第10章 絶望と影 その2

 フェルゴールは、なるほどそうきたかと、「フム」と小さく一言発すると、腕組みをしたまましばらく黙った。


「……実に軽率だと思う」

「えっ?」


 沈黙の時間が過ぎ、フェルゴールは一言申した。


「弊社は実に軽率な判断をしている。買収に関しても、御社との契約解消に関しても」

「でしたらっ!」


 ノアが追撃を加えようとするが、フェルゴールはその一撃を真剣白刃取りするように、瞬時に「しかし」と付け足し、ノアに睨みを利かせた。


「この決定は第一旅行上層部の総意です。是非ご了承いただきたい」

 フェルゴールの目には動じない固い意志が宿っており、流石のノアもこれを説得できる術は持ち合わせていなかった。


「社長……どうしますか?」


 このマズい状況を察知したのか、隣に座っていたジェンキンスがこそこそと小声で問いかけてくるが、正直ノアの方がどうしたらいいのか訊きたいくらいだった。


「どうにもこうにも……こっちは説得をして、フェルゴールさんをこっちに傾けることしかできませんが……この感じだとこれ以上の説得は無意味でしょう」

「つまり……諦めるしかないと?」

「残念ながら……」

「……やむなしですか」


 ノアが明確に白旗を上げたことを理解し、ジェンキンスも状況を鑑みて、ノアの決定に倣うことにした。

 しかしそれに反した動きを見せたのは、リバーサルだった。


「フェルゴールさん! 僕達、今まで協力をしてヨツギ諸島の旅行プランを立ててきたじゃないですか! なのにどうして……」


 リバーサルはフェルゴールへ感情的に訴えかけるが、しかしそんなことでは、徹底的に貫く意志を持った人間を揺り動かすには遠く及ばず、それどころかリバーサルは、フェルゴールからの容赦無い反撃を受けることとなった。


「それは契約をした上で、事業協力をしてもらっていたまでです。そのようなことでいちいち傾倒していては、会社は立ち行かなくなってしまいます」

「そんな……フェルゴール部長……」

「感謝はしています。しかしそれとこれとでは話が違いますので」

「…………」


 勝負は一瞬。リバーサルは跡形も無く、完膚なきまでにフェゴールに言い負かされ、下を向いたまま黙り込んでしまった。

 ノアももし、引き際を考えず突っ込んでいたら同じことになっていただろうと、彼のことを反面教師とし、これ以上の説得は無理だと判断した。


 それでも直接訊けずとも、何か買収や契約解消に関係がありそうな情報が零れないか、一縷の望みをかけて他の会話で誤魔化しながら探りも入れてみたが、フェルゴールはどこまでも徹底しており、それっぽい話となると逸らされたり、黙秘をしたりと、結局その後も一切情報を引き抜くことはできなかった。


 結局惨敗したまま面談の時間は終了を迎え、ノア達は椅子から立ち上がり、敗走の準備をしていた時だった。


「ディストピア社長、最後に二人だけで、少しお時間頂いてもよろしいですか?」


 フェルゴールは意外なことに、帰ろうとしていたノアを引き留めたのだった。


「ええ……まあ、大丈夫ですよ」


 ノアは少し驚いたが、断る理由も無かったので承諾した。


「ありがとうございます。では他のお二人は先にご退出を……」


「はあ……では社長、私達は先に駐車場に行って待ってますね」

「分かりました」


 ジェンキンスはノアにそう言い残すと、落ち込んでいるリバーサルを引き連れて会議室を後にした。


「ディストピア社長、こちらを」


 一体何用かとノアが尋ねる前に、フェルゴールはスッと機敏な動きでノアに近づき、一枚の名刺を差し出してきたので、ノアは名刺を受け取り、即座に目を通した。


「株式会社ボン・ヴォヤージュ……代表取締役社長……クリムゾン・フェルゴール? これは?」


 名刺に記載されている人物のラストネームが、目の前に立っている二枚目と同じであることにノアは気づき、尋ねた。


「わたしの妹が営んでいる旅行代理店です。とはいえ、弊社には満たない成長中の小さな会社ですが、国内以外にも海外の旅行商品も扱っており、サービスのレベルも王手と大差ありません。これはわたし自身が保証します」

「はあ……しかし何故?」

「先程も申し上げましたが、弊社の決定はわたし自身軽率な判断だと思います。ヨツギ諸島への観光プランを作成するなら御社の協力は必須なのですが、どうもそれを上層部は理解していないように思います。しかしわたしではその決定を覆す力はありませんので、わたし自身が今できる、最大限の反逆といったところでしょうか」

「なるほど……」

「弊社のことながら、御社を危機的な状況になってしまった矢先に図々しい頼みではありますが、もし余力があったらでいいので、どうか妹の力になってあげてください。お願いします」


 スカーレットはそう言って、ノアに深々と頭を下げた。


「……ウチも今後どうなるか分からないので確約はできませんが、検討はさせていただきます」

「ありがとうございます、ディストピア社長」


 ノアも、スカーレットの妹が経営する旅行代理店がどんなものか気にはなったのだが、しかし第一旅行との契約回復が見込めない以上、この先ルートボエニアがどのような道を歩めばいいのか、その見込みがハッキリとつかなかったので、この時点では独断の即決はできず、あえてお茶を濁すような曖昧な解答をしてみせた。


 しかしスカーレットもこの一件の当事者であるため、それ以上は何も言わず、最後に礼を言ってノアを見送った。


 それからの、ルートボエニアへの帰り道の車内はとても静かなものだった。

 唯一自動車免許を所持しているジェンキンスは何も言わず黙って運転に専念し、その隣の助手席に座っていたリバーサルは、よっぽどスカーレットに言い返されたことがこたえたのだろう。移り行く車窓を見たまま、ずっとボーッとしており、そしてノアはこれからどうするべきか、一人思案していた。

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