第12話 一本松


「運がよかった、というより奇跡に近い」


 告白するように野分は言葉をしぼりだした。


「我々にできたことは少なく、人智のおよばない力に助けられたとしか思えない」

「再臨界だけは勘弁してほしいが……」

「ああ」


 いつかまたこいつが突然目覚めて災厄を撒き散らす可能性は捨てきれない。

 廃炉までの道程は絶望的に長かった。

 野分に差し入れの食料品を渡し、知識稔はいまだ予断を許さない原子炉施設をあとにした。

 役目を終えたマルメロはそのまま廃棄となった。

 それより待機していた阿豆佐由美の様子がおかしかった。

 知識に対するプレッシャーがいつもの十割増しなのだ。

 ただ無言で時おり車の向かう方角を指さしてくる。

 これはもうコガネ様がらみなのは明らかだった。

 その膝にはなぜかラップトップパソコンがあった。


「あのーそろそろガソリンの残量が心細く……」

「着いた」


 由美の指し示す先には一本の松の木が佇立していた。

 ニュースにもなった〈豪運の一本松〉である。

 わりとミーハーなのかなと思いつつ車を降りて近づくと知識はその異様な迫力に圧倒された。

 七万本の松原でたった一本生き残った松の木には孤高の老戦士の風格があった。

 胸に迫るものがあるのは知識ただ一人ではなく多くの人が同じ感想をもっていた。

 保存の声が上がるのもむべなるかな。

 なぜか押し寄せてくる感動に涙ぐみそうになっていた知識に由美が何かを手渡した。


「なおせ」


 それはひび割れ砂にまみれたタヌキの置物だった。


「え?」

「はやくしろ」

「はい!」


 反射的に背筋を伸ばして返答する。

 これは一寸法師と対峙したときの感覚と同じだった。

 ワゴン車に戻りマルメロ用の修理キットを広げる。といっても半分はプラモデルやフィギュア作りの道具だ。

 瞬間接着剤とエポキシパテで割れや欠けを補修しているうちに興が乗ってきた知識は金泥代わりに金色の塗料でひび割れを隠し、破損がひどい金○部分を盛りに盛って金ピカにした。


「クックック」


 あまりの出来映えに怪しい笑い声が漏れてしまう。

 ふと我に返り由美を見やるとすでに助手席で眠りについていた。

 その膝の上にはパソコンともに黒猫が丸くなっていた。


(猫?)


 二度見する知識をよそに一人と一匹は気持ちよさそうに寝ていた。

 タヌキの股間がピカリと光った気がした。

 知識はあずかり知らないことだがこのときお笑い芸人毛柱三時前本人がトラックに支援物資を満載してボランティアに訪れたことがネットで急速に拡散されつつあった。

 絶望と不安しかなかった人の心に涼風が吹き込み俯いていた顔が前を向いた。その表情は少しの可笑しみ含んでいた。



 ****



 牛舎に繋がれた何十頭もの牛たちは飢えていた。

 避難した人間の帰りを待ち悲しい声を上げる。

 空腹と渇きで柱をかじりやがて一頭また一頭と糞尿の中に崩れ落ちて死んでいった。

 そこへ鶏が一羽入りこんできた。

 そして死骸を突っつく。


「コケーッ、起きなさいムトウ!」


 鶏が女の声で呼びかける。


「ココココ、殺されたコケッ。ココココ、これからもいっぱい殺されるケーッ!」


 牛の虚ろな目が動いた。


「行くわよムトウ」


 鶏は妖艶な鳥人の姿となり、ムトウと呼ばれた牛は鬼人となって立ち上がった。


「いざ禍え」

「いざ災え」

「「いざ厄え」」








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