第4話 剣の精霊、怒る
「ばかなことを」秘書長官は吐き捨てるようにいったが、伯爵の合図によって近習たちが帆布をとり去ると、壺の中には蔓の切れた弓などと一緒に棒状の布づつみがいくつも突っ込んであった。どれも拵を外した刀身のようだ。
スズの持った鉄棒が2本ともその中の一つを指した。彼女はテツに手伝わせて、布包みをていねいに木箱の上に置いてから布をはいだ。出てきたのは、鞘も柄もなく鋼のむき出しになった一振りの剣だった。
大剣ではない。常時腰に帯びるような短めの剣だった。厚みのある刀身には樋が設けられ、テツには読めない古い文字らしいものが彫られてある。薄暗い中にも、うっすらサビが浮いているのがわかった。
「これにございます」スズはうやうやしくその剣を示した。
「なにを愚かな」手に取って確かめようともせず、秘書長官が非難した。
「探しているのは、かの名剣・紅雨丸。どんな剣よりも気品があるはず。こんなみすぼらしい錆刀であろうはずがない。娘、この期に及んでもなお、たばかろうと図るとは良い度胸をしておる」
後ろに控える身なりのいい男女もまた、スズとその示した剣の非難をはじめた。魔法使いには物の良し悪しはわからない、などと言っている。伯爵だけは軽く首をかしげつつ、手袋をはめたまま剣に触れ、持ち上げてみたりしたが、「ふむ、意外に重いな」と言うと、興味をなくしたように木箱に剣をがらりと放置し、後ろ手に腕を組んで家来たちの騒ぐ様子を眺めた。
スズはそっとテツに目配せすると、肩から下げたカバンに片手を入れた。タイタンが手伝って、彼女の手を物探しの石に触れさせた。
そしてスズは、一歩前に出て、石にふれたまま錆びた剣に残った手で触れた。
わずかな間を置いて、うすぐらい武器庫に光が走った。巨大な青白い人影が高い天井まで伸び上がり、人々を見下ろしている。次々に悲鳴があがった。テツでさえたじろぐほど迫力があったが、スズだけは平然と見上げている。
伝説の剣の精霊というからには、いかめしい白髪の老人をなんとなく想像していたが、目前にそびえているのは妙齢の女性だった。「臈長けた」という言葉が頭に浮かぶ。宝剣も、刀剣の世界ではまだ若いのかな、とテツは考えたりした。
さっきまで倦怠を漂わせていた伯爵は、いまでは目も口も開きっぱなしになっている。騒がしさがひとまずおさまると、青白く巨大な美女は言葉を発した。
–––– おまえは、当代のハンマー伯であるな。
いきなり呼びかけられ、伯爵は目を見開いたまま、黙ってうなずいた。
–––– おろかもの。我こそは紅雨丸の精である。
そう宣言されて、秘書長官がヒッと腰を抜かした。
–––– 武人を束ねる身でありながら、武具を正しく扱うことを知らぬ。あまつさえ、伝来の剣を見抜けぬとは、
剣の精は決めつけた。
–––– あまりの情けなさに、鋼のこの身にさえ涙がうかぶわ。
だが、「む、娘、手の込んだめくらましを仕掛けるとは、許さんぞ」と、床に腰をつけたまま秘書長官がわめいた。伯爵までもが唇を震わせ、
「こんな茶番で騙そうとするからには、どうせ剣はとうに売り払ったのであろう。その罪は死に値する」と言うと、
–––– おのれ、まだわからぬかっ。
と、怒鳴り声がして武器庫内部に雷光が閃いた。何人かが気を失った。
–––– 余は七代前の当主のたっての頼みを受け入れ、伯爵家の守刀としてこの身を預けた。以来、代々の伯爵とともに苦難を乗り越えてきたが、もはや愛想がつきた。いままた当家に嵐が近づきつつあるが、あとは知らぬ、勝手にせよ。いや、
青白い腕を前に突き出した精霊は、うろたえるばかりの伯爵をにらんだ。
–––– とくとその身に思い知るがよい。
精霊の姿はふわっと消えた。
その代わり、床下から人の形をした灰色の影みたいなものが次から次へと湧き上がってきて、部屋全体に広がりはじめた。
護衛が刀を振り回すが、なんの効果もない。逆に影に取り込まれ、つぎつぎとその場に崩れた。武器庫にいた人々は逃げ惑った。
怪現象はスズとタイタンの予想も超えていたらしい。スズは袋の中のタイタンがむにゃむにゃ言うのに耳を傾けていたが、「これはまずい。剣の精霊が本気でお怒りだって」とテツに警告した。「なにが起こってもおかしくない」
