第9章 追い風は向かい風に その5

「社長じゃないですか! どうしましたか!?」


 第一会議室には数名の営業課の社員とジェンキンスの姿があり、ジェンキンスは座って会議資料を読んでいるところを、不意にノアが現れたので、驚いて目を丸くしていた。


「課長、ちょっと……」


 ノアはジェンキンスに席を外すよう手招きをすると、ジェンキンスは誘われるがまま、手にしていた資料を置き、椅子から立ち上がると、部下に「少し休憩をしていてくれ」と指示してから、ノアと共に第一会議室の外に出た。


「社長、イキナリどういった御用で?」

「端的に言いますと、先程、第一旅行との契約が解消されました」

「えっ……な……なんですって!?」


 ジェンキンスは驚愕し、そのあまりにもショッキングな内容から、周りに誰かいてこの話が聞こえてないか周囲を見渡した。


「それ本当なんですか社長?!」

「嘘であって欲しい気持ちは分かりますが、本当です」

「ムムム……しかし何故いきなりそんなことに……」

「担当のリバーサルさんが言うには、どうも第一旅行がどこかに買収されたのが原因と」

「買収っ!? あそこがですかっ!!?」

「しーっ! ジェンキンスさん声が大きいです!」


 あまりの衝撃に、ジェンキンスは声のボリュームを落とすことを忘れて思うがままの大声を出してしまったが、直ぐにノアは自分の口元の前で右の人差し指を立たせて、それを制した。


「申し訳ありません社長……つい……」

「そうなるのも無理はありませんからお気にならさらず……とにかく、これからもう一度第一旅行に向かって、フェルゴール部長から詳しく説明をしてもらおうと思うのですが、ジェンキンスさんも御同行してもらっても良いですか?」

「私は構いませんが、御同行ということは社長も行かれるのですか?」

「ええ。社長が出張ってきたとなったら、あっちもそれなりの対応はしてくるでしょうから。リバーサルさんにはアポを取る際、課長と社長も一緒に向かうと伝えるよう言ってあります」


 ノアがそう言うと、ジェンキンスは「ほぉ……」と感心した。


「そうですか……流石社長、抜け目が無いですね。分かりました、会議の方は私無しで進めるよう指示してきますので少々お待ちください」

「はい」


 ジェンキンスが一旦第一会議室に戻ると、それと入れ替わるようにリバーサルがノアの元へやってきた。


「社長、ここに居ましたか」

「リバーサルさん、アポの方はどうでしたか?」

「社長と課長が来るならと、急遽十六時に設定していただけました。社長の作戦、大当たりですね!」

「たまたまですよ。でも、これで原因を訊き出す機会は得れましたね。十六時ならまだ少し時間があるし……リバーサルさん、先に営業課に戻って第一旅行関係の資料の用意をしておいてくれませんか? 面談の前に打ち合わせをしておきたいので」

「分かりました! ありったけの資料用意して待ってます!」


 リバーサルはグッと握り拳を挙げると、走って営業課の方へとんぼ返りしていった。

 先程まで顔面が絶望の色一色に染まっていたリバーサルだったが、どうやらこの面談が彼には一筋の希望の光に見えているようで、その喜びから有頂天になっているようだが、しかし客観的な視点から見ると事態は何も好転などしておらず、最悪な状態であることに変わりはなかった。


 難関な場面であることは、リバーサルとは異なり理解しているノアだったが、それでも決して悲観はせず、ホテルコンシェルジュ時代、無理難題を突きつけてきたクレーマー気質の客の応対をする時のように、どうにかなりそうになくても、とにかく今やれることを最大限に取り組むだけだと、割り切っていた。


「さてと……あっ、そうだ! こんな時こそあの新入りを……」


 するとノアは懐に忍ばせておいたお菓子入れの巾着袋を取り出し、中から刺激玉と呼ばれる、『涙が出るほどの酸っぱさで、あなたを一撃覚醒っ!』というキャッチフレーズのレモン味の飴玉を取り出す。そしてそれを口に入れると、一瞬で口内中にその強烈な酸っぱさが広がった。


「くああああああっ! すっぱ! ホントに酸っぱいこれっ!」


 キャッチフレーズ通りの、涙が出るほどの酸っぱさであり、しばらくノアは口をすぼめてもがいたが、しかし舐めれば舐めるほど酸味より飴の甘さが引き立ってきて、普通のレモン味の飴になる頃には強い刺激から解放されたということもあり、スッキリした解放感が巡ってきた。


「はぁ~これ効くなぁ……眠い時とかにも良さそう」


 ノアは巾着袋を懐に直し、そして、


「よし、やるぞっ!」


 両頬を両手でパンパンと二回軽く叩き、気合を入れ直した。

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