第31話 ニャンの十七 太平と鬼

 少しく以前、どこかのヒトの頓智気とんちき頓馬とんま馬鹿 巨大でかい船にネズミやネコ、ノミ、シラミなどをせて、無数の生き物のしゅを確保したと言う言い伝えがあった。此処に呑気のんきにもヒトの種をほうりこんだものだからさあ大変だと、蟲虫むしどもが想ったかどうか。

一般にヒトなどと言うもの、万太郎 じいが言うように何と言うてもろくなことはしないらしい。

 爺の言に依れば、ヒトは身の回りの物をことごとく皆、何でもおのれかてとして仕舞う。

周りを自分の都合の好いようにり固めてしまう。

ヒト一般は生きものは何でも同類以外でさえあれば、これを殺して喰っても構わないと思っている節がある。

極限状況でのむに已まれぬ共食ともぐいと言うものがある一方、処刑、天誅てんちゅうなどと言って同類でも食わぬなら殺してもよいと言うやからもいるほどだ。

すなわ殺生せっしょうである。実際のところ鬼畜生おにちくしょうと選ぶ処がないのだ。

 こうなると最早ヒトなどと言うのは我々ネコとは異なって、最も劣悪劣等なる蛮族ばんぞくとも言うべき愚劣ぐれつなる種族なのであって、奴らが自らを評するに際し用いる清廉潔白せいれんけっぱくたる精神などとは程遠いところに居り、おのれの事しか考えておらぬ最も悪徳なるものどもと言わざるを得ない。

しかしこれはこれにより、やがては自らを殺生する事とは相成あいなる事であろう。

いくさなどとは言ってはいるが、かすうばうを事とする者どもにあっては、火蓋ひぶたは切り落とされるばかりで、殺戮さつりくまく何処どこまで行ってもついぞ下ろされることがない。

 我が命がねらわれなかったのには、絵描えかきなどのヒトどもの言うように何かの意味があるのかも知れぬが、食い物としてなら何時いつでもれてやっても構わぬ。

それはいわばヒトどもが最早もはや失ってしまった生きものとしての心得こころえ心指こころざし、矜持きょうじなのかも知れぬ。

何時かおにごとくにヒトより強い奴らが現れてヒトにとって代わる事があれば、その時ヒトどもは喰われるべき身となる。

太平天国たいほうてんごく幻想などとはヒトの世においてこそ在るもの。

然様さようのものは本来要らぬものである。



 枝垂しだれ行く進み果てなく顕現あらわるる 鬼か蛇蝎だかつかヒト喰いわら


 太平の世に蚤虱のみしらみ喰い騒ぎ むくろ並べて そを破り



 ヒトの所謂いわゆる此の世はことの外狭く、ひょっとすると何かの土塊つちくれと土塊の隙間すきまほどのものかも知れず、真に芥子けし粒ほどもないものなのかも知れぬ。

あまねく押し並べての生きものの種と類とにの世はあり、それぞれが同様の時空の流れころがらざる処、或いは異なる時の流れの様なものの上に在って、その各各おのおのあたかも関連があるかの如くにして実はそうではなく、在り得べくもない全体 全容ぜんようくごく一部を為しているに過ぎぬ。

ヒトの世はくあるべき世ではない。

万太郎爺さんの言う通り、最近ここへやって来たヒトがたまさかに間借まがりするか、居候いそうろうをしているのみであって、あたかも我が世、我が地とそのように勘違いしているに過ぎぬ。

おごれるものはまた久しからざるものの、これは驕る、驕らざるに限らず、また何処どこぞのどのしゅの一個に限らず、久しからざるについてはヒトやネコ、ネズミの種にしてもしかり。

 鬼がやってくれば皆一様にうつむもくせざるを得ない。

これによって何らかの栄華えいが駆逐くちくされるのはの地の常なることわり其処此処そこかしこに見えている土塊つちくれもそのうちにまた別の土層どそうがこれに乗り上げることであろう。

千年 億年おくねんのうちに現今げんこんの此の地ではその役柄をヒトが負っているに過ぎぬ。

そうしてやがてその時、終焉おわりは出来きたるであろう。

これらの時の流れの中で、蚤虱のみしらみやヒトや南京なんきん虫ども、これらあらゆる生きものがいて生きているのである。

鬼の奴らがやって来る前のその平穏へいおんなる時を喜びの謳歌おうかとともに過ごし幾千年を生き延びるかは知れず、いずれ後からきたる別の鬼たちに平伏へいふくし、更にはこれに追いられることであろう。

これらの連綿れんめん内包ないほう的な鬼の立ち代わりを前提する。

 予見よけんした向きもあろうが、またいささかならず戯論けろんめくものの、やがては何時いつかは判然はんぜんせぬが、ヒトの世は流転るてんの終わりを告げることであろう。

それでもおヒトに代わる鬼はなおも存続する事であろう。

鬼が島とは畢竟ひっきょうヒトの此の世のいなのである。

退治された鬼のあときたれるものが新たなる鬼となり代わるだけの話である。

 ヒトは邪計じゃけい外道げどうにもの世を恣意しい的に扱い、また殲滅せんめつ的にくずし、やがてすべては衰微すいびして、そこにようや木石ぼくせきらによる久遠くおんの休日が訪れることであろう。

しばらくの間は、その何らかの破滅の世界で何らかの呼吸できるもののみが生残、存続すると言う事であろう。

最期の鬼が死にくとき、世界を此の世と呼ぶものが消え、此の世は真に寂滅じゃくめつされた廃墟はいきょへと回帰する。

ヒトどもがおごなかれなどとは言うが、頓馬とんまが驕ったところたかが知れている。

愚劣ぐれつなるものの至りは大音声を張り上げ、諸手もろてを振り回しながら共食いを指図さしずしては身の回りの物を見境みさかいなくこわしていく者どもである。

木石など脳髄の在る無しは兎も角、あらゆる命あるものの何一つも生み出し作り出し得ぬままに、ことごとくのものを破壊し尽くし、或いは偶像を立てては引き倒し、空々そらぞらしい茶番ちゃばんも何もかもがかまびすしい。


 星見るに縦恣ほしいままなるほしいいに 干し草の毛も在らまほし哉


 芥子粒けしつぶにヒトと鬼とが相見あいまみゆ 鬼が島なる夕日せきじつはま


 ネコの脳髄のうずいに於いてすらその繁栄を為しうる此の世では、その心持ちをはかるにかたしと言わざるを得ないロボットやらも現れつつあり、或いはその最期さいごの鬼も消えつつあるのやも知れぬ。

我が一個のネコのたなごころの肉球の内にあるこの宇内うだいの一千年の世など、川の水の一滴にも及ばぬ、在っても無くても構わないもの。

循環するものは巡り廻ってまた別のものとなる。

このネコのひげにして然り、分かれては出会い生まれて結合を果たしては離れていく。

その様にしてね上げられ出来上がっては出会いを果たし、離別わかれを果たすのだ。

この繰り返しに過ぎぬ茶番を見るにつけ、我が尿いばりがめぐりめぐってはこの身にみ渡るべき美味うまい石清水になるのを感じるにつけ、も言えぬ感慨がまたこのネコの身に染み渡っていく。

何と表せばよいか分からぬこの流れのうずの中にあって、瞑目めいもくしつつついまたたきを終え、さらすべからざる陽光に身を晒すのみ。


 え返る 夜寒よさむあらわに只管ひたすらす 雁行がんこう果てて月もぐらん



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