「えっ、君たちの術のせいじゃないの。スズさんとタイタンが力を合わせたら、精霊まで手を貸して下さるのかって感心してたのに」
「ちがうちがう、聞いてないわよ、こんな展開」
犬を抱えスズの手を引き外へと駆け出したテツは、扉の前まで来るなり、「ゲルマーっ」と宙に指を四本つき出した。「計画は裏の裏の、裏。第四案だ」
「おーっし」建物の裏手から次々と煙が上がった。見張り台がみるみる吹き上がった煙に覆われ、あっという間に無力化した。厩から馬が一斉に走り出して中庭を横切り、鶏小屋にいたはずのニワトリが駆け回って、番兵たちは右往左往している。
「裏の裏の裏って、なに?」スズが聞くとテツが、「三案全部混ぜこぜっ」
扉の外にいた伯爵の護衛兵が数名、ようやく騒ぎに気づいて駆け寄ってきた。飛び出した二人を見つけて立ちふさがろうとしたが、テツとすれ違ったとたん、ことごとくその場に白目を剥いて崩れてしまった。
「えっ、テツさんなにしたの」「ちょっと、指圧」
その二人を追いかけるように、武器庫から灰色の人影が外へと滲み出てきて、城内はさらに混乱した。空は急にかき曇り、ゴロゴロと雷の音まで轟いている。いまや数えきれないほどの妖しい人影が城中をあちらこちらと飛び回り、番兵たちにとりついてはかたっぱしから倒していく。
二人と二匹がアンティモンと合流すると、なにが楽しいのかけたたましく笑いながらゲルマも戻ってきた。「これでおれたち、立派なお尋ね者だな」
「それは困る」顔をしかめたテツにスズは「でも、この物探しの石の意味が少しだけわかった気がする」と明るく言った。「単に失せ物の在り処を示すだけの道具じゃない。隠された真実というか、物がなぜ隠れたかを解き明かす呪具なのね、きっと。宝探しとかとは別の目的のために作られた気がする」
「にあ」タイタンも肯定するような声をあげた。
昨日、物探しの石の存在をスズに明かし、協力を申し出たテツだったが、さすがにぶっつけ本番は怖く、あらかじめ夜のうちに名剣探しを石に頼んでみた。
彼自身はこの呪具について、単に磁石みたいに常に行き先を指し示してくれるだけだろうと考えていたが、スズが身を清めたのち、石に真剣に祈って起こった現象は、想像とはかけ離れていた。
まず、石から「ようこそ」と言う大勢の人の声が響いた気がした。そしてスズたちの脳裏に、城の武器庫にいたる道がはっきりと浮かんだ。さらに剣の今の姿まで克明に示された。どうして剣がこんな場所に放置されたかも理解できた。
武器にも一族の伝承にも興味の薄い伯爵と側近は、宝剣を先代から受け継ぐとまもなく、名工芸家の手による外装だけを取り除き、別の軽く華やかな剣へと移し替えた。そして短いわりに持ち重りのする刀身は裸にして放置し、そのまま忘れ去ってしまった。紛失の発覚後、家来たちが武器庫を調べはした。だが刀剣の目利きがおらず、伝説の剣を見出すことができなかったというわけだ。
物探しの石の力は、なんと宝剣・紅雨丸の精との対話も実現した。精はひとしきり現状を嘆くと、「悪いようにはせぬので、堂々と正面から探しにまいれ」と伝えてきた。だが、まさかこんな事態になるとは予想もしなかった。
「とにかく、兵からも幽霊からも早く姿をくらませよう。タイタン、頼めるか」
テツが言うか早いか、猫は任せろとでも言うかのようにアンティモンの背中に四肢を踏ん張って立つと、「うわわわわ」と聞こえる声を上げた。すると、後方に風が巻き起こったように感じて、彼らの周囲をとろっとした空気が取り囲んだような感覚を覚えた。騒がしい外の音が少しだけ静かになった。
スズがアンティモンの手綱をとり、猫と犬と鳥を乗せて発進した。テツは車の横を伴走している。「これで本当に見つからない?」と聞くと、「奴を信じな。おれと同じで嘘はつかねえ」とゲルマが言った。「ジュラの親父ともこれで城から逃げるのに成功したんだ」「おや、そう」
たしかにかなりの人や動物とすれ違ったが、だれもこちらに視線を向けない。
だが、振り向いた城の上空には雲が暗く垂れ込め、さらに凄惨な雰囲気になっていた。中庭から広がった灰色の影は、次第に滲み込むようにあちこちへと消えていく。それぞれの部屋に居座るのかもしれない。今度は犬のリードがモゴモゴと啼いた。「なんて言ってる?」
