第3章 生真面目な仕事人 その4
「今どき珍しいし、アイツは特に特別だよ。なんてったってここの社員ってわけじゃないのに、それだけ尽くしてるんだから」
「ああ、そういやぁここに来た時に組織図を見せてもらったなぁ。確かその子、出向でここに来てるんだろう?」
「ああ、オープナーは元は王国汽船の所属なんだよ」
「はぁ、王国汽船っていったら確か、この国で一番大きい船会社じゃないか。そこから島流しにされるとは……その子もついてないねぇ」
「まあな……」
スコットとデイナイトはオープナーを可哀想にと、二人で憐れんでいた。
そんな二人のように、出向=島流しというイメージもあるようだが、しかし一概にそうとは限らない。出向することで他会社の事を知り、本社に戻った時にその経験は当人の実力としてむしろ評価されることもあるのだ。
王国汽船の他船会社への出向は、元来はそういう意味で行われ、出向から戻って来た社員は手厚くもてなされていたのだが、しかし近年、王国汽船が民営化してからは、有力な社員は自社に留めておきたいという方向性になっていき、代わりに実力の乏しい社員や、扱い辛い社員を飛ばすという形で出向させる事例も多くなり、オープナーはどちらかというと、扱い辛いという意味で飛ばされた方の人間だったのだが、しかし王国汽船の出向の意味合いはここ最近、またも変わりつつあったのだ。
「そういやあデイナイトさん、他にも出向してきてるのがいたよねぇ? 確かエンジスっていう部長もそうじゃなかったかい? それも王国汽船から?」
「そうだが……アイツはまたオープナーとは出向の意味が違う。アイツはこの会社を乗っ取るために来たやつだからな」
「乗っ取り!? またスゴイ話だねぇ……」
「乗っ取り…………」
デイナイトのその言葉は、スコットにとっては世間話程度のものであったが、しかしノアにとってはこれもまた、デリケートな悩みの種の一つだった。
旅客営業や経理を始め、貨物営業以外のほとんどの部門が乗っ取りを企む出向連中に押さえられている以上、いつ王国汽船が本格的に支配し始めてもおかしくはない。
その来たる時に備えて、なるべく多くの味方を集める必要がノアにはあり、そういう意味でもオープナーは絶対押さえておきたい人物だった。
「社長、もう9時半になるぞ? 明日は朝から営業なんだから、早く帰って寝た方がいいんじゃないのか?」
「えっ……? あっ!!」
蛍光灯の半分が夜間の電気代節約という名義で切れており、薄暗い中ではあったが、オフィスに設置されている時計を確認してみると、時刻はデイナイトの言っている通り21時30分を差していた。
ノアは退社するため一度社長室に戻り、ホテルに就職する際に父親のアメリデからプレゼントされた本革の黒いビジネストートバッグを肩に掛け、再び社長室を出る。
「それじゃあ、お先失礼します」
「お疲れ」
「お疲れさん」
ノアはデイナイトとスコットに挨拶をすると、オフィスを後にする。
ルートボエニアの社屋はオフィスと乗り場が一体となっており、正面玄関は乗船手続きや乗船券の発券を行う総合カウンターや待合所となっているので、船の出港と共に閉めることになっている。なのでオフィスにある勝手口から、ノアは外に出た。
電気が消え、船舶のいなくなった波止場は静かで真っ暗だった。明かりと言えば、月明かりくらいか。
五月の暖かくなり始めた微風が真っ黒な海から吹き、ノアの首筋を撫でた。
「お腹減ったな……」
刹那、ノアのお腹が鳴る。営業先のファイルの読み込みに必死で、夕食はおろか、間食すらしておらず、最後に食べ物を口にしたのがアルビナと共に食べた昼間の野菜定食だった。
「作るの面倒だし、どこかお店で食べて帰ろ」
現在ノアは一戸建ての実家で一人暮らしをしている。母親はノアがまだ中学生の頃に、急な病で他界しており、父のアメリデも先日亡くなったので、それまで一人暮らしをしていたアパートを解約して実家に戻って来ていた。
今の家からルートボエミアの社屋までは、歩いて2時間の距離とかなりかかるため、自動車や自動二輪を所持していないノアは、駐輪場に止めてあるカゴ付きのママチャリで出勤していた。
肩に掛けていたビジネストートバッグをカゴの中に入れ、フロントフォークに付いている単三電池二本で点灯するランプを点けると、スタンドを蹴ってあげて、サドルに跨り、ペダルを踏んで加速させ、ノアは帰路に就いた。
途中で牛丼屋がまだ開いていたので、そこで牛丼定食を食し、家に帰り着いた頃には時計は23時を差し掛かっていた。
「ただいまー……」
ノアは玄関の扉を開き、足を踏み入れる。ノア以外にこの家には誰もいないので、必然屋内は真っ暗だった。
仕事場ではもう履かないと決めたハイヒールパンプスを脱ぎ、廊下を過ぎて居間にトートバッグを置くと、すかさず座敷へと向かう。座敷には祭壇があり、そこにはノアの両親の遺影と真ん中に蝋燭が立てられていた。
燭台の元に置かれてるマッチ箱をノアは手に取り、マッチ棒を取り出すとそれに火を点け、蝋燭に灯した。
「お父さんお母さんただいま……今日は初めてお父さんの会社に出勤したよ。いやぁ、初日からいろんなこと聞いちゃった。お父さんの会社、王国汽船に乗っ取られそうになっちゃってるんだってさ。でもよくよく考えたら、王国汽船に狙われるほどウチの会社には価値があるってことだよね? そういう意味じゃあ、喜んでいいのかもしれないけど、でも素直な気持ちでバンザーイってわけにはいかないんだよねこれって……」
ノアは今日一日のことを思い返しながら、溜息を吐く。しかしその溜息は悲観からというよりは、ただの疲労からきた溜息だった。
その証拠に……。
「でも、わたし達の会社を王国汽船に渡す気は絶対に無いから……だから天国で応援してね」
ノアは両親にそう伝え、蝋燭の火を吹き消すと、祭壇の元を去った。
彼女の顔には疲労はあったものの、その目はまったく死んでいなかった。
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