VOL.1

 俺は腕を組み、目の前に座っている男を、もうこれで何度眺めまわしたことだろう。

 年は(恐らくだが)40代後半から50代半ば、まず60になってはいまい。

 痩せていて、穏やかそうな目つき、

 気品を感じさせる顔立ち。

 これだけならどこにでもいる、中高年の紳士といってもいいだろうが、問題は彼の姿恰好である。

 ところどころ白髪の目立つ髪を茶筅髷というらしいが、丁寧に結っており、

 着ているものは白い絹と思われる単衣物ひとえものの和服。

 それだけだ。

 特徴らしい特徴といえば、額の生え際の少し下あたりに、斜めに刃物でつけられたと思われる古い傷痕きずあとがあることだ。

 彼は時折、不思議そうな顔をして、室内を見回し、そうして俺の顔を見る。


『ね?変でしょ?』

 俺にそう言ったのは、このアパートの住人、歌舞伎町にあるキャバクラ『シルバー・ローズ』に務めるホステスで、源氏名を『マスミ』といい、歳は自称二十歳はたち(いや、これはウソだな。どう贔屓目にみても25は過ぎている)、ぱっちりした目が特徴的だ。

 女優で言うならば、二流の酒井和歌子といったところだろうか。

 俺は懐からシガレットケースを出し、一本咥える。

 素早くマスミがライターを出して火を点けようとするが、

『何度も通ってやったのに、忘れたのか?これは煙草じゃない。シナモンスティックだよ』

 俺はそう言って端を噛んで音をさせる。

『ああ、そうだったわね。乾ちゃん(その呼び方は止めてくれと何度も頼んだのだが、)は禁煙主義者だったんだ』

 マスミがぺろりと舌を出した。

『・・・・で、さっきの話をもう一度聞かせてくれないか?』

『二日前にね。このタンスを近くのリサイクルショップで買ってきたのよ。そうして・・・・』

 彼女が今住んでいるのは、中野ブロードウェイから少し外れた路地の奥にある、2DKのアパートである。

 バスとトイレはあるが、家具はない。家賃は一か月4万ぽっきり。

 マスミが言うには、最近お客から貰った服が増えてきて、収納場所に困っていたのだが、ある時近所のリサイクルショップで、手ごろな値段の洋服ダンスを見つけ、それを買い、軽トラで運んで貰って、部屋に入れた。

 そしてそれを据え付け、さて洋服をしまおうと開けた途端・・・・

『このおっさんが座っていたと?』

 マスミは黙って頷いた。

”どこかで見た顔だな”

 俺はもう一度おっさんの顔をみた。

『誠に失礼だが・・・・』彼は俺に向かって言った。随分馬鹿丁寧な言葉遣いである。

『差し支えなくば、貴殿が咥えておられるそれを、拙者にも所望できぬものであろうか?』

 俺は卓子テーブルの上に置いてあったシガレットケースを取り、蓋を開けて彼に向かって差し出した。

 彼はその中から一本摘み上げ、珍しそうに匂いを嗅ぎ、それから俺がやったように口に咥え、端を噛む。

『うむ、良き香りじゃ』

 彼はそう言って、音を立てて旨そうに一本を齧りつくした。

『済みませんが、こちらから二・三質問をさせて頂きたい。まず第一に、貴方は何者ですか?お名前をお教え願えると有難いのですが』

 彼は俺の質問には答えず、マスミに、

『済まぬが、茶を一杯所望致したい』

 と、すました顔で言う。

『う、うん・・・・』

 彼女が淹れてやったのは、そこらのコンビニなんかで売っているほうじ茶のティーバッグだった。

『うむ、茶としては少し妙な味がするが・・・・まあ、悪くはない』

『それは結構、ではもう一度聞きます。貴方は・・・・』

『吉良』

『え?』

吉良義央きらよしひさと申す』

『ああ?』

 俺は二本目を咥えようとして、思わず口の端からこぼしてしまった。

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