第3話  王の証が偽物だって! 

「ここに近づいてくる堀内豪胆斎って」お蘭が口を開いた。「昔むかしに萌の国が碧海の国といくさになった折、二百ばかりの妖魔兵を引き連れて十数倍の重装兵を蹴散らしたんじゃなかったでしたっけ。妖魔って手足を斬り飛ばされても、楽しい〜って顔して襲ってくるから、碧海の兵が気味悪がって、われ先に逃げ出したとか」

 それを聞いてお福が答えた。「そんなに単純な話ではなくて、寡兵よく大軍を罠にかけたのですよ。豪胆斎の怪しい目眩しの技に名のある武将がぞろぞろ釣られ、面白いように妖魔の待ち構える穴に落ちていったそうです」

「藤の国も昔、何度も痛い目にあったのですよね」

「それはもう、なんて嬉しそうにいえば怒られますが、その通り」


 メグたちは細長い祈祷室に並ぶように座って、目下の最大の障害、豪胆斎という人物に考えをめぐらせた。

 参州の諸国では、有力者たちは例外なく裏の神職たる呪術師や魔術・妖術使いを雇用し、普段からさまざまな用途に役立てている。

 さきほど豪胆斎を確認したという鳥耳はその一つで、訓練した使い鳥を使って離れた場所の様子をさぐり、対価として金銭を得る。術師としてのレベルは高くないとされるが、商業の盛んな土地だと需要があって街ごとにいる感じだ。

 もちろん戦ともなれば小物から大物まで、各々術師たちの腕の見せどころとなるわけだが、一般に彼ら彼女らの存在は秘められ表には出ない。手の内を明かさないという以上に、敵対する術師から呪いや呪い返しをかけられるのを嫌ってのことだ。

 

 しかし豪胆斎は別だった。自ら頼むところすこぶるあつい彼は、よほど隠密性の必要な作戦でない限り己の存在を隠さない。そのせいか名は草深い田舎の子供にまで知れわたっているし、貫禄のある外貌も同様だった。一般に公開される閲兵行事や他国との交渉ごとにだって、堂々と顔を出していた。


 都から萌の国に流れてきた貴族の子といわれる彼が術師の代名詞となったのは、個人的な術技の凄まじさはもちろん、戦における妖術・妖魔の活用の仕方をそれまでと一変したことにある、とメグは祖父から聞かされた。

 豪胆斎は強力な妖術によって、戦をはじめとする国主の対外活動をサポートするだけでなく、頼りになる複数の弟子を育成した。さらに妖力によって生み出した魔物の群れを弟子たちと組織的に運用する仕組みをつくりあげ、強力かつ忠実な兵団として運用できるようにした。

 国力と総合的な戦力において、藤の国と差が開く一方だった萌の国が、どうにか拮抗し得た最大の理由が豪胆斎と彼の率いる妖獣軍団との見方すらあった。 

 

さっきの落とし穴の件だって、豪胆斎麾下の妖魔どもは人間の兵とチームを組んで待ち伏せていて、敵の重装兵が妖魔を火器で封じようとすると、人間の兵が素早く動いて邪魔をした。それに、碧海にも妖術師はいて、怪獣みたいに巨大な妖魔獣兵を戦場に投入したが、単独運用だったために、ことごとく萌の国の妖術師・妖魔・人間兵の連携プレーによって撃破されたそうだった。

 

 ただし、大きな戦が途絶えたせいもあり、萌の紋章と彼自身の家紋によって華やかに飾られた戦術輿に乗る姿を見せるのは近年稀となり、一時は死亡説まで流れたほどだ。

 久しぶりに姿をあらわした豪奢な輿の周りには、かつて敵国を震え上がらせたパイプと煙を意匠化した豪胆旗(愛煙家としても有名だ)が風にたなびき、兵と妖獣たちの威勢もいつになくあがっていたという。


「ご存知のように、ここは戦いの拠点には不適な土地柄」黒狐は続けた。「こちらに有効な攻撃手段はなく、両軍ともその気になれば、あっという間に館を取り囲めます。」

「守るは曙川ですし」

「はい」黒狐は小さく肩を揺らした。「孔雪嬢ではありませんが、あの部下と同じ数の番犬を置いた方がよっぽど役に立ったでしょうな。守将はどうみても犬猫以下ですし」

 守兵の仕事ぶりを見た孔雪が以前、都に多いという術師の訓練した番犬の導入を提案したのだが、曙川本人に手ひどく跳ねつけられたのだった。

「ただ」黒狐は付け加えた。「両者とも途中で進軍の速度が目立って落ちました。理由がありそうですが、今のところはわかりません」


 黒狐は不気味な見た目とはうらはらに、男らしい実にいい声をしている。

 もともと彼はメグの臣下ではなく、都にいる孔雪の兄が、妹の護衛兼雑用係として送り込んできた男だった。はじめて会った際、その怪しさに戸惑いながら館に加わるのを即座に許したのも、彼の声が耳に心地よく、口調がとても賢そうだったからだ。

