第32話 ニャンの十八の一 木偶と弥勒と鈍らと

 あの、薄茶斑うすちゃまだらのころもまとったハトに於けるが如きは、そのうす気味きみの悪いき声はともかく、その地味で不気味な格好かっこうことの外このネコを印象いんしょうし、その気配が朦朧もうろうたるこのネコの気に入り込んできたかの如くである。

今頃あの禍々まがまがしい褐色の入りの羽はどの様な変化、遷化せんげを遂げている事であろうか。

しばらくして見かけたそのハトの主であるヒトたるものが、それは何とも言い得ず格別なる上品であった。

何ともやんごとなきともがらであったろうか。

たとうるに木彫りの彫塑ちょうそたがわぬ様な、しかしながら単なる木ではなくして、決して普段ながらに生死の入り混じった観のあるあの樹々の木ではない。

死んでいるていながらに生きているような。

生きているにしてもそれは小さな水の流れをようする樹々の木の生と言うよりは恐らくは、あたたかき肌の、息づく人のそれであったろう。

何とも不思議、毒でもなければ薬でもない。

色や気があるような無いような、居るのか居らぬのかが良く判らぬ。

曰く言い難く、気にかっていわば気障きざわりなる透明に鬱陶うっとうしい半透明を上塗りにし、それが相半あいなかばするかのごとき正体の不明である。

 はじめは件のハトの禍々しい斑にこそ興味があったものの、次第にその奇妙な太子たいしの様なヒトの方に気が寄っていくのだ。

いつも独りである。

食べているのかいないのか、寝ているのかいないのか。

即ち生きているのかいないのか。

世界には或いはそう言う奴もいるかも知れず、斯様かようの事どもは我がネコ如きには如何どうでもよいのだが。

 意図は不明ながらに寝食する振りをしている風でもあり、一体何がどう楽しいのか、とんと見当がつかぬ。

夜っ引いて結跏けっか趺坐ふざ半跏はんか半眼はんがんで、あたか思惟しいするが如くに書物に見耽みふけっている風でもある。

他人がこの者に見えるに尊崇そんすうを以てし、また奴は誰某だれそれ、何某なにがしの事を云云うんぬんする訳でなく、口を開くに世界は、の国はとしか言わぬ。いや、そうした事は如何でもよい。

礼節が大切とは判るが、はて、如何どうこうせよとは言わぬ。

よくよく見ると、餌以上の物には見えぬハトの野郎も、奴がこちらに顔を向け私と眼を合わせると、えてうやうやしく咽喉のどを震わせてはいとまを告げるように逃げ出す始末。

 あるよいに如何にも気になって、顔を向けて木偶でくの様なそ奴にたずねてみた。

「もし、そこぞのお方。

薄衣うすごろもがそのような細身には寒くはござらぬか。

この夜寒よさむの夜更けにそのように眠りもせず、問題はござらぬか。

加えて、そなたは書物ばかりを見て何が面白いのか」

 然様さように問うてみたが、素知らぬ振りを決め込んでいるかに見える。

重ねて問うのも間が抜けていると、暫くは奴を見ておったが、まったく動かぬ。

不動尊ふどうそんか、もしやあの世からやって来て、数億年経たぬうちは動かぬと言われるあの弥勒みろく何某なにがしかとも思った。動かぬ様は全くの木の塊の様であった。

えんじゅの如き木目や節はなく、存在の気は失せ、其の気配が全く感じられぬ。

こ奴は何処かの誰かがこの者の事を思惟した時にのみそこに色香を漂わす、動く木偶なるものかとも思われた。

如何いかな我がこのネコでも、辛抱しんぼうかなわず、此度こたびこいねがうに下出したでに訊ねてみた。

「是非教えをい願いたいのだが、はて、礼節とは一体何か」

と問うがやはり返事は無い。

ネコであろうと小馬鹿にしているのかとも思い、尻尾しっぽひるがえし、きびすを返そうとしたところ、ようやく微動する気配を発した。

「ああ、貴殿が申す如くのその様ではない。

寒くはあろう筈も無く、面白き書物を読むでも貴殿を在らぬもの、なきものと見做みなしているのでもない。

ただ、貴殿と私との関係を、うしなうにやすくまた得難き限りに於いては下駄の鼻緒はなおの如きものと。

ありと在るものの要諦ようていの如くにおもうと言う心境であるぞ。

しかるに、礼節は其処そこに漂うもの。

在って無きが如きのもの、また無き様であるもの。

即ちこれを要するに其れ相対の如くに思い為すべきもの」

その様に仰せられたもう。

何を言っているのか、まるで禅問答のようであったが、よく判らぬままに、また振り向き様のかたちの儘に諾とした。

何も知れず解らぬ相手の言う事を信用できるわけもなく、色々と問うても真正面に応える訳でもない。

其処に無いかも知れぬものを、或いは見えぬようにも在るものを見えているかのように、まま信用しろと言うのは難しい。

其処に在るかのような信用すべき証拠のない孤高ここうの絶対などと、御身おんみ御前おんまえは真に其処そこに居るのか。

もしやこ奴は傀儡あやつりではあるまいか。

さらに加えて一ついてみた。

「夜鳥、即ちぬえとはなにものか」

「其れはわば下駄げたの歯である。

身代を支える余死よしの居るべきところ、身をぎ心をそそぎり減らされるべき命の我らの片割かたわれ。

本来自身の混沌こんとんからり分け隔てられたるかげ夜陰やいん、謂わば我々木石たる如きものの存在そのものであろう。

然るに彼らは我々の意には映らず、即ち見ることとは相成らぬ。

これを我らが意の内に在りとし、見えるものと為せば、其処にこそものの道理の極まれるを得る事とはなろう」

「それは、我が意の内に」

然様さよう

己が意の内とは、其処にこそこの宙彼ちゅうが天界てんかいを以て映して玉のあやと為す気宇けう万象ばんしょう在りと為すべきことのもの。

しかしてその根本は無にして空に如かず。

其処には常ならんとして日と夜とが、即ち光陰が生まれつつ消えては、常ならずして宿りながらにして、また廻り来、行き来したるもの」


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