「あの変な影は、前にアルミン様と鎮めた地下の死霊どもに間違いないってさ」と、ゲルマがあきれたように伝えた。
「あんなものすごい死霊たちを、おばあさんは鎮めていたのか」
「奴らをずっと眠らせておくため、おばあさんは地下に神域を築き霊符を埋めた。だけどバカ伯爵は、とっくに掘り起こしてワインセラーにしちゃってた。だから剣の呼びかけに応えてしまったんだとさ」
「城はどうなるかな」スズが言った。「伯爵はともかく、困る人は多いと思う」
タイタンが啼いたのを、ゲルマが嬉しそうに通訳した。「気にすんな、伯爵の代わりはいる。それと死霊封じなんて考えるなってさ。おれも同意見だな」
「剣の怒りが収まるまで、もはや人には止められない。だったら逃げるのを優先し、休息して次に備えよう」とテツは宣言した。「この先に市のみんなが準備してくれた舟が隠してある。それに乗ってとりあえず中立地帯へ移動する。悩むのはそれからでいい。それに死霊は、人を気絶させても殺すわけではなさそうだ」
「賛成。ほとぼりが冷めたら、おれが様子を探りに戻ってやるよ」
ゲルマが言い、それを聞いて一行はひたすら駆けた。
風が強かったため湖を横切るのに手間取り、マグ修法院を臨む地点にようやくたどり着いた時は、もはや日が暮れようとしていた。
修法院のあるカララ半島は、古くから周辺諸国の中立地帯とされ、宗教施設や学問所、それに付随する医療施設が集まっていた。
ここを目指した理由は、直接には「身を隠す必要に迫られたらとりあえずマグへ逃れな」というカッパの伯母さんの助言があったためだ。半島の施設の中でもマグ修法院は、いわゆる魔法術を教える希少な機関であり、周辺領主たちからも一目置かれる存在だった。
「昔は、どこにも助けのいない人が頼ったもんだ」と伯母さんは言った。「ウチの祖母ちゃんがそうだった。最初の結婚の時、クソ亭主と義母に殺されそうな虐めを受けたけど、相手がわりに権力のある一族でさ、役人だって離婚を認めたがらない。結局は修法院に駆け込んでやっと縁切りできた」とのことだった。「おかげで私がここにいるってわけ」
だが、実はスズ自身も修法院長とは面識があった。現在の責任者、オズミ院長はかつて法師カドの教えを受け、スズの祖母には弟弟子にあたる。アルミンの死のあと、わざわざスズの元を訪れてきて、困ったことがあればすぐ相談にくるよう言ってくれたそうだった。
今回は理由が理由だけに訪問を迷ったが、結局は頼ることに決めた。彼女の逡巡を、「人間って、めんどくせえなあ」と、ゲルマが馬鹿にしたように笑った。
「へええ……」「なんだいこりゃ。まさにダンジョンって感じだな」「にやあ」
目の前に立つ寺院は、予想とはかなり異なるものものしい建物だった。
周囲を低い石塀にかこまれ、中にある建物も石を隙間なく積んだ構造をして、威厳がある。元はずっと昔、この近隣を統一した王の城塞だったという。
ただし、いまはすっかりうらぶれて寂しい。周りにも敷地内にも人影はなく、羊らしき影がまばらに動いているだけだった。
「これは、わかってた」と、スズは言う。由緒あるマグ修法院も、「連盟」と呼ばれる母体組織の主導権争いがこじれにこじれ、もう何年も新しい修行生の受け入れを停止したままだった。魔法使いの常駐もなくなり、近隣から依頼されるお祓いや祈願には院長自ら出向いているという。
彼女が修法院に学ばなかったのも、そのためのようだ。どうやら彼女の父母の早世も連盟の揉め事に無縁ではないようだが、つらいのかスズは途中で語るのをやめてしまった。
厚みのある木製の扉を叩くと、かなり経ってから小柄な若い男が顔を出した。骨細な身体つきは農夫には見えない。四頭も動物を連れているのに驚いたらしく、スズの懸命な説明を厳しい顔つきで聞いていたが、「そうですか」というやバタンと扉を閉じてしまった。周囲が沈黙で覆われ、人の気配は失せた。
スズとテツ、そして動物たちは、そろって顔を見合わせた。
「なに、門前払いなの?」
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