第34話 ニャンの十九の一 百寸導師と芋
これはこのネコがどこだかの湖畔のある広大な森の国で楽しく、面白おかしく過ごしていた時の事である。
時に山を越えて隣街へ頻繁に出かけていたことがある。
親切で物分かりの良い奇妙なヒトの説教師の野郎がいたので、そいつの説教を聞きによく出かけた。
そいつは若い頃、親父さんに逆らって家を出、軍隊に志願入隊したまではよかったが、出征後しばらくして戦役が終わりを告げたため、本格的な戦闘体験を積むには及ばず、拍子抜けの観は否めなかったらしい。
除隊後の都会での生活は荒んだ気分もあってか、なかなかこれに馴染めなかったようだ。
そこで長らく留守にした我が家に帰ってみると、爆撃に巻き込まれた故郷の家は既に跡形もなく、父母も妹も弟たちも何処かへ姿を消していた。
自身は都会に適応できない敗残兵のようなもので、命からがら逃げ帰った
風の便りに聞いたことには彼の弟は反政府側の義勇軍に身を投じ、戦死したのだと言う。
再会の適った父母も相次いで亡くなり、家族を失くした彼は程なく神父に身を転じ、今はただ独り日がな鳥獣を相手に説教を施す毎日である。
時には川を泳ぐ魚に対してもその説教は及ぶ。
きっかけは既に忘れたが、ある時ひょんなことから友だちのネズミに誘われて奴の話を聞くことになったのだ。
その時は数日間何も食べておらず、空腹であったところに旨い
その日も天気が良く、教会のすぐそばを走る小川を泳ぐ魚の奴も一緒になって説教を聞いてやった。
その説教師の言いて
「お前たちが人間の私を怖れることもなく、ここで話を聞いてくれるだけでも大変ありがたい。
しかし、今の私にはお前たちを相手に話をするのが精一杯だ。
つまり、この教会に足など運んでくれる奇特なものなどありはしない。
何と言っても内戦が終わったばかりで人心も荒んでいる。
だが、よくよく考えてみると、そもそも人間の私がお前らに説教すると言うのは間違っている。
本来は私たち人間こそがお前らに説教を乞わねばなるまい。
人間のやっていることは実際、
そして何と
世の中の様々な
隣国同士や事によっては
事によっては絶望しか無いような有様だが、と言って絶望ばかりもしておれぬ。
一先ず人間は、お前らの爪の
しかしまあ、こんな話をお前らにしても実際のところ何の意味もない。
若い頃、私は一寸した意見の食い違いから親父と
故郷の、今はもう誰もいなくなってしまったこの廃墟の教会へだ。
若さばかりで経験のない私の考えは父のそれと合わなかったのだ。
時を経て考えてみれば、単に私が理想的に過ぎて、狂信的にかつ急進的に国をより良いものにできると考え、結果として国を
思慮が足りず、分別がなかったと言うべきであろう。
私は父の導きの手を拒み、そればかりかそれを振り払って、家族を守る事も出来ず、かそれを壊してしまった。
このような、戦場でも戦友が死ぬのを見守るばかりで何もできず、都会からも尻尾を巻いて逃げ帰ってきた私に、何を言うことが出来るだろう。
私たち人間は多かれ少なかれ、善かれ悪しかれ宗教と言うもの、或いは宗教的なものに囲まれて生きている。
もし、宗教などと言うものがなかったとしたらどうだろう。少なくとも宗教的なイデオロギーのぶつかり合いから解放されることだろう。
無論それだけではあるまいが。
しかし宗教的正義と非正義との対立から、あるいはある正義とそれに対立する別の正義との対立からも解放されるだろう。
宗教とそれにまつわるあらゆるものから自由であることが出来るからだ。
ゴルゴダの丘はその後にやって来る
倫理を実践するのに、果たして宗教が本当に必要なのか。実践を担当するに際しての妥当性は
宗教を持たない、あるいはごく始原的な宗教をしか持たない純朴な民族がいたとして、果たして彼らが倫理的でなく、また本当に不幸であると言えるのだろうか。
あるいはまた、宗教を持つ人間は真に幸福であると言えるのだろうか。
これらを考えることは果たして無意味なのであろうか」
はて、この自問するかの如き
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます