第10章 絶望と影 その3
「いやぁ~実家に帰るのに何日か休み貰って、えらい迷惑かけてすんません。あっ、これランスー土産の有名などろ濡れ煎餅なんやけどぉ……」
朝の朝礼後、リュウがへらへらと笑いながら、ブルックソンにどろ濡れ煎餅と呼ばれる、素の厚めの煎餅に特製のどろソースと呼ばれる、黒い粘度の高いソースをこれでもかと浸して焼き、更に焼いた後にまた上から追いどろソースを塗ってある、茶色より遥かに黒めの、ソースの湿り気が残っている煎餅が一箱入った紙の手提げ袋を渡そうとすると、ブルックソンは暗い表情をしたまま溜息を吐いて、その手提げ袋を受け取った。
「何や部長、朝から景気悪い顔して。というか……なんかここ全体が葬式会場みたいな雰囲気出しとるな」
リュウがふと、営業課全体を見渡すと、課長であるジェンキンスを始め、課全体が暗い雰囲気に包まれていた。
「葬式会場……まあ、あながち間違いじゃないな」
ブルックソンがボソッと言ってほくそ笑むと、リュウは再びブルックソンの方に振り返り、その言葉を真に受けて不安げな表情をした。
「えっ……ウチなんか不謹慎なこと言ってもうた?」
「ああ、別に誰かが亡くなったわけじゃない。強いて言うなら、営業課がお亡くなりになった」
「はっ? どういうことそれ?」
事情を知らないリュウに、ブルックソンは第一旅行がどこかの企業に買収されたことと、その影響でルートボエニアとの契約が解消されたこと、そしてノア達が契約 解消についての直談判を行い、結果失敗したことを伝えた。
「ええ……ウチがおらん間に、そないなことが起こっとったんか……」
最早起こっていることがハードすぎて、話を聞く内にドン引きしてしまったリュウだったが、事態は更に深刻化していた。
「お前、第一旅行出版は知ってるだろ?」
ブルックソンが尋ねると、元広報課だったリュウは大口顧客であっただけにすぐ思い出した。
「ああ、第一旅行の子会社の出版社のことやろ?」
「そうだ。来月号にその第一出版がヨツギ諸島についての特集で、ウチのことも掲載する予定になっていたんだが、その特集ごと白紙にされた」
「はあっ!? なんやそれあまりにも酷過ぎるやろ!」
リュウはそれを聞いて憤慨し、ブルックソンも怒りを滲ませながら、首を縦に振った。
「俺もそう思う。ウチのところだけが外されるならまだ納得できるが、特集自体がボツになるなんて正気の沙汰じゃない。これじゃあヨツギ諸島の観光課のメンツも丸潰れだ」
「人の迷惑も考えんと……部長! ウチ今から第一旅行出版にカチコミ入れてくるわっ!」
「リュウ! 気持ちは分かるが止めておけ。しばらく俺達は大人しくしておいた方が良い……社長のためにもな」
「社長? 社長がどないしたんや?」
今すぐにでも第一旅行出版に乗りこんでやろうと、腕をぶん回していたリュウだったが、その腕をストンと落とした。
「役員会でかなり追い込まれているらしい……今まで一度も旅客営業部から異動させなかったエンジスを、社長の判断で異動させた直後に起こったから、その人事異動が問題だったんじゃないか……とな」
「んなアホな! 原因は明らかに外同士のいざこざやないかっ!!」
「そんなの誰だって分かってる……だが、役員達は株主達に対する言い訳を作っておきたいんだよ。もしこの件が公になって、ウチの株価が暴落して、株主が経営陣を糾弾してきても、社長だけに責任を集中させておけば、自分達は辞めずに済むかもしれないからな」
「なんやそれ! ほんませこい奴らやなっ!」
リュウは怒り狂うが、一方ブルックソンは終始冷静を保っていた。
「だけどなリュウ、俺達だって他人事じゃないんだ。社長が処分された後、次に矛先を向けられるのは俺とお前だ」
「ウチらが!? 何でやっ!」
リュウはブルックソンに指差され、それまでの怒りは驚きに変貌した。
「俺達は社長の判断でこのポストに着いているからな。社長が処分されれば、俺達はその後ろ盾を失うのだから、元の配置に戻されるか、あるいはそれより下に降ろされるか……最悪の場合、社長と共に責任を取らされて退職を迫られるかのどれかだろうな……」
「そんな殺生なぁ……」
「とにかく、社長の足を引っ張ればお前も俺も共に地獄行きだ! ゴートゥヘルだっ! だから変な気は起こすなよ! これは俺個人のお願いでもあり、部長命令でもある! 分かったな!!」
「ぐうう……なんか腹立つけど、お願いやったらしゃーないな……」
「何で部長命令よりお願いが優先されるんだよ……」
リュウが奥歯を噛み締めながら悔しそうにし、ブルックソンがそれに突っ込んでげんなりしていると、向こうの方からノアがアルビナに連れられてどこかに向かっている姿が二人の目に入った。
「ん? 噂をすればあれ、社長と副社長やないか。あっちは……会議室やないか? 朝っぱらから何の会議をするつもりなんやろ……?」
「ああ……そういえば今日か、内部監査室のヒアリング調査は」
「ヒアリング調査って確か……取り調べみたいなもんやろ? でもウチに内部監査室なんてもんがあったんやな」
「まあ気づかないのも無理はない。ウチの内部監査室は通称隠密部隊なんて呼ばれててな。部署のブースがそもそも存在しないから、誰が内部監査室の人間なのか、普段はどこに居て、何をしているのかまったく分からないし、誰に聞いても噂ばかりで、確かな情報が出てこない連中なんだ」
「なんかスパイみたいやな……でもウチの組織の人間ってことなら、人事課なら知っとるんやないか?」
「フッ……リュウよ、奴らはそんなに甘い奴らじゃないぞ?」
チッチッチッと、ブルックソンは右の人差し指を振ってみせるが、そんないい気になっているブルックソンを見て、リュウはげんなりした。
ノアのワタシブネ ~フェリー会社 ルートボエニアの営業日誌~ 小倉 悠綺(Yuki Ogura) @redkisaragi
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