第2章 船内散策 その5

「しかしこんな話をした後に言うのもなんだが、出向組も全員がそういうことに暗躍している連中というわけでは無い。率直にウチの力になってくれている人もいる。中でも貨物営業部長のトレード・オープナー君は最初の出向組で、多くの取引先の獲得と社員の育成に尽力してくれている」

「オープナー部長ですか……そういえばまだ挨拶できていません」

「ああ、そういえばヒトツバシ運輸からの呼び出しで朝から出ていたな……彼は会社に居る方が珍しいくらいずっと外に出ているからな。でも近々新社長就任ということで、一緒に営業先を回ることになると思うから、事前に会ったら挨拶しておくといいよ」

「はい」

「はぁ……すまないなノアちゃん、社長に就任したばかりで不安な時に、更に煽るようなことを教えてしまって。本当ならもう少し間を置いて教えるつもりだったのだが」


 先程まで怒りや緊張で力んでいたエンジスは一通り話し終えると、手すりに置いた堅い拳を開き、だらりと下肢に落とした。


「いえ、後にも先にも分かるのでしたら、むしろ早く知れて良かったです……無知なことを利用されずに済みましたから」

「はっはっ……勇ましいな。昔のアメリデを見てるかのようだ」

「昔のお父さんにですか?」

「ああ、この会社を立ち上げた時も色々と困難があってな……俺は何度も挫折しかけたが、アメリデは決して挫けず、会社や社員を守るため何かしらの打開策を打ち立てようと奔走していた。アイツは何者にも何事にも靡くことなく、自分の信ずるものだけを真っ直ぐに見ている奴だった」

「信ずるものだけを……」

「昔に一度王国汽船と揉めたことがあってな。その時もアメリデは……」


 そうしてしばらく、アルビナはかつてのルートボエミアと在りし時のアメリデの話をし始めた。それをノアはずっと、今までに自分がして来なかった視点で聴き続けた。

 アメリデの子供のノアにとって、アメリデは優しくもあり、時に厳しい父親だった。しかし彼女の知らない外でのアメリデは、実に勇敢で仲間想いな男だったのだ。

 今までノアはアメリデの話を聞く時、子供の視点でそのことを聞いていたのだが、しかし今回はそうではなく、自分以外の他人として、アメリデという一人の男の話を聞いたのだ。

 そうすることでノアはアメリデのことを父親としてだけではなく、一人の人間として尊敬することができたと同時に、彼のようになりたいと思い、彼の守ってきたものを自分も守りたいと決心することができたのだった。


「おっと少々話し過ぎたな……それじゃあそろそろ、事務所に戻ろうか」


 一通り話し終えたアルビナは腕時計をチラ見すると、そう提案してくる。時刻は15時、かれこれ二時間程二人はこのシーサイド号の船上に居たのだった。


「ノアちゃんすまないな。本当は客室の案内もしたかったのだが、つい長話ばかりをしてしまった」

「いえ、この会社の事と会社に居た時のお父さんのことを知れて、とても有意義な時間になりました」

「そう言ってくれると嬉しいよ。そうだな……客室の案内は今度、まこっちゃん達にしてもらうよう頼んでおくよ。同級生同士、色々話せることもあるだろうし、客室事情は彼女らの方がよく知ってるからな」

「そうですか、ありがとうございます……おじさん」

「うむ? どうした?」

「この会社を必ず守りましょう」


 ノアがそう言うと、アルビナは一瞬ハッと驚きの表情をしたが、すぐにシビアな顔つきになると、「うむ」と一言だけ発し、ノアの前を歩きだした。

 デッキにある階段を降りて、船室に入ろうとしたその時。


「おや? あれは……」


 アルビナがふと事務所のある方向に目を向けると、裏口にある簡易休憩所の方に、紙コップを持って一人木製のベンチに掛けるスーツ姿の男がいた。ノアも見てみたが、その男に見覚えは無かった。


「ノアちゃん彼がさっき言った、貨物営業部長のオープナー君だ」

「ああ! あの人が」

「どうやら営業先から戻って来たようだな。そういえばノアちゃん、彼への挨拶はまだだったな?」

「ええ」

「よし、それじゃあまたどこかに出て行く前にとっ捕まえないとな! 行こうか!」

「は……はい!」


 アルビナはそれから早足になり、ノアもそれに続こうとするが、ハイヒールパンプスではどうしても船内案内所から車両甲板にかけて存在する急階段や金属の螺旋階段を早く下ることができず、それどころか何度もバランスを崩しかけたりし、結果足にかなりの負担を掛けることになってしまった。

 それを機にノアは、ここで働く間はヒールの無い靴を履くよう心掛けることにした。

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