第29話 ニャンの十五 長吉の恩 

 だるような暑さも半ばと思しきある夏の日の、昼未ひるいまの、朝の事であったとおぼしい。

どこか遠くか近くかで何かがはじけたかと思うが早いか、地を揺るがすような、何もかもが突然全速力ではじけ飛ぶほどの大音響が猛烈な光線に遅れてやって来て、その後からやって来た途轍とてつもない風圧の暑い暑い風に吹き飛ばされた。

 気が付くと私は何処どこだか分からない灌木かんぼくの茂みに転がっていた。

身体には何処どこにも怪我は無いような気がした。それでも背中には焼けつくような熱さを感じた。

顎と前脚にも何らかの違和感を感じはしたが、それよりも全身が気怠けだるく、眼を開けるのが辛かった。

次第に頭がはっきりしてくるに連れて痛みが全身をおそい、やがてそのまま気を失ってしまった。気が付くと辺りは既に真っ暗で辺り一帯には異様な臭いが漂っていたが、長吉の声がどこか遠くで私を呼んでくれているような気がする中でまたも気を失った。

 体がまったく言うことを聞かず、ただただ咽喉のどかわきを覚えた。

その儘じっとしていたものか如何どうかと考えるうちに気を失ったが、そのたびに或いは恐らくは何度も気を失った。

 ネコたるのこの私或いは私たちの命は、時ならずしておそい来る驚天きょうてん動地どうちが行う大量 虐殺ぎゃくさつの如くに神か何かどこかの誰かにねらわれていたのか、これが総ての生き物にとっての内証ないしょう下用げゆうの事柄であるのかどうかは良く分からぬ。

同様な出来事は長吉が時を同じくして役場の建物の物陰ものかげを歩いていた時にも起こったのだと言うが、彼は倒壊とうかいした壁に危うくつぶされそうになったが、からくも逃げ切り、また大きく飛ばされることも無く、怪我も殆どなかったようである。

それでも奴は私を見つけ出してくれ、死のふちを漂い彷徨さまよっている私をそこから引きり上げてくれた。

或いはそれこそは神の機能の一端でもあったのであろうが、之もまた我々には内証の事柄であろう。

 奴が私の鼻をの頭をそっとめ続けてくれていた頃、老若を問わず多くのヒトやイヌやネコ、ネズミなどの多くのもの達が均しく冥途めいどへの長旅へと召されおもむいたらしい。

それ以外のものどもも、私のような生死のさかいにあって様々な責め苦にさいなまれたとは聞く。多くの者どもが地獄の責め苦に耐えかねてやがてはおのが生をうとんだとは聞くが、如何どうか。

ところによっては芬々ふんぷんたる死屍しし累々るいるい瓦礫がれきの山はこれを如何いかんともし難く、まま放り置かれるとも思われた。

我が仲間の死屍の多くは荼毘だびに付される事もなく、随処ずいしょめがつかを為し、或いは川の流れに生きつつ砕けて流された。

 それから半年ほどして我が体も長吉の介抱かいほうのお蔭で命拾いし、更に幾分か快方に向かい、ようようの事に歩けるようになった。

或いはおおきな灼熱した星がちてきたのか、矢張りどう考えてもこの世の終わりのきざしに違いあるまいと思った。

あのただならぬ地響じひびきは何ものかが天から降って来て、この大地に衝突ぶつかったに相違ないと、そう思った。

しばらくして、これらの所業しょぎょう愚昧ぐまいなる人の仕業と聞き及ぶに至り、その罪業ざいごうの曰く言い難き深甚しんじんなるに思い至った。 

くまでの驚天動地は正しくその地が裂け砕けて、沈み行くほどのものであろう。その大地にまう者達はくの如くに天地をくつがえされては生きてはおれまい。

 その頃傍らに暮らしていたお美代ちゃんも元気な顔を見せ、涙に暮れた後はお互いにほっと安堵あんどの胸をで下ろした。

お美代ちゃんも多くの係累けいるいうしない、泣き尽くしたとは言っていた。ようこそ生きていると言って笑った。

いろいろなもの、種々雑多なものが焼かれ、息絶え、消え失せては、その一代を限りに絶望しては死に絶え、希望に生き残った。

 有難く脚も口も動けば、頭も尻尾しっぽも動く。

心底しんそこ嬉しかったが、ようやく動けるようになり、何とかなりそうだと思えるようになった頃、とつぜん長吉が身罷みまかった。

実際の処、奴の方が具合が悪かったのだろう。

自分をかえりみずに私の介抱かいほうをしてくれた。

恩に着ない訳にはかぬ。世間は知らず、私は飛び切り運がよかったのであろう。

灼熱しゃくねつの地獄を逃げまどったものも多かったようであるが、長吉のようにのちの病でやられたものも多かったとは聞く。

 そう言えば、この間の大水の時にはお美代ちゃんに助けられた。

まったくもって火も水もりである。

そうそう命拾いばかりもしても、してもらってもおれぬ。

死にそこなって生きているのも格好がつかぬ。

皆でこうべれて長吉を荼毘に付したが、この時ばかりは私は長吉の果敢ない命への無念と感謝の念とに滂沱ぼうだの涙を流し、長吉が迷いなきようにと、また御靈みたま逡巡しゅんじゅんこれなきようにとかしこまってはたまを落とした。

 このネコがもっと気儘きままに生きられる処、融通無碍ゆうずうむげ遊行ゆぎょう遊戯ゆうげし、行住坐臥ぎょうじゅうざがすべき往生楽土おうじょうらくどはないものか。

ここに、この我が鼻先にある空気を吸い、水をすすり飲み、其処此処そこここに落ちて在りとあるものや土を拾い喰い、その辺りで眠る。それこそがこのネコが生きること。


 


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