 館の使用人や守護兵の前ではやけに年寄りくさく、足腰が悪いかのように振る舞っているが、どうやらそれは芝居らしい。それに個人的に会話すると、物知りなうえにユーモアがあり、メグの突拍子もない話にも上手に合わせてくれる。家来というより、変わり者の兄みたいな感情をメグはひそかに彼に抱いていた。


「では敵軍の一番の狙いはなにか、わかりますか」

 メグは一番聞きたかったことを聞いた。すると黒狐はこともなげに、

「どちらも狙いは姫さま。そしてご所持の『未の守り手』かと」

「うえええ」はしたないと思いつつ思い切り顔をしかめてしまった。

「メグ様」お福のしかめ面が見ていた。

「だって」

 人前に立つのが仕事の環境に生まれたのに、メグは大勢に見つめられるのが苦手だった。この頃はまだマシになったが、小さな頃はときどき行事から逃げ出し、母やお付きの者たちを困らせた。

 山の中腹に名家の子女が集められた観桜会において、藤と双樹の両方の血を引く未姫をひと目見んと人々がやってくるのに恐れをなし、坂を登って山桜の中に逃げ込んだことがあった。

 その時は、しばらく駆けた先に花の咲き乱れる古木があって、我を忘れて見惚れていたため、無事に捕まった。当時の傅育係には大目玉を喰らったし、さすがの鷹揚な父も困った顔をしていた。

 ただ、祖父は面白がってくれたし、

(叱られ泣いている私に、お福がわざわざ山に登り直し、桜の枝を切り折ってきてくれた。まだ母上付きだった時ね)

 そっと彼女の顔を見返した。あれからずいぶん髪が白くなったものだと思う。(やっぱり、わたしのせいかしら)


「わたくしを狙って、なにをしたいのだろう」メグは考え考え言った。「国が欲しくばさっさと自分で名乗りをあげるか、叔父を傀儡とすればすむ話。未の守り手についても筋違いにも思えます。伝聞のうちに別の物と取り違えたのでは」

「残念ながら」黒狐は首を横に振った。「取り違えでも、混乱時にありがちな根拠のない嘘でもなさそうです。なにせ、知らせを城から直接持って参った使いを締め上げ、聞き出したのでございますから」


「えっ、御用人の手の者を」お福が驚き、小さくお蘭がにやっとした。

「私、やれと認めました」と、孔雪が言った。「いったん外に出たふりをして、そ知らぬ顔で姫さまのご様子を探ろうとしておりましたため、黒狐に頼み縛り上げたのです」

 黒狐がまた口を開いた。「さきほどの使いには、任務が表裏ふたつあったようです。ひとつは手紙を送り届ける。もうひとつは姫様方が手紙に気を取られるうちに館を調べて『未の守り手』の所在を確かめ、こっそり盗み出すこと。おそらく豪胆斎が輿の埃をはらって浮かれ出たのも、目的は同じかと」

「盗人の考えることは、誰も一緒ということですか」と、お福も言った。

 いけないと思いつつメグは感情的な口調になった。

「繰り返しになりますが、どうして急に父と私の鐘を欲しがりはじめたの?これまで、見せろと言われたことさえないのに」

「おっしゃるとおり。そこがきっと大事な点です」若年のくせにやたら腹の座った孔雪は、顔の筋ひとつ動かさずに主を褒めた。

「今回の一連の騒動には妙な点があり、それを解き明かすカギは『歌う鐘』と『未の守り手』にありそうです。なぜ、急に血眼になって鐘を探しはじめたか。海燕公様の行方を探すより、熱心なほどなのか」

 

 孔雪は後ろ手になると、部屋をゆっくり回りながら、説明を開始した。

「興味深い告白があります。あ、事後承諾で申し訳ございませんが、メグ様にいただいた『口が滑りやすくなる薬』、早速使わせていただきました」

「あら、お粗末様。たまたま材料を入手しただけなのに」

 メグが気晴らしに出かけた市において、希少な植物『ナンダゴラ』の根を入手し、それを使った自白剤を試作中と知った孔雪は行為を絶賛、ぜひ少し分けて欲しいと申し出た。褒められて気分が良くなり、完成後は容器ごと渡したのだが、まさかこんなに早く活用していたとは思わなかった。


「おかげさまで大変役にたちました」と孔雪はうやうやしく礼を言った。

 先ほどの使い –––– 正体は用人配下の忍び –––– に薬を飲ませた結果、べらべらとメグの父と兄の遭難の一報が入った直後の城中の模様をしゃべった。

 それによると、当初の内藤家老一派は、落ち着いた態度で非常事態を宣言し、全権掌握を図ろうとした。ところが間も無く、なにがあったのか目に見えて狼狽し、言動から自信と一貫性がなくなった。

 寿言用人は、その混乱に乗じて忍びを放ったわけだが、彼に対しては、

 「謀反人どもは、にわかに未姫様の『未の守り手』の所在を気にしはじめた。姫様にもしものことがあってはならぬ。おそらくお手の届くところにお持ちであろうから、奴らに先んじてお預かりしてまいれ。ただし、余計なご心配をおかけしてはいかん。拝借は未姫さまご本人にも黙ったまま行え」と、命じたという。


