理解しているのだろう。

 

 しばらく考え込んでいると、とたとたと足音がした。

 「姫さま、メグさま」どこか舌足らずのくせにしっかりした声は孔雪だ。

 彼女は部屋に入るなり、かぶっていた茶色い頭巾をぬいだ。変装用のつもりだったようだ。そのせいで小柄な体つきがますます小さく見えた。

 孔雪はうやうやしく頭を垂れてから、

 「仔細はお聞きになられましたか。神域におられたので恐れ多いことながら、この私が先に文の中身を確かめました」

「ええ、それはいいのです。緊急時はそうするもの。しかし、内容が内容だけに驚きました。いまも足がガクガクしています」

「お気を確かに。それに、公がお亡くなりになったとの知らせはまだです」

 

 そのとき、黒い影が音もなく部屋の扉の外に現れた。お蘭が軽く合図したのを見て、お福がかすかに眉をひそめた。

 黒い影は頭巾をとった。だが、その中もほとんど顔を覆うような布をぐるっと巻かれてあって、表情はよくわからない。のぞいている目元は眉毛が濃くて眉間のシワも険しいし、体は背中が大きく曲がって獣のようだ。

 しかし男はうやうやしく床に膝をつき、メグに拝礼した。


「これ黒狐。男はここまで入ってはなりませぬ」

「いいのです」メグがお福を止めた。

 男は頭を低めたが、「報告をお許しください」と特に畏まりもせず平然としている。黒狐と呼ばれたのは、この館に移ってきて以来、孔雪が便利に使っている人物?である。?がついているのは、彼が獣の要素を持った人間、獣人と呼ばれる存在だからだ。

 彼自身はほとんど身の上を語らないが、一般的に獣人とは魔術妖術の直接・間接的な影響によって人外の姿になった存在とされる。妖魔獣とは違って間違いなく人に分類されるし、それぞれに獣人となった事情があるはずだが、低い身分としての扱いを受けることが多い。

 メグ自身はなんとも思っていないし、双樹に滞在中は獣人と令嬢の悲恋を描いた劇を見て感動したぐらいだったのだが、お福の生まれた沿岸地方には、獣人は自らの罪によって呪いをかけられ醜い姿になったという伝説があり、特に年配の人間には忌み嫌う者がいる。彼女もまた、黒狐の爺むさい容姿とはうらはらの明晰ささを認めつつ、一線を引きたがる。

 ちなみに黒狐は、お福の故郷での獣人評について、「おおよそ合っていますな」とだけ答えた。ただし、自分については「語るほどの中身はございません」と、明らかにしなかった。


 とりあえずメグは、腹心たちを寝所から祈祷室へと移動させた。そこはやや広く、椅子がわりに使える長持ちもあって打ち合わせがしやすい。全員をとりあえず長持に座らせ、まず黒狐に、「なにか分かりましたか」と尋ねた。

 先に名前の出たように、黒鷺館にはいちおう曙川という守将の率いる護衛部隊が駐屯している。だが、総勢十二名しか兵がいないうえ、曙川自身が凡庸を絵に描いたような人物だった。

 日頃から状況の報告は綿密さを欠き、彼に不審感を抱いた孔雪は、黒狐に周辺情勢の把握を命じていた。それが不幸にも役に立ったわけだ。

 

 黒狐は淡々と説明をはじめた。「南東及び西の二方向から、武装兵が館に向けて接近しています。どちらも援軍ではありません」

「うえっ」

「まず、国境内のタラン川ぞいをひそかに遡上する不審な一隊について。兵力は二百から三百と先遣隊の規模です。兵隊あがりの漁師による報告ですが、国内を進軍中なのに身分を表す旗やしるしが一切ないとのこと。おそらく内藤家老の放った追手、私兵と思われます」

「内藤の直接の目的はなにかしら」

「それについての推察は、のちほど。次に萌の国軍が国境沿いに展開、越境しつつあります。実質、無抵抗なため館にたどり着くのも時間の問題かと」

 それを聞いて、メグは肩のあたりがずっしり重くなった気がした。

「参拝が目的では、ないわよね」


 萌の国とは、藤の国と領土を接する隣国である。かつては土地や資源をめぐる諍いが絶えなかった。この三十年ほど目立った争いはないが、指導者同士の関係は決して良いものとはいえない。ただ数年前、国主が陰謀家肌の先代から娘へと代替わりすると、ずいぶん雰囲気が変わったとされていたし、実際に貿易などは以前より盛んになっていた。

 それでも、長年のライバルの親玉が消えた機会は見逃さない、ということか。

「いくらなんでも、いきなり全面戦争はありえるのかな。敵の規模は?」

「確認できた軍勢は約千。進軍は陸路のみ。本格的な国境侵攻とは思えず、局地的な作戦と見えます。通常なら示威行動の範疇に入る程度です」

「うん、なるほど」

「ただし、余計なお土産が一つあり、これは無視できません」

「なんです?」

「中央で輿に乗っているのは、萌の国妖法支配、堀内豪胆斎」

「えっ、やだっ。うそでしょう」聞きたくない名前があるとすれば、これだ。

「残念ながら事実です。これは監視に放った使い鳥によって確認しました。なかなか腕のいい鳥耳でしたので、目眩しの裏をかいてくれました。が、結局は気づかれ、鳥はあえなく」

「先日から雇っている者ですね。鳥は気の毒なことをしました。十分な礼を」

「承知しております」

「生きておったのですね、豪胆斎は」お福が念を押した。

「はい、残念ながら。見つかっても慌てぬ傲慢さも、以前と変わりなく」

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