第14話 神木狩り
夜のニュース番組で殺人事件の速報が流れた。
「殺人に御神木の切り倒しか。神の加護はないものかね」
常連客が知識に話しかけた。
「近ごろ神木に薬剤を注入して枯れさせる事件も多いですね。金目当てとかいう話ですが」
「たいした金にはならんよ。御神木というからには大木だろ?」
「たぶん」
「製材の機械に入らんから手作業になるし、そもそもそんな規格外の材木は使い所がほとんどない。相場も下がり気味なのに割に合わんよ」
「はあ」
材木関係の仕事をしている客は金の線に否定的だった。
知識はうなずいたものの御神木狩りのもうひとつの可能性が気になっていた。
御神体の盗難も相次いでいた。
ただそれは手段であって目的ではない。他人の不幸を喜ぶ輩もいるだろうが全国的な広がりを考えるともっと明確な動機がありそうだった。
ネットでは日本の結界の弱体化といった話もすでに出ている。
電話に一瞬だけ着信があった。
由美からだ。
同時にドアベルが鳴った。しかし客の姿は見えない。
入ってきたのではなく出ていった?
(しまった!)
知識は裏口へと駆け出した。
由美は御神木狩りの相談をしたかったのにちがいない。
なぜならコガネ様はイチョウの木だから。
嫌な予感に足を早める。
知識に先行するホソデとナガテ。
争う由美と二つの人影を認めた。
妖気を感知してナガテの刃風が飛んだ。二人とも足首を裂かれて転倒する。
たちまち腐臭が溢れ出す。
立ち上がろうとするところにホソデが爪を立てていく。
電撃に焼かれ悪臭とともに溶けだす。
(タヌー、なんだこいつら?)
(人間でもなければ妖怪でもニャいわ)
「ああ、なんてこと……」
折れた梓弓を携えた由美が大イチョウに歩み寄る。根本付近には穴が穿たれ薬剤を注入した痕跡があった。
「キーッ、従鬼を調達するのも手間がかかるんだぞ」
異形の男が現れた。猿臂が長く猿を連想させる姿勢だった。その手には大型のハンティングナイフが握られていた。
強大な妖気にホソデとナガテがすかさず反応する。
「刃風!」
「鳴神!」
しかし男はほぼノーダメージで歯牙にもかけない。
攻撃の当たったあたりから黒い塊が膨らみはじめる。
一歩踏み出した男の額に鋼鉄製の破魔矢が突き刺さる。由美の袖に隠されていたものだ。
「キキッ、
やはり額から表面張力を感じさせる漆黒の球が膨満する。押し出された破魔矢がカランと落ちる。
「むばたま」
弾けるように黒球が射ち出されホソデとナガテ、そして由美に命中する。
それだけで二柱と一人は動けなくなりうずくまってしまった。
「ウホッホ、従鬼にしてやる。目ン玉くり抜くけど我慢しろ」
猿似の男は由美にまたがろうとして動きを止めた。
駆けつける知識に相対する。
知識は腰からシャープナーを引き抜いた。速度を落とすことなく右半身に構え滑るように迫る。
知識の持つ多芸の一つ、フェンシングの技術に工夫を加えたものだ。
ガシャンと金属音がして二人は激突した。
包丁を研ぐためのシャープナーには手を傷つけないため鍔がありナイフの刃を受け止めていた。
対するハンティングナイフにはほとんど鍔はなく握った指をへし折っていた。
男が左手に持ち替えようとするのと同時に知識は一歩踏み出し左半身となり体を入れ替えた。
敵の間合いを潰しつつ自分の得物に自由を与えるためだ。
流れるように知識の右手が弧を描き、自らの背面越しに男の脇腹を突いた。
知識名付けるところ〈邪道突き〉という技だ。
男が激痛に咆哮し跳ねるように後退した。
男の脇腹からは真っ黒な臓腑がはみだし蠢いていた。
「ウッキー、よくもよくも……!」
シャープナーは通称〈チャリ棒〉と呼ばれる鉄棒にすぎない。達人でもない知識が与えるにしては大きすぎるダメージだった。
猿のように唇をめくり上げ威嚇する男。
「むばたま!」
傷口から無数の黒い球体が噴出した。
知識には見えていないのか基本姿勢のオンガードに構えているだけだ。
手のシャープナーから鞭のような影が伸びてすべて迎撃してしまう。
影の尖端から二つに割れた舌がチロリとのぞき赤い蛇眼が猿男を睨んだ。
「キィ? カガチ!」
蛇の古名を叫んだ猿男は総毛立たせ引き攣った顔で逃げ出した。
カガチと呼ばれた影は追撃をかけようとしたが主の知識がきびすを返したため逃走する背中を見送った。
その赤い眼が一瞬だけ嘲るように歪んだ。
「大丈夫か、しっかりしろ由美」
由美を抱き起こす知識。
「由美を早く店に連れて行くがよい」
気を失っている由美の口から第三者視点の言葉が紡がれた。
「さもなくば死ぬるぞ」
「コガネ様?」
「猫とタヌキも忘れずにな」
言われてタヌキの置物とぐったりとした猫が転がっているのを見つけた。
その上にイチョウの葉が降りそそぎはじめた。
コガネの神籬、イチョウの古木が枯死しようとしていた。
****
安倍野晋三は深夜のトイレで呻吟していた。
かつて日本の総理にまで登りつめたこの男の最大の弱点は健康問題だった。
そのせいで短命政権に終わった無念がある。
地震、津波、原発事故、日本が未曾有の危機に陥っているさなか、自分はトイレにこもって腹痛と戦っているいることしかできないと歯噛みする。
今の総理大臣より自分のほうがもっとうまく対処できるという自負がある。だてに政治家一族に生まれたわけではない。それでも鞄持ちから始めて政治のすべてを身につけたのだ。
「クソったれ……本当にクソったれだ」
おさまらない下痢に涙が出そうになる。
「その病、治しやらむや」
「誰かいるのか?」
「我が名は
目前の床で小さな白狐が喋っていた。
よく見れば千切れたトイレットペーパーだった。
寝ぼけていたのかと納得した安倍野晋三だった。
しかし翌朝、親戚と名乗る狩衣姿のアベノコウメイという少年が訪ねてきて運命は大きく動きだす。
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