「まあ、なんてふざけた命令」そこまで聞いてお福が怒り出した。

「あの小賢しい用人らしい。忠義づらはしても、結局はこっそり盗めと指示しているのではありませんか」

「おっしゃる通り」孔雪がうなずいた。「入手したのちは、城に戻らず犬上山の麓にある礼拝院に届けるよう命じたとか。なお、世間にはほとんど知られていませんが、くだんの礼拝院の院長は寿言用人の異母姉にあたります」

「それみなさい。とりあえず自分の物にしておいて、あとで追求されたら、誰も信用できなかったからとか言い訳するつもりに違いありません」


「私もお福様と同じ意見です。忍びはさらに興味深いことを申しました。あやつもまた用人の言葉に不審を抱き、命を受けて城から出る直前、こっそり内藤家老の控えの間に忍び入り盗み聞きを試みたそうです。そこで『あの鐘が偽物なら、やはり未の守り手こそまことの鐘ということか』『ならば、余人に気づかれぬうちに手を打つべし。信頼できる兵を差し向けます。まことの鐘さえ手に入れれば、最後は我らの目的は達せられる』などと御家老と側近が密談しているのを聞いた」

「あら」

「それで忍びは、メグ様からお守りを盗んだのち、家老と用人のいずれか高値をつけた側に引き渡そうと考えていた。腕は今ひとつながら、したたかな男です」

「つまり、内藤も寿言も味方と考えちゃいけないということね」お蘭が言った。

「はい、そう思います。御家老と御用人それぞれがメグ様とお守りに邪な思いを抱いているということですね。はやくわかって良かった」孔雪は微笑を浮かべてうなずいたが、「四面楚歌ということでしょ」と、お福はさらにしぶい顔になった。「でも豪胆斎は、どうやってそれを知ったんでしょう」

「どうせ、前々から城中に間者を入れています」孔雪はあっさりと断じた。


「偽物って、どういうこと。気になる」家来たちの会話をよそに、メグは考え込んでいた。

「まず、なにを持って真贋を決めるのだろう。それに『歌う鐘』は国主の象徴ですが、偽物だと誰かが困るというものでもない。というか本物っていったいなにを指すの?」

「僭越ながら、私も同じ疑問を抱きました」孔雪は、またうなずいた。

「いかに『歌う鐘』が尊くても、これがあるから国主になれるというものではない。ここからはあくまで私の推測としてお聞きください」と言って孔雪は中空を見つめて続けた。予言者というより子供が歌を唄おうとしているようにしか見えないのは、彼女のせいではない。

「内藤家老と豪胆斎、そして寿言用人は共通の見解を持っている。歌う鐘には単なる国主としての象徴に止まらぬ、なんらかの際立った神通力がある」

「……知らなかった。今度試そうかしら」

「ええ。連中は海燕公さまのご難を聞き、さっそく鐘を試したものと思われます。ところが期待どおりの結果が得られず、その結果メグ様のお守りに目をつけた。強引な推測ですが、こう考えると今このタイミングで軍勢が黒鷺館に迫りつつある理由も、ある程度説明のつく気がします。これは完全に私の想像ですが、家老たちは術師を呼んで鐘を試させた。そして術師は裏で豪胆斎とつながっていた」

「状況が状況だから、双樹の系統の神職や術師には頼みづらいものね」お蘭がいうと、「まさにその通り」と孔雪は我が意を得たりと人差し指を立てた。


「でも、なにもわたしに代わりを求めなくても」不満げにつぶやくメグを見て、

「えー」と黒狐が口を挟んだ。「姫さまが実は空前の霊力の持ち主という噂は、以前から術師連中の間にあったようです。私も聞かれたことがあります。知るか!と答えましたが」

「うげっ」

「いつも控えめにしていらっしゃるのは、自らの力を恐れておられるに違いない、とか。豪胆斎や家老が使ったであろう術師が知っていても不思議はない」

「なによ、それー」ついにむくれ顔になってしまったメグを、「まあまあ」とでもいうように手で制してから黒狐は、「『歌う鐘』についてひとつ聞きたい」と孔雪を向いた。

「もし鐘に本当に神通力があるとして、海燕公ご自身があらかじめ三つの守り手とは別の複製をつくらせ、それに替えていたということはないのかな。で、本物はどこかに隠してあるとか。あの海燕公が、それほどの神具を城に置きっぱなしにするほど迂闊とは考えにくい」

「もちろん、それもあり得ます」孔雪は認めた。「ただ、今の段階では確認できません。またメグ様の『未の守り手』が各方面から狙われているのにも変わりはない。なお、なぜ未が一番人気かの理由は、まだ調査中にございます」


(わたしと鐘が、謀反人たちから一番人気ですってえ)

 あらためてそう考えると、めまいを感じた。くらくらっとなった自分の体を、メグは懸命に元に戻した。

(母上が見た夢は、嘘偽りなく正夢ということじゃない。どうしよー)

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