第5話 魔法学校はさびれていた

 

 一行は、再度マグ修法院の戸が開くのをじっと待った。肌寒いが仕方ない。

 タイタンがしきりに鼻を鳴らしてあたりの匂いをかいでいる。テツの抱っこがすっかり気に入ったらしい老犬リードも、腕の中から耳と鼻を働かせているのがわかる。

 テツ自身も、心の内側のセンサーが勝手に「索敵モード」に入ってしまった。リードをあやす振りをしつつ建物の周囲を探る。トラップや伏兵の気配も痕跡もなく、殺気はまったく感じない。ただ、人は中にいて動いているのに出てこないのは、はっきりわかった。

「中におよそ五、六人はいる」そうスズたちに伝えてから、(まだ、このクセが抜けないな)と、げんなりした。

 とはいえ違和感は残っている。一人ならさっさとこの場をあとにするところだが、今日はそうもいかない。


「おいおい、なんでみんなそんなにピリピリしてんだ」と、ゲルマがささやいた。「ここは魔法を修行するところだろ。ただ中に入れてもらうのに、試験とか必要なのかよ」

「あんたはなにも感じない?」とスズが聞き返した。当たり前だろうが彼女も不安そうだ。

「おれは育ちがいいからさ。こまけえことにこだわらないんだ」

「つまり鈍いってことね」


 舌を出したスズに、「あっ、言いやがったな」ゲルマが言い返そうとしたとき、もう一度扉が開いた。さっきの若者とは違う首の太い中年男性が、若い女と鳥のじゃれる姿を探るように見てから、後ろを振り向いた。誰かがいる。

「こちらです」その声に応えるように、白い顎ひげをたくわえた年配の人物が姿をあらわした。

「院長先生」スズの声に、「おお、スズか」髭の人物が両手を広げるような仕草をした。「リードも一緒か。よくきた。さあ入りなさい。お連れの方もどうぞ。無事でなによりだった」

 少なくとも院長先生は、友好的であるようだ。首の太い男はブラスと名乗り、院長の従者であると自己紹介した。


「すまぬことをしたな」一行を居間らしき部屋に通した院長は、突然の来訪を詫びるスズに、自らも謝った。「このところ無礼な来訪者が続いた。応対した者は、また同じ連中かと疑ったのだ」

「無礼な来訪者とは……」

「いずれも身元を隠したまま私を訪ねてきて、そのまま連れ出そうとした。姿格好はそれぞれ違ったが、なに、いずれもこの近辺の領主たちの使いだというのは読めておる。そろってひどく落ち着きがなかった」

 どうやら無作法な客たちは、院長が魔法を使って追い返したようだ。


 パンの領主が急に剣を探しはじめたのと同様、戦争の気配がただよいはじめたため、慌てて力のある魔法使いを味方に引き込もうとしたのだろう。テツはそんな風に考えた。スズによると、院長はお祓いより天気天候に関する術がすばらしいのだという。なるほど、戦場で雨風を操れたらすごい戦力だ。死霊なんか問題にならない。

(それにしても、うかつな領主たちだな)と、呆れもする。テツの知る戦慣れした武将たちなら、こんな悠長なことは決してしないだろう。長きにわたってこの地方に戦争がなかった証拠かもしれない、とも思う。


「三、四組はきたな」と院長は微かに笑った。「スズがきてくれたのも、それと関わりがあるのではないのか」

 さすが魔法使い学校の院長だけあって、訪ねてきた理由は半ば察しているようだった。あらためてスズの口から事情を聞くと院長はうなずき、

「なに、気のすむまでここにおればいい。見てのように往時の賑わいは失せたが、愚かな領主たちがいきなり襲ってくることはなかろう」

「ありがとうございます」

「いまのハンマー伯爵は仕方のないお人だが」院長は続けた。「あの国も以前は決して悪くなかった。先代はアルミン様をそれは尊敬しておられたしな。当時のましな家臣たちもまだ残っているはずだし、わたしも弟君とはごく親しい。しばらく様子を見てから、とりなしを頼むことにしよう。ただ、伝来の宝剣を粗末にするようでは、国の先行きは危ういかもしれんが」

