(二)
そのうち、金曜日に綾子が浮気を告白して土日をかけて私がたっぷりと彼女を詰る。そんなルーティンが出来上がった。その頃から、私は綾子を痛めつけることに躍起になった。
初めは頬を打つだけだったのが、そのうちセックスの最中に首を絞めるようになった。
綾子の膣に無粋なアダルトグッズを挿入したまま馬乗りになって彼女の細い首を両手で絞めると、眼下で綾子の目が白黒するのが見え、訳の分からない高揚感に苛まれた。
酸素を求めて上唇と下唇がぱくぱくとくっついたり離れたりするのがなんだか面白かった。綾子は顔中を真っ赤にした後、続いて蒼白く顔色を変える。
そこでようやく手を緩めると綾子はいつもほんの少しだけ笑う、ように私には見えた。
「綾子、私、綾子のこと、愛してるんだ」
そう言うと綾子はぐったりとしたまま私の手を握り、息苦しさに喘いだ。陸に打ち上げられた白魚のようだった。
ある日の午後、約束もせずに綾子のマンションを訪れたらインターホンを鳴らしても綾子が出てこないので、渡されていた合鍵で中に入ると綾子が風呂に入っていた。浴室の前まで行って「綾子」と名前を呼ぶと
「きいちゃん、もう少しで上がるわ。少し待ってて」
と言った。その頃の私には綾子が隠し事をしたいときの声音が手に取るように判別できたので、その時にも、ああまたどこかの誰かと乳繰りあっていたのだなと分かる。
怒りに我を忘れるわけでも、絶望にうちひしがれているわけでもなく、私はひどく冷静に浴室の扉を開けた。綾子はバスタブに肩から下を浸して驚いたように私の顔を見上げた。
ストッキングが濡れるのも構わずそのまま浴室へ入り、私は綾子の白い身体が水中でゆらゆらと揺れるのを見た。
次の瞬間、深く考えることもなく両手で綾子の頭を掴み、無理やり水の中へと押し込んだ。バシャバシャと激しく水飛沫が上がり、ゴポッと不愉快な気泡が弾ける音がする。
バスタブの縁を必死で掴む綾子の指先が力みすぎて真っ白くなる頃、ようやく満足して手を離した。
私にはもう自分が綾子のことを実際に愛していたのかどうか分からない。愛していたと思いたい気持ちはあるけれど、その愛に自信が持てない。
愛とはこんなにも破壊的で破滅的な代物だったのだろうか。綾子に会うまでまともな恋愛というものを経験したことがなかった私では、判断することなどできようはずもなかった。
身体を動かすことが億劫な日は、ソファに座って延々と彼女を詰り続けた夜もあった。
「あんたって本当に愚かだね、綾子。貞操観念が低すぎる、とても人間とは思えない。猿以下なのかな? ねえ、なんとか言ったらどうなの」
白んでゆく空を目の端に留めながら彼女を詰る言葉を口にする度に、私は自身の下着にじわりと染みができるのを感じた。
驚いたことに、私はこの異様な行為、彼女を傷付ける行為で性的な興奮を得ていたのだった。
しかし、より一層救えないことに綾子自身、私から詰られること、傷つけられることに言い様のない快楽を間違いなく感じていた。
「ごめんなさい、きいちゃん。許して、私はもうきいちゃんだけのものだから……」
性懲りもなくそんなことを言う声は愉悦に震え、綾子はいつも両脚の付け根の奥を濡れそぼらせているのだった。
綾子と私はもはや一人の罪人とそれを断罪する者に他ならなかった。
綾子は飽きもせずに私に裁かれるために罪を重ね、私はもはやそれが自分自身の意思なのかすら判然としないまま、彼女の姦淫の罪を裁く。
あの頃、綾子以外のすべては灰色だった。灰色にぼやけた世界で綾子だけが、身につけている衣服や装飾品と一緒に極彩色の輝きの中で浮かび上がる。
一度、綾子の四肢を縛って好き勝手に身体を弄り回したことがある。身体をくねらせ悶える姿に後ろ暗い興奮を感じたのだったが、むしろ綾子の白い手首に残った紐痕の赤さの方が目蓋の裏に焼き付いて離れない。
夜、泣きながら目が覚める。夢の内容は何一つ覚えていないのに、ただ空虚さだけがぽっかりと心に居座り、この先、どうやって生きていけばいいのか分からなくなる。そうして、誰かが強く抱き締めてくれたらいいのに、と思う。
そんなとき綾子は決まって私を抱き締めてくれた。出会った頃と変わらない慈しみと愛で私を包んでくれる。
「私は悪くない、悪いのは綾子なのに」
嗚咽混じりにそう言うと綾子はいつも静かに「きいちゃんは悪くないよ。悪いのは全部私だよ」と繰り返すのだった。
私たちはよく二人でベッドの上で抱き合って眠らずに夜を明かした。
散々甚振った綾子の身体を労りながら、思い出したようにまた傷付け、綾子はその度に泣いて詫び、綾子が詫びるのを聞いて私もまた涙を流した。
世界中で生きているただ二人だけの人間のように心細い思いを抱えて、抱き合ったまま夜が明けていくのを見ていた。ぞっとするほど美しく、おぞましい光景だったように思う。
私たちは互いに傷付け合っていた。自らが切りつけ、刺し、抉った傷口に必死に両手を押し当てて流れ出る血を少しでも減らそうと空しい努力をしているに過ぎなかった。
「綾子になんか出会いたくなかった」
泣きながら、私は何度も何度もそう言った。綾子はその度に「ごめんね、きいちゃん。本当にごめんね」と言った。
いつも最後は綾子が「居なくならないで」と繰り返し呟きながら、明け方頃に眠りにつく。私は朝日に照らされたその寝顔を美しいものでも見るように目を細めてじっと見詰める。
どんなに、どんなにこの綾子の形をしたものが、私の心を捕らえて離さないか。この女が自分だけのものになるなら、私は命さえ惜しくない。
朝焼けの下、私は確かにそう思っていた。同時に、いっそ綾子の命を奪ってしまおうとも、一度ならず二度三度と考えた。
このままでは、いつか私は綾子を殺してしまう。どっと襲い掛かる疲労感に堪らず目を閉じ、私は綾子の隣で泥のように眠り込むのだった。
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