第9章 追い風は向かい風に その3

「何や社長、ジェンキンス課長と何かあったんか?」


 そんな二人のやり取りを隣で見ていたリュウがノアに詮索を入れてきた。


「まあちょっと……全力でぶつかり合った仲って感じです」

「はあ……ぶつかり合ったねぇ。まあ殴り合って分かることもあるっちゅうことやな?」

「そんなところですかね」

「えっ!? 社長ジェンキンスと殴り合ったんですか?」


 そんな、お互い何か察し合った上での例え話をノアとリュウはしていたのだが、それを真に受けて聞いたのがブルックソンだった。


「はぁ……アホがアホ面ぶら下げてアホなこと言っとるわ」

「おい! お前何回アホって俺のこと言ってるだっ!」


 リュウが溜息を吐いて呆れながら言うと、気に障ったブルックソンは怪訝そうな顔になり、いつものように声を荒げた。


「いつまで経ってもアホやからアホ言われるんやでアホ部長」

「また三回も! というかアホ部長はやめろ! 流行ったらどうするっ!」

「おっ、それええな流行らせたろ! みんな聞いてや〜! ブルックソン部長がアホ部長言うてええって!」

「許可なんかしとらんわっ! おいコラリュウ! 待ちやがれええええええっ!!」


 営業課のオフィスをぐるぐる駆け回るリュウとブルックソンを、ノアはまた始まったと苦笑いを浮かべて見ていた。

 一波乱あった人事後の初日、それまで伏魔殿とまで呼ばれ、難攻不落だった営業課をブルックソンとリュウ、そしてエンジス派から寝返ったジェンキンスの協力の下、なんとか一まとまりにすることができる希望が見え、これから成績不振の巻き返しを図る足掛かりとなるように思えた。


 しかしこの時吹いたのはひと時の追い風であり、次第に風向きは変わり、向かい風となったその風は黒雲まで連れて来た。

 営業課だけでなく、広報課も含めた、旅客営業部全体に嵐を告げる電話は後日、何の前触れも無く突然、営業課に掛かってきた。


 ***


 その電話を受けた営業担当のエパーニ・リバーサルは呼び出しを受け、すぐさま担当先である第一旅行の本社ビルへと足を運んだ。

 第一旅行はボエニア共和国で最王手の旅行代理店であり、ルートボエニアとは付き合いも長い得意先でもあった。


 旅行代理店ということで、旅客営業部でも営業課が担当しているのだが、第一旅行は第一旅行出版という子会社を所持しており、そこでは旅行雑誌を刊行していたので、雑誌などの営業担当を受け持つ広報課が子会社を担当しているという、まさに旅客営業部全体のドル箱企業となっている最重要取引先であった。


 第一旅行の企画第二部部長であるスカーレット・フェルゴールからの呼び出しは定期的にあり、声色も特に変わったところが無かったため、リバーサルはいつもの呼び出しだと高を括って向かったのだが、その帰り、リバーサルの顔は全く血の気が通って無いほど蒼白となっており、普段はあまり体力に自信の無い彼だったが、その時は無我夢中に走り、第一旅行本社ビルからルートボエニア間の約1.4キロメートルを走り抜けた。


 リバーサルはすぐさまフェルゴールから告げられたことを、営業課長のジェンキンスが不在だったため、部長のブルックソンに即時通達すると、ブルックソンは死人のような顔になり、旅客営業部のオフィスを全力疾走して飛び出し、すぐさま社長室に駆け込んだ。


「たったたたたったたたたたったたたたたたああああああ!!」


 社長室に入るや否や、ブルックソンは言葉にならない叫び声を上げ、デスクに座っていたノアとそれまで話していたアルビナは共に目を丸くした。


「ど……どうしたんですかブルックソンさん!?」


 ただ事ではない予感を察知したノアは椅子から立ち上がり、ブルックソンの元に駆け寄った。


「ゼーゼー……しゃ……社長に、副社長も……とにか……ううっ……!」

「ブルックソン君、とりあえず何言ってるか分からんから深呼吸をしてみなさい」


 アルビナに促され、ブルックソンはしばらく深呼吸をし、呼吸を整えると、二人への報告を再開した。


「社長、副社長っ! 実に大変なことが起こってしまいました!!」

「大変なのは分かった! それで何が大変なんだ?!」

「第一旅行が……買収されるのを機にウチとの契約を切ると申し出てきました!!」

「なにっ!? 第一旅行がっ!!」

「買収?!」


 アルビナは顔から一気に冷や汗を流し、ノアは息を呑んだ。

 契約打ち切りというワンパンチでも一発KOを狙えそうな衝撃だというのに、あの旅行代理店最王手の第一旅行が買収されるという、ツーパンチまで食らって起き上がれないほどのショックを受けた。


「どこに買収されたんですか第一旅行はっ!?」

「どこって……いやそこまでは……」

「担当者はっ?」

「わ……私の席の前でぶっ倒れてます」

「営業課に今すぐ行きましょう!」

「あっ! 社長!」


 ブルックソンを振り切り、ノアは社長室の扉を押し破る勢いで開け、社長室を飛び出し、旅客営業部営業課のブースに辿り着くと、部長席の前で両膝をつき、ガクガクと全身振るわせ、口から泡を吹きかけているリバーサルの姿がそこにあった。

 ノアは直ちにリバーサルの下に駆け寄り、片膝を床に着いてしゃがみ込んだ。


「あなたが第一旅行の担当者ですねっ!?」

「…………」

「気をしっかり!」

「…………」

「起きなさいっ!!」


 ノアが大声を出しながらリバーサルの両肩をむんずとしっかり掴み、全力で揺さぶると、気絶しかけたリバーサルが気を取り戻し、だらんと下げていた首を真っ直ぐに上げ直した。

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