第33話 ニャンの十八の二 木偶と弥勒と鈍らと2

「はてて、では天主てんしゅとは何か。

天主には光陰こういんありや」

「天主には因果なく、あらゆるものを絶し尽くし、しかして光陰も播波ばんぱもない。

耳目じもくも無ければ臓腑ぞうふもない。

これをえて言いしてわば、原初げんしょ混沌こんとんなるもの。

従うに凡そ名付け得るものの如何なるものでもない。

空前にして絶後するものなり。

天に在って地には無きもの。

って人の世に本来、或いは到底在るものではない。

在るとすればの様に無く、恰も無きが如きのものの様に在る。

下駄がすべよぎっていくくうのようなもの。

あらわれながらにして消えゆくほむら、闇と光の会合して不接ふせつするかの如きところに在るようなものであり、果たして言い得ぬ」

 はて、彼は我は己はとは謂わぬ。

彼我ひが彼方かなたに在る境地に居るのか、問う間もなく不意といなくなった。

それにしてもあの姿は夢幻むげんであったのか、ヒト形をした木偶でくででもあったのか。

あやしげにもかなし気にくハトは居たのだが、さて彼奴きゃつ顔貌かおかたちが思い浮かばぬ。

あたかも実体のない混沌こんとん法師ほうし言説げんせつを垂れていたかの如くの観がある。

ハトの奴も何処どこぞのしとねに帰ったと見える。

正に狐につままれた観のある仕業しわざであった。

 て、或る時の和の国ではその都に仏寺の本堂が作られておったが、その大屋根を支えるはりと柱に途方もなく重くおおきな木が用意された。

さてれを一体誰がかつぐのかと思っておったが、何処よりともなく無表情の大男が現れ、さっさと立てて、あっという間もなく去って行ったらしい。何と怪訝けげんな事にはこの大男が何者なのかを誰もが知らぬと言うのだ。

また、こう言う事もあった。

その寺の奥の間にご本尊として仏像を納めておる処であった。

しかし、この木の塊が余りに重く彼ら大勢おおぜい人夫にんぷらがそろって音を上げそうになったが、或る無勢ぶぜいの一人が不意ふいに心地良さそうな顔をしたかと思うが早いか、如来像を独りで楽々とかつぎ上げたそうだ。

後にその者にただした処、其処そこの処は失念しておったとは言う。

その後にその寺が焼け落ちた時には、不思議なことにくだんの阿弥陀様だけは黒焦ころこげになりながらも屹立きつりつしておられたとは言う。

ヒトどもは色々に考えをらしめぐらした。

「そりゃ決まってるさ。

きっと何処からか本物の如来様がやって来て、自分で歩いて自分をえたんだよ。

そしてきっと、その後そこを抜け出たんだろう。

そうとしか考えられまい」

「確かにな。われわれ人間じゃどうにもならん。頼りにならんと言う事でな」

「どこかの大社おおやしろでその様なことがあったと」

 またこういう話もあった。

みやこの何処に、食うだけは百人前だが、居眠り太郎と言う鈍重な出で立ちながら修業は半人前の鈍ら坊主がおったと言う。

修業はとんとはかどらず、還俗げんぞくが妥当とされたが、居丈高いたけだかならずして偉丈夫いじょうぶの百人力で、火事場ならぬ居眠りながらの馬鹿力で力仕事では何を為すにでも役に立ち、皆に一目置かれた。

そんな或る天平てんぴょうなる時、数百年に一度の地震に引き続く大洪水があった。

その際、僧侶たちはみな寺を放り出して退避たいひしたのだが、そやつだけは数百 かんの石を背中にくくりつけて貰い、ご本尊の安置してある観音堂の大柱を独りで守り支えて一晩耐えて生き抜いた。

この神懸かみがかりは如何とも捨て難いという先代の座主ざすの鶴の一声で一生の修行続行が決まったが、その後の生き死には知らぬ。

いやしかしそれにしても、その鈍ら坊主が如き働きはヒトのための普段の修行の場において発揮されるのではなく、何と言っても神仏のための千年百年の一度限りにおいてなのである。

そのために鈍らとしての修行を行うのである。

この、人智を絶する神懸かりの仕業は何と言ってもやはり真に仏に任されたものなのであろう。


 千載せんざいの命を懸けた鈍らの 

         仏の御手みていこるかな


 まだらバト のどを震わす夜更けにて

         夜寒よさむの月に暇乞いとまごいせむ

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