第9番 演奏家に思いを馳せる仕事
僕はこの仕事をはじめて十年になるけれど、未だに仕事の内容を上手く説明できる自信がない。
簡単に言うなら「生演奏を入れたい」というイベントの主催者から依頼を受け、ふさわしい演奏家を手配して現場に送り出す仕事だ。
と、表向きはそう説明しているものの、もし誰にも理解してもらえなくて構わないのなら「演奏家に思いを馳せる仕事」という説明が僕には一番しっくりくる。
一口にイベントと言っても、自治体が執り行う記念式典と、大学生が企画した同好会の忘年会では、人数も年齢層も会場の雰囲気も全く違う。
仮にどちらもフルートの演奏を希望されていたとしても、その場にふさわしい演奏家は変わってくるのだ。
演奏する曲はどんなものが合うだろう、曲の間にトークは必要だろうか、BGMとしての演奏なら音が大きくない楽器にしないと、などなど様々な条件と照らし合わせながら、演奏家の名前を思い浮かべていく。
そして、頭の中で演奏家を入れ替えながらシミュレーションを繰り返し、イベントの雰囲気にピタリとハマる人がみつかり、その人への想いが最高潮に達したタイミングで出演依頼の連絡をする。
頭の中でストーリーが繰り広げられている間の僕は、傍から見ていると何もせずにぼうっとしているだけの人に見えていることだろう。
でも「演奏家に思いを馳せる仕事」をしている僕にとっては、この時間こそが最も大事なのだ。
ある企業の新入社員の歓迎パーティーでの余興演奏に、ヴァイオリニストの山口めぐりさんを手配した。
二十二、三歳の若者を歓迎する会だから、二十代後半のめぐりさんなら「そんなに年の離れていない、親しみやすくてしっかりした先輩」という存在で受け入れてもらえると考えた。
ホテルの宴会場での六十人ほどの規模の夕食パーティー。
入社して約一ヶ月ほど経って開催される会だから、新入社員たちは同僚や上司とすっかり打ち解けている。
最初の社長の挨拶あたりはさすがにピリッとした空気だったけど、乾杯の直後からすぐに賑やになった。
ビール瓶が空になるペースが早く、なかなか元気がいい会社のようだ。
食事が終盤まで進み、デザートが出てくる頃に、いよいよヴァイオリンのミニコンサートが始まる。
青のドレスに身を包んだめぐりさんが登場した瞬間、いい感じで酔いが回っている男性社員たちからうおおと歓声があがった。
オープニングに『情熱大陸』を持ってきて、会場の空気を一気に惹きつける。
彼女は演奏が素敵なのはもちろんだが、まだ若いのにトークが堂々としていて、お客様との絡みも上手い。
お酒が入った場でお客様との距離が近い会場でも、安心して任せることができた。
だけど、僕がこのパーティーをめぐりさんにお願いしたかった最大の理由は、彼女が『ホワイト・レジェンド』をレパートリーにしていることだった。
『ホワイト・レジェンド』は、チャイコフスキーのバレエ『白鳥の湖』をアレンジした曲で、フィギュア・スケートの羽生結弦選手が使用したことでも知られている。
これは彼の2011年シーズンのショートプログラムの曲であり、その年の三月に発生した東日本大震災の後、最初に滑った曲でもあった。
そして、2014年のソチ五輪で金メダルを獲得したときには、エキシビションの曲としても使用していた。
めぐりさんは、これまでに何度かヴァイオリンを辞めたいと思ったことがあり、そのタイミングでいつも羽生選手の『ホワイト・レジェンド』と出会っていたそうだ。
その度に、深い願いが込められた彼の演技に感動し、勇気とエネルギーをもらってヴァイオリンを続けてこられたのだという。
だから、いつか自分も誰かに勇気を与えられるような立場になったら、『ホワイト・レジェンド』でその力を届けたいと思い続け、この曲を弾いているのだと。
僕は以前から彼女のその思いを聞いていたから、新入社員の未来を応援するために、ぜひプログラムに入れてほしいとお願いしていた。
彼女は演奏前のトークで手短にそのことを伝えて『ホワイト・レジェンド』を弾き始めた。
会場の全員が、めぐりさんの演奏に集中しているのがわかった。
音楽は徐々にクライマックスに向かっていく……。
ピコン。
スマートフォンに連絡の通知が入った。
"こんにちは。ご依頼ありがとうございます! 残念ながらその日は別の仕事が入っていてお受けできません。ごめんなさい。"
何ということだ、めぐりさんに断られてしまった!
空想のパーティーはここまで完璧だった。
新入社員の皆さんに絶対に喜んでもらえたはずなのに。
ああ、このショックが収まったら、気を取り直して別の演奏家で空想のパーティーをやり直そう。
今日の「演奏家に思いを馳せる仕事」は、もうしばらくかかりそうだ。
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