第8章 大改革の兆し その3

「じゃあどないすんねん課長? やるんか? 逃げるんか?」

「誰がお前に顎で使われる方を選ぶか! ようはエンジスのヤロウ、ギャフンとぶっ潰してやればいいだけだろっ! やってやる! やってやるよ俺がっ!!」


 ウオオオオオッ!! と、ブルックソンは椅子から立ち上がり吠え、他の広報課の社員も仕事をしながら三人の談合に聞き耳を立てていたのだろう、やっと決めたかという雰囲気をかもし出していた。


「社長! 私は覚悟を決めました! 是非とも部長として御供させてください!」

「御供まではいいですが……是非協力お願いします!」


 ブルックソンは素早く両手をノアに差し出し、ノアもその手を同じく両手で握り返した。


「ヘヘッ! ウチもできる限りのことは協力させてもらいまっせ!」


 そう言って笑いながら、リュウは二人の間に入った。


「社長、内示はいつに?」

「一応明日には。総務の人事課長と副社長の認可は取れてますので」


 なるほどと、ふとブルックソンは考えると、リュウに指示を出した。


「よし、リュウ! お前はこっちのいつもの業務の指揮を執っておいてくれ。俺はこれから営業課に乗りこんで、ジェンキンスから営業課の情報を根こそぎ収拾してくるから!」

「りょーかい!」

「よっしゃー! ジェンキンス情報寄越せやーっ!」


 右腕をグルングルン回しながら、ブルックソンは早足で営業課へと向かって行った。


「何か人が変わったみたいですね……」


 さっきまで保身のために身を強張らせていた人物とは異なるほど、ブルックソンは意気揚々としており、そんな変わりようを見てノアは呆然としていたが、隣に居たリュウは笑っていた。


「吹っ切れればあんなもんやけど、根が肝っ玉の小さい男やからな。誰かが背中をぶってやらんとああならんのや」

「押すんじゃなくてぶつんですね」

「ヘヘッ、そこは御愛嬌や」


 ケタケタリュウはしばらく笑ってみせたが、「せや」と言って、すっとその笑いを引かせた。


「ところで社長、ウチは引き続き部長の尻叩いた方がええの?」

「尻……まあ、そうですね。引き続きサポートをお願いしたいのですが」


 以前より、どこか頼りなさそうなブルックソンと、そんな彼のことを悪態を吐きながら引っ張るリュウの姿を見て、侵略を着々と進めるエンジスに対する、旅客営業部最後の砦だった広報課を守るため、ノアはリュウに、その長であるブルックソンを支えるようお願いしていた。

 

「でも流石に広報課の社員ってままじゃ、部長職のサポートはできへんし、営業課にも手ぇ出せんからなぁ」

「大丈夫です、そこも考えてあるんで」

「ほぉ~? まあ業務部の部長を、ありもしない庶務課の、どんな会社にもおらんような清掃部長なんてけったいな役職に就けたくらいやからな。余程のサプライズ人事の案が頭の中にあるんやろ?」


 ニヤニヤとしながら、リュウは自分事であるにも関わらず、まるで他人事のように面白可笑し気にノアに投げ掛けた。


「まあサプライズって程なのかどうかは分かりませんが、考えてはあります。事前にお教えしておいた方がよろしいですか?」

「いや、ええ。明日の楽しみが減るから」

「そうですか、では明日の辞令で」

「ヘッヘッ……おおきに社長。ほんじゃ、新部長からこっちの指揮執るよう言われとるから」

「はい、頑張ってください」


「よっしゃ、今日もやるでー!」と、右腕を挙げてリュウは自分の座席に戻って行き、ノアもこれからの戦いに備えての情報集めや、人事や契約などの承認処理を行うため、一旦社長室に戻る道すがら、あの男に呼び止められた。


「これはお嬢さん、私が居なくなった旅客営業部からのお帰りで?」


 灰色のスーツに銀髪の髪を流すようにキッチリセットしている、ついさっきまでノアと睨み合いを繰り広げていた男、キルギス・エンジスだった。


「ええ、あなたが居ないおかげで出入りがし易くなりましたので」

「フッ……それではまるで、私が旅客営業部に監視員でもつけていたようではないですか?」

「…………」


 営業課のエンジス派がそうだったんじゃないかと突っ込んでも良かったが、それを指摘したところで何の有益な情報も得れず、時間の無駄だとノアは考えたので、これ以上話題を膨らませることなく、あえて沈黙するという選択肢を取った。


「まあいいでしょう。所詮、今の私は業務部の所属。旅客営業部からしたら部外者ですからね」


 エンジスはフッと鼻で笑ってみせる。今だけだけどと、言葉にはしないが、態度がそれを示していた。


「エンジス部長、世間話をしている時間はありませんので、用件が無ければこれで」

「ああすいません、ついつい。用件というほどでは無いのですが、こちらが完成しましたので社長室までお持ちしようとしたら、たまたまお嬢さんと鉢合わせしましたので渡そうかと」


 そう言ってエンジスは、懐から二枚の書類を取り出し、それをノアに手渡した。


「勝負の誓約書です。お互い保管できるよう原書は二枚ございますので、一枚はお嬢さんが所持し、もう一枚は私が後から取りに参りますので、二枚ともにサインをしておいてください」


 ノアが書類をざっと見ると、二枚ともにサイン欄があり、エンジスのサインは既にされていた。

 そこで反射的に分かりましたとノアは答えそうになったが、エンジスの顔を見て、先程ブルックソンにエンジスについての忠言をされ、それを業務部のグロードに伝えることを思い出したノアは、その出掛かった言葉を一度呑み込んだ。


「……いえ、サインを書いたらわたしが持っていきます。業務部に用事があったので、そのついでに」

「ほう、用事ですか……まあ深く詮索しても教えてもらえはしないでしょうから、問わないことにしておきましょう」


 内容は知らないが、誰に用があるのかくらいは検討はついているとでも言うように、エンジスは思わせぶりな口調をノアにしてみせ、牽制してきた。

 異動してまだそこまで経っていないはずなのに、業務部の内情や人間を理解しつつあるのは流石大企業のエリートだと、率直にノアはエンジスを評価し、それ故に今からグロードに伝える情報が絶対漏れないよう警戒する必要があると、気を引き締め直した。


「それでは、また」


 それ以上語ることは無く、最後にエンジスはノアに笑いかけ、その場を去って行った。まるで自分の余裕を見せつけるように。

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