「やっぱりそうですか」自分の故郷のことだけに、スズは残念そうだった。


 白髪まじりの女性が、温かいお茶と軽食を持ってきてくれた。こちらは近くの百姓家の人間が手伝いに来ているといった風情だった。

 テツは辞を低くして、外に待たせたタイタンとゲルマを居間に入れさせてもらい、水と食事の世話をした。一緒に旅をしてきた友なのだと説明すると、女性も納得してくれた。スズもまた、リードを部屋に上げてもらった。

 黙って見ていた院長は、「最初に応対に出た者は」と語りはじめた。「古い知人から頼まれて預かった者でな。ここで昔ながらの修行を積ませている」


 つまり、魔法を教えているということだ。名はシルといい、生まれ育ちはよくて決して意地悪でもないが、「真面目一方で融通が効かんというか、余裕がなくてな。いや、ひとたび打ち解ければ気の良い男とわかるはず。動物だって嫌いなわけではなく、羊の世話は念入りだ。このところの無作法な客のせいに加え、あれはノエの国の生まれでな。聞いているだろうが、宮中で事件があったとの噂があるものの詳細がいまだにわからず、少々神経質にもなっておる」

 スズは、「私たちもかなりあやしい一行ですしね」と笑ったが、食事を終えて毛繕い中だったタイタンが動きを止め、ゲルマもきょろきょろと首をめぐらした。ノエという国名に反応したのだ。

 すると、女性が部屋を出るのを待って、院長があらためて聞いた。

「おぬしたちは、もしや……」

 さあどうでしょう、といわんばかりにテツが肩をすくめて見せると、鳥と猫がそろってその真似をしたので、院長は破顔して大きくうなずいた。

「ノエの宮中には密かに魔法の生き物が養われていたと聞いたが、おぬしたちがそうか。よく教えてくれた。今夜はゆっくり休んで、また明日にでも詳しい事情を聞かせてくれ」



 テツたちは、昔は教師の宿直室だったという大きな部屋に通された。手前が長椅子とテーブルのおかれた居間になっていて、その奥が小部屋に分かれている。

 その窓に面した中庭にアンティモンも連れてきてもらった。ロバがのんびり草を食む姿を見て、ようやく少しホッとした気になれた。

「いつも思うんだがね、そんな草のどこが美味しい?」ゲルマが身を乗り出して聞いた。アンティモンはそしらぬ顔だが、鳥が上機嫌なのはわかった。

「でもさ、お前も大変だよな。これからも底抜けに間抜けな主人の面倒みなくちゃならないなんてさ。まあ、おれが付いてはいるけどさ」


「なんだよ、ひどい言い草だな」テツが口を尖らせた。

「だってそうだろ。だいたいさ、物探しの石をあんなことにつかうなんてさ」

「目的は達成できただろう。ジュラ氏には悪かったけど」

「違うって。真っ先にかくし財宝のありかを探すとかならまだわかるんだよ。なのに、あの石を手に入れたら一番に人助けだなんて、お前らしいっていやあ、らしいや。商人のくせに肝心の金もうけが後回しだもんな」

「そ、それはそうだけどさ」

「発想すらなかったんだろ。ジュラの親父が託すはずだわな。空前の大間抜け」

 タイタンが不満げに尻尾を振っている。

「小商いには向かなくても、大物になるにはこれぐらいでないとダメだって?なんだい、変なかばい文句だな」

「いいじゃない。おかげで私とリードは助けてもらったよ」スズも言ったが、「あー、あんたもダメだ、テツと同類だもん」とゲルマはすぐに言い返した。「物探しの石を宝探し用じゃないって決めつけるような姉ちゃんは、金儲けには縁が遠い。そのままにしたら、ふたりとも一生貧乏暮らし確定だな」

「なにが言いたいのよ」

「ま、お目付役が必要ってことだね。おれみたいに冷静沈着な」


 スズは苦笑していたが、ふいに真面目な表情になって、

「でも、今日は本当にありがとう」と、テツたちに礼を言った。「無事にリードと会えたし、なにより命が助かった。伯爵のあの様子だと、まず間違いなく剣を盗んだ罪を着せられて、そのまま殺されていたと思う」

 あらたまって礼を言われ、テツは困ってしまった。お節介をしたのではと思わないでもなかったからだ。スズはタイタンとゲルマにも頭を下げた。猫は照れくさそうに前足で自分の頭をなでたが、鳥は「まあ、暇だったし、結構おもしろかったよ」と、そっくり返ってみせた。しかし、しばらくすると自分から、

