第2章 船内散策 その4

「ふぅ……すまないなノアちゃん、アイスバーグ船長も悪い人ではないのだが、いろいろ抱えてる人でな……」

「いえ……それよりもアルビナおじさん、先程船長が言っていた王国汽船組というのは?」

「うむ……そのことについてはちょっとここでは話しにくいから、デッキに出ようか?」

「は……はい」


 ノアにとって、その時のアルビナの顔は初めて見た表情をしていた。その表情は怒っているわけでも、悲しんでいるわけでも無く、純粋な苦しみが露わになっていた。


 デッキは、先程訪れたブリッジを介して外に出るとすぐの所にあった。この日は五月の始め、湿り気の無い爽やかで涼やかな海風が吹く中、二人の間には重い空気が漂っていた。


「……ノアちゃん、まず王国汽船という船会社は知っているよね?」


 会話の口火を切ったのは、アルビナだった。


「はい、確かボエミア王国時代の国営の船会社でしたよね?」

「そうだ。主要三都市を結ぶ航路を所有している、この国で最も大きい船会社だ。ウチが開業して間もない頃、新規航路事業支援ということで、新しく開設した船会社には王国汽船から社員を出向され、受け入れるというのが協定として定められていたんだ。ノウハウを提供すると言えば聞こえは良いが、実際はウチに目付け役を置いたということだな」

「目付け役ですか……」


 ボエミア王国時代、交通の主流は海路であり、ルートボエニア以外にも多くの船会社が存在していた。その中の筆頭である王国汽船は国の交通機関でありながら、民間の船会社を統率する役割も果たしていたのだ。

 そしてアルビナが続ける。


「しかし王政が潰滅し、共和政となった直後、政府は主要交通機関を海から陸に切り替えたんだ。その代表が共和東西国鉄とボエミア中央公道の開発だ」

「共和国改造計画ですね」

「おお、よく知ってるなノアちゃん」

「ええまあ……ホテルで関係者の方の対応をしたことがあるので、その時に」

「そうか……じゃあ話が早い。その共和国改造計画に、海路については貨物航路の開発記述はあったが、旅客航路の開発は現状維持と記されており、その代わりに公社編成案には陸路の二つは国営化され、王国汽船は国営から民営化すると記述されていたんだ。これは実質、海路はメインの交通機関からサブへと降格したことを意味する。国の後ろ盾を受けてふんぞり返っていた王国汽船はそのバックを失い、更に陸の交通強化の影響によって、稼ぎ頭だった主要都市航路の売り上げがダダ下がりしたんだ」


 普通の人間ならざまーみろな展開だが、しかしアルビナはスカッとした表情ではなく、更に眉間に皺を寄せた。


「だがトップが下がれば、下もそれに連なるように下がっていく。民間の船会社の売り上げも下がり、政府からの支援補助も冷遇され、70近くあった大型船舶を保有する船会社は度重なる倒産で30にまで減ってしまい、残った会社も未だに綱渡りを続けている状態のとこが多い」


 しかし、アルビナは少しだけ額の皺を緩める。


「ウチはそこまでの打撃を受けなかったんだ。オレンシティのあるヨツギ諸島は巨大な橋でも架けん限り陸路の影響は受けないし、市長とウチには繋がりがあったから、市長の要請で政府からの冷遇も多少は回避することができた。なんとか九死に一生を得た」


 はずだったと、アルビナは右手を挙げ、その手をデッキの手すりに大きく打ちつけた。


「それをよく思わなかったのが王国汽船だ。奴らは今まで以上の出向社員の受け入れと、それだけでは飽き足らず王国汽船の一部幹部組の出向も迫ってきた。奴らは内部からウチを乗っ取りにかかってきたんだっ!」


 余りの怒りにアルビナはブルブルと震え、その緊張感がノアにも伝わって来る。ノアは思わず、唾をごくりと呑み込んだ。


「先に結んだ協定上、受け入れを拒むことはできなかった。役員はなんとか守り切ったが、各部長職とランサイド号のキャプテンと一等航海士は王国汽船の出向社員だ」


「部長職の方が全員……」


 それを聞いてノアは朝のことを思い出し、あの時抱いた不信感の意味をようやく理解した。部長連中に仕事を教えてもらおうとして、ことごとく断られたその理由はただの忖度ではなく、もとより仕事を教えたくなかったのだ。

 そもそも乗っ取る会社の社長を育成する義理など、彼らには無いのだから。


「特に旅客営業部のエンジス部長は気をつけた方が良い」

「エンジス部長ですか?」

「うむ……彼は王国汽船の旅客部長と人事部長をも務め、最も役員に近い男だと言われている、王国汽船に忠実な男だ。こちらの内部情報を王国汽船にリークするどころか、営業先でウチの悪い評判を流したり、果てにウチの社員に、協力すれば王国汽船に出迎えると吹聴して内部工作をしているという報告も上がってきている。実際その言葉を真に受けて、旅客営業部の半分の社員はエンジス部長の傘下に下った。残りの半分の社員は肩身の狭い思いを受け続けながらも、なんとか抵抗して得意先との関係を守ってくれている……心が引き裂かれそうな思いだよ」

「…………」


 エンジスの笑顔を思い出し、恐怖を覚えるノア。ホテル時代にもそうやって、野心を抱きつつも笑っている腹黒い連中は見てきたが、あそこまで親身な、親類に見せるような穏やかな笑顔を作れる人間はいなかった。

 人は人を騙すために自分を覆い隠そうとするが、エンジスはそうではなく、常に自分を隠し続けている部類の、人を騙す天才だった。

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