悪女は告げる

「――嬉しい」

「……え?」


 打って変わって。


「丁度陛下もいらっしゃることです。今ここで高らかに婚約の破棄を宣言いただきましょう!」


 涙を流していたはずの彼女――今しがた、周りに忌諱の目で見られていたナッティが、嬉しそうに顔を綻ばせ、婚約破棄の発表を盛大にするように促す。


 まるで自身の宣言を無視してあくまでこの国の王へ促すその発言に、カースは一気に頭に血が上った。


「な……わ、私が宣言したのだからそれはもう婚約破棄となるであろう! なぜちち――陛下に行って頂く必要が――」

「名前の通りの馬鹿ですか貴方は」

「なっ!?」


 ため息交じりにぼそりとカース王太子だけに聞こえるように呟いたナッティは、はっと口を抑えて失言だったと自分を恥じた。


 とある人に聞いた「馬鹿でカス」という話があまりにも面白くて、その話の「カス」という部分がとにかく目の前の王太子にぴったり合うと常々思っていたからこそ出た発言であるのだが、ナッティはこの国においても有数の公爵家の一員であるからこそ、そのようなはしたない言葉は発してはならなかったのだ。


「貴方はあくまで王太子であり、この国の国王ではございません。まずそこを履き違えないようにお願い致します」

「何を。私は――」

「この婚約は、貴方が持ってきた縁談でもありません。そしてそれは国からもちかけてきた縁談だということは理解されていますか? カースばかおうじ様」


 だからこそ。

 しっかりと伝える必要があるのかと思うと、ナッティからは呆れたため息しか出てこない。


「貴様……この国の王太子を侮辱するとは」

「まず、侮辱をしてきたのは貴方ですよ」

「……は?」


 王太子だからこそ。

 国王だからこそ。

 そのように、扱ってはならないのだと、理解していないからこそ、この王太子は、王足りえないのだと。


「貴方が侮辱したのは、私だけではありません。貴方の父親である国王、並びにこの私との婚約に至るまでに奔走した関係各所――貴方に関わったすべての方を侮辱したのですよ?」

「……はっ。なぜ私がお前との婚約破棄で、お前ごときとの」

「ごとき、ですか。なるほど。貴方はつまりは――」



「――貴方を王として選定するべき、我が父である、選帝侯そのものを侮辱していることを、その程度、ごときと。おっしゃっているのですね?」

「選定……ははっ、なに――」

「カースっ!」


 この元婚約者は何を言っているのかと。

 世迷言を言って、そうまでして自分と別れたくないのかと失笑しかけたところで、カースを頭上から呼ぶ悲痛な声が館内に響いた。


 その声はあまりにも焦りに満ちた声であり、その声を出した相手がそのように焦ることを見たことがなかったカースは、目を見開いてしまう。


「お前は今、自分が何をしているのかわかっているのか……っ」


 そのカースが見た先にいたのは。

 自身の父――つまりは、国王である、ワナイ王だ。


「……は?」


 その王の首に添えられているのは、斬れ味の良さそうな剣である。その剣を、王に向けているのは、ナッティの父、ヴィラン公であると気づいたカースは、自身の腰に携えた剣を勢いよく抜いた。


「き、貴様っ! 血迷ったか! いますぐ父から剣を離せっ! 謀反に値する反逆罪だぞっ! みなのもの! 今すぐあの男とその馬鹿な娘をとらえ――」


 だが、この国の国王に白刃が向けられているという国の存亡のかかった状況にも関わらず。

 その場で剣を抜いて勇敢にも戦おうとしたのは、カースとその取り巻き――侯爵家で固められた仲間たちだけであった。


 その仲間たちの親である現侯爵達でさえ、自分の子のために戦おうとしないその異常事態に、王子達は孤立している事にすぐに気づいた。


「カース……そなたは……本当に、知らぬのか? 王族であるというのに、今この状況に陥っていることさえ……理解、できぬと……」


 王が、落胆の表情を浮かべ、項垂れた。


「すまぬ……ヴィランよ……このような者に、大事な一人娘をあてがおうとした」

「……時は戻らぬよ。この時間を無駄にしないためにも、何度も進言したのだが」

「……すまぬ。すまぬ……」



 カースは、自身の父である王が、人目も憚らずに涙を流しだしたことに、見放されたかのような印象を受けた。

 王のあまりの無様と落胆に、ヴィラン公も刃を納め、いくら親友とはいえ不敬を働いた謝罪のため、忠誠の証を見せるためにも臣下の礼にて王の前に跪く。


「選帝侯……? それが一体、なんだと……」


 それほどまでにヴィラン公が偉いのか。王はこの国でもっとも偉いのではなかったのか。


 選帝侯。


 それは一体なんなのか。

 カースは、何が起きているのか、理解できなかった。


「選帝侯。……それさえも知らないのですか? 馬鹿ですか?」

「な、なんだ……それはっ!」


 カースの言葉に、辺りの空気が一気に変わった気がした。


 その空気を、なんといえばいいのだろうか。


 『王太子が王となった暁には、滅ぶであろう』


 という空気であろうか。

 誰もが、この王太子を見限った瞬間であったのは間違いない。



 カースはここで自分は、この悪女から逃げることはできないのだと理解する。




 だが、カースはその考えは間違えていることに、気づかない。




 ナッティは、悪女でもなんでもない。


 ただ、彼が馬鹿だからなのだと。

 気づかないのだ。

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