「おれたちの国のこと、聞かないんだな」と、スズに問いかけた。


「あんたたち、ノエの国から来たのよね。でも、おしゃべりなあんたが黙ってるってことは、話したくない事情があるのかなって思って」

「ちぇっ、変なところに気が回るんだな」

「それにわたし、物探しの石を持った偉い人のことについて、考えていたの。おばあちゃんがときどき話していた古い知り合いと同じ人かもしれないって」

「えっ、どういうこったい、それ」

 タイタンもテツの膝に移動し、じっとスズとゲルマの話を聞く姿勢になった。

「その人って、ノエの第一大臣で、領主さまの娘婿だったの?」

「ああ、その通り。よく知ってるな」

「やっぱり」スズはうなずいた。「その人も院長と同じく、おばあちゃんの弟弟子だったの。カド法師さまの最後ぐらいの弟子だったみたいよ」


「そうなんだ」テツは腕を組んだ。正式の魔法使いというのは決して多くはなく、師匠が重なっても不思議ではない。とりわけ、カドという法師は遠い他国にいたテツの耳にさえ名が届いていたほどの大物であり、弟子も多かったはずだ。

 それにしても、(ちょっと、できすぎだな)と感じないでもなかった。

「でも、一国の大臣まで勤めた人物がなんでまた魔法なんか習ったのかな。ちょっとやそっとの修行じゃ身につかないだろうに」

「逆なの」テツの問いにスズが答えた。「若いのにすごく優秀だったから、まだ修行中の身でありながら悪夢に悩むノエの国の王女様の治療にあたった。水際立った青年魔法士ぶりがすっかり気に入られちゃって、結局は婿に入ったそうよ」

「へえ」テツだけでなく、タイタンまで初耳だといった顔をしている。


「婿になりたくて惚れ薬を使った、ってことはないよな」ゲルマがすかさず突っ込みを入れた。

「ちゃうちゃう」スズは笑った。「おばあちゃんによると、若い頃はえらい美男だったうえ、申し分ない家柄の生まれだったから、結婚そのものは決して不自然ではなかったって。その人の実家も、修行を終えたらどこかの国で祭儀を司る役目に就かせるつもりだったそうだし。ただ、政治家になったら、当然ひと変わりがするでしょ」

 声の調子が、なにかを悲しむようになった。「その大臣、若いころはしきりに、早く一人前の魔法使いになって、前にお母さんの一族が住んでいた平和な村に戻り、そこにお母さんを引き取って暮らしたいって夢を語ってたそうよ」

「でも、いつの間にか、そんな夢はすっかり忘れたってことか」

「たぶんね。おばあちゃんも長い間、直に話していなかったから最近のことは噂しか知らないの。ただ、ときどき聞こえてくるのはいい噂と悪い噂が両方あって、喜んだり心配したりしてた」

「そう…。どんな噂だったの?」

「いい噂はね、きつい人だけど公平だったから、よその国の争いごとまで調停を頼まれたりしてて、それに関わること。たしか、わたしの国のバカ伯爵にも意見したことがあったはず。領民にもっと配慮しろって」

「へえ、やるなあ」

「悪い噂のほうは、規律に厳し過ぎて酷薄な面があったとか、王族をないがしろにするとか。よくあるやつ。でも、テツさんにあんな魔法具を押し付けて、自分は荒れ野でさびしく死んじゃったってのは、いくらなんでも悲しい最後ね。どうしてなのかな」スズはテツと膝の上のタイタンをあらためて見て言った。


「わたしも簡単にしか聞いてないんだ」とテツが言うと、タイタンがにゃあにゃあと啼き続けた。ゲルマが「じゃあ、詳しめに説明するかな」と、通訳をはじめようとしたとたん、テツに手で制された。口に指をあてている。

 一挙動で扉まで移動したテツは、音もなく外に滑り出て部屋の周囲を確かめていたが、しばらくすると戻ってきた。

「だれか、いたの」とスズが声に出さずに聞いたが、テツは、

「いや、気のせいだったみたい」と声に出して微笑んだ。

 だが、彼が隠すように手に持っていたものを、腰のすぐに取り出せる場所へと移し替えたのを、彼女は見逃さなかった。

 それは、一見スコップのようだが、まごうことなくナイフだった。

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