第7章 懲罰配置 その4
「お嬢さん……これはいくらなんでも許されませんよっ!」
第一声で、エンジスは自らの中に溜め込んでいた怒りをノアへ向けてぶつけて来たが、ノアはそれでも冷静を保った。
「何のことですか?」
「惚けるのもいい加減にしていただきたい。あなたでしょうこの辞令を下したのはっ!」
エンジスは手に持っていた一枚の用紙をノアに突きつける。その辞令書はワーナーのものではなく、彼自身に対する辞令書であり、その中身はこうであった。
『キルギス・エンジス殿、本日をもって旅客営業部部長の任を解き、あなたを業務部部長に任命いたします』
そう、ワーナーの抜けたポストにエンジスを入れるという、今まで旅客営業部から一度も離れたことのないエンジスにとっては異例中の異例、予想外の人事だったのだ。
「確かにわたしの下した辞令ですが、それが何か?」
「何かではありませんよ! 私はこれまでずっと旅客営業部一筋でこの会社を支えてきたんです。それをワーナーの尻拭いのために業務部に異動とは納得できません!」
「……なるほど。あなたの言い分は分かりました」
「ではっ!」
「しかしあなたはこの異動の意味を勘違いしているようですね」
エンジスが目を光らせた刹那、ノアはその反撃の兆候を察知し、遮った。
「勘違い? それはどういうことですか?」
「まず一つ、これはワーナーさんの尻拭いで行う人事ではなく、あなたに向けた人事ということです。ワーナーさんが事を起こそうが起こすまいが、どちらにしろあなたを旅客営業部から外すことは検討していました」
「外す検討をしていた? 一体何故!」
「それが理由の二つ目です。あなたが旅客営業部に入ってからの新規契約者の数と契約を継続している取引先の数を調べたのですが、前半は新規が少し上がったにせよ、ここのところ全く新規の契約は無く、取引先の数も少しずつですが減っています。言い方はキツイですが、これであなたの言った通り、本当にあなたは会社を支えていると思いますか?」
「クッ……」
「確かにあなたのおかげで旅客営業部の組織力はしっかりしています。あなたに付き従う社員がいるほどに……ね?」
ノアは、お前の暗躍は全てお見通しだぞと言わんばかりにエンジスに睨みを利かせ、当のエンジスは汗をかきながらチッと舌打ちをしてみせた。
事実、エンジスは水面下で旅客営業部の人間を自分の派閥に仕立て上げようとしていたので、それがノアに知られていることは彼にとって快いことではなかった。
「しかし社内での社員教育ばかりを行っているせいで、社員は外に出ることが滅多に無く、対企業への営業スキルは一向に磨かれていない。だから成長せず営業成績が低迷するという事態に陥っている……こんなことを言うのは好きではありませんが、敢えてあなたには言わせていただきます。営業は数字が直接結果になります。数字が出ていないということは、あなたの教育が甘かったというほか無いんですよ!」
「グッ……」
その理屈に関しては、王国汽船で営業畑にも人事畑にも精通していたエンジスには痛いほど理解できた。できたからこそ、ここでエンジスは逆襲の一手として、一つの賭けをノアに提案することにしたのだ。
「クックッ……でしたら、次お嬢さんが選任する旅客営業部長は、今の旅客営業部を確実に立て直すことができると、そういうことですね?」
追い詰めたかと思いきや、エンジスのその盛り返しを謀ったような言い草に対して、しかしここまでエンジスに対して、旅客営業部の業績不振はお前の責任だとばかりに責め立てた以上、ノアも退くわけにはいかなかった。
それが例え、相手の仕掛けたトラップを踏むことになると分かっていてもだ。
「ええ、そのつもりです」
ノアが言った直後、エンジスの片方の口角はニヤリと吊り上がった。
「それでしたら万が一にも、お嬢様のお墨付きをもらって新しく任命した旅客営業部長が部を立て直せられなかった場合、私を再び旅客営業部長に戻し、お嬢様にもそれなりの責任を取っていただくという解釈でよろしいのですね?」
その条件は自分のポスト復帰を約束させ、更にノアを社長から追い落とすための、エンジスにとって有利でしかない条件だった。
モチロン普通ならこんな条件呑むはずがない。しかし、ノアが退路を絶ったことに目ざとく勘づいたからこそ、エンジスはこんな理不尽な要求を突き付けたのだった。
そしてその読みは当たり、ノアはこの要求に対して頭を縦に振った。
「ええ、あなたを旅客営業部に戻した後、わたしは退くことをお約束します」
「快い承諾で」
「でも、この条件ではあなたとわたし、五分五分とは言えませんよね?」
「なに?」
ピクリと、僅かにエンジスは片眉を上げた。
「だってそうじゃないですか。わたしは自らの立場と父が作ってきたもの全てを賭けると言ってるんですよ? それに対してあなたは業務部に転属するだけ。これではレートが合いませんね」
ノアはまるで歴戦の賭博師のように、強気に相手を煽って自分の賭けている極限のレートでの勝負に誘い込む。
いつもの冷静な判断の取れるエンジスなら、もしかしたらこの勝負降りていたかもしれない。しかし、今のエンジスは冷静どころではなかった。
目の前の生意気な小娘を潰すことによって、エンジスはルートボエニアを完全掌握し、それを王国汽船に明け渡したあかつきには、王国汽船の取締役付きの上役への出世は間違いない。
エンジスのような、成功体験を得て昇り詰めてきた人間にとって、この手の勝負事は受けたくて受けたくて仕方がなくなってしまう。何故なら、彼は成功という甘美な蜜の味を知ってしまっているからだ。
その蜜をもう一度味わいたい。出世欲と支配欲に塗れたエンジスは自らのブレーキを壊し、この負ければ全てを失うチキンレースに参加する意を決した。
「……分かりました、私も男です。あなたの勝負に乗りましょう。それで、私の賭ける条件はいかがいたしましょう?」
自らの欲望を隠すため、エンジスはいつものように冷静の仮面を見に纏いつつ、ノアに尋ねた。
「賭ける条件はわたしと同じで二つです」
「二つ? あなたは辞任を賭けるのでしょう? それだと一つでは?」
「エンジスさん、あなた意外とセコいですね?」
「セコい? 何がセコいのですか?」
相変わらずのノアの挑発に、冷静の仮面が一瞬剥がれかけるが、それを自覚したエンジスはどうにか持ち堪えて、ノアに問うた。
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